ホワイエでコーヒーを飲みながら♪

観劇の感想もろもろな備忘録
「つれづれな日々のつぶやき♪」からお引越し中

『フェイクスピア』ストーリーと感想

2023-12-24 09:30:45 | テレビ
WOWOWライブで2022年6月10日放送の舞台 NODA・MAP『フェイクスピア』を録画したものを観ました。

ストーリーと感想を備忘録として書きます。
※ネタばれがありますのでご注意ください。
※文中の敬称は省略させていただきます。




【作・演出】
野田秀樹


【出演】
高橋一生
川平慈英
伊原剛志
前田敦子
村岡希美
白石加代子
野田秀樹
橋爪功


【ストーリー】
恐山のイタコを中心にシェイクスピア、サン・テグジュペリの世界へと展開していく。虚構と現実が混沌としながら行ったり来たりする。そこに真実はあるのか…。


【感想】
美術はシンプル。中央に後方が上がった板状のものが置かれており、そこにキャストが立っている。上手側、下手側には柱が数本立っている。
前衛書道の筆跡を思わせる黒い筋が見られる。

同じような柄の布を持った男性アンサンブルが下手側から上手側に走り抜け、飛行機を表したりする。野田秀樹お得意の布使いが今回もふんだんに観られた。
言葉遊びも健在だが、以前より随分と少なくなったと思う。

高橋一生が父親役で橋爪功が息子役を演じていて、時間によって大人だったり子供だったりする。
“箱”、“ことのは”がキーワード。
シェイクスピア、『星の王子様』、恐山のイタコが時間と虚構と現実の狭間をぐるぐると回り続ける。一見なんの脈絡もなく無関係に見えるものが、全部繋がり伏線はしっかりと回収される。
冒頭の「頭を下げろ!」と怒鳴る高橋一生、後半も「頭を下げろ!」と怒鳴る。それは旅客機のコクピットで制御不能に陥り、必死でコントロールをしようとするパイロットの姿と声だった。
記憶されている方も多いと思う。あの大惨事となった36年前(上演時)の飛行機事故、“日本航空123便墜落事故”がモチーフになっている。“言葉の一群”はノンフィクションであり、本物のボイスレコーダーの言葉なのだ。
冒頭に高橋一生が錆びた金属製の箱を持って立っている。これは飛行機のボイスレコーダーだ。そこには父(橋爪功)の“ことのは”が入っていた。生きた“ことのは”の一文、希望の一文が…。
「頭を下げろ!」

ラスト、橋爪功が箱を持ち独白する。後ろには霊のように浮かび上がる父(高橋一生)。そして静かに消えていく。
白石加代子のイタコに「父に合わせてくれてありがとう」と礼を言う橋爪功。イタコの白石加代子と橋爪功は同級生という設定だ。二人で空を見上げ「頭を上げろ!雲ひとつないいい天気だ!」と言う。

悲しみの果てに長い年月を経て辿り着いた希望の光。それはとても哀しく美しい。涙が流れた…。

カーテンコール、鳴りやまない拍手とスタンディングオベーションが続いていた。


【公演後のアフタートーク】
野田秀樹、高橋一生、橋爪功、白石加代子の四人でアフタートークを繰り広げる。

Q:好きなシーンは?
A:高橋一生「冒頭のシーン」、橋爪功「高橋一生のやりたい放題のシーン」

高橋一生「白石加代子の存在感がすごい!いつも新鮮」
白石加代子「あら~もっと存在感を消さなくちゃね~」
橋爪功「高橋一生が好き♡稽古初日に告白した」
高橋一生「何日か後に僕も好きです♡と言いました」
高橋一生「終盤の“言葉の一群”が難易度が高かった。いつまで経っても台詞が入らなかった」

Q:演劇の未来について
A:白石加代子「コロナで辛い」、高橋一生「観測、観察することで何かが生まれてくる。劇場でしかあり得ないと思う」、橋爪功「野田秀樹の稀有なものを繋げていって欲しい」、野田秀樹「批評する力が小さくなっていると思う」

Q:言葉が残ることについて
A:野田秀樹「無記名の言葉が膨大にあるのは大きな問題。YouTubeなどにオカルトや興味本位でやっていいものではない」 


【余談】
今回の舞台もチケットが取れなかったのだった。NODA・MAPは本当にチケットが取れない~!
録画したら早めに観たほうがいいのだが、上演時間が長い舞台は時間をとるのが自宅だと難しい。なにかと雑事やら家事やらの邪魔が入るし。
劇場に出かけたほうが時間を気にしなくていいのだ。このあたりがもにょもにょするな~。

そういえば高橋一生と橋爪功はドラマでも親子役で共演していたな~。橋爪功と高橋一生ラブラブ♡?








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『向こうの果て』ストーリーと感想

2023-11-02 14:13:42 | テレビ
WOWOWライブで放送の舞台『向こうの果て』を録画したものを観ました。

ストーリーと感想を備忘録として書きます。
※ネタばれがありますのでご注意ください。
※文中の敬称は省略させていただきます。






【脚本】
竹田新


【演出】
山野海


【出演】
塚原大助
浜谷康幸
佐藤正和
泉知束
かなやす慶行
渡邊聡
44北川
関口アナン
皆川暢二
小泉今日子


【演奏】
小山豊(津軽三味線小山流三代目)


【ストーリー】
昭和60年。小さなアパートの一室で殺人事件が起こる。池松律子(小泉今日子)は同居人の君塚公平(塚原大助)を刺殺し、証拠隠滅のためにアパートに放火した罪で逮捕される。
裁判が進むにつれ、2人の過去が明らかになっていく。律子を知る男たちの証言から、夜叉のような女、売春婦のような女、嘘つきな女、ぜいたくな女、残酷な女、柔らかな女……と、律子のさまざまな顔が見えてくる。


【感想】
舞台は黒い背景。「ザーザー」という雑音のような雨音が響く。下手側に木製のテーブルと椅子が置かれている。
三味線が悲しげな音を奏でている。

青森の田舎で貧困と妬みと嫉妬で、できあがった人たち。彼らはうんざりするような、人の心の醜さをこれでもか!というほど見せつけてくる。その醜さが哀しく、切ない。真実がそこにある…。

律子の生い立ちは悲惨だ…。実父からの暴力に耐え、両親の死後、引き取ってくれた独身の叔父と15歳で関係し妊娠、堕胎。18歳で大手メーカーの御曹司と結婚、ようやく幸せをつかむことができたと思った矢先、夫は傾きかけた会社の債権者の娘と不倫。律子も夜遊びを繰り返し離婚する。
その後、幼馴染の売れない作家の君塚公平と同棲する。実質ヒモの公平に暴力を振るう律子。そして殺害してしまうのだ。
いつも律子は相手が望むだろうことを本能的に感じとり、それを実行してしまう。結果がどうであろうとだ。それが律子の生きていくための術だったから。
律子の心は一体どこにあるのだろう? 空っぽな律子の心はふわふわと空中浮遊をしているようだ。

土地の呪いのような風習、経済的な貧困と心の貧困はほぼ同じ。悲しみ、妬み、憎しみからは何も生まれない。生まれるのは不幸の連鎖だ。
「親ガチャ」親の負の遺産を受け継ぎ、みんなでよってたかって追い込み、全てを背負わされた律子の心は死んでしまった。

律子を取り調べている検事は、律子と結婚で苦労した姉とを重ね合わせ混乱する。検事としての職務を正しく遂行できず、職を辞すことになる。

公平が最後に書いた小説は「太陽のような女」。公平と律子と子供たち4人の幸せな暮らしを描いた小説だ。
律子を本当の世界に戻したかった公平。律子の人生を狂わせてしまったのは公平だからだ。
律子を父親の暴力から守ろうとして、父親を殺そうと持ちかけたのは公平だった…。

「殺して!」「時間を止めて!」と公平に懇願し、包丁を手渡す律子。だが誤って律子が公平を刺してしまう。流れる血は公平が生きている証。
マッチで火をつける公平。「おまえは生きてくれ!」と言い残して。
これが真実だった…。
鳴り響く三味線の音。

ラスト、下手側の天井から光芒のような照明があたる。
みっともなく、哀しく、美しい作品。


【余談】
以前に観たモダンスイマーズ『デンキ島~松田リカ篇』を思い出した。地方の風習や習慣、抗いがたい現実。窒息しそうな閉塞感や湿度の高さが同じように感じられたからだ。
映像、舞台、小説などの中にも、同じようなものが脈々と流れていると感じる。いいとか悪いとか、上とか下とかではない、なにかしらがそこにあると思う。

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『阿修羅のごとく』ストーリーと感想

2023-10-08 09:00:32 | テレビ
WOWOWライブで放送された舞台『阿修羅のごとく』を録画したものを観ました。

ストーリーと感想を備忘録として書きます。
※ネタばれがありますのでご注意ください。
※文中の敬称は省略させていただきます。







【作】
向田邦子


【脚色】
倉持裕


【演出】
木野花


【出演】
小泉今日子
小林聡美
安藤玉恵
夏帆
岩井秀人
山崎一


【ストーリー】
とある日、三女・滝子(安藤玉恵)の話したいことがあるという連絡により、四姉妹が集まることに。
数日前、70歳を迎える父親が愛人らしき人物といるところを目撃した滝子は、興信所に父の身辺調査を依頼したのだ。
四人は母親に知られることなく、父に浮気を解消してもらうための作戦を練る。そんな姉妹だが、実は自身の生活にもそれぞれ悩みを抱えていた。
長女・綱子(小泉今日子)は仕事先の妻子ある男性と不倫関係、次女・巻子(小林聡美)は夫の浮気の予感にもやもやした日々を過ごし、三女・滝子(安藤玉恵)はその潔癖さで男性との出会いもなく、四女・咲子(夏帆)はボクサーの彼との不安定な生活に疲弊していた。
ままならない現実にあたふたと、それぞれの業を抱えて正直に生きようとする四姉妹の闘いの日々は続く。阿修羅のごとく…。



【感想】
美術はとてもシンプル。客席が四方に設えられたセンターステージの素舞台。
黒子がテーブルや椅子、電話などを運びこむところから物語は始まる。全体的に暗く色味のない舞台上で、公衆電話の赤色がひと際目立つ。
暗転で転換されるとき、静かな雅楽、太鼓、三味線が響く。フラメンコの激しい楽曲も流れる。この音楽の使い方がとても印象的だった。

ストーリーは原作に忠実だったが、後半の四女の件がカットされていて、母親の葬儀までだった。後半をばっさりカットしたのはどういった意図なのだろう?

キャスト全員が実力のある方々なので「ん??」と感じることなく、ノンストレスで安心して作品を楽しめる。
長女・綱子の妙に色っぽい未亡人、次女・巻子の良妻賢母、三女・滝子のお堅い潔癖さ、四女・咲子の恋愛第一主義と献身。もうそのままなのではないか?と思うほどはまっていた。
次女・巻子の夫の言動にいらっとするのは変わらないな~。いい悪いではなく、男の本音にいらっとするからだ。

ラスト、四姉妹が明るく雑談しながら母親の葬儀に参列するため、喪服に着替えている。現実はなにも変わっていないし、問題も解決していないだろう。
それでも、彼女たちはそれぞれの立場で、今日も明日も踏ん張って生きていくのだ。
舞台をかすかな涼風が流れ、カタルシスを連れてきてくれた。


【余談】
『阿修羅のごとく』は原作も既読で蔵書にもある作品。
NHKのドラマ版(1979-1980 和田勉・高橋康夫)、映画版(2003 森田芳光)も観ていたし、今はないセゾン劇場で上演された舞台も観に行ったことがある。
何度観てもいいものはいい!と感じさせてくれる作品だと思う。

向田邦子の作品はどれも人の業が描かれていて、ときどきしんどくなることがある。メンタルが下がり気味のときは近寄らないことにしている。引っ張られるからだ。
それでも嫌いではないので、読むし観る。そこに人という生きものの真実があると思うから。
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『友達』ストーリーと感想

2022-06-14 09:20:40 | テレビ
WOWOWライブで2022.4.9(土)放送の舞台『友達』(2021.9.25 公演 新国立劇場 小劇場)を録画したものを観ました。

ストーリーと感想を備忘録として書きます。
※ネタばれがありますのでご注意ください。
※文中の敬称は省略させていただきます。





【作】
安部公房


【演出・上演台本】
加藤拓也


【ストーリー】
ある夜、ひとりの男(鈴木浩介)の日常に忍び寄る、見知らぬ「9人家族」の足音。
祖母(浅野和之)、父母(山崎一・キムラ緑子)、3人兄弟(林遣都・岩男海史・大窪人衛)、3人姉妹(富山えり子・有村架純・伊原六花)から成る9人家族は、それぞれに親しげな笑みを浮かべ、口々に隣人愛を唱えながら、あっという間に男の部屋を占拠してしまう。
何が何だかわからないまま、管理人(鷲尾真知子)、警察官(長友郁真・手塚祐介)、婚約者(西尾まり)、弁護士(内藤裕志)と、次々に助けを求め、この不条理な状況説明を試みるが埒があかない。
しかも、彼らは、どんどん「家族の論理」に加勢していく流れに…。
「9人家族」の目的は何なのか?
どこからが日常で、どこからが非日常なのか?
男を待ち受けるのは、悲劇なのか、
はたまた救済なのか?


【感想】
冒頭、キーン!とした金属音、ブツブツ!としたノイズ音が入る。
美術はとてもシンプル。床の中央斜めに置かれたドア。これが玄関ドアで、下は階段になっており、見知らぬ「9人家族」が出入りする。

ここの住人の男はひとり床に寝そべりスマホをいじったり、ペットボトルの水を飲んだりしている。
突然、男の家に転がりこむ9人家族。「友達」「家族」「つながり」「共有」「シェア」「隣人愛」という耳障りのいい言葉を突きつけて、どんどん男の家も心も体も支配していく。
「一人の孤独を助ける」と正論を吐きながら、男を侵略し、全てを略奪していく。家もお金も男の時間も婚約者さえも…。
嚙み合わない会話、成り立たない話し合い。当然だ…。彼らは心をもたない侵略と略奪を繰り返すだけのサイコパスだから。
一体、いつから彼らはこうなっていったのか? 人畜無害そうな祖母の代から?その息子の代から?それとももっと以前から?

ラスト、男は反撃にでようとして発覚、檻に監禁される。次女に渡されたワインには毒が入っており、男は苦悶しながら絶命する。
その傍らで泣く次女。彼女は男を好きだった。でも、毒入りワインを渡したのだ…。
彼らは何も変わらない。また、次の標的、獲物を見つけて食い潰すだけだ。
初めて来たときよりも増えた荷物を抱えて、彼らは出ていく。男の部屋だった家を…。

とにかく気味悪く、ひたすら気持ち悪く後味は悪い。誰にでもおすすめはできない作品だ。なんだろう…。この世界観は。
人の心の真っ黒な部分をでろん~と、体を裏返して、中から取り出して、「ほら!」と見せつけられているような嫌な気分になる。
彼らに目をつけられたら最後。勝ち目はない。最初から骨までしゃぶり尽くすつもりで入り込むのだから。
相手の言うことに「一理ある」とか「自分が間違っているのか?」とか思ってしまう人は格好の餌食だ。“いい人”は“悪い人”の餌になる運命なのかもしれない。


【余談】
この原作は読んでいないが、安部公房の『砂の女』は読了していた。同じ匂いがする。『砂の女』の別バージョンという感じ。
くしくも今、NHK Eテレの「100分de名著」で『砂の女』を扱っている。こちらもおもしろい。

演出家 板垣恭一が「演劇には困らせる人と困る人しか出てこない。そうでないと誰も観ない」と話されていたのを思い出した。この作品はまさにそんな舞台だと思う。
「困らせる人」と「困る人」がいることで物語が生まれて進行していき、おもしろさが生まれていくのだろう。そして、人生もそういうものなのかもしれない。

シス・カンパニーを劇場で観たのはもう何年前になるだろうか? 今はない青山円形劇場で『叔母との旅』を観て以来かもしれない。時々、気になる公演はあるのだけど、なかなかいろいろな都合がつかない。
こういったものは縁がないとチケットすら手に入らない。不思議。

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『大江戸喧嘩纏』感想

2021-09-21 16:02:08 | テレビ
日テレプラスで2021.7.27(火)放送の劇団朱雀『大江戸喧嘩纏』を録画したものを観ました。

感想を備忘録として書きます。
※ネタばれがありますのでご注意ください。
※文中の敬称は省略させていただきます。





【概要】
大衆演劇専用劇場「ぎふ葵劇場」が 2020年12月に九年間の歴史に幕を下ろすことになり、その幕引き公演を早乙女太一率いる『劇団朱雀』が担う。早乙女太一にとって自分や周囲が変化する時期に公演をしていた劇場で、昨年の復活公演と共に歩んできたもっとも思い入れのある劇場でもある。
一部は女形の舞踊ショー、二部は日替わり芝居、三部は全員出演による舞踊ショーと、多彩な魅力が満載!


【感想】
大衆演劇自体はそんなに興味はないけど、早乙女太一が役者としてとても魅力的なので録画して観た。
一部は女形の舞踊ショー、とにかく美しい♡
二部は日替わり芝居、江戸の火消し同士の争いとその結末。
客演の須賀健太。脛を叩かれるシーンで「カンカン!」と叩かれすぎて痛かったのか、衣装の下に脛当てを装着していた。だけど、「よぉ~し!!」と軽くキレ気味に脛当てを外す。可哀想なような可愛いような。
三部は全員出演による舞踊ショー、早乙女太一はダンスもキレッキレ♪ 須賀健太のローラースケート姿はかつての某Jアイドルグループのパロ…。いやリスペクト?? おまけに全然滑れていないという。

早乙女太一の女形はため息が出るほど美しい♡ 立ち姿、所作どれをとっても綺麗なのだ。殺陣もキレッキレだし♡
こんなに艶っぽく色気がだらだらと垂れ流しなのに、いやらしくない役者は珍しいと思う。

こういう演劇は楽しいね~♪ 日頃のうさを晴らせるね♪


【余談】
「幕引き公演」は「まくひき」ではなく、「まくびき」なのね。知らなかった。ずっと、「まくひき」だと思っていたよ~。
ひとつお利口になったな。
もうひとつの公演の記事はこちら。→「『身代わりカンパチ仁義』感想」

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