ちーちゃん(札幌) [chisapporo] です。

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2012-08-09 15:53:50 | 日記
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今週は国際色豊かな、オリンピック=ウイーク。(*^_^*)
と云うことで、グローバルな海外の話題を掲載したいと思いまーす。

某ブログに掲載されていた、ベトナム国関連の話題でーす。
(本文は一部ですが、省略をし、題名も勝手に変更いたしました。
 ごめんなさーい。m(__)m)

ちーのカキコの前に興味深いHP、もう一つ見つけたの。
こちらも、良かったら見てね。
http://ameblo.jp/nihon-banzai/entry-10928257382.html



=ベトナムと韓国=

・ベトナム戦争の際に朴正熙政権は援助金目当てに31万人も派兵し、
 韓国の高度経済成長の一因となった。
 その際に韓国軍の虐殺したベトナム人は30万人にのぼり、
 さらに強姦により韓越混血児ライタイハンが数万人生まれた。

・韓国政府としてはベトナム共産化を防ぎ自由民主主義を守るためで
 侵略ではなかったとの立場から、1992年の国交樹立以降も「不幸な時期があった」
 として「遺憾」は表明したが謝罪はしなかった。
 ところが、金大中大統領は、訪韓のルオン大統領との首脳会談で
 「不幸な戦争に加わり、本意ではなかったがベトナム国民に苦痛を与えたことに
 ついて申し訳なく思う」と初めて謝罪した。一方で退役軍人が、韓国政府を非難した。

・現在、ベトナムでは村ごとに『タイハンの残虐行為を忘れまい』と
 碑を建てて残虐行為を忘れまいと誓い合っているという。

・さらに、2009年にはベトナム戦争の解釈をめぐってベトナムと衝突する
 という事件があった。2009年に韓国の国家報勲庁が国家報勲制度の改定作業を行い、
 国会に法案改正の趣旨説明文書を提出した。この文書でベトナム戦争参戦者を
 「世界平和の維持に貢献したベトナム戦争参戦勇士」と表現した事にベトナムが、
 「我々は被害者。ベトナム戦争の目的が、なぜ世界平和の維持なのか」と猛反発し、
 予定された李明博大統領のベトナム訪問も拒否する方針を伝えた。

・韓国側は、柳明桓外交通商相をベトナムに派遣し外相会談で「世界平和の維持に貢献」
 の文言を削除することを約束し、李大統領のベトナム訪問を予定通り実現させた。
 一連の外交交渉で、ベトナム政府は「侵略者は未来志向といった言葉を使いたがり、
 過去を忘れようとする」と批判した。

・ベトナム戦争が終わり、南北ベトナムが統一して既に四半世紀が通ぎた。
 そして韓国ではここ数年、あの戦争をめぐり長らくタブーとされてきた過去について、
 かつてない議論が進められている。その過去とは、ベトナム戦争に参戦した韓国軍
 によるベトナム民間人の虐殺問題だ。最初にタブーを破ったのは、
 韓国のハンギョレ新聞社が発行する週刊誌『ハンギョレ21』だった。

・同誌は99年、韓国軍がベトナム戦当時に起こした虐殺事件について記事を掲載したのだ。
 この記事を書いたのは、韓国人歴史研究者のク・スジョン。
 彼女はベトナム戦争の韓国軍の残虐行為が記されたベトナム側の資科を入手し、
 韓国の市民団体の一行とともにベトナム現地で検証を始めたのだ。

・ある地域で、猛虎部隊(韓国軍部隊)等による1か月間の作戦で1200名もの住民が虐殺
 されたという66年当時のベトナム側の報告を紹介しながら、同時に生存者たちの証言に
 基づき虐殺の様子を具体的に描いている。

・例えば、生存者の証言からは韓国軍による民間人虐殺の方法にいくつか共通した類型が
 あったようだと、同記事には記されている。以下、その部分を略して引用すると
 「大部分が女性や老人、子供たちである住民を一か所に集め、機関銃を乱射。
 子供の頭を割ったり首をはね、脚を切ったりして火に放り込む。
 女性を強姦してから殺害。妊産婦の腹を、胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す。
 トンネルに追い詰めた村人を毒ガスで殺す等々」だ。日本の戦争責任を追及してきた
 韓国の人々にとって、自国軍も虐殺をしていたのだという告発は、苦いものであったに
 違いない。

・同誌の2000年4月27日号には、住民虐殺を行なったという元軍人による加害証言が掲載された。
 戦争当時、一般住民とゲリラを区別するのは難しく、我が身を守るためには仕方なかったのだ
 とその元軍人は述壊した。しかし同時に、今やその行為に罪悪感を覚え、韓国政府がベトナム
 に謝罪し被害者に補償することを望むという彼の声も、同誌では伝えられた。

・米誌『ニューズウィーク』が「暴かれた英雄の犯罪」と題してベトナム戦争での韓国軍の
 虐殺問題を取り上げた(2000年4月21日号)。ク・スジョンらの調査を紹介しつつ、
 「8000人以上の民間人を殺した韓国軍の虐殺行為の数々」が明らかにされつつあると、
 7ページにわたり大々的に報じたのだ。タブーであった虐殺事件についてのこれらの報道に対し、
 韓国国内では激しい反撃が起きた。

・同年6月27日には、ベトナム戦に従軍した退役軍人ら2000人余りがハンギョレ新聞社に乱入し
 コンピュータなどを破壊した。彼らは「大韓民国枯葉剤後遺症戦友会」のメンバーで、
 国のために闘った戦友を冒涜されたと激しく抗議したのだ。ベトナムへの韓国人派兵は64年に
 始まり、延べで30万人以上の兵士を送り込んだ。米国に次ぐ大派兵であった。
 この戦争で約5000人の韓国人が死んだ。

・ハンギョレ新聞社に乱入した元兵士たちがそうであったように、アメリカ軍が散布した
 枯れ葉剤の被害に苦しむ元兵士らが、今も韓国には多い。ベトナム戦争当時、
 韓国軍総司令官だった蔡命新は、先の『ニューズウィーク』でのインタビューで
 「誰に対しても償う必要はない。あれは戦争だった」と明言している。
 アメリカ軍によるソンミ事件などの虐殺行為がベトナム戦争当時から国際的に批判を
 受け議論の的となったのとは対照的に、韓国軍による虐殺行為については、
 こと韓国国内では長く沈黙が保たれてきた。

・冷戦時代、反共産主義が優先された韓国では、自国の恥部となり得る問題は隠されてきた。

・しかし、冷戦終結と韓国の民主化により、このタブーは破られた。(中略)韓国の歴史教科書
 には、ベトナム戦争についてほとんど記述はされていない。中学生向けの国定教科書に記されて
 いるのは「そして、共産侵略を受けているベトナムを支援するために国軍を派兵した」の約1行
 のみだ。

・ベトナム戦争時、韓国からベトナムへは兵士のみではなく、多くの労働者や技術者、
 ビジネスマンなどが渡っていった。兵士らにアメリカから支給された手当や労働者らの賃金、
 韓国企業の得た利益などは約10億ドルにものぼり、それらは本国に送金されて韓国経済を
 潤した。

・1965年から1966年の間、プウエン省のタオ村で、韓国軍は、ほとんど大部分が婦人の
 村人42人を狩り立て、やがて小火器を浴びせ、全員を殺害した。

・1966年1月11日から19日の間、ジェファーソン作戦の展開されたビンディン省では、
 韓国軍は300人以上の住民を捕まえ、拷問を加え、更にまた400人以上のベトナム人を殺した。

・1965年12月から1966年1月の間に、韓国軍は、ビンディン省のプレアン村では数百戸の家々を
 炎上させ、一方キンタイ村を完全に掃討した。同じ省の九つの村々で韓国軍は、民間人に
 対して化学兵器を使用したのである。

・1966年1月1日から同月4日までの間に、ブン・トアフラおよびヨビン・ホアフラ地方で、
 韓国軍は、住民たちの所有物を残らず略奪したうえ、住民の家やカオダイ教の聖堂を焼き、
 さらに数千頭の家畜を殺した。

・彼らは、また仏教寺院から数トンもの貨幣をくすね、それから人民を殺したのである。
 「ある村が、わが軍の支配下に陥ると、その次の仕事はベトコンから村人たちを分け離す
 ことなのだ」こう言ってのけたという韓国軍将校の話が引用された。

・ナムフュン郡で、韓国軍は4人の老人と3人の妊婦を、防空壕の中へ押し込め、
 ナパームとガスで殺した。アンヤン省の三つの村では110人を、
 またポカン村では32人以上を、こうしたやり方で、殺したのである。

・1966年2月26日、韓国軍部隊は、137人の婦人、それに40人の老人と76人の子供も一緒に、
 防空壕の中へ押し込めて、化学薬で殺したり、全員を盲にさせたりした。
 1966年3月26日から28日にかけて、ビンディン省で、韓国軍は、数千におよぶ農家と
 古寺院を炎上させ、若い女性や年老いた女性を集団強姦した。

・8月までに、勇猛な韓国人たちは、ビンディン省における焦土作戦を完了した。
 ブガツ省では、3万5千人の人たちが、死の谷に狩り立てられ、拷問を完膚なきまで
 加えられてから全員が殺された。

・10月には、メコン河流域では、裸で両手ないしは両足の19人の遺体が川から引揚げられた。
 これらは、いずれも陵辱された少女たちの遺骸であった。

・同じ地域で共同作戦中の米軍と韓国軍が、昼日中に結婚の行列を襲い、
 花嫁を含め7人の女性を強姦した、との報道もあった。かれらは、
 結婚式に呼ばれた客の宝石を残らず奪ったうえ、3人の女性を川の中へ投げ込んだ。

・放火、銃剣による突き殺し、拷問、強姦、強奪こんな記事は、
 ほとんど毎日のように続いている。母親の胸に抱かれたいたいけな乳幼児でさえも、
 非人間的な殺人行為を免れることができないのだ。

・韓国人は自国より劣った国の労働者を蔑む民族性でベトナム国内では傍若無人に振舞う
 傾向があり、ベトナムでは韓国企業でベトナム人従業員を暴行するという事件が頻繁にある。
 またベトナムで韓国人がかかわる犯罪・事故が急増して、暴力団まで動員して、
 韓国企業の給与未払いの夜逃げやゴミや廃液の不法投棄も行っている。
 そのためか現地での韓国人の評判は非常に悪い。

・嫁不足の韓国農村ではベトナム人との国際結婚が盛んであり、
 「韓国人、女性を商品のように扱う」や「ベトナムでの集団見合いで裸の検査」などと
 ベトナムで報道され、さらにベトナム人花嫁が韓国で虐待されている事が問題に
 なっている。

・2010年7月に韓国釜山市で韓国人の男性夫が韓国に入国して1週間のベトナム人女性妻を
 殺害する事件が起き、ベトナム政府が厳しい対応を要請するなど、外交問題に発展した。
 ベトナムでは各紙が事件を1面などで大きく報道し反韓感情が高まっている。
 柳明桓外交通商相は、駐韓ベトナム大使と会談し、遺憾の意を示すとともに、
 再発防止を約束した。

・ベトナムは中国とは犬猿の仲とされているが、同じ華人国家でも台湾と香港との
 関係は民間また企業でも良好である。近年はベトナムは中国語が人気である。
 特に台湾人はベトナム人移民の受け入れに積極的で、台湾人ビジネスマンは
 ベトナム人と結婚する事が多い。つまりベトナム人も台湾人同様に韓国人の民族性に
 嫌悪している事が捉えられる。




コメントは差し控えさせていただきまーす。
そして、かたい内容でごめんなさーい。m(_ _)m

とにかく、閲覧ありがとうございまーす。(*^_^*)
今日はこれで、失礼いたしまーす。ヽ(^o^)丿

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