goo blog サービス終了のお知らせ 

シャテール・タイムズ

お江戸深川、下町迷宮の路地に迷い込む
・・小さな猫穴を抜けると僕の美味しい
レストラン「シャテール」が・・・

祝誕生日!!バースデイヴィンテージのワインを飲む

2008年02月05日 | ワイン&お酒との出会い
本日は、新しいビルに引っ越して、36階という富士山が綺麗に見える高層階で勤務されているMさん&Hさんご来店です!!

36階・・・・うらやましい・・・

がしかし

朝のエレベーター争奪戦・・・・

ちなみに、36階より上にはフランス系の会社が入っていてフランス人も
結構沢山いるそうですが、エレベーターに乗るとき、レディーファースト
の精神は全く無いそうです。

フランス人男性=レディーファーストの精神の持ち主

だと思い込んでいたので驚きでした。


さてさて本題に戻ります。


今回は、Mさんの誕生祝で、登場したのは彼女のヴィンテージ1967年のワイン!!

フランスはボルドー サンテミリオン地区の特別級

CHランジェリス1967 


この、ランジェリス・・・60年代はめっっっっっ・・・・たに発見できません。

今回はワインオークションで偶然発見したのです


そんな貴重なワイン・・・お言葉に甘えて一緒に飲ませて頂きました。

ボルドーグラスに注がれたワインの色調は少しチョコレートがかったワインレッド

香は以外に控えめで、口に含んでも変りません。

グラスを大きく回し、約40年の眠りから徐々に覚ますと・・・

見る見るうちにワインが起き上がり、香がたちこめ、湧き上がる甘味・・・。


素晴らしい

の一言。


まさか・・・息を吹き返したワインはここまで美味いものなのか・・・・


想像を遥かに超えるものでした。


これだから、ワインは楽しい!!

この素晴らしいワインとの出逢いは如何でしたでしょうかMさん?

ちょっと体調が優れなかったようですので心配ですが

改めてお誕生日おめでとう御座います!!





ドンペリ物語 第3話 いざドンペリの世界へ!!

2008年02月03日 | ワイン&お酒との出会い
さ~続いてのドンペリニヨンさんの偉業はまだまだ終わりません。


ドンペリニヨンの偉業③

天然ワインセラーを作っちゃいました!!!


次に、安全にしかも熟成を確実に行えるように

一年中一定の湿度と温度が保てる場所を彼は探していました。

しかし、なかなかそんな場所はありません。

ワインセラーを作る技術は当時にはあるはずもありませんし。

そこで彼は、石灰岩の地盤に掘って地下倉庫を作ってしまたのです!!

確かに軒下って温度一定ですよね。。。。


ドンペリニヨンの偉業④

も~い~や、こうなったら混ぜちゃえ!!



シャンパニュー地方の厳しい条件で

毎年同じように良質なワインを生産し続けること。


これが最大の課題でした。

これを可能にするために彼は、とんでもない方法を思いついたのです。


◆異なる畑から出来たワイン


◆異なる品種から出来たワイン


◆異なる年に造られたワイン

を混ぜ合わせ、毎年良質な同じタイプのワインを造れるように

研究を重さねていったのです。

この一見破れかぶれの手法は

今日でもシャンパーニュ造りの基礎として受け継がれています。

彼はシャンパニュー地方の大地に育つブドウの短所を長所に変えることで

当時「悪魔のワイン」と貶されていたワインを

記念日に欠かせないワインへと導いたのです。


ただ単に有名なワインだからというのではなく


ボトルの中からはじけ出てくる偉大なる僧侶ドンペリニヨンの遺徳

を感じながら料理と一緒に楽しもうではありませんか。今までドンペリニヨンを飲んだことのある方も、きっと全く異なる味わいの世界体験することになると思います。



ドンペリ物語 第2話

2008年02月02日 | ワイン&お酒との出会い
シャンパニュー地方はフランスの北部にあり、ワイン作りの条件としては非常に厳しい場所でした。(地図を見てください)

しかし、1688年にドン・ピエール・ペリニヨンという修道僧が修道院の酒倉庫係に

任命されたことから、シャンパニューの栄光の歴史の幕があくのです。

その頃、シャンパーニュ地方のワインは

「悪魔の酒」

という不名誉な仇名で呼ばれていました。

冬の訪れが早いシャンパーニュでは

仕込んだワインの発酵が中途で止まってしまいます。

こうした未発酵ワインは、瓶詰め後に気温が上がると

再度発酵をはじめることがあり、

その時に発生する二酸化炭素(ガス)

によって、栓が飛んだり、瓶が破裂することが多々あったのです。

当時の人々は、これを悪魔の仕業として忌み嫌いました。


しかし、研究熱心だったドン・ペリニヨンは、

1665年にイギリスで新酒のワインを瓶詰めにして発泡性にする

ことが発見されていたことを知っていたため、

この悪魔の仕業を逆手にとって、発生する二酸化炭素を利用したワイン作りに挑戦するのです!!


ここから、

発生するガスVSドンペリニヨン

の戦いに火蓋が切って落とされたのです!!



ドンペリニヨンの偉業①

樽では無く、ガラス瓶を容器に使う!!

発泡性の天敵は空気です。
⇒フタを開けて時間が経過したコーラを飲んだことのある人は分かるでしょう。

そこで、樽に比べて空気に触れることが少ないガラス瓶を造ってしまうのです!!

ドンペリニヨンの偉業②

機密性の高いコルクの採用!!

当時、栓として使われていたのは、オリーブオイルを染み込ませた麻布でした。これだと、どうしても泡が逃げてしまいます。悩みぬいた結果、より機密性の高いスペイン産のコルクが有効だと気づいたのです。
そして、さらにコルクを紐で縛って固定しました。これで泡は逃げません!!


初めて、泡の封じ込めに成功したドンペリニヨンは

興奮のあまりこう叫んだそうです

兄弟達よここに来て見たまえ!!私は、星を飲んでいるぞ!!


さてさて彼の偉業はこれで終わりません。

続きは第3話で!!!!

オーパスワン物語 第5話 最終回 ワイナリー・VIPツアー

2008年01月30日 | ワイン&お酒との出会い
国宝級??品々が並ぶ、ウェイティングルームに通され、マネージャーがお出迎えです。

その後、ワイナリーの内部を案内してくれます。
醸造タンクにもワインのラベルと同じ絵が書かれています。

そんな二人の絵を見て、真似しちゃいました。



見てくださいこの綺麗なワイン樽の列を!!
もうワインは目の前!!



実はここはVIP用のテイスティングルーム(マネージャー曰く)
普通のツアーでは入れません。
既に6本のオーパスワンのコルクが開いているではありませんか。



早く飲みたい・・・・・




ちなみに一般用のテイスティングルームはこちら


https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/a9/4786518e96d1ec0376ffc3edc4767705.jpg

一般でも25ドルで試飲できますが、せっかく行くならVIPルームの方が断然


何故、私達がVIP待遇を受けれるかって??

それは・・・・ヒ・ミ・ツ


さて、ズラーっと並んだワイン達

各ヴィンテージごとの特徴を説明してくれます。




何とこんなお土産まで頂きました!!

さすがに、それは嘘です。すみません


オーパスワン物語 番外編 パリ事件の主役「スタッグス・リープ」にてパーティー開催

2008年01月29日 | ワイン&お酒との出会い
パリ事件で、CHムートン・ロートシルトを筆頭としたフランスの一流ワインを見事破り、優勝した「スタッグス・リープ」

その後、「ロスチャイルドの共同事業の提案を断った」ともはや伝説になっているスタッグスのオーナー「ウォーレン氏」

オーパスワンを語る上で、その誕生にも大いに関係しているスタッグスリープを紹介しないわけにはいきません。

そんな訳で、以前、ウォーレン氏を訪ね、彼の家でパーティーを開催した時の写真

を交えて簡単にお話したいと思います。

上の写真で、一番チャーミングなおじさんが「ウォーレン氏」です!!

彼の前職はシカゴ大学の政治学の教授です。

社会的地位を捨て、ワイナリー設立を夢見て、家族と共にナパバレーにやってきたというちょっと変った方です。

さてさて、私達が料理を作り、ウォーレン氏とお付きの料理人を交え、美味しいスタッグスリープのワインと一緒に楽しみました。



⇒一番左がウォーレン氏

ここでしか聞くことの出来ない、色々と貴重な話を聞けて、有意義なひと時を過ごせました。彼のワインに対する情熱や、パリ事件以降の・・・・・これは止めておきましょう。(一部はBLOG内でもお話してます。内容は想像にお任せします)



いや~こんなにスタッグスを並べて飲める機会は、なかなか無いですよ。




とにかく彼の敷地は広大です。写真に収めることは出来ませんでした。
ちなみにこの湖も個人所有物です信じられな~い。










オーパスワン物語 第4話 オーパスワンの誕生!!

2008年01月28日 | ワイン&お酒との出会い
こんな経緯を経て誕生したのがオーパスワンです。

オーパスワン(Opus One)とは、音楽用語で「作品番号1番」の意味で

『一本のワインは交響曲、一杯のグラスワインはメロディのようなものだ』

という考えのバロン・フィリップが命名したものです。

二人の頭像が重なりったオーパスワンのラベルをよく見ると

その下にはモンダヴィ、バロン・フィリップのサインが書かれているのがわかります。

さて、この夢のプロジェクトの最初の予算は1,000万ドルから1,300万ドルでしたが、重力だけで地下のタンクまで流れて行くシステムを作るなど、こだわりぬいた結果、1991年に最終的にワイナリーが完成した時の初期投資金額は、2,550万ドル(=約27億円)にも達していたそうです。

さ~そんな立派なワイナリーに、綺麗なブドウ畑を通って、潜入してきましょう!!




オーパスワン物語 第3話  パリ事件発生後の流れ

2008年01月27日 | ワイン&お酒との出会い
カリフォルニアワインに僅差ながら負けを喫したロスチャイルドは

カリフォルニアでのジョイントベンチャーを、パリ事件の優勝者

スタッグス・リープのウォーレン氏に持ちかけたと言われています。

しかし、ウォーレンは何とこの誘いを断ったそうです。

そもそもパリ事件で大騒ぎしたのは負けたフランスだけで

勝利したスタッグスリープやモンテリーナのオーナーは

結果を聞いても「よかったね」の一言だけで、驚きは無かったそうです。

彼らは、自分達がフランスにも負けないワインを造っているのを自覚していたんですね。

ですから別にロスチャイルドに頼まれても・・・・。という流れになったのではと思われます。

ですから初めて会った1970年から8年後の1978年にモンダビを呼んで、すぐにジョイントベンチャーを決めたのでしょう。ちなみに、モンダビはイタリア系の移民なので、ロスチャイルド家の効果は絶大だったと思われます。

これは表沙汰にはなっていない話ですので、信じるか信じないかは貴方次第です。

ごめんなさい。ワイナリー潜入は第4話に延長します!!



オーパスワン物語 第2話 パリ事件

2008年01月26日 | ワイン&お酒との出会い
何故、フランスワイン会を代表するロスチャイルドが、当時全く相手にしていなかったカリフォルニアワイン界のモンダビに、わざわざ自国まで招待し、声をかけたのか??

それは1976年に起きた

「パリ・テイスティング事件」が大きく関わっていると思われます。

そんなパリ事件について、ご説明します。



当時フランスで最も有名なワインスクール「アカデミー・デュ・ヴァン」の主宰者であり、トップクラスのワインショップを経営していたイギリス人のスティーブン・スパリエ氏(現在の「デキャンタ誌」顧問)は、教師として、またワイン普及者として、フランスワイン業界で彼の名を知らぬ者はいないほどの有名人でした。

1970年当時のフランス国内でのカリフォルニアワインの評価はまだまだ低く、「カリフォルニアワインは、大量生産のただ酔うための安ワイン」という見解が一般的でした。それでもまだ良いほうで、カリフォルニアワインはワインではないという声すらもあった時代です。

しかしスパリエ氏は偏ったものの見方をしない人で、カリフォルニア中を歩き回っては様々なワインをテースティングし、カリフォルニアでもフランスに劣らぬワインが造られていることを知っていました。彼はこの現状をフランス人にも知ってもらおうと、カリフォルニア最高と思われたカベルネとシャルドネをパリに持ち帰り、有名なフランス人にフランスワインと比較テスティングさせることにしました。

これが後に「パリ事件」として知られる、ワイン史に残る大きな節目になろうとは、スパリエ氏自信も思っていなかったのではないでしょうか。

審査員は、全てフランス人。しかもワイン会の重鎮と呼ばれる面々。

「ダイヤモンドと石ころほどの評価差のあるカリフォルニアワインとフランスワインを飲み比べるなんて、誰が見てもこのテイスティングの結果は明らかだ。」会場に集まった人々は皆そう思いました。

そのときのフランスワインの中には、CHムートン・ロートシルト1970が選ればれていたのです。

しかし、CHムートン・ロートシルトは2位。

優勝は何とカリフォルニアワインの「スタッグス・リープ1973」

誰もが信じられない結果でした。


ちなみに白ワインの優勝も、カリフォルニアワインが選ばれました!!


一方審査会場は大変なことになっていました。その信じられない光景に唖然としていた中、我に返ったある審査員は、点数を書き換えようとしました。また他の審査員は点数メモを回収されることを拒否しようとしましたが、スパリエ氏がそれらを防ぎました。点数の詳細が発表されるとNO.1に選ばれたものがカリフォルニアワインだけだったことではなく

赤は

上位5銘柄中2銘柄が

白は

上位5銘柄中3銘柄がカリフォルニアワインだという事実が明らかになりました。


この快挙にアメリカではワイン誌ばかりか一般情報誌までがこの事件を取り上げ、「信じられないことが起きた」と書き立てました。また翌日、スタッグスとモンテリーナの電話は鳴りっぱなしで、週末になるとこの2ワイナリーに通じる道は、ワインを買い求める人々の車が長蛇の列をなしたそうです。

残念なことに、主催者のスパリエ氏はそれまで彼を認めていた人々からもスパイだと糾弾され、国賊扱いされてしまいました。しかし彼のこの画期的な行いは、その後世界のワインの偏見を取り払う大きな役割を果たし、現在ワインファンが等しく世界中のワインを楽しむことができる今の現状を作り上げた、偉大な功績のひとつだと思います。



ではここで本題に戻ります。

バロン・フィリップ・ロスチャイルドは、まさか自分のワインが、カリフォルニアワインに負けるとは夢にも思わなかったでしょう。この衝撃が、彼にカリフォルニアの地で、ワインを造ろうと思わせたといっても、間違いないでしょう。

しかし、ここにも一つドラマがありました。
第3話ではそれをお伝えしながら、オーパスワンのワイナリーに潜入したいと思います。


オーパスワン物語 第1話 2大巨頭の合同事業

2008年01月25日 | ワイン&お酒との出会い
オーパスワンは

カリフォルニアのワイン界を代表する
「ロバート・モンダビ」




世界最大の金融財閥ロスチャイルド家の
「バロン・フィリップ・ロスチャイルド」

とのジョイントベンチャーで生まれたボルドースタイルのワインです。

何故、ロスチャイルド(英)がワイン作り??

かというと

バロン・フィリップ・ロスチャイルド氏は、このとき既に

フランスはボルドーの5大ワインと称される

「シャトー・ムートンロートシルト」のオーナーで、既にフランスワイン界を代表する人だったのです。

オーパスワンの誕生のきっかけは

1970年にロバート・モンダビとバロン・フィリップ・ロスチャイルドが初めてホノルルで会った時にまで遡ります。

このときにバロン・フィリップ・ロスチャイルドがジョイント・ベンチャーの提案をします。そして1978年、バロン・フィリップ・ロスチャイルドはロバート・モンダビをボルドーに招待し、一時間もしないうちに2人はジョイント・ベンチャーのフレームワークを完成させます。

その翌年、オーパスワンは誕生したのです。

というのが大まかな流れですが、ちょっと、おかしいと思いませんか?

当時、フランスのワイン界は、自国のワインがNo.1で、カリフォルニアのワインなんぞ全くもって相手にしていませんでした。ワインとして見なしていなかったと言っても過言ではありません。

そんな時代に、フランスワイン界を代表する人間が、カリフォルニアのワイナリーのオーナーをわざわざ自国に呼んで、共同事業を提案するでしょうか?
しかも、8年(1970~1978)の空白の時間は何を意味するのか?

逆なら分かりますけどね。

そこには何かしらの理由があるはずです。

第2話では、その理由を解明(私の見解)していきたいと思っていますので、乞うご期待!!


オーパスワン物語 序論

2008年01月24日 | ワイン&お酒との出会い
最も有名なカリフォルニアワインといば、この「オーパスワン」!!

今や、カリフォルニアに留まらず、世界中で人気が沸騰し

現地のワインショップでも入手が難しい、貴重なワインになってしまいました。

日本でも人気は右肩上がりで、入荷すると即完売で、品薄状態が続いています。

人気と同じように、そのお値段も右肩上がり。

リリース直後で30,000円以上という高値がつき、今後も価格は上がる一方と予想されています。

そんな人気沸騰中の「オーパスワン」果たしてどんなワインなのか??

名前は知ってるけど、詳しくは知らないという人も多いと思います。

今回は、そんなオーパスワンに関するお話を連載していこうと思っています。

実際に、私達がオーパスワンのワイナリーに訪れた際のレポート、そして普段見ることの出来ないオーパスワン内部の丸秘映像も掲載していきます。

あまりワインに興味の無い方でも、楽しんで頂けると思いますので、ぜひお付き合い下さい。