goo blog サービス終了のお知らせ 

悲しみの城からの脱出

親からの呪縛から自分を解放するためのブログ

自分がされて嫌なことは人にもしない ー 小さな親切 大きなお世話 ー

2025-03-26 18:00:00 | ひとりごと

以前にも、似たような記事を書いた。

-自分がされて嫌なことはしないー

先日書いた父親から贈られた

ブランドバックを捨てた話を

書きながら、思い出したことがある。

ー目の前の子供をみていない親ー

 

 

数日前の記事で、エホ〇の証人と

関りを持ったことがあると書いた。

ー複雑性PTSDからの回復は赦し

だけではないー

 

 

当時、不快だったことだ。

コンビニのイートインで話を

することになった。

相手は、コンビニで入れるアイス

コーヒー、碧音は、缶コーヒーを

自分で購入した。

席に着き、突然、こう言われた。

 

このコーヒーを

2人で分けようと

思ったのに…

 

一杯のコーヒーを二つのカップに

半分づつ入れて飲むつもりだった

らしい。

しかも、事前に提案されてない。

なのに、責められた。

問題は…

 

 

碧音が望んでるかどうか

 

 

でも【自分がされて嫌なことは

人にもしない】の逆で…

 

自分がされてうれしい

ことは相手にもする

 

この思考に陥る人が多い。

これが【大きなお世話】の原因。

その最たるものが、父親から

贈られたブランドバックだ。

相手が好きどうか、どういうものを

使っているのか、よく聞きもせずに…

 

自分だったらうれしいから

相手にしたら喜ぶだろう

 

と、勝手に決めつけ贈られた物。

碧音は、こういうことをされるのが、

本当に嫌いで不快感マックスになる。

なぜなら、それは、ただの善意の

押し売りでしかないからだ。

そういう人は、どこにでもいる。

 

自分がされて嫌なことは

人にもしない

 

と声を大にしてる人を見かけると

 

この人も小さな親切

大きなお世話

やってそうだなぁ…

 

と近寄りたくないと感じて

しまうのだ。

碧音も気を付けようと思ってる

ことである。

 

 


情報が溢れすぎた影響? ー 本質を見逃す人達 ー

2025-03-24 18:00:00 | ひとりごと

情報が、すぐに手に入る現代。

情報を確かめることなく、信じる

人が多いことに驚くことが多い。

普通に考えたら、信じないような

ことを信じて、踊らされている人たち。

 

 

いわゆる、群集心理をあおられた

人達と言うべきだろうか。

碧音は、ネットのない時代に

生まれたため、情報を確かめる

ように癖がついている。

だからこそ、ネットにある情報を

ホイホイ信じる人たちを見ると

 

 

なんで、この情報を

信じようと思ったのか?

 

 

と疑問を感じることも多い。

昔は、TVや新聞が情報源だったが、

それに加えて、ネットから動画と

いう情報源が加わった。

動画で話をされているのは、大体が

 

 

個人的な意見

 

 

そこに、どんな根拠があるのか?

きちんとリソース(情報源)や根拠を

示している人は少ないように感じる。

そういうことも学校で教育されてる

はずだが、行動を見ていると、

どうやら、充分ではないらしい。

 

 

例えば、何か事件が起きた時、

TVではいろいろな専門家の意見を

言っている場面に出食わす。

意見が出るのはいいが、その人の

背景や何の専門家なのか?まで

考えなければ意味がないのでは

ないだろうか?

 

 

例えば、犯罪学と心理学の専門家の

意見が出ていたとしたら、それは、

相反する、お互いがお互いを受け

入れられない側面が出てくる。

犯罪学は、犯罪を犯した原因や

性質を科学的視点で見ること、

また、社会の中で犯罪対策を

考えることを目的としている。

 

 

それに対して、心理学は人間の

心理や行動、人間ならではの

脳の働きを科学的視点で

考えることが目的だ。

簡単に、違いを説明すると…

 

 

犯罪学… 社会(公の場)への影響

心理学… 個人の内面への影響

 

 

を考える学問だということだ。

もし、それぞれの専門家がいるなら、

社会全体を重視すれば、個人を無視

することになり、個人を重視すれば、

社会問題を無視することになる。

 

 

ここで、情報を見た人の方で、

何を重視しているのかで偏りが

出てくるのだ。

犯罪が起きた時、情報を目にした

人は、大体…

 

自分にこんなことが

起きないようにするには

どうしたらいいのか?

 

という視点になる。

そうすると、犯罪学的に、

こういう人は、こんな犯罪を

犯す傾向があると聞いて、

そんな傾向のある人を全て

排除しようと極端な行動に出る。

 

 

しかも、動画などで煽られると

拍車がかかり、攻撃対象にする。

いろんな意味で、視聴者側に

バランスが全く取れていない

ことに、最近、危機感を感じる。

コメント欄を見ていると…

 

何なんだ?

このアンバランスな

視点しか持ち合わせない

この人たちは…(汗)

 

と恐怖すら感じる。

悪い意味で群集心理を

煽られてることに気付かない

人たちに不気味さすら感じる。

こんなことを感じているのは、

碧音だけなのだろうか?

 

 


複雑性PTSDからの回復は赦しだけではない

2025-03-14 18:00:00 | ひとりごと

虐待されて育って言われること…

それは…

 

ご両親もいろいろあったのよ

そういうことも理解してあげて…

云々…

 

つまり、大人の事情も分かる年齢に

なったんだから、そこを汲みなさい

ということ。

家族の話をするたびに言われた。

障り部分しか話してないので、単に、

家族間のすれ違いのような感覚

だったのかもしれない。

 

 

前の記事で、聖書が好きで… と

書いたと思うが、聖書の勉強を

してた時期がある。

(前回の記事は、こちら

信仰以前に、信者からの問題発言が

たくさんあった。

自分を大事にできない碧音に対し

 

 

【両親に従う】ようにと諭される

 

過去にされたことは虐待ではない

 

両親も不完全なので過去に

されたことは赦せ

 

 

いい年した大人に【両親に従え】って、

ちょっとおかしいと感じたり、過去の

ことは虐待ではないと完全否定される

ことで自責を煽られる。

過去にされたことで嫌な気持ちに

なったとしても、不完全な人間の

やったことだから赦せと諭される。

それがクリスチャンだと言われ、

罪悪感だけを植え付けられる。

 

 

エホ〇の証人という団体で研究

してた時、とにかく、【赦す】

ことを勧められた。

だが、碧音は虐待を受けて、精神科に

通院していたことも話していたにも

関わらずだ。

 

 

鬱状態がひどかった時期で、完全に、

思考停止していたこともあり、

自責や罪悪感を感じつつ、そうする

ように頑張っていた。

だが、心が悲鳴を上げていた。

子供の頃の嘆きや悲しみ、怒り

すらも教えによって封印され…

 

早すぎる赦し

 

を強要された。

家族への執着を捨てた、今、

碧音が思うのは…

 

赦しだけが

心を楽にする

とは限らない

 

ということだ。

研究してた頃のことを考えると、

家族への赦しのことばかり考えて、

心の中で、罪悪感や自責を繰り返し、

学習性無力感を育てるより、赦す、

赦さないは…

 

自分の答えが

出てからでいい

 

と考えている。

その答えも時間がたてば、変化する。

間違えたと思ったら、その時の答えと

思う答えを受け入れればいいことだ。

ただ、その自分の出した答えを

正解にする努力をすればいいだけだ。

赦すかどうかは、自分の答えを正解に

できた時に決めればいい。

 

 

ちなみに、エホ〇の証人とは、

一切、関わっていない。

難しい(霊性が低い)研究生と

言われ続けたが、信者が妄信的で、

真理と言われることも支配的で

あること、信者間のトラブルと

それに対する組織側の不充分な

対応を見て、自ら、見限った。

 

 

もし、虐待親を赦せと言う人が

周りにいたら、そういう人たち

から離れることを勧める。

そうしないと、早すぎる赦しに

こだわって苦しい思いをする。

複雑性PTSDからの回復は【赦し】

だけではないのだ。

 


大事にされすぎた若い人に思うこと

2025-03-02 16:00:00 | ひとりごと

数か月前、電車の中で、

若い子(おそらく、中高生)が、

碧音に対して文句を言ってる

のが聞こえてきたことがある。

 

 

碧音は、座席に座っており、

休日だったこともあり、

若い子が多く乗っていた。

今は、リュックの人は、電車の

中では前に抱えるようにする

人が増えていたし、車内放送でも

リュックの人はそうするように

放送されていた。

 

 

にもかかわらず…

背中にリュックを背負ったまま、

碧音の座席の背もたれに寄りかかり、

碧音の頭と肩に当たってしまい、

まっすぐ座ることができずにいた。

やむを得ず、腕を動かすことで、

当たってることに気付いてもらおうと

腕を動かしてみた。

 

 

それで、気付いたのはいいものの…

一緒にいる家族か彼氏らしき人に

文句を言っていた。

若いから仕方ないかもしれないが、

人に迷惑かけているのだから当然だ。

 

が!!しかし!!

 

一緒にいる男性の言葉に耳を疑った。

 

そんなことするなんて

ひどいね…

 

と寄り添った言葉かけをしていた。

正直…

 

こんな場面でも寄り添い?

どんだけ寄り添い好きなんだよ…(汗)

 

と思ったのは言うまでもない。

こういうことは、一緒にいる人が

視点を変える質問や問いかけを

するのが普通なのではないだろうか?

少なくとも、中高生の頃の碧音の

周りには、そういう人がいた。

何というか…

 

貴族のご子息、お嬢様

とでも思ってんのか?

(あ… まだ、昔の貴族の子供の

方がましだよね…

だって、自分の果たすべき

義務と責任を分かってたから…)

 

一人の人間として、

大事に扱うことは大切だ。

だが、このような公の場での

立ち居振る舞いは、本当に、

家庭での養育状態やどんな教育を

しているのかが、一目瞭然だと、

改めて、感じた。

 

 

もし、彼女たちと同じ年齢の

碧音なら、リュックが当たってた

ことに気付いた時点でお詫びの

言葉は出ていただろう。

なぜなら、リュックが当たって

相手に不快な思いをさせて

しまったのだから当然のことだ。

 

 

【今の若い子たち】と一括りに

するのは、個人的に好きではない。

だが、こういう若者を見ると…

 

大事に扱われすぎても

問題だなぁ…

きっと、過保護に

育てられたんだろうな…

 

という白けた感覚しかない。

最近は、悟り世代、z世代など

いろいろ言われてるが、

とてもじゃないけど、悟ってる

若者が増えたとは思わない。

 

 

かえって、大事にされすぎて

義務や責任も果たさない昔の

貴族のおバカなご子息、お嬢様が

大量生産されてしまったんだね

と哀れさしか感じない。

 

 

こんなことを言うと【老害】と

いろいろ言われるのだろうけど、

お気の毒な頭と若さしかない若者に

嫉妬することはないだろう。

老害を口にする若者は、そんな

視点でしか目上の人に対して

考えられないのだから…。

残念さしか感じない碧音である。

 


時代が変わったと感じたこと

2025-02-23 14:00:00 | ひとりごと

先日、初めて行く場所に

スマホ片手に目的地を

探していたのだが、よく

分からず、困っていた。

 

 

そこに大きな荷物を運ぶ

宅配便業者がいたので、

聞いてみた。

すると、その業者もスマホを

取り出し、住所を聞いてきた。

それを見て…

 

あぁ…

時代は変わったんだな…

 

と思った。

昔は、宅配業者やその辺のお店で

配達している業者に聞けば、

大体、この辺だと即答し、

そこまで行くには、何を目印にして、

どこの交差点をどちらに曲がれば

いいのかまで細かく説明してくれた。

 

 

方向音痴の碧音は、そんな人たちに、

何度助けられただろうか。

でも、今は、ナビが車についてる時代。

ナビを頼りにしていると、目印とか

全く関係なく、何も考えずにナビ

通りに運転すればいいだけだ。

 

 

でも、それは、本当にいいことか、

ついつい、考えてしまう。

【考える】とか【周りをよく見る】

ということができなくなる気がした。

タイパという言葉がある。

それは、効率的という意見もあるが、

脳の退化も促すような気がして

ならない碧音である。