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悲しみの城からの脱出

親からの呪縛から自分を解放するためのブログ

目の前の子供を見ていない親 ー 贈られたブランドバックを捨てた理由 ー

2025-03-20 18:00:00 | 過去のこと・気付き(家族)

碧音の父親は、このブログに

あまり登場していない。

理由は、父親が家族と一緒に

過ごすことが少なかったからだ。

つまり、碧音の記憶に残らない

くらい父親のいい記憶がない。

 

 

碧音は、子供の頃から、両親は、

目の前の碧音を見ていないと

感じることが多かった。

それは、20歳の時にはっきりした。

 

 

当時、成人したからと、ある

ブランドバックをもらった。

碧音は、特に、ブランド品が

好きなわけではない。

たしかに、見た目や物がいいのは

認めるが、碧音が重視するのは機能性。

どこに、何が入ってるかが一目瞭然な

作りのバックであること、また、当時、

トートバックばかり使っていた。

 

 

なのに、父親がプレゼントして

きたのは、セカンドバック。

必要な物が全部入らない、ポケットも

ついていないので細かいものを入れる

場所もない、仕切りもないので細々

したものが雑然としてしまう。

 

 

 

結局、数回使って捨てた。

使わないブランド物より、まだ、

安くても本革のオーダーメイドの

トートバックの方が数十倍マシだ。

 

 

この人、目の前の子供を

きちんと見ない人だって

分かってたけど…

どんなバックを使ってるかすら

全く見ていなかったんだ…

 

 

父親はハイブランドの小物を揃え、

大事に使うタイプだ。

でも、碧音には必要な物すら買う

ことを惜しむような父親が、碧音の

喜ぶものを買えるわけがない。

 

 

つまり、父親は、碧音のことを

全く知らなかったということだ。

父親のような親は多いと感じる。

そういう親の関心事は…

 

 

自分の望む子供に

成長しているかどうか

 

 

そこに子供の好き嫌い、得意

不得意や子供が何を望んで

いるかは全く見えていない。

 

 

もし、毒親と言う言葉を使うなら、

【目の前のありのままの子供を

見ていない親】のことだ。

なぜなら、自分の評価を上げる

子供しか認めたくないからだ。

だから、彼らの愛は条件付きなのだ。

 

 

あんたの望む子供になんて

なるつもりありません

 

 

碧音は行動で、そんな意思表示を

するために捨てただけである。

 

 


共感・寄り添い ー 大事だけど使い方間違ってはいけない理由 ー

2025-03-08 21:00:00 | 過去のこと・気付き(家族)

先日、寄り添いや共感をされ続け、

大事にされすぎたと思われる

中高生のカップル?家族?が、

碧音に対する文句を二人で

言い合っていた話を書いた。

大事にされすぎた若い人に思うこと

 

 

共感・寄り添いは大事だ。

だが、なぜか、この男の子の

共感・寄り添いに嫌悪感を覚えた。

基本的に、碧音は、何でもかんでも

共感・寄り添いが必要だと思わない。

特に、今回のようなケースは、共感・

寄り添いは悪い結果しか招かない。

 

 

ここ数日、なんで、あの時、あんなに

嫌悪感を感じたのか考えていた。

やっと、理由が分かった。

文句を言った女の子と母親の

態度がソックリだったのだ。

 

 

碧音は、姉妹間差別をされて育ち、

妹が入院中は、完全にネグレクト、

また、両親や退院後の妹を気遣って

行動するヤングケアラーの役割も

担っていた。

 

 

父親からのDVによって自己肯定感の

低くなった母親にとって、大病を

患った妹の付き添いをすることは、

唯一、自分の価値を感じることが

できたことだったのだろう。

妹と母親は、共依存関係だったのだ。

 

 

それに対して、碧音は、風邪をひく

程度しか体調不良はなく、それは、

どの母親もやっていることで、特に、

周りから評価されることはない。

 

 

妹=母親としての価値を上げる存在

碧音=母親としての価値が変わらない存在

 

 

評価の変わらない碧音の世話は

するに値しないということだ。

なぜなら、母親の自己肯定感を

上げてくれない存在だからだ。

 

 

また、母親はDV被害者の立場を

利用して、周りに味方を作るのが、

とてもうまい人間だった。

この部分が、前述の女の子と同じだ。

つまり…

 

被害者意識から自己保身を

図ろうとする行動や言動が多い

 

母親は他責思考の強い人だった。

この女の子も自分のやったことは

棚に上げて、嫌なことをされた

【被害者】という立場で一緒に

いた男の子に話をしている他責

思考が強めの子だった。

 

 

そして、このような人たちを助長

するのが、母親の周囲にいた共感・

寄り添いをするママ友であり、今回の

ひどいねと言った男の子の態度なのだ。

最悪なのは、周りにいる人たちは、

被害者意識を持った人間に操られてる

ことに全く気が付いていないことだ。

 

 

碧音は、そういう人たちが原因で、

自分の困りごとを相談できず、

どんどん孤立していった経緯がある。

正直、両親と同じように碧音の

生きづらさを助長した人たちだと

考えている。

そんな理由から、共感・寄り添い

至上主義の人達に嫌悪感を感じるのだ。

 

 

ただ、共感・寄り添いが必要な人はいる。

でも、誰彼構わず使っていいものでもなく、

使い方を間違えてもいけないものだ。

それは、ただ単に、母親や前述の女の子の

被害者意識だけを育てる結果になるからだ。

 


誕生日への誤学習 ー 棺桶が近づく日 ー

2025-02-25 15:00:00 | 過去のこと・気付き(家族)

誕生日というとお祝いの

イメージを持つ人が多いだろう。

だが、碧音は違う。

 

棺桶に入るのが近づいた日

 

これが誕生日へのイメージだ。

なぜ、こんなイメージになったのか。

それは、母親から誕生日プレゼントが

ない理由を聞いたときの話が原因だ。

 

誕生日なんて

棺桶に入る日が

1年近づいただけなのに

何が、そんなにめでたいんだ?

 

子供だった碧音は、それをそのまま

信じてしまい、それを何十年も

刷り込みとして思い込んでいた。

だから、自宅で誕生日会をやった

こともなければ、両親に祝って

もらったこともない。

当然、誕生日プレゼントもない。

 

 

これは想像だが、誕生日プレゼントを

買う余裕がなかったのだろう。

母親が、無理やり考えた理由

だったのかもしれない。

だが、子供にそんなことは関係ない。

親の言うことは絶対だと信じる子供は、

どれだけバカげた嘘でも信じてしまう。

 

 

幼稚園や学校で誕生日会をされると、

碧音だけ居心地が悪かった。

それは、誕生日は死ぬ日が近づいた

だけだと考えていたため、純粋に、

自分の生まれた日をお祝いする気に

なれなかったからだ。

 

 

子供は、親の言うことは間違って

ないと、根拠なく、信じてしまう。

どんなにバカげた嘘だったとしてもだ。

そのバカげた嘘のせいで誤学習をして

しまい、何十年もの間、碧音は、

自分の誕生日は忌むべきものと

誤った考えを持ってしまっていた。

 

 

両親にしては、さぞ、楽だっただろう。

誕生日のたびに出費は抑えられ、

子供に文句を言われることもない。

でも、自分が生まれてきた日が

【死に近づいた忌むべき日】と

誤学習した碧音は、自分自身が、

産まれたこと自体を慶ぶ機会を

完全に失った。

 

 

その影響は、今でも続いている。

今は、自分が生まれた日を喜ぶ

まではできないまでも、誕生日

プレゼントを買ったり、何かを

体験する日にしているが、子供の頃、

感じていた居心地の悪さは健在だ。

 

 

ちなみに、碧音が、両親の誕生日を

祝ったことは一度もない。

死に近づいただけと教えたのだ。

当然のことである。


箸置きを使わない家 ー マナーを教えられない虐待親 ー

2025-01-23 18:00:00 | 過去のこと・気付き(家族)

碧音の子供の頃、食事は一人か、

妹と二人のどちらかだった。

食事は、パートから一時的に戻った

母親が作ってから、また、夜の

同じ仕事に出ていく… という感じ。

(夜の蝶ではありません)

 

 

これは、大人になって知ったが、

普通の家庭では箸置きがあるらしい。

たしか、学校で、こんな話をした

記憶がある。

 

ご飯を食べてるとき

お箸を置くか?

お箸を置かないか?

 

口の中のものを食べてるとき、

所謂、もぐもぐタイムみたいな時間、

お箸を置くかどうか?の話題になった。

当時、お箸を置かないのは碧音と

他の女の子一人だけだった。

他の子たちは、必ず、置く派だった。

 

 

ちなみに、当時、碧音の家に箸置きは

なかったので、当然、もぐもぐタイムは、

お箸をもったまま、もしくは、器の上に

仮置きするスタイル。

そして、子供の碧音は箸置きは高級

料亭のようなきちんとしたお店で

置かれてるもので、一般家庭では

使わないものと考えていた。

 

 

一般家庭でも、お客さんが頻繁に来る

ご家庭はお客様用として置いてある

かもしれないとは思っていた。

でも、結婚してから、元夫に箸置きを

なんで、買わないんだ?と言われて、

初めて、一般家庭でも使うものなんだ

と知ったのである。

 

 

今では、100均でかわいい箸置きが

置いてあるが、当時、箸置きをどこで

買えばいいのかすら知らなかった。

当時、まだ、20代前半で世間知らずと

言われても許される年齢だったから

助かった。

今の年代で、そんなことをしてたら、

今まで、何やってたんだ?と常識のない

人と言われていただろう。

 

 

また、食事中のマナーとして、

お箸の上げ下げの仕方なども大人に

なってから知った。

マナーの本で勉強した。

 

 

マナーや所作がきれいな人は、きっと、

ご家庭でしっかり作法を教えられたの

だろうと思う。

残念ながら、碧音は、そういう教育を

されていないため、自分で勉強する

しか方法はなかったし、そのような

マナーを必要とする場所にすら、

連れて行ってもらうこともなかった。

 

 

そう考えると、両親の教育に対する

姿勢が全くなかったことを、

今更ながら、実感してしまう。

大人になってから、いくらでも、

学ぶ機会はあるが、自分で気付く

ことができないと勉強しようと

考えることすらないだろう。

 

 

そう考えると、知らずに無作法な

行動をしていたかもしれないと

思うと、何もしていないのに、

恥ずかしい思いがこみ上げて

くることがある。

 

 

碧音が恥ずかしいのは、きちんと

子供を育てようとしない両親の

子供であること自体が、碧音の

中の恥なのだ。

 

 

その証拠に、碧音は、仲のいい

友達ができても両親に紹介した

ことは一度もない。

恥をかくことが分かっているからだ。

お気に入りの箸置きを見て、何となく、

思ったことを書いてみた。

 

 

 


子供らしい子供ではなかった自分へのご褒美 ー ほぼ日カバーを選んだ理由 ー

2025-01-20 18:00:00 | 過去のこと・気付き(家族)

昨日、日記帳を書き始めた

経緯を書いた。

今年は、ディアカーズの日記帳の

中身だけを買い、ほぼ日手帳の

カズンサイズのカバーをつけて

使っている。

 

 

このカバーを選んだのには、

碧音なりの理由がある。

もちろん、かわいいからという

のも理由の一つではある。

ただ、大きな理由として、碧音は、

子供っぽいキャラクターものを

買ってもらうことがなく、また、

絵本などの読み聞かせすら、

やってもらったことがない。

 

 

つまり、絵本のようなイラストに

全くなじみがなかったのだ。

碧音の子供の頃の写真を見ると、

まず、おもちゃや絵本が全く

写っていない。

 

 

普通、おもちゃで遊んだり、絵本を

読んだりしてるところも写って

当然なのだが、そういうものが

部屋の中に一つもないのだ。

それは、どの写真も同じで、碧音も

おもちゃで遊んだ記憶もない。

絵本を読んだ記憶もない。

 

 

だから、周りが絵本の話をしても、

全く分からなかった。

先日の記事で、子供っぽいことを

させてもらえなかったことを

書いたと思う。(記事は、こちら

それは、物でも同じだった。

 

 

子供っぽいキャラクターものの

おもちゃすら、何も与えてもらって

いないのだ。

今まで、それは碧音の好みの問題と

考えていたが、それは違う。

母親から

 

お前にそれは似合わない

こっちにしなさい

安いから

 

そう言われて、母親の趣味を押し付け

られた結果で、碧音の趣味ではなかった。

自分の小遣いでキャラクターものの

日記帳を買うと

 

そんなもの買ったの?

似合わないのに

馬鹿じゃないの?

そんな無駄遣いして!!

 

と馬鹿にされ、怒っていた。

小学生高学年のことだった思う。

自分で買えるようになるまでは、

全て、母親の趣味を押し付けられた。

それは、文具だけでなく、服から

髪型、食べ物まで自分の好みを

押し付けて、嫌がると

 

わがまま

自分勝手

 

と怒鳴られ、父親に伝われば、

父親から殴られ、脅迫や馬鹿に

されることが続くうちに、自分の

好きなもの、良いな… と思うものは、

全て両親と同じ趣味の物になっていった。

 

 

こんな経緯があり、今年はカバーも、

子供の頃に買うことができなかった

子供っぽくてかわいいカバーを買おうと

考えたのだ。

日記をつけるたびにかわいいカバーを

見て、満足している。