碧音の父親は、このブログに
あまり登場していない。
理由は、父親が家族と一緒に
過ごすことが少なかったからだ。
つまり、碧音の記憶に残らない
くらい父親のいい記憶がない。
碧音は、子供の頃から、両親は、
目の前の碧音を見ていないと
感じることが多かった。
それは、20歳の時にはっきりした。
当時、成人したからと、ある
ブランドバックをもらった。
碧音は、特に、ブランド品が
好きなわけではない。
たしかに、見た目や物がいいのは
認めるが、碧音が重視するのは機能性。
どこに、何が入ってるかが一目瞭然な
作りのバックであること、また、当時、
トートバックばかり使っていた。
なのに、父親がプレゼントして
きたのは、セカンドバック。
必要な物が全部入らない、ポケットも
ついていないので細かいものを入れる
場所もない、仕切りもないので細々
したものが雑然としてしまう。
結局、数回使って捨てた。
使わないブランド物より、まだ、
安くても本革のオーダーメイドの
トートバックの方が数十倍マシだ。
この人、目の前の子供を
きちんと見ない人だって
分かってたけど…
どんなバックを使ってるかすら
全く見ていなかったんだ…
父親はハイブランドの小物を揃え、
大事に使うタイプだ。
でも、碧音には必要な物すら買う
ことを惜しむような父親が、碧音の
喜ぶものを買えるわけがない。
つまり、父親は、碧音のことを
全く知らなかったということだ。
父親のような親は多いと感じる。
そういう親の関心事は…
自分の望む子供に
成長しているかどうか
そこに子供の好き嫌い、得意
不得意や子供が何を望んで
いるかは全く見えていない。
もし、毒親と言う言葉を使うなら、
【目の前のありのままの子供を
見ていない親】のことだ。
なぜなら、自分の評価を上げる
子供しか認めたくないからだ。
だから、彼らの愛は条件付きなのだ。
あんたの望む子供になんて
なるつもりありません
碧音は行動で、そんな意思表示を
するために捨てただけである。