人間はみな平等、という意味とは違うんじゃないの。
子供には何も罪はない。むしろ、不遇な時代を過ごしている人が多いかもしれない。
小さいときは片親がいないせいでさみしい思いも、理不尽な気持ちにもなっただろう。
可哀相だなと思う。
だけど、納得できない。
子は親を選べないのも可哀相だけど、それで平等に救済できるわけ?できないでしょう。
また、「女性にとっては、結婚しない方がいいんじゃない?」とも考えられませんか。
自分の生き方への満足度はおいといて(結婚や家庭に対する価値観への満足度)
自分の子供が不遇でなければ、
むしろ、嫁姑とか、介護負担とか、家事育児の負担とか、逆にデメリットが少ないんじゃ…
(こういう部分を「デメリット」と呼ぶことに抵抗を感じるが…)
どういう経過でシングルマザーなのかなんていちいち人に言わなきゃいいんだし。
でもそれでいーのか!?
家族として生きてきて、支えあってきて、その結果が相続ではないのか?
父親は、離婚してくれない正妻から離れ、長年内縁妻と暮らしてきた、そういう家庭でなら、
父親の死後、正妻の子が来て「法定相続分相続させろ」と主張するのはおかしいと思う。
遺言を残し主張するべきであるのに、ひとくくりに
「嫡出子と非嫡出子の相続割合が異なる民法の規定は違憲」
とするべきではない。
家族のありようが多様になっているというならば、多様になっている家族それぞれで考えてあげられ、
多くの人のモラル・共感により納得できる判断が随時できるように、民法はあるべきではないのか。
納得できない民法はいらない。
嫡出子と非嫡出子は同じ人間ではあるが、その親にとって同じ(権利のある)家族とはいえない。
どちらかは、(共通のほうの)親が生きているときの家族であり、
どちらも家族として扱いたいとその親が願うなら、家族の平穏を壊してでも説得するべきことで、
できないなら家族側を大事にしたという証だし、
説得したなら平等にしたということの証しだろう。
親がどう扱うかで、平等か平等でないかがわかる。
人間としての平等と、家族内の権利上の平等は、違うんじゃないの。
納得できません。