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布施英利『人体 5億年の記憶;解剖学者・三木成夫の世界』

2018年04月26日 | 折々の読書


解剖学者、発生学者である三木成夫(1925-1987)の著作は、生前に2冊の本『内臓のはたらきと子どものこころ』(1982)、『胎児の世界』(1983)と没後に出版された『ヒトのからだ 生物史的考察』、単行書ではなく分担執筆として発表した『解剖生理(解剖学ノート)』がある。また、未完の草稿として『解剖学総論草稿』、『生命の形態学』が遺されている。
この本は、これら三木成夫の著作を基に、著者の布施英利が逐次説明、あるいは三木の説を展開していくという方法によっている。

三木は、ヒトの体を二つに分け、「植物性器官」と「動物性器官」に大別していた。植物性器官とは、内臓など栄養やエネルギー補給に関する部分、動物性器官は、世界を知覚し体を餌に向かって動かしていく部分である。この分類は、体全般にわたって使われる。

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この本の白眉は「植物性器官」である。前半の説明はそこに至る助走に過ぎないようだ。筋肉、神経、知覚など三木の発想の断片が分かるかもしれないが、面白くなりそうなところで切り上げられてしまう。それでも、触覚、味覚、視覚、聴覚の話は興味をそそる。
例えば、音楽に密接である聴覚について、「われわれの祖先がまだ海で生活していたころ、つまり魚の時代では「水の振動」が音であった。…この関係はいまだにわれわれの耳の中(内耳)にそのまま残されている」(p.108)。そして、鼓膜の振動が耳小骨から蝸牛の中のリンパ液をふるわせ、その繊毛が震えて脳に伝え音となるという。ヒトの聴覚は「生命記憶」とも呼ぶべき海で生活していた時代の名残りで、リンパ液という液体がその痕跡というわけである。我々が楽器の音が聴けるのも海の恩恵なのであろうか。ロマンチックであると同時に、音を聴くということはとても繊細な器官による微細な現象なのだと改めて思う。

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この本は、人間はどうしてこんな形をしているのかという疑問にも答えてくれる。例えば、首。どうして首ができたのか。人の祖先たる魚や蛙には首がない。つまり、首は「本来あったものが消えてなくなったところ」と考えられる。首の位置は魚では「鰓」である。魚が陸上の上がった進化の過程で不要になった鰓の筋肉と共に消えたかは移動し顔の表情筋となった。結果として首が残ったのである、ということになる(p.66-68)。この辺りは解剖の門外漢としては驚くばかりで、自分の身体に隠された進化の痕跡を想像しようと努めることしかできない(笑)。

三木は、ヒトのからだの基本構造は「一本の管である」(p.123)と考えた。体の基本構造は消化器系のことであり、つまりは植物的器官であるということになる。海の中で始まった生命は単細胞から多細胞となり、口と肛門をつなぐ一本の管ができる。やがてそれは何億年もの時間、昼と夜や潮の満ち引きなどなど、自然現象の奏でるリズムは細胞に、つまり内臓に刻まれる。だから、海の生き物たちは「からだで」潮を知っており、間違うことなく産卵を果たす。これを三木は「こころ」として「観得」と呼び、脳、神経などによる「感覚」(意識)と区別した。また、感覚は目の前の近さで起こっていることに関する情報で、「近・感覚」とした。一方、太陽や月の運行によって生まれるカレンダーを把握するのは「遠・観得」とした(p.128)。それは、一時的な近・感覚よりはるかに根が深く、強い(p.125)。やはり、太古の昔のリズムがからだに刻み込まれているのだ。

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解剖系の話になるといつも思うのが、人間の身体の精妙さ、精巧さを知れば、他人を尊重して、間違っても殺人や戦争を起こすようなことはしないだろうにということだ。おそらく、そのために教育の役割が重要だと思う。地球上に生命が誕生して数億年という途方もない時間が過ぎ、人類は進化の頂点を極めたようにも見える。この現代において、生命の来し方を思い、命あるもの同士が尊重しあえるような時代のことを考えるのも無駄ではないだろうと思う。

布施英利著『人体 5億年の記憶;解剖学者・三木成夫の世界』海鳴社、2017年3月刊.★★★★★