写真は20年以上も前のものとなりました

つれづれなるまゝに日ぐらしPCに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつづっていきます

大本営発表?!

2021年08月21日 | 随想

大本営発表とは、支那事変や大東亜戦争(太平洋戦争)における戦況の公式発表だったのだが、あるときから、国民を鼓舞させたかったからなのか、虚偽の発表が常となり、戦後は、その姿勢が転じて「信用できない情報」のことを指す慣用句として使われるようになった言葉である。大本営発表はなぜ「ウソの宣伝」に成り果てたか「大本営発表」はいかにして信用できない情報の代名詞になったのか、など)

 

昨年からのコロナ報道は、特にウソをついている訳ではないのだろうが、まるでマスコミの戦果のごとく「過去最高!」とか、毎日毎日、鬼の首を取ったかのようにはしゃいで報道して、まるで国民を不安のどん底に陥れようとしている姿を見ていると、ウラに何かあるな、と感じるとともに、動機がまるで正反対にもかかわらず、大本営発表のような胡散臭さを感じてしまうのだ。

それは、ただ単に「ウソ・大げさ・まぎらわしい」の類いの報道というよりも、1つの要因(PCR陽性者数)を盾にして、パンデミックを装った「内乱を仕掛けようとする陰謀のように感じられる。

 

に、しても苛立たしいのは厚労省や有識者会議とかいう無能集団だ。「尾身茂亡国論」科学性ゼロの専門家集団

1814年のウィーン会議は「会議は踊る、されど進まず」と言われて有名だが、この国の現場を知らない憂識者談議は「会議で進まず」の様相を呈している。タチの悪い集団だ。

現場一流、政治は三流以下と揶揄される日本だが、まさしく、今度のコロナ禍においては三流どころか人命無視まで招いてしまっている五流六流でしかない。

 

“行動制限のみ”に取り憑かれた菅政権 は、いずれ近いうちに、自粛の範囲を広げて「息をするから拡大するのです。呼吸をしないように。」と呼び掛けてくるかもしれない。何もしなければ治まる、ゼロになる、と考えているおめでたい人たちなので、あり得ない話ではない、かもしれない。

 

保健所縛りで診療受けられない都民の怒りを代弁する大木医師は「保健所ではなく開業医が1日1人の陽性者を診れば全員診療を受けられ、重症化予防も図れる」と必至に訴えてる一方、尾崎都医師会長のクリニックは「8月12日~19日は夏季休診」、とのこと。そりゃぁ、あちゃ!と言いたくもなるでしょうよ。

 

尼崎の長尾医師は、「保健所に丸投げする法律が、多くの人を殺している。なんなんだ、この法律(隔離だけして治療はしない)は。」と怒りをあらわにしている

 

他にも、現場で頑張っている医師や議員たちも少しずつ声を挙げ始めている。やはり、現場は一流なのだ。

 

ちなみに、自宅療養者向けハンドブック(東京都福祉保健局)によれば、PCR検査で陽性反応が出て自宅療養中のときに気を付けることとしては、1日2回、体温測定や健康状態の観察を行うこと、飲酒・喫煙は厳禁(論外でしょ?)、服薬がある場合はかかりつけ医療機関等に相談すること(当然でしょ?)、体調が急変した場合は保健所やかかりつけ医に連絡すること、とのこと。

つまり、療養とは名ばかり、様子を見てるだけで、医者が登場できるのは体調が急変してからという場合のみ。

保健所は往診もしていないくせに、入院先を調整して、入院先が決まったときは症状が治まっていても保健所の指示に従って入院しなければならない。

何ともない人が入院することによって本当に入院を必要としている人が入院出来なくなっている、という話もしばしば。

保健所が健康観察(という名の放置)していても画一的だから、唯一の同居家族だったネコの扱いを解決出来ずに死亡させたという悲しい事例も出てくる。

 

2類のままにしておくことが多くの悲劇の原因となっていることが判明した以上、早急に5類への引き下げをすることが急務な訳だが、それをわかっていてしないというのは、まさに、過ちを犯したことを知っていながらも改めようとしない、これを本当の過ちという故事を再度勉強し直したほうがいい。

過(あやま)ちて改めざる、是を過ちという

 

初期症状に有効だというアビガンやイベルメクチンの使用への厚労省の態度は、血友病患者にエイズ禍を招いた薬害エイズ事件を盾に取って自らの責任を回避しているだけだ。

まさに、羹(あつもの)に懲(こ)りて膾(なます)を吹(ふ)く、という情けない行動原理であり、こんな官僚をいただく政府も気の毒っちゃぁ気の毒な話だ。(この故事、原典の解説を読んでみると「それくらい慎重であれ」という教訓のようで、引用するのはあまり適切ではなかったようで・・・。まぁ、本来の意味よりも長い歴史の中で使われてきた用法を重視した、ということで。)