写真は20年以上も前のものとなりました

つれづれなるまゝに日ぐらしPCに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつづっていきます

見苦しぃ・・・

2021年01月31日 | 随想

日本学術会議が4月に予定されている総会までに6人を任命するよう菅首相に求める声明を発表したとのこと。ったく、見苦しいったらありゃしない。

 

戸塚洋二氏が主導して成果を得た業績を、その功労者の死去によって棚ぼたでノーベル賞をもらっちゃった梶田会長だったが、学術会議では もち上げられて会長に就任してはみたものの棚には ぼた餅がなく、厄介もち が飾ってあったというお粗末さ。学術会議って、なんぼのもんよ。

 

白川司著「日本学術会議の研究」が見事にこの問題の本質を分析し、歴史的な背景からも鋭い切れ味の結論と警鐘を見せてくれている。

内容をひと言でバッサリ言うとすれば、帯に描かれているとおりの『共産党学者の、学者という「赤い貴族」たちの巣窟』(ちょっと縮めたが、まぁそういうことだ)、その集団の生い立ちから消滅への理由と道筋、ということになろうか。

任命拒否された6名についても、その実績や主張などをきちんと紹介した上で、その主張のどこがどう間違っているのか、といったことを理路整然と書き記していく。返す刀でマスコミ、TVのコメンテーター等にも鋭い批判で切って捨てる。

これでは、「学術」の分野でどれだけ実績があっても、ぐうの音も出ないだろう。ただ、実績ということで言えば、中村修二、赤崎勇の両氏とともに青色発光ダイオードの発見でノーベル物理学賞、文化勲章を受章した天野浩氏が学術会議の会員にはなっていないところを見ると、会員に「実績がある」ということは必ずしもあてはまらない、との指摘もある。

むしろ、ヒダリがかっているかどうかが大事なようなのだ。いや、梶田さんがヒダリかどうかは存じ上げていない。

 

著者については、数年前から、インターネットテレビ【WiLL増刊号】で飄々と時事問題を解説したりしているのを見てきたが、いつも期待通りの解説にスカッとした気分を味わわせてもらっている。

ツイッタでもフォローさせてもらっている。時宜を得た、おもしろい情報が満載である。

 

もう1冊、いま読んでいる書が「くそじじいとくそばばあの日本史」。

世の中には、憎まれっ「子」というには余りにもトシをとりすぎていて、かつ元気この上ない憎まれジジイやババァが(身近にも)多くいるものだが、どっこい、それは今の高齢者社会に限ったことではなく、ムカシっからそうだったんだよ、ということをこれでもか、これでもか、というほど紹介してくれる本。

我が身の年齢もわきまえずにクソジジィとかクシババァとかほざいてみたが、あらためて認識したのが、平安時代とか鎌倉時代、室町時代、江戸時代にも80、90の高齢者が多くいたことで、普段、何気なく昔は平均寿命が短かった・・・などと誤解しているが、それは乳幼児の死亡率が高かったので全体の数字も小さくなっていたのであって、乳幼児の時期を何とか乗り切った者たちは現代と同じように、結構、長寿だったということ。そこには七五三のお参りとか「とおりゃんせ」の7歳とかが出てくる背景が存在していた訳だ。

逆に、現代の高齢者の中には、現代医療という手厚い保護の中で生きながらえている者も多いが、そういうものが充実してなかった時代に長生きしていたということは、あるいは現代よりも健康だった証となるのかもしれない。

 

この本の購入動機は、1つには米国大統領選の、痴呆老人を担いではしゃいでいるゴタゴタと不正、疑惑への嫌悪感。まぁ、これはまだ終わってないようなので、まだ情報を収集整理しているところだが、いずれ見えてきたら、また書き綴ってみたい。

まぁ、この本に出てくるのは全て日本人なので米国大統領選への嫌悪感には何のはけ口にもなっていないのだが、少しは痴呆老人への不安と、かの国への気分の悪さ等をこの本で何とか溜飲を下げているのかもしれない。

もぅ1つ、実は「一休さんはエロじじいだった」という目次が目に入ったので、そのスケベ行為が詳細に書かれているのでは、という下心もあったのだが、まぁ、それらはサラッと数行で終わっていて、ここらへんは大いに失望したところ。女性執筆者の視点では、クソ坊主の淫猥な行動にはそれほど興味がないのかもしれない。

多くのクソじじぃやクソばばあを掻き集めすぎたせいか、全体的に、あまり深く掘り下げずにサラッと流した内容になっていたり、ところどころにひがみっぽい叙述箇所があったりして、娯楽書としても、そんなのお勧めというほどの書ではない。評価するとしたら5段階の「2」か。