写真は20年以上も前のものとなりました

つれづれなるまゝに日ぐらしPCに向かひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつづっていきます

知らんのか、って・・・

2018年05月24日 | 随想

才能と知識があり、高い徳のある友人に影響を受けること、または、よい友人から受ける影響のことを「芝蘭之化(しらんのか)」という。

「しらんのか」って・・・・、ぅん、知らんかった。

ここで言う「芝」とは霊芝(れいし)のことであり、「蘭」は藤袴(ふじばかま)のことを指しており、才知にすぐれた人のたとえとなっている。よい香りの中にいて、気付かないうちに性格や考え方が同じものになることをいう、とのこと。

 

霊芝をWikiで見てみると、「今日では栽培法が確立されており、民間薬あるいは健康食品としてさまざまな目的に用いられる。古代中国では霊芝の効能が特に誇大に信じられ、発見者はこれを採取して皇帝に献上することが義務付けられていた。また、官吏などへの賄賂としても使われてきたという。」という記述が見える。医薬品等との相互作用ということについては、「抗血液凝固作用をもつ」ということなので、我が身の循環器系のような血液にはたいへん好ましい植物であるようだ。霊芝の特徴と効果・効能ということで見ると、香りはほとんどない、と記載されている。

まあ昔だったら崇めまつった成分なのかもしれないが、現代の世の中でそれを過信して服用するなんてことぁ避けた方がいいに決まっている。

 

藤袴(ふじばかま)も昔は薬草として用いられたようで、秋の七草にもなっているようで、各地で野生化したらしいが、昨今では「生息条件の変化によっては『絶滅危惧』に移行する可能性がある」という準絶滅危惧種に指定されているようだ。この花の半乾きのときに桜餅の葉のようなにおいがするという。

 

まぁ、どちらも「ありがたい」植物であることは間違いなさそうだ。

 

芝蘭之化(しらんのか)というのは「良い友人から受ける良い感化」のことを言うのだが、似たような意味を持った四字熟語が「麻中之蓬(まちゅうのほう、まちゅうのよもぎ、あさのなかのよもぎ)」。


普通は曲がりくねって育つことの多い蓬(よもぎ)も、まっすぐ育つ麻(あさ)の中で育てるとまっすぐに育つということで、悪ガキも良い環境の中で育てれば、良いほうに正されてまともな大人に育つということらしい。なんと楽観的な・・・・とも思うのだが、これ、「性悪説」で有名な『荀子』勧學篇に由来している。その勧學篇の出だしは「出藍之誉(しゅつらんのほまれ)」の出どころとなっている「青は之を藍より取りて藍よりも青し」から始まっており、その次、二番目に出てくるのが「蓬生麻中、不扶而自直」(蓬(よもぎ)も麻の中に生えれば、扶(たす)けずして直し)である。


性悪説は、人間の本性は悪であるとする説で、だからこそ良い環境の中で育てなければまともな人物には育たないという、極めて当たり前のことを主張している訳であり、よく性善説と対比して論じられたりするのだが、こうして対比されると性善説よりは性悪説のほうが説得力がありそうな気がする。(「悉有仏性」とはどういう関連になっているのかは考え中・・・)

麻の中という良い環境にいれば、ねじれて育つことの多い蓬でも、まっすぐ育つものだということで、教育の場などでは飛びついて喜ぶような言葉だが、どっこい、我が国には一筋縄では行かぬ御仁もいる。

俳人の小林一茶の「俳諧歌」(和歌の中の滑稽味を帯びたもの)の中に「直(すぐ)なるも」というのがあり、「直なるも 曲がるも同じ 世の中ぞ 蓬はよもぎ 麻はあさ連」(真っ直ぐなものも 曲ったものも 同じ世の中にあって みな必要なものとして存在する。蓬はよもぎであって 麻はあさである。)と、開き直っている。いいなぁ、こういう反骨精神。

 

ところで、これらに見る「模範」のような扱いの「麻」だが、実は麻(あさ)と大麻(たいま)は同じものなのである。・・・と書くと、「麻」が何か悪いもののように聞こえるかもしれないが、悪いのは「麻」のほうではなく、それを悪者にしている「法律」のほうなのである。

しかし、だからといって、悪くないとされる「麻」(=「大麻」)を持っていたり栽培したりしても良いかというと、それは現行法では犯罪となるので、そういうことは許されない。

誤解を招くといけないので強調しておきたいが、現在の我が国の法律では、「麻」の栽培も「所持」も「使用」も犯罪となるので、遵法(コンプライアンス)を旨とする日本人だったら、犯罪となるようなことは絶対にやってはいけない。悪法」といえど、法に触れれば処罰が待っている。

歴史的な背景を見てみると、「麻」が犯罪扱いされるようになったのは太平洋戦争の敗北が原因であり、石油から作れるもののほとんどは「麻」でもできるところから、世界石油戦略というアメリカの方針に日本の産業構造がそぐわなかったということが大きいようだが、今からつらつら考えてみれば、「麻」は農業生産物なので、農業と工業の相補的な発展、今の流行り言葉で言えば「第6次産業」というものが成立していたかもしれない・・・と思うと、つくづく「負ける戦争は決してやってはいけない」ということを痛感させられる。

本当は、勝てる戦争といえども、戦争という手段での問題解決はやってはならないことであり、決着は交戦の前につけてしまう、というのが鉄則中の鉄則である。このあたりは孫子の兵法に通じるものがある。

さて、勘違いの北朝鮮は交戦を避けることができるだろぅか。豚の財布=国家予算、という前近代的な財務体制をひとまずブチ壊してかからないことには、「民主主義人民共和国」というものが成立し得ないのだが・・・・漢字を捨ててしまって意味もわからなくなってるんだろな。やること為すこと全てがダメダメな国だなぁ。