el diario por la floja

タイトルで自信のないものは()表示にしています。

Hipertermia

2007年09月29日 | 多くの人が理解できるだろう
 しばらくスペイン語と遠ざかっているので、久々にスペイン語で読んでみようでなくて、眺めてみよう。^^;ということで、「熱中症」。

 暑かった夏。9月になっても暑かった。熱中症の被害が多かった。運動会が途中中止になる学校もあった。

 新学期が始まったある日、息子は調子が悪くなり、結局医者で点滴をしてもらった。毎日家の中にいて、エアコン稼動で過ごした体には、水分も適応力も足りなかった。医者には、これこれと前置き長く伝えたら、「熱中症か。」と簡単に返ってきた。初めから熱中長と言っても問題なかったんだな。
 その後、水筒1.3ℓを購入し、以降それを持たせた。
 今月あった運動会。息子は水筒3本を要求した。私は一体何を持っていけばいいんだ。当日、私はペットボトルを手首にかけ校庭をうろちょろした。
 最後の対抗リレーと閉会式。もう、限界だった。頭が痛い。ダンナに「頭痛い 限界」とメールし、のち「もうダメポ 夕食作りパス」と再メール。
 なんとか閉会式を終えた運動会だった。

 医学用語は英語が分かればスペイン語もすぐ分かるが、Hyperthermiaは癌の温熱療法でも使うのね。久々のスペイン語単語調べでした。

チラシ話

2007年09月21日 | 多くの人が理解できるだろう
 ダンナがチラシを差出し、「買ってやろうか。」と言い出した。「そんなもの無理だ!」
 
 あるメガネ店(http://www.meganeichiba.jp)のオープンのチラシでした。ダンナは、「店内全品 18,900円」を見て、私は「先着100名様にヨン様入りB2ポスターをもれなくプレゼント!!」を見たのでした。
 ダンナが帰ってから買いに行ったのでは100名に入れない。ダンナはあんなに大きなヨン様が目に入らなかったのか。

 二人の相違を感じた朝のひと時でした。
 
 ちなみに、私の視力は両目で0.7。辛うじて運転免許の「眼鏡等」が書き込まれないギリギリの線です。運転時にはメガネをかけることを勧められています。結婚前に作ったトンボメガネを時々かけています。今の時代、あれをかけるのは恥ずかしい代物。

ディエシオーチョです

2007年09月18日 | 多くの人が理解できるだろう
 数日前にダンナが気づきました。「ディエシオーチョではないか。バンデラ出さないと。」ということで、昨日(17日)ベランダに出しました。
 下から見て、「国旗には見えないな。」ブラジルの旗でも出したら、何事かと思われたかもしれませんが、誰も気にも留めないでしょう。

 そして当日の18日。前日の夕方片付けたバンデラをダンナは再び出されることも無く(忘れた?)出勤しました。私は、ああ、バンデラ出さないとねと思いながら出さずに18日は終わりました。

主(ぬし)

2007年09月16日 | 多くの人が理解できるだろう
 秋冬の収穫のため、ダンナの活動が8月頃から続いています。種まきやら、夏の片付けやら。今日はトマトを片付けていた。
 先日、玄関横にあったゴーヤ棚を私が片付けた。といっても、ゴーヤだけを外して、今朝ダンナが支柱を外したのだが。

 これからの作物はアブラナ科が多い。キャベツとか小松菜とか、そして葉牡丹。それにすごいのよ、蝶々の幼虫が。無農薬で野菜を栽培するのがいかに大変かがわかります。
 青虫にもそれぞれ、好みがあるんですよね。小松菜とか水菜には深い青緑の青虫が、キャベツや葉牡丹には緑の青虫が食い荒らしてくれてます。割り箸で取り除いているんだけど、ダンナは手で取り、足でグイ。わたしゃ、ちっこいのなら手で取って石でつぶせるんだけど、ある大きさ以上なら水路に流してバイバイ。

 いや~、今日はキャベツの大きな主(ぬし)を多数発見しましよ。ダンナに手渡しもしました。「これあげる。」「そんなのいらん。」ダンナの手に渡された青虫はすぐ踏み潰されました。キャベツの主を見つけるのは結構簡単。新鮮な糞がたくさん付いていれば、確実にいます。でも、上記のような色は保護色そのもの。目の前にいても、発見できないこと多々。

 さて、片付けたゴーヤ棚に住まいしていた主がいました。それはそれは、おっきな蟷螂(つい変換してしまった。カマキリってこう書くのね)。一体、このニガウリに居ついてどんな餌になるべき昆虫がやってくるのか不思議だったが、とにかく最初から最後までいた。
 気になり、どっかへ持って行こうとかとも思ったけど、な~んかこれぞ「主」っていう威厳というか、存在感があった。

 そのゴーヤ棚には長い外開きの窓も隠していた。それをゴーヤを取り払ったから、窓が開けられるようになり開けておりました。
 夜、外へ出たとき、入ってから鍵をしたらいいと、外から押して窓を閉めてしまいました。なんか、引っかかった感がありましたが、支柱は片付けていないしゴーヤの残りかなとその夜。
 次の日、窓を開けてギャー!主をつぶしていた。ゴーヤがなくなりゃどっかへ行けばいいのに、終の棲家にしてんのか。でも、生きていた。腹をつぶされながらも、生きていた。窓から離し、後は祈るのみ。

 実は、先月のことでした。娘を迎えに行った帰り道、蛇を引いてしまった。よけられなかった。心配だからもう一度戻って確認したら、生きている。娘には辛いものを見せてしまった。次の日通ったら、ミイラが。後続の車に引かれたのでしょう。
 私は再び生殺しをしてしまったことになります。

 さて、その今朝、ダンナは支柱を片付けました。あっ、まだカマキリいる。ってか、動かない。あの腹をつぶしたのが致命傷になったのね、、、。と思ったが、ダンナが生きているぞ、と。強い、カマキリはこよなくゴーヤ棚と壁を愛した。テリトリー替えをしなかった。邪魔なので、カマキリを持ってほかへ移しました。しかし、その抵抗すること抵抗すること。まさしく主でした。

夏をまとめて続々々々

2007年09月12日 | 多くの人が理解できるだろう
◎○ックカメラ
 8月23日は○ックカメラJR京都駅店の開店でした。この建物、7階建てで京都駅のホームの上(http://www.jr-odekake.net/eki/img/premises/0610116_3d.pdf)に建設されました。30番ホームからエレベーターで登れば、そこが西洞院改札口=○ックカメラの入り口。それと、京都中央郵便局、キャンパスプラザ京都(http://www.consortium.or.jp/campusplaza/index.html)、○パホテルが並ぶ西洞院通りにある入り口あり。それがメインかな。
 8月23日がオープン日でした。それより数日前に近くを通りかかったダンナは、早くもカードを作ってしまった。彼にとっては待ち遠しい開店。が、当日、遅く帰ってくるだろうなと思いきや、早かった。すごい客でとても入る気がしなかったそうだ。
 私は買う物はない。でも、行きたかった。次の日(24日金)に、息子を連れて京都駅に向かった。特別、用事があるわけではない。無駄運賃使いになる。でも、スペイン語教室が再開した後、行く可能性はかなりある。見たい!開店したときでは遅い。息子よ、Vamos.
 京都駅に到着。まず、ホームから上に上がって、そして下がる。それから30番線を目指す。のは良かったが、、、、、、遠い、遠い、遠い、、、、、。
 30番付近のホームって、山陰本線(嵯峨野線)や関空に行く「はるか」などのホーム群があるところ。ちょっとはずれのホームといえば過去の話なんだけど、やっぱり、はずれなのなのよね(私の感想)。
 途中、○ックカメラへの看板を持ったおじさんたちが要所要所に立っている。歩いた、歩いた。一体どこだ?○ックカメラへのアクセスエレベーターは、、、。
 着いた。上がった。そこは自動改札。それが店内(2階)。自動改札口の横は自動券売機。西洞院改札の稼動はは○ックカメラの営業時間と一致している。午前は10時に開く。だから夜9時に閉まる。
 息子の目的の7階へ上がった。ゲームやおもちゃの階。混んでいる、もっとも、入ったときから混んでいた。日本人も外国人親子もいっぱい。人の少ないコーナーへ行ったら、時々揺れる。そうか、ここはホームの上なんだ。電車が入れば揺れるんだ。息子がなにやらご所望。結局、レジで作らない予定のカードを作ってしまった。まあいいや、スペイン語教室が再開したら、アクセスとして使わせてもらおう。カードを使うこともあるかも。
 夜、ダンナが帰ってきた。狭いとの感想。そして価格もそんなに安くないと。考えてみりゃ、ここは京都駅の敷地。京都駅は、またすご~い高額テナントを得たったことね。

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 面倒なので、「夏をまとめて」は終了とします。日常の生活綴る元へ戻ります。

汗疹?

2007年09月08日 | 多くの人が理解できるだろう
 変換して知った。「あせも」ってタイトルのような漢字書くのね。
 
 長年付き合いが無くて往年の私(子ども時代から20代まで)を知る人が見れば、当時と似ても似つかぬ醜体(太体)に声も出ないだろう。痩せていたせいもあろうが、暑さには強かった。寒さは嫌いだが、厚着は嫌いだ。
 この夏、本当に汗をかいた。まだ、暑さは続いている。じっとしていても汗ばむではなく汗をかく。汗で膜を作って、体温を溜め込んでいるようにも思える。

 数日前、鏡の前でバンザイをした。え゛ーーーーー!私の自慢の天然毛無し腋に赤いポチポチが出ている。この夏の汗であせもができたのか。

 いつだったか、テレビで大人のあせもを取り上げていた。汗をかいた後、冷房の環境に入り汗が引いてしまって、それが原因になるらしい。汗をかいた後は、全身を拭くシャワーをすることを皮膚科医は勧めていた。

 家でグーたらしているのでシャワーを浴びることはできる。でも、それだけではダメだったようだ。たまに使うために購入していたベビーパウダー使用回数を増やした。制汗剤はもったいないし、スプレーだからシューとしたとき吸い込むのが嫌なのだ。

 現在20歳を超えた姪の時代からベビーパウダーは使われていない。もっと前かも知れないが、その前は私にはわからない。粉を吸い込むことと、汗腺を塞ぐことが問題なのは分かる。母は使わないことを心配した。それで私たちを育ててきたのだから。外国ではいまだに赤ちゃんに使われているのだろうな。

 同じような使用目的でチリでもベビーパウダーを購入したことがある。外国では丸い缶に入ったものなんかない。パフでパンパンではなく、ぶっ掛けるから。
 それを薬局で買うのは簡単。「ポルボ・パラ・べべ」で通じる。そしたら"talco"の答えが返ってきた。帰って検索してみたら「talc(滑石)」っていう鉱物なのね。不思議な物質だ。

 なんとか、あせもは引いたようだ。油断は禁物。しかし、過去、粉は人体に良くないというドクター(日本人)と合ったことがある。それが心配だが、使い過ぎないならいいだろう。

夏をまとめて続々々

2007年09月07日 | 多くの人が理解できるだろう
◎地蔵盆
 地蔵盆は関西外の人間にとって「これ何?」という習慣だ。それも、地域によっていろいろやり方が違う。
 我が家は、島根→滋賀県湖南→京都市山科区→滋賀県湖西→チリ→滋賀県湖西再び、と移り住んでいる。
 私が、地蔵盆を経験として実感したのは山科が最初。町内会の役員さんが世話役になる。お地蔵さんを会場となる屋根のある場所に移し、最初にお寺さんを呼んで読経してもらう。焼きそばなどを作り、子どもたちは用意されたゲームなどで遊ぶ。お菓子も配られる。子どもたちが待っている習慣のようだ。会費は中学生以下の子どもさんのいるうちだけ役員さんが徴収に回られた。当時、対象となったのは就学前の娘だった。町内会が行うが会計は町内会と別に地蔵盆の会計があったようだ。
 そして、滋賀県に引越し、ここでの地蔵盆。当時お地蔵さんへ行った記憶はあるが、はっきり覚えていない。チリから帰国し、昨年は帰省していたため息子にとって今回が最初で最後の地蔵盆となった。ここでは、地元の世話役さんが催される。対象は小学生。山科とは違った。
 湖南に住んでいいたとき、地区で盆踊りがあった。それは、お地蔵さんの近くで催された。今思えば、あれはそこの地区の地蔵盆だったのではなかろうか。
 地域によって本当に違うこの習慣。宗教がかかってくるから子どもたちが全員参加するとも限らない。郷に入っては郷に従えで、関西の文化を経験させてもらっています。でもね、山科で話した若いお母さん、地蔵盆が全国の習慣だと思っておられた。もっと、世間を知ろうよ。

夏をまとめて続々

2007年09月04日 | 多くの人が理解できるだろう
◎ゴーヤ棚
 昨年、壁際にニガウリ栽培による省エネ効果を紹介していた。来年は我が家の西側の壁に植えようということで、今年になった。
 ダンナとしては初めての作物。硬い種で、端を切ってから播く。春に種まきトレイに播いたが、芽が出てこない。もらい物と再播種で、なんとか苗を低似れることができた。玄関横の西向き壁に支柱を立て間にはネット張ってのニガウリ栽培が始まった。
 そうしたら育つ、育つ、、、が、咲く花咲く花、雄花ばっかし。検索してみると、最初は雄花ばかりが咲き、後から雌花が咲いて来るそうな。7月中ごろになっても雌花は咲かず、ダンナは「こりゃ、盆にならないと咲かないかな。」
 7月も終わりになり検索してみると、ある朝ダンナが雌花第1号を見つけました。話の下に子房がついているのが雌花。第1号雌花は、彼により交配されていました。ダンナ曰く、雌しべも濡れて花粉を受け入れるものだそうです。そしたら、2号3号と次々雌しべ発見。後はハチとアリに寄る交配。
 雌花も次々開花するば、それの100倍のいやもっと倍率で雄花も開花している。こりゃ逆ハーレムだ。生長する蔓ために、棚仕立てにしてゴーヤ棚の誕生となった。
 これを使った料理はご近所に教えてもらった簡単レシピ。スライスして、チンして、マヨネーズと醤油を一緒にしたものにつけて食べる。いい酒の肴になる。

◎カリブラコアの画像
 「ペチュニア&カリブラコアの写真は、後日載せます。」と以前書きましたが、いまだなされていません。花が無いからです。植え替えたカリブラコアはいつになっても花は増えず生長しません。カリブラコアであふれた花壇を目指していたのに、これは土が悪いんだとかいろいろダンナに文句。
 よく観察したら葉っぱが食べられている。どうも夜のうちに何か出てきての食害。新芽がでなきゃ花どころか生長もしない。ということで、ダンナが土の入れ替えをしました。
 今、少しずつ花がつき始めました。大きくなったら画像紹介できるかも。

夏をまとめて続

2007年09月03日 | 多くの人が理解できるだろう
◎el aire condicionado
 去年の夏は暑かった。帰国してから初めての湿度の高~い日本の夏。乾燥したチリのサンチャゴの気候で生活し、汗腺が退化しているじゃないと疑う身には応える夏だった。
 でも、不思議にエアコンをほとんど使わなかった。このうちに住んで二度の夏を過ごしたが、しっかり稼動させていた記憶がある。それなのに、去年はほとんどなかった。なぜ、我慢できたのだろうか。
 ここは一種の別荘地、週末だけ訪れる人も多い。また、暖房は薪ストーブで外に薪がストックしてあるお宅も多い。そんな、素の中だからからか知らないが、エアコンを使わない、無い?お宅もあると聞く。それもあって、ここでは耐えられると去年は思っていた。
 でも、やはり今年は暑かったんだ。去年は夜寝苦しかった記憶がない。窓を開けて置けばOKだった。今年もそうなんだが、寝る前に部屋を涼しくして消して寝る。それを何度か夫婦の寝室ではした。ちなみに、子ども部屋Sにはエアコン無し。^^;
 こんな、冷房生活に慣れてしまった息子は、気がつきゃエアコンのスイッチを入れるようになっていた。チリじゃ、エアコンを知らなかった彼なのに。

◎夏のサル被害
 ダンナの畑で毎日オクラの花が咲く。毎日4本から6本を収穫している。芙蓉のようなオクラの花は、それこそ「花の命は短くて」を表していて1日だけの命。
 オクラの他の夏野菜といえば、トウモロコシやトマト、キュウリ、ナス。
 トウモロコシは一つも収穫することなく、実はサルに献上し、人間様は茎と葉と根と雄花を堆肥山に運ぶしかなかった。トマトもすさまじかった。トマトの畝は完全にレストラン。どうも、朝食として行動ルートと思えた。キュウリはまだ生っていなかった。その前の長ネギも白い柔らかい部分をかじっていた。
 そんなであったが、それも7月までのことで、8月になったらやってきた形跡が無い。山に食べ物があるのか、暑くて下りてくるのが嫌なのか、、、。
 でも、安心はしておられない。実りの秋である。サルのとの攻防は続く。

機種変更

2007年09月02日 | 多くの人が理解できるだろう
 帰国してすぐ携帯電話を購入したわけだが、当然契約したのはダンナより早く帰国してて年齢20歳以上の私。さてこの日、以前から娘のご希望だった機種変更することになった。
 
 娘が変えるだけかと思いきや、ダンナも変えるんだそうだ。ほ~、そうですか。
 私もダンナに頼めば変えてもらえるんだろうけど、わたしゃその気がない。これを愛している、というか、このストラップホールを愛している。ホールというかストラップアーチと言っていい。たくさんストラップをぶら下げられる。娘が、今はストラップをジャラジャラぶら下げているのは流行らないと言っているが、私はジャラジャラさせていたい。その方が目立つではないか、家でどこにあるか探す場合に。^^;

 一緒に店内に入って、当然ダンナがこれこれのプランと説明してくれるものと思ったら、私がするんだそうだ。そんなこと私に分かるか。あの明細は分からん。
 日本でこんなに携帯電話というかメールが広まったのは、チリにいた間。どんな契約がいいのか、どれくらい使うかなんて分からない。適当だった。それに当時、契約した会社は丁寧でなかった。というより、携帯の知識がまるっきし無い客が来るとは思っても無かっただろう。
 成田で入国して伊丹へ行った。伊丹から、すぐ発車する京都行きの切符を買わなきゃならないのに、券売機の前でどうすりゃいいのか分からず固まってしまった。係りのおじさんが操作してくれた。そこまで日本システムを忘れてしまった私である。そんな私がすぐ携帯購入せねばならなかったから、プランを並べられても分かるはずも無い。

 とにかく、後はダンナに任せて最終的に私がサイン。これが、私にとってのなんともいえない優越感。払うのはダンナだが、契約したのは私。私がサインしないことには何もスタートしない。
 ダンナは役所の「すぐやる課」に勤務したほうがいいようなすぐやるタイプ。だから、彼が契約者だったら、こっちの知らない間にすべてが終わっていただろう。
 私はこの優越感に浸っている。

 ところで、ダンナがいまだにチリ常識で生きていることを発見した。機種を変えたら、その古い機種は返すものだと思っていた。小さい子がおもちゃとして本物の携帯電話を持っているのを知らないか。チリの常識、日本の非常識。 

夏をまとめて

2007年09月01日 | 多くの人が理解できるだろう
 暑い夏休みだった。そいでもって、やっぱり暑かった。結果、グーたらモード全開で更新無し。スペイン語講座を聴いても読んでもいない。どの日の何が起きた、思ったなんてわかんない。だから、適当にまとめての紹介。

◎cigarras
 暑さを助長するするのはセミの音。娘は大っ嫌いというより、頭が痛くなるらしい。これは、信じられないリスニング力を持つ彼女の耳に起因するのではないだろうか。耳がいいから不快な音に対して嫌悪を示すと私は思う。
 ここは、琵琶湖と田んぼと山が一緒になったようなところ。私の住所をご存知の方はグーグルマップにそれを入れて航空写真でご覧ください。熊が出てきても不思議がないところでしょ。当然、猿は日常的に出没しています。あっ、鹿もね。
 そんな森の多い地ですが、島根の里育ちの私にとって、そんなにセミがうるさく感じられない。緑に吸収されるのか、気にならない。逆に都市部へ出たとき、街路樹のセミがうるせ~~~~~~~。蝉取りして育った身に一番気に入らないのは、その木で鳴いているのにセミの姿を発見できないこと。抜け殻や死骸は見つけることはできる。木に近づくと鳴き止むのは森も街の街路樹も同じだが、ここではそれがどこにいるのか分からない。街では街路樹でも公園の木でも、鳴きやんだ後の鳴き主を見つけられる。ダンナの実家近くでうんじゃうんじゃいる木も見たことがる。密度が低いとも思われない。
 でも、うるさいセミがいる。それは別名「カナカナ」と呼ばれる「ヒグラシ」。8月に入ると聞かなくなるが、梅雨ぐらいから鳴き始める。ヒグラシって言うくらいだから、日が暮れてから鳴けよ!と怒鳴りたくなる。早ければ午後1時くらいから、いやそれより前から鳴き始めることもある。午後だけ鳴きゃ、それも許そう。でも、朝も暗いうちから鳴き始めやがる。日が長いときでもあり、そりゃ朝早くから起こされることになる。一日でこれほど長く鳴くセミもなかろう。

◎妹のメールより
 妹から私の同級生の訃報が伝えられた。昨年も同級生が亡くなっている。
 チリへ行く前、ダンナの両祖母が健在だった。その後、相次いで両祖母は亡くなった。それもあり、自分からみて亡くなるのは祖父母の年代と考えていた。ところが、チリの駐在員で親御さんが亡くなり、急に一時帰国する方が少なくなかった。ダンナのおばあちゃんは長生きだったんだ。そうか、親の年代が亡くなる時代なのか、と考えを修正した。
 今、同世代が亡くなる時代になったんだと、また考えを修正した、、、、、。

◎ナスカ展へ行って
 京都文化博物館で「ナスカ展」が開催されている。なぜか、どうしても行きたかった。一人で行った。
 出土品をじっくり訪問客は見ている。展示物をこれほどゆっくり私が見たことはなかった。ただ、みんなのスピードに合わせていただけた。
 感想、私はナスカの上空を飛んだ。ナスカの上空を飛ぶバーチャル映像の巨大スクリーン。ナスカどころかマチュピチュも行かなかった南米生活。でも、私は満足した。本当にスクリーン前で飛んだ。

◎Sarrasenia
 息子が興味を持ち、ホームセンターで買ってしまった食虫植物「サラセニア」。
 帰ったら息子の心は餌の捕獲。植物に餌もおかしいが、肥料じゃなく餌と言うべきだろうなぁ。その、捕獲に使われたのが、○○ジェット(高いが何本も空けた。今、回収されているこれ、開封していないスプレーどうしようか)。餌をやり過ぎとちゃうか。過食で腐ったらどうするんだ。
 ところで、これは常に湿った状態にしておくんだそうだ。確かに、食虫植物って閉め立ったところのイメージがある。驚きはその生長。ちいちゃな芽が出ていて、だんだんと大きくなるんだろうなと思っていたら、芽の期間がすごく長く、気づけば一日で長く伸びている。何か、いい気持ちはしない生長である。
 興味はあるが、心から愛せない食虫植物。これからどう付き合っていこう。

 「夏をまとめて」続く、、、、、(かな)。