公民の勉強をしている息子から、「なぜ日本国憲法の制定は、大日本国憲法の廃止ではなく改正という形をとったのか」という質問を受けた。
まず廃止と改正の違い(連続性の有無)の説明をしたところ、それは分かる、でも天皇主権から国民主権へという大きな変更をするなら連続性をぶった切って廃止・制定でよかったじゃないかという。
それはそのとおりで、憲法の学説でも憲法制定権力の変更は憲法改正の限界を超えるというのが通説のはずだ。
本来廃止・制定とすべきだったのに改正という形をとったことについては、ポツダム宣言受諾により天皇主権から国民主権へという「革命」があり、実質的にはすでに旧憲法の考え方が変更されていた、だから旧憲法の文言をそれに沿った形に変更することは憲法改正の限界を超えないのだ、というような説明が学者によって考え出され、わりと広く受け入れられてきた。
しかし、これはあくまで後付けの説明である。
息子の疑問は、新憲法を作る時点で、廃止・制定という選択肢もあったはずなのになぜあえて改正という手法を選んだのか、ということなのだ。
なんだっけか。芦部の憲法を見てみる。
「七十三条による改正という手続をとることによって明治憲法との間に形式的な継続性をもたせることは、実際上は便宜で適当であった。」とある。
さらりと「便宜で適当」と。
つまりこういうことかな。
もし旧憲法を廃止するとなると、その下で制定されていた法律も廃止となるのが筋だ(法律を廃止するとその下位法令もすべて廃止となるのと同じ理屈)。
そうなるとすべての法律を一から制定し直さなければならない。それは大変な作業だ。
天皇主権や軍国主義とはまったく関係ない内容で、新憲法の下でも使っても問題ないような内容の法律は、なるべくそのまま生かしたい。
そこで、そのような法律を面倒な手続なしに生き延びさせるためには、旧憲法との連続性があるという建前をとる「改正」という形式が便利だった。
こういう理解でいいのかわからないがとりあえず説明してみよう。
その時点の現実的な事情と後付けの説明には距離がある。それは、後付けの場合だけでなく同時にされる説明でも同じだ。ある行為を正当化する説明は、常に現実とは微妙に距離がある。
現実がどんどん進行し、説明もどんどん上書きされていくような場合は、その距離を正解に把握し続けるのはなかなか難しい。
憲法9条の解釈論とPKOや多国籍軍への自衛隊の海外派遣についての議論の経緯をたどっていて、特にそれを感じているところです。
まず廃止と改正の違い(連続性の有無)の説明をしたところ、それは分かる、でも天皇主権から国民主権へという大きな変更をするなら連続性をぶった切って廃止・制定でよかったじゃないかという。
それはそのとおりで、憲法の学説でも憲法制定権力の変更は憲法改正の限界を超えるというのが通説のはずだ。
本来廃止・制定とすべきだったのに改正という形をとったことについては、ポツダム宣言受諾により天皇主権から国民主権へという「革命」があり、実質的にはすでに旧憲法の考え方が変更されていた、だから旧憲法の文言をそれに沿った形に変更することは憲法改正の限界を超えないのだ、というような説明が学者によって考え出され、わりと広く受け入れられてきた。
しかし、これはあくまで後付けの説明である。
息子の疑問は、新憲法を作る時点で、廃止・制定という選択肢もあったはずなのになぜあえて改正という手法を選んだのか、ということなのだ。
なんだっけか。芦部の憲法を見てみる。
「七十三条による改正という手続をとることによって明治憲法との間に形式的な継続性をもたせることは、実際上は便宜で適当であった。」とある。
さらりと「便宜で適当」と。
つまりこういうことかな。
もし旧憲法を廃止するとなると、その下で制定されていた法律も廃止となるのが筋だ(法律を廃止するとその下位法令もすべて廃止となるのと同じ理屈)。
そうなるとすべての法律を一から制定し直さなければならない。それは大変な作業だ。
天皇主権や軍国主義とはまったく関係ない内容で、新憲法の下でも使っても問題ないような内容の法律は、なるべくそのまま生かしたい。
そこで、そのような法律を面倒な手続なしに生き延びさせるためには、旧憲法との連続性があるという建前をとる「改正」という形式が便利だった。
こういう理解でいいのかわからないがとりあえず説明してみよう。
その時点の現実的な事情と後付けの説明には距離がある。それは、後付けの場合だけでなく同時にされる説明でも同じだ。ある行為を正当化する説明は、常に現実とは微妙に距離がある。
現実がどんどん進行し、説明もどんどん上書きされていくような場合は、その距離を正解に把握し続けるのはなかなか難しい。
憲法9条の解釈論とPKOや多国籍軍への自衛隊の海外派遣についての議論の経緯をたどっていて、特にそれを感じているところです。