かぺるん日記

とりあえず。。

内田樹のフェミニズム論

2008-08-31 01:28:27 | Weblog
内田樹の本やブログはときどき読んでいて、
いやー面白いな、すごいな、と思っていたんだけど、
ひとつのテーマをまとまった形で論じたなものは読んでいなくて、
今回数冊まとめて買ってみた。

ユダヤ論、レヴィナス論はあとに回して、
フェミニズム論である「女は何を欲望するか」の文庫版をまず読んでみている。
とてもおもしろい。
フェミニズムの目指したもの、落ちてしまった穴を丁寧にたどり、
そこから何を承継すべきかを伝えようとしている。
こういう作業は今まであまりされていなかったんじゃないのかな。

まだ最後まで読んでいないのだけれど、
ボーボワールが、すでにフェミニズムの根本的な問題を意識して迷いを抱えていたということを初めて知った。フェミニズムは女性への社会的なリソースの公平な配分を求めるという形で展開する以上、リソースの配分をめぐる自由競争を前提としており、そうであれば、フェミニズムが進展すればするほど競争社会の激化を生む結果になる。長期的な戦略としては競争社会を変革するべきなのだけれど、その短期的戦略としてまずはフェミニズムを進めるしかない、というのが彼女の考え方だったらしい。でも、その戦略はうまくいかなかった。

また、中盤の表現論の部分を読むと、内田氏の言いたいことは、
「フェミニストが見出した「表現の主体と実態との乖離感覚」という問題は、実は女性だけの問題だけでなく男性も含めたすべての人間のかかえる問題なんですよ。
その問題を表出させてくれたこと自体はすばらしいことなのに、それは女性だけの問題だと言い張ることがまちがっていたんです。」という感じかな。

「女性だけの問題ではない」という男性側からの主張は従来からもあって、それはたとえば男性も含めてワーク・ライフ・バランスをというような流れになってきているかなとは思うけれども、そのような「女性の抱える問題の主流化」というようなことをもっといろんなレベルでやったほうがいいということなんだろうか。

近著の中で彼はこれからの日本の進むべき道は「フェミニンな共産主義」というようなことも言っている。
共産主義もフェミニズムも過去のものとなりつつある中で、そのエッセンスを再抽出して活かしてみましょうという提案をしているのですね。
これからもこの人の本は読んでいこうと思います。


苦虫女

2008-08-31 00:49:53 | Weblog
2日間で3本の映画を見た。
「Sex and the City」と「この自由な世界で」と「百万円と苦虫女」

「Sex and the City」は、TVシリーズを楽しんでいたから、ま、予想どおりワクワクと楽しめました。
しかし、ビッグはまたそのうち同じようなことをやらかすと思うなー。
キャリーとビッグのようなカップルは、ああやって時々裏切ったり傷つけあったりして派手に壊れては修復することで情熱を維持するというタイプなんでしょうね。
そういう人たちがいるのはわかるし、自分自身若いときにはそういう時期もあったが、続けるのは疲弊しますよ。

「この自由な世界で」は、なんといってもケン・ローチ監督だから、これまた予想どおりとてもよかった。
社会の上層部、中層部の人々に食い物にされ、使い捨てられている下層部の人々が生き延びていくためには、より下層の人々(移民、さらに不法移民)を食い物にするしかない。
それでも、相手が抽象的な存在であるうちは平気で食い物にできたのが、ひとたび個人的な縁を結べばそうはいかなくなる。
それだって、細いはかない縁ではあるんだけれど、でもそういう縁とそこから広がる想像力を信じていくしかないということかな。
主演の女優さんがとってもよかった。

「百万円と苦虫女」は、蒼井優ファンの娘に付き合って行ったんだけれど、
実は一番心に残ったのがこれだった。
蒼井優はすごい女優さんだなー。だんぜんTVより映画が合ってる、大画面でじっくり表情や芝居を堪能すべき女優さんだと思う。
ほかの俳優さんもみんなよかったし、何よりこんな作品を作った監督さんがすばらしい。
若い人たちの「自分探し」はほんとの自分を探すためじゃなくほんとの自分から逃げるためにしてるんだってことを、若者に対してさとすのではなく、若者を見ている人たちの側に伝えようとしている映画だと思った。
ラストもにくいなぁ。
ふつうなら誤解したまま別れさせたりしないで、ギリギリで男の子が女の子に追いついて「実は…」「えっそうだったの…」ハグハグ。とするではないですか。
なのにそうしない。
「彼は私のお金が目当てだったんだ」という誤解が解けないままでも、そのことが今の彼女を致命的に傷つけたりはしないのだ、ということですよね。
その一方で、過去に関わり合った人で、こちらとしてはきらわれたとか迷惑をかけたとか、何かしら「うまくいかなかった」感を持っている人でも、実は向こうにとってこちらは心に残る存在だったのかもしれないよ、ということも言っているわけで(恋をした彼だけでなく、海の家の軽い兄ちゃんも、桃農家の無骨な兄さんも)、どちらにしてもとてもいい応援歌なのだ。

姉と弟がそれぞれ自分のぶざまな姿を見せることで道しるべを与えあう関係もすばらしく、本当にいい映画でした。

アンガマー

2008-08-16 15:45:01 | Weblog
一年ぶりの西表。

中沢新一の「精霊の王」でも紹介されていたアンガマー(お盆の行事)を初めて見ることができてうれしかった。

「先祖の霊を迎える」というお盆の意味自体は、私の経験してきているものと共通なのだけれども、その実態がかなり違って驚いた。

「ご先祖さま」といえば、はるか上方から我々を見下ろす立派な人々であって、それをうやうやしくお迎えするーというのが「お盆」についての一般的なイメージなんじゃないかと思うんだけれども、アンガマーに登場するご先祖さま(の役を演ずる人々)は、手ぬぐいなどで顔を隠して裏声で「ホゥ~ホゥ~」などと声を出しながら踊りまくり、ひょうきんというか薄気味悪いというか、何となく流れ者の芸人のような風情なのだ。

ご先祖の霊の役割の人々とそれに呼びかけるための歌と踊りを奉ずる役割の人々の一行が、集落の家々を訪問し、一軒について1時間以上かけて歌ったり踊ったりして、最終的には明け方までかかる行事なのだという。

一行を待つおうちの方にあなた方も一緒に踊るんですかとたずねたところ、「そうさぁ、ご先祖様と一緒に踊るのさぁ」ということ。
実際に拝見したところ、各家の方々が老いも若きもとても上手に踊るので、びっくりしてしまった。
ご先祖の霊は基本的には家の外で踊り、家の中に上がってくることはないのだけれども、おうちの人の踊りが盛り上がるとふらっと入ってきて一緒に踊っていたりもした。

歌と踊りを執り行う人々の中に、太鼓をたたき続ける若い衆が何人かいて、途中で踊りも披露したのだけれど、そのバチさばきや手脚の動きが美しく官能的で、ほれぼれしてしまった。
昔中学生の頃、能登半島で初めて御陣乗太鼓(ごじんじょだいこ)の実演を見て、同じように若い男性のバチさばきや身ごなしにがつーんとやられてしまったときのことを思い出した。
生まれて初めて自分にとっての「官能」とか「色っぽい」とか「セクシー」とかいうものを実感した瞬間だった。
妹にとってもまったく同じだったようで、終演後ふたりで演者のサインをもらいに夢中で楽屋に走っていったっけ。

ひょっとして、今中学生の長女も同じような感覚をもったのではと思ってちょっと振ってみたところ、案の定そうだったようだ。
やっぱりねーやっぱりねー。面白いもんだ。

小さい子連れで、自分自身も連れ合いも相当疲れており、12時頃にはおいとましたので、ほんの一部を見せていただいただけだったけれども、それでもとても楽しかった。

次の機会には、ちゃんと昼寝して体調を整えたうえで、私も乱入させてもらい、ご先祖の霊たちと一緒に夢うつつの中で踊り続けたいです。

じたばた

2008-08-07 23:12:16 | Weblog
じたばたしているこどもを
しかってみたり、あきれてみせたりするのだけど

ほんとうは

じたばたしてるのが愛しいなとか、
私もどうしたらいいのかわからなくて困ったなとか、
思っているのだ

そうなんだよ