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あした天気になあれ

太陽の輝く日も、雨降るときも、つれづれなるままに。          

久しぶり…ブログとFBで思うこと

2015-07-08 03:04:55 | 考えること
なんだかふと思い立って、すごく久しぶりにこのブログにアクセスしました。自分でもほとんど存在を忘れているくらいに久しぶりに。日々のできごととか、その中で思うこととか、何かに書きたいなと思うことももちろんあるのですが、何となくブログという形ではしばらく遠ざかってました。

世間や周りの人たちから、それこそ15周回遅れくらいで、1ヶ月ほど前にFacebookを始めてみました(アカウント自体は持ってはいたものの、全く何もしてなかった…)。数ヵ月前に、社会人になって初めて働いた職場の方々(上司・先輩・後輩)との懐かしい会が十数年ぶりにFacebookをきっかけに実現して、こういう繋がりはとてもいいなと思ったので。実際、始めてから久しぶりの、遠くに住む友人とも繋がることができたのはとてもよかった。

でも、まだFB上での発信は正直なかなか慣れないな。ブログと同じようにFBも日記として使えると思うのだけど、あまりに身近な方たちが「友達」であるからこそ、発信するときになんか意識してしまって(笑)。自分のことや、考えていることを知ってもらうのはいいと思うし、時にそうしたいとも思うけど、FBでばーんと発信するのは、ちょっとまだ…慣れてないかな。自分の思うことなどを書くときにはブログの方が書きやすく、自分に合ってるのかも。で、自分の周りの心許す人たちに、それをひっそり(こっそり?)読んでもらう…それの方が合ってるのかもしれないな、という感じが今はしています。(ブログの方が不特定多数の方の目に触れるので、内容も気を付けなきゃいけないのだけどね)

要は、SNSもいろんな種類も特徴もあるので、使い分けるっていうことですね。…ということで、これまで全然アクセスしてなかったブログを急に書きたくなってしまったのでした。昔は友人たちにも読んでもらっていたけど、さすがにこれだけ間が空いたのでもう止めたと思ってるでしょう(苦笑)。この先も実際どのくらいまた書くかわからないけど、FBを始めたからこそのこうしてブログ、不定期ながらまた再開するかもしれません。

…ということで、独り言でした。今日はなんだか眠りにつけなくてこの時間ですが、さすがに少し寝ようかな…

『仕事ハッケン伝』

2012-09-08 00:53:46 | 考えること
NHKの『仕事ハッケン伝』という番組が好きです。主に俳優やタレント、芸人さんたちが、やってみたかった、または興味のある仕事をする会社に、1週間"入社"して、社員として実際のプロジェクトに参加したり、様々なミッションに取り組んでいく番組。タレント扱い一切なしで、かなり厳しい。端からその仕事を見ているだけではわからない厳しさを実感したり、自分の甘さやできないことへの不甲斐なさを感じて時に涙しながら、考えて考えて取り組んでいく。そして1週間後、お別れの時には、入社した方も、受け入れた方も、たいてい涙、涙。

私がこの番組を見るのがとても好きなのは、この番組を通じていろんな業界の仕事の裏側を少し知ることができるのと、あとタレントさんたちが初めての仕事に奮闘するなかから、彼らがあらためて自分自身の内面を発見して(突きつけられて…という場合もある)、それに向き合ってるのがわかるから。それまで敢えて直視するのを避けてきた分や自分の弱い部分…に向き合うことになるので、見ていてももきっときついだろうな…と思ったりする。でもやり遂げた後、それこそ最後に何かを"ハッケン"したような清々しい表情がとても印象的です。

全く自分ひとりだけで行っている場合は違うかもしれないけれど、少なくとも会社で働いているということは、ある意味自分の与えられた役を演じる役者のようなもの。それぞれの役者がきちんと自分の役を演じて初めて芝居になる…でも、そこに役者自身の個性や素の部分も入って、その両方が必要なんだろうなと思う。まぁ、時には「この演出の意図はなんだ?」と思ったりすることもありますが…。

これまでの『仕事ハッケン伝』の中で印象に残ってるのは、昨年のシリーズになるけど、狩野英孝のキッザニアでの仕事。ピース又吉のローソンでの仕事ぶりにはへぇーという新たな魅力を感じました。私が別のことをやれる機会があったら、何をやってみたいかな…インテリア関係もそうだけど、文化面担当の新聞記者、旅行添乗員、職人としての食器の絵付け…。プロになるのはどれも厳しそうだ。そう考えると、どの道もプロってほんとにすごい。これからもこの番組が長く続くといいなと思います。

私にもできること

2009-01-18 09:52:05 | 考えること

昨年入院したときに、主治医の先生や病棟の看護師さんにお世話になってから、今度は何か自分にもできることはないかな、とずっと思ってました。おかげさまで術後の経過もよく、今回経過観察期間も終わったことから、今度は例えわずかでも何かお役に立てることはないかなと思って、年明けからボランティアをすることにしました。そもそもそう思ったときの気持ちを忘れないように、とできれば病院でのボランティアやりたいと思ってネットで探してみると、今はどこの病院でもボランティアを募集しているんですね。看護師さんや病院の職員不足の今、人手が足りないんでしょうね。看護師さんたちはただでさえ専門的な業務で手一杯ですから。今回、始めるならまずは自分がお世話になった病院で、と思って、自分が入院・通院した病院でやらせてもらおうと年末に話を聞きに行き、年明けからスタートすることにしたのです(これも今年の数ある目標のひとつだったし・・)。先週は体調を崩して初日から休んでしまったので、昨日が第1日目でした。 

私は外来の受付サポートということで、その日に外来を受診する患者さんたちの受付の案内のお手伝いをします。この病院が全く初めてという患者さん以外は、受付に並んでいる「再来受付機」という機械を通してから各診療科へ行くのですが、やっぱり年配の方は機械に慣れていない方もたくさんなので、その操作を教えたり、もちろん今日が全く初めてという方々もいるので、そういう方にはカルテを作成するのに用紙に記入してもらったり、あとは〇〇科はどう行くんですかとか、診察券忘れちゃったんですけど・・とか、診察とかじゃなくて〇〇先生に会いに来たのですがという上品なご年配の紳士や、ここらへんで銀行はどこにありますか、などという病院外の質問まで(わからないよ)。私は自分が通院していたので、基本的な仕組みはちょっとはわかってるのでそれでもまだある程度は対応できたけれど、エプロンをつけて名札をつけてることもあり、そこに立ったとたんものすごい勢いで次から次へと聞かれて、あらら・・という感じでした。もちろんわからないこともたくさんあるので、側にいる職員の方に聞きながら、だけど(でも、彼らも彼らで本当に忙しそうなんだよね・・。ほんとに患者さんはたくさんで)。 

名前も知らない、もう二度と話したりすることもないかもしれない方々に、挨拶したり、せいぜいちょっと操作を手伝ったりするくらいだけど、それでも人と関わったり話したりするのはとても楽しいし、ほんの2時間程度だけど、普段の生活や仕事とは全く違うところで、自分が少しでも役に立てるのであればすごく嬉しいなぁと思ってます。できる範囲で、ということなので無理ない範囲で。 

やってみると、自分がかかっていた診療科以外のことは、その場所などもよく知らないことがわかったので、終わってから病院の中をぐるっと歩いてみました。MRI検査室はどこですか?と聞かれてわからなかったので、あとから地下にあるMRI室の場所も確かめてみたのですが、この病院、外来棟は新しくされたばかりでとってもきれいなのですが、検査室や病棟がある旧棟はけっこう古くて、特にMRI室のある地下階は配管むき出しの廊下や薄暗い蛍光灯で、なんとなく不気味な雰囲気。。。MRIは別として、基本的に患者さんの立ち入るフロアではないからかもしれないけど、そこに調剤なんとか室とか製剤なんとか事務室・・とかが入っていて、窓もないこの雰囲気の中で働くのは元気がないときにはちょっと気分が落ちそう・・な感じ?(ドラマ『ショムニ』のオフィスを思い出す感じかも・・)。でも、工事もやってる感じだったから、もしかしたらそこもこれから新しくなるのかな。 

外来受付サポートの他に、病棟で配膳や患者さんの買い物などをお手伝いするというのもあって、はじめはそちらもやってみたいかなと思ったけど、初日やってみてしばらくはこのまま外来の方をやってみようと思ってます。いつまで続けられるかはわからないけど、次回は今回よりもっと答えられるようになって、喜びをもって、少しずつ続けられればいいな・・と思っています。 


生きる

2009-01-11 23:55:16 | 考えること

今日見た『ママは生きる!がん余命宣告6ヶ月~1歳7か月息子&母の闘病全記録』のドキュメンタリーは、心に感じるものでした。札幌市に住む元看護師で一児の母、29歳の鎌田茜さん。末期がんで余命宣告を受けてもなお、前向きに輝き続けながら生きている女性です。 

茜さんは看護師だった22歳の頃悪性リンパ腫を患い、それを乗り越えて職場復帰し、そして同郷の同級生と結婚、しかし妊娠中に悪性肉腫(顎下腺癌肉腫)が発覚し、その間の治療はせず自分の命をかけて出産を選び、その数日後に自身の癌の手術・・そして放射線治療。でも、その約1年後の2007年12月に肺に転移が見つかり、余命3ヶ月から6ヶ月の宣告を受けてしまう。それからは、輝いている自分の姿をわが子に少しでも見せようと、1日1日を大切にこの一瞬に命を輝かせながら生きている・・・。きっとこれまで絶望を感じたことも一度や二度じゃなかったはず。でも、わが子や周りの人を見つめる目の、なんと深い優しいことか。あたりまえの、何てことない毎日を普通に過ごせることがどんなにありがたいことなのか、そして、なんとしても生きたい、と思う気持ちがどんなに人にその力を与えるのか、あらためて思いました。 

以前見た妻夫木くん主演のドラマ『ブラックジャックによろしく』の中で、患者役の薬師丸ひろ子さんの一言が今でも心に残っています。「人は絶望を感じたとき、周りの世界が真っ暗に見えるのだと思ってた。でも、そうじゃないのね。これまでの世界が今までよりずっとまぶしく見えるものなのね」--- たぶん、きっとそうなのだろうと思います。自分の命がもし限られたものだとわかったら、私はたぶん今と同じ毎日を過ごしたいと思うんだろうな・・。その日にあったことをおしゃべりしたり、料理をつくったり、ご飯を食べたり、まちを歩いたり、時に「なんなのこれは!」と思う仕事ですら、きっと愚痴を言いつつ働いていることを嬉しく感じているに違いない。 

普段はそんなことも忘れて、当たり前に、無駄に過ごしてしまっているけれど、そんな当たり前の瞬間も、ほんとはとてもまぶしい一瞬なんだ・・ということを、こうしてときどき思い出しながら毎日過ごしていきたいなと改めて思いました。


まもなく・・裁判員制度

2008-12-07 09:43:18 | 考えること

来年5月から裁判員制度がスタートしますね。先週末くらいにはまず裁判員候補となる人に対し、裁判所から通知が送られたとのこと。私はもちろん受け取ってないし、今のところ周りの人にも通知が来た、という人はいないですけれど。今の会社でも従業員規則が改正され、裁判員としての活動のための特別休暇が取り入れられました。国の制度ですからね。近々裁判所からも人を呼んで説明会などを行うそうです。何年も前にこの制度が決定されたことを聞いた気がするけど、そのときには2009年なんて遠い将来だったからあんまり話題にならなかったように思うけれど、気がつけばもう半年後。ここのところそのニュースも多く耳にします。 

この制度、人によって考え方は様々だと思うけれど、私は個人的には基本的に反対。・・というか、何を実現させるために今の制度からこれほどがらりと変えるのか、というところがいまひとつまだよくわからないというのが正直なところ。一般市民が司法や裁判を身近に考える機会が増える・・というのも導入理由のひとつかもしれないけれど、それならば当事者の被告や被害者のための制度改革というより、それ以外の一般の人々のための改革として作られたものなのかな・・?加害者・被害者当事者側にとっては、この制度導入でどのようなメリットがあるようになるんだろう・・? 

昨日もTVで一般の人たちが参加して、反対・賛成のそれぞれの意見で大討論会をやっていたけど、どちらの意見であったとしても、こういうところに参加する人というのはそれだけでもともと意識の高い人たちな訳で、最後に桂文珍さんも言ってたけど、一般庶民というのはたぶんもっと素直でお人好し(言葉が浮かばないけど・・)と思うので、多分に感情に流されてしまうことが多いような気がする。そこで有罪かどうかの判断、だけでなく、その量刑までも決定させるなんて本当にできるんだろうか?いろいろ考えさせられますね。このように今まで考える機会がなかったことを考えるきっかけとなったことは間違いないと思うけれど、この段階での実際の制度導入・・というのはやっぱりちょっとまだどうなのかな、という感じです。そうはいっても、明日にも通知が来るかもしれないんですよね。もし来たら、悩みながらも参加すると思うけれど。


Mさんへ

2008-04-27 10:40:04 | 考えること

あなたと初めて会ったのは8年半ほど前の冬の日でしたね。ロンドンからルクセンブルグへ着いて、まだ右も左もわからない私に、同じ会社の、同じように現地採用で働く先輩として、すぐに声をかけていただいたんですよね。家が決まるまでの間、お家に泊めていただいて、おいしいご飯を作ってくださいましたね。あなたは本当にお料理が上手で、和風のロールキャベツや、シンプルなトマトソースのパスタは、それからもリクエストして作っていただいたりしました。 

結局、私はあなたのアパートから歩いて1分もかからないところに、自分もアパートを借りたので、それからもちょくちょくお邪魔しましたよね。車がないと、なかなか行動範囲が限られてしまうルクセンブルグで、私は車を運転してなかったので、何かの時にはいつも車で送っていただいたりしてましたね。面倒見のよいあなたは、いつも快く声をかけてくださって、私はその言葉にいつも甘えさせてもらってました。お料理が上手だから、ちょくちょくお家でお食事会など開いてくださり、私はそこで新しい友達をつくることができました。 

東京で働くようには残業もなく、また夏には夜10時近くまで明るいヨーロッパでは、仕事から帰ったあと、着替えてからあらためてお出かけすることもごくごく普通で、映画を見たり、ご飯を食べに行くことはもちろん、ひんやりとした空気の森の中をウォーキングに行ったりしたこと、ありましたね。それから、ルクセンブルグ市内から少し離れた古城の中庭でマクベスの劇の公演に行ったときには、ふたりで一番前の席でかぶりついて観ましたね。クリスマスの時には、他の同僚達とドイツまでクリスマスマーケットを見に行ったりしましたよね。 

2年間ルクセンブルグで過ごして、私が日本に帰ることを決めたときには、やっぱりたくさんの友人を招いてお食事会を開いてくださいました。日本に帰る前に、少しだけロンドンに寄ろうと、飛行機ではなく電車でルクセンブルグから離れた最後の日には、駅まで見送りに来てくださいました。 

3年前のちょうど今ごろ、私は仕事でルクセンブルグへ行きました。短い期間で、自由な時間もそれほどなかったのですが、到着したその日に、わざわざ滞在しているホテルまで訪ねてきてくれたのですよね。当時、3年ぶりのルクセンブルグだったのですが、懐かしい思い出話をいろいろしたことを覚えています。

先日、ルクセンブルグの友人から、そんなあなたが、病気の治療のために日本に帰国して、しばらくは通院治療されているということだったのですが、今は入院しているということを聞き、連絡先を聞いてメールを送らせていただいたところ、「変化のない毎日で退屈してます」とのことだったので、今週末にもお見舞いに行く予定にしていました。何を持っていこうかなと考えていました。それなのに、週末を待たずに、この間の水曜日、あなたは突然星になってしまいました。何をおいても、なんでもっと早く行ってあげなかったのだろうと、今私は本当に後悔しています。逆の立場だったら、あなたはきっとすぐに来てくれただろうと、それがわかるから、私はほんとに申し訳ない気持ちでいっぱいです。ほんとうにほんとうにごめんなさい。

この悲しいニュースを受けてから今日まで、あらためていろんなことを思い出しました。近くでご一緒させていただいたのがほんの2年間の私でも、こんなにも思い出があるので、きっと周りの方の心にも、数え切れないほどの思い出を残していることでしょう。89年にルクセンブルグに渡られてから約20年。あなたの人生は、やっぱりルクセンブルグにあったのですね。ルクセンブルグのあの家に帰りたかったですか。去年あなたとお会いする機会があった方が言っていました。あなたは「この病気(症状)の場合、5年生存率は5%から10%なんですよね」と淡々と話していたと。あまり人に弱みを見せないあなたが、どんな不安な気持ちで11日を過ごしていたのだろうと思うと、胸が締め付けられるような思いです。

金曜日のお通夜、昨日のご葬儀と、穏やかに旅立てるようにとお祈りさせていただきました。写真のあなたはとってもいい顔で、懐かしいあなたの顔でした。これからはどうぞゆっくり天国で休んでくださいね。そして、私や、ルクセンブルグの仲間や、あなたの周りのすべての方を、これからもどうぞ見守っていてください。

Mihokoさん--- 今まで本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします。


4月から

2008-04-20 23:52:52 | 考えること
またまたお久しぶり・・です。この1ヶ月の間に、桜が咲いて散り、すっかり春の気持ちのよい季節になりました。最近は雨が続いて、なんとなくすっきりしませんが・・。ブログもほんとはもっと頻繁に更新したいなぁとは思ってたのですが、なかなかその時間もとれなかったまま・・特に一旦とまってしまうと、よけいにさらりと書けなくなっちゃったり。まあこれからも気の向くままにつづっていきたいと思います。

さてさて、私はこの4月から仕事が変わりました。というか、実は元の仕事に戻ったという感じ。昨年、一大決心をして、新しい業界に飛び込んでみて、短いながらもいろいろなことを経験したり、感じたりしながら、同時にうーんと悩んだり、考えたりして、最終的にこう決心したというわけです。チャレンジしてみた仕事は、もちろん初めてのことばかりで、一緒の仕事に関わる人たちはもちろん、お客様も、言葉も(これまた難しい・・)、そして会社のカルチャーもそれまで私が慣れ親しんでいたものとは全く違って、とまどいと、驚きと、でも新鮮な思いもたくさんでした。ただ、なんというか自分自身が追い込まれて(追い詰められて?)しまうような感じがどんどん大きくなってしまって、なんというかそのときは笑顔もこわばっていくような感じになってしまって、いろいろ考えて結局こういう結論を出しました。ほんとは、本質的には、もっともっと奥深いものだと思うし、興味深く楽しいものなのだと思うので、その業界の中での別の道、という可能性もあったのかもしれないけれど、それも含めて考えた結果です。

でも、やりたかったことを実際やってみて、そこでやってみて初めてわかったこともたくさんあったし、やっぱり短い期間でも、学校の勉強よりはるかに具体的にいろんなことを学んだような気がします。外回りもがんがん行って、ずいぶん度胸もつきました(笑)。おまけに担当していた目黒区近辺は毎日街を歩いて、細かな通りまでとっても詳しくなったし。今の季節はあの通りもお花が綺麗だろうな。いろいろ思うことはあったけど、今から思えばいい経験だったと思います。担当していたお客様から、残念ですと最後に言っていただけて(涙が出そうだった・・)。なので、やってみたことに全く悔いはありません。ま、始めたときはこんなに早く戻ってくるとはさすがに思ってなかったので、ちょっと挫折感・・というか、ほんとかっこ悪いなぁ~というのはさすがにありますけれど。

その後のこと、私が仕事で貢献できることは何か?と思ったときに、やっぱりこれまでやっていたことに近い仕事かなぁと考えて、あらためていろいろ探していたのですが、ありがたいお話をいただいたこともあり、4月から元の会社に戻ったという次第です(これまた最後の最後までけっこう悩んだり考えたりしたんですけどね)。

この期間にオフィスが移転したこともあって、私にとってはとても新鮮な感じ。すでに「はじめまして」とご挨拶する方もけっこうたくさんいたけれど、それもまた新鮮。少しだったけど離れてみてまた新たな気持ちにもなったし、今はけっこう吹っ切れて、ちょっと元気になった感じ。どこにいても、いろいろ考えながら進んでいくのだと思うし、これからどう思うかはわからないけれど、これからも明るく悩んだり考えたりしながら、毎日を過ごしていきたいと思います。

これからの灯り

2007-08-03 21:01:38 | 考えること

照明器具などを手がける家電メーカーが、白熱電球から電球型蛍光灯への転換を進めているという記事が出ていました。電球型蛍光灯の消費電力は、白熱電球の5分の1以下、寿命は約10倍など地球温暖化の原因とされるCO2の排出削減につながるからだそう。東京都も6月に、家庭からの「白熱電球一掃作戦」と打ち出して、国や自治体による取り組みも始まったとのこと。先日も、オーストラリアで白熱電球使用を2010年までに(もうまもなくですね)減らしていくという記事を見たばかり。世界全体でこの問題が考えられています。

確かに蛍光灯は白熱電球のように熱も発せず、同じ明るさを得るのに必要なワット数(電力)は白熱電球の何分の一。家庭も企業も、地球に優しいということを考えなければいけないこの時代、無駄な消費電力はもちろんできるだけ減らしていかなければならないし、今回の記事にもありましたが地域のお祭りに使われる提灯などを、電球型蛍光灯に切り替えたりするのは賛成!これだけでもずいぶん違うと思います。家庭でも、使わないときはこまめに照明を消したり、省エネを心がけることはとっても大切なことと思います。 

でも・・。日本ではこれまで圧倒的に蛍光灯が普及して、海外と比べて煌々と明るい平面的な光の中で過ごしてきて、ようやくこれから暮らしを豊かにするためのあかり、ということが少しずつ考えられていくようになるのでは・・?と思っているので、温かみがあり、陰影のできる白熱電球はやっぱりインテリアには・・というか、豊かな暮らしということを考えるときには必要なのではないかなと思っています。だから、もちろんエコやエネルギー削減ということを一番に考えて、その上で、やみくもに白熱電球禁止というだけでなく、白熱電球と蛍光灯(もしくは電球型蛍光灯)を使い分けて、エコで、かつ光による美しい暮らし、を実現できるようになればいいな・・と思います。電球型蛍光灯はオレンジの光で、いわゆる白い光の蛍光灯とは違いますが、白熱電球のような影をつくったり、モノをきらきら見せたり、質感を表現したりするのは、やっぱりちょっと難しいと思うから。 

そのために、今はやはり部屋全体を明るく、というのがまだまだ普通と思うのですが(たとえ電球色の蛍光灯でも)、これからは必要なところに必要なあかりだけをつける、それ以外は部屋の中に暗くなる部分ができることをおそれない!、という意識の改革が必要になってくるのではないかな。くつろぐときは、弱くやわらかなあかりで、食事をするとき、本を読むとき、そんなときは必要なあかりをその都度足していく。終わったら、こまめに消す。白熱電球は調光機能がついているものも多くて、ほんのわずか弱めただけでも、かかる電力を大幅に減らすことができるのだそう。電気代だって違ってくる。でも、これを一般に広めていくのは、やっぱりなかなか難しいのかな・・?そして、それでもやはりこれからは電球型蛍光灯へ転換していかなければならないのかな・・? 

地球への優しさと豊かな暮らし。その両方を満たすには・・?その提案とは・・?さまざまなところで考えていかなければならないことなのだなぁ・・と改めて思いました。


お年賀状のお礼、あらためて

2007-01-11 00:50:24 | 考えること

昔の懐かしい友人から今年も年賀状をいただいた。その人と初めて会ったのは、私が短大を卒業した新入社員のとき。私が当時勤めていた会社とは全然業界も違ったし、当時20歳少し過ぎたばかりの私にとって7才年上というのは社会人としても大先輩、考え方も何もすごく新鮮だった。メールも携帯も一般的ではない時代、夜中に家の電話で長電話をし、手紙もよく書いた。まだまだ自分が何をやりたいのかわからず、自信もなかったなか、厳しいこともけっこうバシって言われてすごく悔しかったし、負けるもんかっていつも思っていた。今思うと、あまりに負けるもんかの思いが強くなりすぎて、ちょっと背伸びしすぎてたところもあったのかも。誰かと一緒にいるということは、別にいつもいつも前向きでいなくてもいいし、張り合うほど負けるもんかなんて思わなくてもいいもの。そんなことを、それから年を重ねてわかるようになった。今から振り返ると、ほんと若かったんだなーと思う。

でも、私がそのあと働きながら夜学の大学に編入しようと思ったのも、その後にイギリスに行くことを決めたのも、たぶんこのときの"負けるもんか"の思いの遠い延長線上にあったような気がする。そして私は更にいろんな人と出会うことができ、たくさんの経験をすることができた。そういう意味で、すごく影響を受けた人だったんだなとあらためて思う。ひとつひとつのいろんな出会いの中で、刺激を受けたりたくさんのことを感じながらここにいるんだな・・と。

今年もたくさんの方から年賀状をいただいた。この時期に思い出してもらえるのはやっぱりありがたいし、私もほんの少しでもその人たちの人生に登場できたのがうれしい。その友人も含め今は年賀状だけのやり取りになってしまっている方々にも、今あらためて本当に感謝、です。


コーチング

2006-08-01 03:43:36 | 考えること

先週初めて見た番組でとても興味深いものがありました。「コーチング」対決。まったく未経験のクラシックバレエに挑戦、それも「眠れる森の美女」のオーロラ姫のソロのパートに10日間でどこまで仕上げられるかの2組の挑戦者の競争、というものです。挑戦者にはもちろんそれぞれプロのコーチがついて、徹底的に指導していくのだけれど、この指導の仕方がまったくの正反対。一方は、叱って、叱って、のスパルタ式の指導から実力をつけていくタイプ、もう一方は徹底的に褒めて、褒めてそこから自信をつけさせていくタイプ。叱り飛ばすコーチについた生徒は、時に自分の不甲斐なさに涙しながら練習し、一方で褒められながら指導されている生徒は、楽しみながら練習していく。

これはどちらの指導がよい、悪いというのではなく、相手の性格や状況を見ながら、その人にあった指導をしていかなければならないんだなあ・・というのを改めて感じさせられました。と、同時にそこを見極めるのが一番難しいのだと。叱られることで、負けるもんか!とより自分を伸ばしていく人もいれば、褒められることで自信をつけ普段の力以上の力を発揮できることもある。でも、叱られてそこでつぶれてしまう人に叱ってばかりいてはいけないし、褒めることで緊張感をなくさせてしまうだけでもいけない。要は、指導する人とされる人の間に、どれだけの信頼感というか絆が築けるか、ということなのだけれど、これはやはりどんなやり方で指導するにせよ、指導者側がまずはじめに自分の教え子というか指導する相手を信頼することが必要なんだろうな、と思いました。それが相手に伝わって、そこから初めてスタートできるのではないかと。

前述のクラシックバレエ対決は2週にわたる放送で、今日がいよいよ本番でした。挑戦者ふたりとも、ほんとにこれで始めて10日間?というくらいの上達ぶりで、ほんとにびっくり、そして感動でした。結果はスパルタコーチ組みの勝利。それまでこわかったコーチの笑顔のなんと素敵なこと!ただ、ふたりの挑戦者とも「先生のためにも勝ちたい」という気持ちが伝わってきて、10日間でも信頼関係がそれぞれできていたんだなあ・・となんだかとてもじーんとしました。