「ゆき」の情報館

”クリント・イーストウッドの一ファン”

負け犬「のび太」の人間性に脚光 「くじけぬ心」小中生の指標

2011-02-16 | Weblog
「のび太の人間性から学ぼう」と呼びかける富山大の横山泰行名誉教授

 藤子・F・不二雄さん(1933~96年)の名作「ドラえもん」のもう一人の主人公、のび太の人生哲学を再評価する動きが広がっている。勉強、スポーツが苦手で、失敗を繰り返してはジャイアンからいじめを受ける…。漫画に描かれるのび太像は「負け犬」の代表格。しかし、彼の優しさやくじけない心が小中学生や母親らの心に共鳴しているという。ブームのきっかけは中学生が書いた読書感想文だった。

読むごとに発見
 「ドラえもん学」の提唱者で、富山大の横山泰行名誉教授(68)=生涯スポーツ論=はこれまで100回以上、全作品を精読してきた。読むごとに新たな発見があるという。
 「ジャイアンのような意地悪な相手にも心底憎もうとしないのが、のび太の良いところ。実は劣等生どころか、優しさと思いやりに満ちあふれ、どんなときも全力を尽くし、失敗にくじけない。いわば“人生の達人”なんです。漫画の細部に人間関係を築くためのヒントが盛り込まれている」
 のび太の前向きな言動や身の丈に合った人生観に着目した横山教授が『「のび太」という生きかた』(アスコム、1260円)を出版したのは7年前。「当時、初版で6千部刷り、後に4千部増刷したが、その後、動きが止まっていた。絶版になったわけではないが、書店からは完全に消えてしまっていた」とアスコムの柿内尚文編集長。

感想文が火つけ役
 昨年5月、あるインターネットのサイトに神奈川県の中学生がつづった本の感想文が紹介され、のび太の人間味あふれるエピソードに光が当てられた。
  〈のび太はどんなに痛めつけられても、悪口や妬(ねた)みよりも「なにくそ」といった反発力の方へエネルギーを昇華させている。(中略)やがて勝ち組となるであろうのび太の生き方を見ていると、おおらかに、前向きに、自分を見失うことなく、淡々と生きていくことが大切だと思うし、親や友達、ひいては社会に受け入れられているという実感もとても大切なことだと思った〉
 素直で飾り気のない心情を吐露した文章に、第一人者の横山教授もうなった。アスコムには、テレビアニメを見て育った“ドラえもん世代”の母親を中心に問い合わせや注文が殺到。中には引きこもりの子供を抱える母親からの苦悩に満ちた電話もあったという。現在、累計6万部超の売れ行き。もう一つの「タイガーマスク現象」を引き起こしている。
 原作者の藤子氏が「のび太は自画像」としたように、「どんな優等生にものび太的な要素がある。のび太少年を『等身大の自分』ととらえることもできる。大事なことは、潜在的な資質を引き出すドラえもんがいるかどうか」と横山教授。
 たとえ身近にドラえもんの「秘密道具」がなくても、さきの中学生が達観していたように「心の中のドラえもん」に気づくことがポジティブに生きる近道になるといえそうだ。                   ◇
 ■主役しのぐ登場回数
 ドラえもんの全作品のうち、ほぼ全編でのび太は登場し、ドラえもんをしのぐ。文庫化された『てんとう虫コミックス短編』(小学館、全45巻・823編)について横山教授が調べたところ、のび太のトラブルは582編で登場し、約4割がジャイアンやスネ夫との人間関係に起因するトラブルだった。
 横山教授によると、ドラえもん社会は「現代の縮図」といい、一読しただけでは気づかない感情の機微や人間関係の微妙な心理が隠されており、ジャイアンやスネ夫も研究対象になるという。

平成23年2月16日「産経新聞」から転載しました。

【ムバラク政権崩壊】

2011-02-12 | Weblog
「国を変え世界を変えた」 エジプト国民を称賛;オバマ大統領

 オバマ米大統領は11日、エジプトのムバラク大統領の辞任を受けてホワイトハウスで声明を発表し、「国民の変革への渇望に応えた」と辞任を歓迎し、エジプト国民の非暴力の民衆行動が「国を変え、世界を変えた」と称賛した。

 大統領は「歴史が動くのを目撃するのはまれなことだが、これはその一つだ」と指摘。ムバラク大統領の辞任は「移行の終わりではない。始まりだ」と述べ、困難に立ち向かうよう呼びかけた。

 また、暫定政権を担うエジプト軍に「偽りのない政権移行を遂行しなければならない」と語り、(1)国民の基本的な権利の保護(2)非常事態令の解除(3)自由で公正な選挙に向けた憲法などの改正と具体的な道筋の提示-を示すよう訴えた。また、政権移行に向けて幅広い野党勢力の参加を認めるようクギを刺した。

 一方、ギブズ大統領報道官は定例記者会見で、エジプトの新政権が「イスラエルと調印した(平和)条約を承認することが重要だ」と述べた。

 また、イラン政府も国民の拘束やインターネットの切断など、エジプトと同様に反政府勢力の排除を実行しているとして、「イラン政府は国民の意思に恐怖を感じている」と語った。

平成23年2月12日「産経新聞」から転載

小沢氏が曲解した『山猫』の逸話

2011-02-01 | Weblog
≪胡氏に変われと「剛腕小沢」≫

 旧年中のことで恐縮だが、民主党元代表の小沢一郎氏がインターネット動画の12月23日の番組で、「(中国国家主席の)胡錦濤氏がこの間、日本に来たとき、『会いたい』と言うから、『儀礼的な社交辞令で会うのは嫌だ』と言ったのだが、結局は会うことにした」と語った。会談は15分から20分間続き、小沢氏は、ビスコンティ監督による1963年の伊仏合作映画、『山猫』の一節を引いて、「変わらずに残るためには変わらなければいけない。これが私の人生と政治の哲学だ」と述べ、中国共産党の一党独裁からの転換を促したのだという。

 これを見た人々は、小沢氏が前月の11月に横浜で開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議への出席で来日した胡氏と会談したのだ、と思った。翌24日付の日本の各紙も小沢氏が「先月、胡主席と会談」と報じた。

 相も変わらぬ小沢好きの人であれば、「剛腕小沢」はやはり違うと思っただろう。そのAPECの際に、菅直人首相は胡氏との会談にやっとこぎつけはしたものの、手元のメモに目を落として、それを読み上げただけで終わった。

 しかるに、小沢はどうだ。向こうが会いたいと言ってくる。会ったら、首相と同じ20分ほどの会談であっても、日中関係が悪化しているさなかであっても、臆することなく、中国が今やらねばならないことを胡氏に説いた。それなのに、とっくに解決済みの「政治とカネ」の問題を蒸し返し「剛腕小沢」の足を引っ張ろうとするばかどもが、と嘆いたことだろう。

 それから4日、前原誠司外相が記者会見で事実を明らかにした。それによると、小沢氏が言う「この間」とは2年半前、平成20年5月のことだった。来日した胡氏が与野党の指導者と相次いで会談、民主党代表だった小沢氏とも会ったのだという。『山猫』の話をしたことも、前原氏は確認した。

 小沢氏は『山猫』の中の、その話が大好きのようである。それより2年前、平成18年4月の民主党の代表選でも、小沢氏は「変わらずに残るためには、変わらなければいけない」と説き、「私自身がまず変わる」と訴えて新代表に選ばれた。「ニュー小沢」。新聞はそうもてはやしたものだった。

 ≪映画中の発言者を取り違え≫

 だが、私は腑に落ちないことがあったので、小沢氏の著書を調べてみた。氏は、前述の代表選よりも10年前に刊行した「語る」という談話録の冒頭で、『山猫』を取り上げていた。ただし、残念ながら、事実関係を間違えていた。

 映画のクライマックス場面で、イタリア統一運動に参加した青年が、自分を支援してくれる伯父の公爵に、「なぜ私を応援するのか」と問うたのに対して、「変わらずに…」と公爵は答えた。そのように、小沢氏は語っていた。

 実際には、問題の場面は映画の初めに現れており、しかも、小沢氏を感服させたその台詞(せりふ)は、公爵の口から出たものではない。若い甥(おい)の方が発したものだ。そればかりか、公爵はその台詞にはうなずかずに、聞き流したのである。

 当たり前だろう。社会的地位と家系を誇る名門貴族にとって代わろうとする新興勢力が台頭していく中で、徐々に没落していく公爵家の当主の人生の最後の輝きを描いたのが『山猫』なのである。

 その映画の主人公、シシリーの貴族であるサリーナ公爵家の紋章も『山猫』である、といいたいところだが、実は映画の中で大きなスープ鉢の蓋にまで付いている紋章は、そうではない。長い尾を振り回して辺りを睥睨(へいげい)しているのは豹の一種であり、原題は邦題と違い、紛れもない『豹』である。

 ≪正しくは変革ではなく退場≫

 「われわれは豹か獅子だった。だが、やがてはハイエナ、羊にとって代わられることになる」と、主人公の公爵が独白したのもそのためであり、それこそが3時間にも及ぶ大作の主題なのである。

 ところが、小沢氏は『山猫』について勝手に思い込み、自らは変わるのだと喋(しゃべ)ってみせながら、政界にとどまるため「政局」をつくり出すのに専念した。日本の今日の停滞は、そんな「小沢政治」にも、大きな責任があると思う。

 小沢氏が公爵の発言を正しく理解していたら、「ハイエナ、羊にとって代わられることになる」と言い残して、政治の舞台から去っていたかどうか。ともあれ、その氏も今、やっとそう言える状況になりつつあるのかもしれない。

 さて、胡氏にも触れよう。

 胡氏は小沢氏と違い、まだ2年の任期を残しているばかりか、江沢民前国家主席の先例に従えば、軍の最高ポストに座り続けることになる。その彼が解決しなければならない問題は山積しており、ゲーツ米国防長官がこの1月に東京で講演して指摘した、「中国軍に対する文民統制の弱さ」は、中でもすべてに絡む問題だろう。

 前に本欄で書いたが、江時代に登用された軍首脳の総入れ替えが肝要であることは、変わらなければと小沢氏から言われずとも、胡氏自身が重々承知していよう。

      中国現代史研究家・鳥居民

産経新聞「1月31日」から転載しました。

朝鮮半島 難しい日米韓協力

2011-01-27 | Weblog
久しぶりにソウルを往復した。羽田-金浦間のフライトは約2時間、成田とは大違いだ。これなら日帰り出張も十分可能だろう。「近くて遠い」国が「本当に近い」国になったことを実感するとともに、朝鮮半島を取り巻く国際情勢の複雑さを再認識する機会となった。

 今回は日米韓有力シンクタンク共催の三極対話に参加させてもらった。ほぼ同時期に中国の胡錦濤国家主席が国賓として訪米している。偶然同じホテルで中国の旧友とも再会できたので、ソウルでは北東アジアの戦略環境につきじっくり考えることができた。

 朝鮮半島の専門家には「当たり前だ」と言われそうだが、今回の出張で改めて学んだことが三点ある。

 1、韓国から戦争は起こせない

 まず驚くのは、金浦空港上空から見たソウルの人口密集度だ。人口約5千万人の2割、約1千万人が住む大都会だが、北朝鮮からの長距離砲攻撃は現在も防ぎようがない。1950年代ならともかく、今や「持てる国」となった韓国が失うものはあまりにも大きいと感じた。

 昨年11月の延坪(ヨンピョン)島砲撃事件の際も、市内繁華街の喧噪(けんそう)がやむことはなかったと聞く。李明博大統領は北朝鮮の挑発に対し「強力な報復」を行うと明言したが、現実にソウルを壊滅させかねない「戦争」を覚悟で対北報復することは容易ではなかろう。
 2、第三の道を探る中国

 最近中国企業が北朝鮮の経済特区に対し20億ドルを投資する話が進んでいると報じられた。今後数年間に発電所や自動車道などさまざまなインフラが整備されるという。まだまだ額は小さいが、将来北朝鮮と中国東北3省との経済的連携が拡大する可能性もある。

 安全保障上の意味合いは小さくない。これまで中国には「金王朝」支持を続けるか、北朝鮮崩壊による半島統一かの選択肢しかないと思っていたが、こうした中国の経済進出が続けば、「金王朝崩壊後の北朝鮮存続」という第三の道が見えてくるかもしれない。

 3、日米韓安保協力に対する温度差

 今回最も痛感したことは朝鮮半島の地政学的現実だ。北朝鮮はもちろん、韓国にとっても、半島の将来を決める最も重要なプレーヤーは米国と中国であって、日本ではない。北朝鮮崩壊後の統一朝鮮が中国と直接国境を接することの意味はあまりにも大きい。

 現在日米韓安保協力を最も望んでいるのは恐らく米国であり、日本もその可能性を模索しているだろう。しかし、軍事面での対日協力に関する韓国のアレルギーの原因は、日韓歴史問題だけでなく、こうした韓国の安全保障意識なのだと今更ながら悟った。
それにしても、今回韓国側関係者の話を聞いて感心したのは議論のレベルの高さだ。韓国官民は、繁栄を享受しながらも、国防・安全保障に関する研究に今も膨大な予算と人員を投入している。仮想敵と直接国境を接する「危機感」がそうさせるのだろうか。

 日本にとって日米韓安保協力が重要な外交課題であることは間違いない。しかし、日本が韓国に対し「北朝鮮後」の朝鮮半島との関わり方について戦略的ビジョンを示し得ない限り、安全保障面での日米韓協力が真の意味で進展することはないと痛感した。

 こう考えながら、金浦から2時間ほどで平和な東京に戻ったら、そんな問題意識も一瞬で消えてしまった。安全保障に関する日韓のギャップはかくも大きい。このままでは日本は朝鮮半島問題の主要プレーヤーになれそうもないが、本当にそれで良いのだろうか。

【プロフィル】宮家邦彦
 みやけ・くにひこ 昭和28(1953)年、神奈川県出身。栄光学園高、東京大学法学部卒。53年外務省入省。中東1課長、在中国大使館公使、中東アフリカ局参事官などを歴任し、平成17年退官。安倍内閣では、首相公邸連絡調整官を務めた。現在、立命館大学客員教授、キヤノングローバル戦略研究所研究主幹。

平成23年1月27日 産経新聞「1月27日」から転載しました。

【幕末から学ぶ現在】

2011-01-20 | Weblog
【幕末から学ぶ現在】
 大学新卒者の就職難には関係者の一人としても胸が痛む。民主党政権もいろいろ尽力しているが、日本企業の海外シフトと関連する必要な人材と新卒者の大企業志向とのミスマッチも大きい。また、学生気質も変化しており、外国に出かける積極性が希薄な者も当世多いようだ。欧米やアジアはまだまだ多くの刺激に充(み)ち溢(あふ)れているというのに、狭い国内だけで充足してしまうのは日本の若者くらいではないか。
 鎖国を引きずった幕末でも若者は何とかして欧米に渡って未知の文物を見たいと熱望した。勝海舟は咸臨(かんりん)丸を操船して米国に渡り、福沢諭吉も欧米を広く見聞して帰国後に有為の人材を育てたのだ。
幕末の変動で悲劇の最期
 なかには、吉田松陰が渡航の夢を果たせず獄死したように、せっかく米国に出かけながら幕末の変動で悲劇の最期を迎えた人物もいた。仙台藩の内部抗争で死んだ玉蟲左太夫もその一人である。
 左太夫は、万延元(1860)年に修好通商条約批准書交換のために米国に出かけた正使新見豊前守(しんみぶぜんのかみ)の従者であり、その見聞記を『航米日録』に残した。『日本思想大系66・西洋見聞集』(岩波書店)に収められた日録は、因習にとらわれない好奇心旺盛な若者がひたむきに異国の世界に接して感動し、時に失望もする心の内面を率直に吐露している点でも現在の大学生に是非読んでもらいたい書物である。幸いに昨年、左太夫の子孫の山本三郎氏によって現代語訳されたので誰にも分かりやすく読みこなせるようになった(『仙台藩士幕末世界一周』荒蝦夷(あらえみし)発行・2205円)。
 玉蟲左太夫の素晴らしいのは、言葉も通ぜず慣習の違う世界でも米国人の善意や美徳を理解できる素直さがあったことだ。水兵が死ぬと艦長まで葬送に参加して涙を流すあたりにも、初めは封建の世に育った武士らしく違和感をもったのに、まもなく人を分け隔てしない米国人の善意や人情に感心するようになる。
 また、米国発展の原動力として学校や病院などを見たいと希望するのに、万事に保守的な使節たちは土産などの購入に熱心で、市民との交遊に関心を示さない有り様に不満を漏らしもする。大統領や国務長官はじめ政府首脳が気取りもなく市民と面談するのを見て、日本の上下関係との違いにも驚いた。米国の礼儀のなさと日本の「礼法」のみの厳しさを比較して、礼法のみ厳しいよりも礼法薄くとも情の交わりが厚いほうがよいのではと米国流を評価するのも面白い(巻2、3月17日)。

米国の長所見逃さず
 かまびすしい議会を日本橋の魚市場みたいなものだと形容する比較の妙も興味深いが、玉蟲左太夫は民主国家の米国が封建国家の日本より勝っている点もしっかりと見逃さない。まずサンフランシスコからパナマに向かう折、左太夫は改めて米艦の士官も水兵も怠けずに「治乱一般」に平常心を維持することに感動した。この鍛錬があればこそ「大風波」や「風難」があっても互いに力を尽くして事態を平然と処理できるというのだ。
 これに比べて日本は200年以上も平和が続いたので何事も古い慣習にこだわり、積極的な業に励む者はいないと左太夫は手厳しい(巻8、3月28日)。まさに、何か起きれば「人皆狼狽(ろうばい)して其処置を失ふに至る」とは、まるで現代の日本政治にもあてはまりそうだ。
折角菅直人首相が、消費税や武器輸出三原則の見直しを打ち出しても、理解を示さず連立政権の足を引っ張る一部の政党人などは平時慣れするあまり、左太夫のいう「閑ができても昼寝するか酒を飲んで怠ける」と言われても仕方ないかもしれない。志のある者が後世のことを考えていろいろな策を建白しても、「愚人」と誹謗(ひぼう)されて志を実現できないのは、いまも同じであろう。
 内閣を改造した菅首相には、是非に左太夫のいう「治にも乱を忘れざる者」として危機感を広く国民に訴えてほしい。また未来を担う若者にも、かつて左太夫が相互に助け励ましあう米国人の美徳や「精勤」を見て、日本人として恥ずかしいと述べた素志を謙虚に学んでほしいのである。(やまうち まさゆき)
                   ◇
【プロフィル】玉蟲左太夫
 たまむし・さだゆう 文政6(1823)年、仙台藩士の家に生まれる。藩校「養賢堂」に学び、江戸に上る。箱館奉行の堀利煕(としひろ)に仕え、ともに蝦夷地を視察し、克明な記録を残す。万延元(1860)年、幕府遣米使節に加わり渡米。帰国後は仙台藩に戻り、戊辰戦争では奥羽越列藩同盟の成立に奔走したが、藩の降伏により投獄。明治2(1869)年、切腹させられた。

平成23年1月20日「産経新聞」から転載しました。

韓流!そこまでやるか

2011-01-15 | Weblog
 古都ソウルの旧市街は、北に位置する北岳を背景に故宮があり、その前面の南の方角には南山がある。いわゆる“風水地理”による“明堂”(いい場所)である。

 大統領官邸は故宮の裏、つまり北岳のふもとにあり、その東側一帯の閑静な通りが三清洞。近年、こじゃれたお店が軒を連ね観光客にも人気がある。

 この通りをさらに進み、坂を上ってトンネルを抜けると城北洞で、緑の多い高級住宅街になっている。日本大使公邸など外国公館も多い。その日本大使公邸の斜め向かいに、何と、韓流スターの元祖ペ・ヨンジュンさんの家が完成し、近く入居という。スターの住まいらしく豪華な“白い館”でひときわ目立つ。

 ところがどこで聞きつけたのか、日本の女性ファンたちが早くも押しかけ(?)しきりに写真を撮っている。本来は日本大使公邸の警備に余念のなかった警官たちが、今や彼女たちの交通整理に忙しい。

 それにしても日本のファンたちの情報力には脱帽だ。しかも“海外追っかけ”の彼女らのほとんどが中年ないし初老というから韓国人は驚く。

 大使公邸の主、武藤正敏・駐韓日本大使は韓国勤務が通算10年の韓国通で“文化派”で知られる。休日のご近所散歩では“韓流ガイド”をさせられそう。
 投稿者;黒田勝弘

平成23年1月15日「産経新聞」から転載しました。

対中戦略はないのか? 櫻井よしこ

2011-01-13 | Weblog
太平洋およびインド洋で国家の盛衰をかけた闘いが展開されている。米中印露および日本を中心にASEAN諸国、パキスタン、イラン、アフガニスタン、テロ勢力などが重要なプレーヤーだ。異なる民族、異なる宗教勢力が、核という大量破壊兵器とその運搬手段のミサイルを手にして、激しくせめぎ合うなか、戦略と気概なき国は他国にのみ込まれていくだろう。

 生き残るには、経済力だけでは不十分だ。アジアの大国であるわが国といえども、軍事力整備に踏みきる覚悟と、ユーラシア大陸、インド洋までを見詰めた大戦略なしには乗り切れない。

 日本の戦略はいかにあるべきか。その問題意識を持って私たち国家基本問題研究所の代表団は昨年12月、インドを訪れた。

 安全保障担当の首相補佐官、シヴ・シャンカール・メノン氏は、会うなり述べた。

 「国際政治の枠組みが急激に変化しています。経済も軍事も同様です。日印双方にとってのこの大好機をどう生かしていくか、戦略を話し合いましょう」

 同補佐官は、インドは官民こぞって、歴史的経緯と国柄から、日本こそ最も望ましいパートナーだと考えていると強調した。

 日印にとどまらず、国際社会の共通の課題は中国の位置づけである。メノン補佐官はこう述べる。

 「われわれは同じジレンマを抱えています。隣人(中国)は国境を侵すのをはばからず、われわれに直接的脅威を及ぼします。国力増大に伴い、彼らの外交や振る舞いは、強い自己主張で貫かれ始めました。日本は海洋と島嶼(とうしょ)問題に、われわれは陸上の国境問題に直面しています。それでもこの地政学的大国とは折り合わなければならず、日印は、中国に対して競争と協力という同じような解決策に落ち着きました」

 菅直人首相や仙谷由人官房長官らの民主党政権が、中国に心理的追従を続けるように、インドの対中外交にも半歩引く姿勢がないとはいえない。1962年の国境紛争での大敗が尾を引いているとの解説もある。加えて、インドは経済、軍事の双方で、現時点では中国にかなわないと考えがちだ。

 しかし、昨年12月、中国の温家宝首相の訪印時には気概も見せた。中国をはるかに凌(しの)ぐ技術大国で、中国に匹敵する経済大国で、中国に負けない軍事力も持ちながら、中国にまともに物を言えない日本に比べると、インドは真っ当な外交を展開したといってよい。

 国境問題でインドは譲らずに一矢報いたのだ。インド北東部のアルナチャル・プラデシュ(AP)州と北部のジャム・カシミール(JK)州は長年中印両国が領有権を争ってきたが、この1~2年、中国が特に強硬に出始めた。

                   ◇

 一部地域には軍まで送り込んで、強引に中国領としての既成事実を積み上げようとする中国に、インドは強く抗議した。中国は一向に応えない。そこでインドは、従来中印会談の度に、チベットと台湾は中国の一部として、「中国はひとつ」と表明してきたのを、12月の首脳会談では表明しなかった。台湾の独立を認めたわけではないが、明らかにインドは闘うべきところで闘っているのである。

 中国のインド攻略は入念である。中国は十数年かけてインドを取り囲む軍事拠点を完成させつつある。インドの対中対処能力を殺(そ)ぐために、インドと対立するパキスタンに核を与えた。北朝鮮に核を与えたのは日本を同様の状況に置くためだと、インドの専門家は指摘する。

 中国は1982年、トウ小平のときに、第三世界に核およびミサイルを拡散する方針を決定、その拠点が北朝鮮とパキスタンであることは専門家らが指摘してきた。第三世界への核拡散の元凶は中国なのであり、北朝鮮とパキスタンも同様だといってよいだろう。

 インド政府高官はこうした世界の核の事情を日本政府と日本人に知ってほしいと語る。インドとの原子力協定をめぐって、インドが核拡散防止条約(NPT)に参加していないこと、将来核実験する可能性があることをもって、日本が原子力技術の移転に二の足を踏んでいることを指しているのだ。

 「だが」と高官は語る。「インドは一度たりとも核技術を他国に広めたことはありません。インドの核保有はパキスタンの核の前では自衛の核が必要だという点に尽きます」

 NPT加盟国の中国と北朝鮮が核拡散の元凶であるという皮肉、NPT非加盟のインドが核拡散をしてこなかったという事実。日本の未来のための大戦略は、NPT加盟国か否かという外形にとらわれるのでなく、実態に基づいて構築されなければならない。日本は米国のみならず、インドとの協調を必要とするのである。中国に正しく向き合うためにも日米印の同盟、協調が欠かせない。そのためにも日印原子力協定に早期に踏み切るべきだ。

 戦略的視点から、私は前原誠司外相が提唱した日韓同盟も、北沢俊美防衛相が唱えた武器輸出三原則の見直しも支持するものだ。

 だがそうした発想を受け止める力は首相にはない。必ずや国民の支持を得たであろうに、武器輸出三原則の見直しは見送られた。時代を読みとれない首相には、日韓同盟はなおさら、荷が重すぎるだろう。

 メノン氏は戦略を語ろうと言ったが、わが国首相の貧しい発想には戦略などないのである。


※産経新聞「1月13日」から転載しました。

「お手上げ予算」と呼ぶほかない 竹中平蔵

2011-01-10 | Weblog
昨年末、2010年度予算案が決定されたとき、筆者は「お手盛り予算」と評した。政権交代を踏まえて、また民主党マニフェストを踏まえ、子ども手当や農家戸別補償など民主党支持母体への手厚い予算を計上したからだ。しかし1年を経て編成された11年度予算案は、全ての面での行き詰まりが際立った、「お手上げ予算」と言わざるをえない内容となった。

 24日に閣議決定された来年度予算案は、民主党政権としては初の本格的予算である。しかし、歳出の抑制は進まず、一般会計総額は過去最高の92・4兆円に達した。歳入面では、41兆円の税収(見込み)をいわゆる埋蔵金などの税外収入7兆円で補う厳しいものだ。結果的に、新規国債発行額は昨年並みの44兆円という極端な赤字予算である。その場凌(しの)ぎのやり方は限界に達している。「こんな予算編成は今年を最後にしなければならない」と感じさせるような、問題点満載の予算案となった。

 ◆来年もデフレ、低成長続く
 根本的問題はどこにあるのか。(1)マクロ経済(景気へのインパクト)(2)政策的メリハリ(成長や安全・安心の確保)(3)政策決定プロセス(政治主導か官僚主導か)-の3つの基準から見る必要がある。残念ながらこれでは、景気低迷・デフレは収まらず、成長促進もなく社会保障改革も進まない。そして徹底した官僚主導の予算編成であったことが明白である。

 第一のマクロ的視点で言えば、01年度以降は経済財政諮問会議を活用した手続きが定着していた。夏頃に来年度経済の展望を行い、これを踏まえて予算の大枠を決定していたのだ。しかし、民主党政権では、諮問会議を実質廃止したため、こうしたプロセスが全くないままに予算が編成されている。その結果、単に当面の赤字が多額であるという理由だけで、巨額の需給ギャップがあるにもかかわらず、景気中立の予算(赤字額は昨年と同額44兆円)が組まれた。

 ◆財政健全化への展望全くなし
 結果的に、来年度もデフレが続き(政府見通しでGDPデフレーターはマイナス0・5%)、成長率は今年度より低下する(3・1%から1・5%に)ことが示されている。一方、歳出抑制が不十分な状況下で、中期的な財政健全化の展望は全く見えないままだ。
 第二は政策の中身に関するものだ。予算は政策を実行に移すための手段である。しかし、その政策が経済をよくし、国民の安全・安心を確保する内容とは程遠いものとなっている。今回最大の注目点だったのは法人税の引き下げである。しかし引き下げ幅はわずか5%で、しかもその財源の約6割を法人への増税で賄うという、極めて効果の乏しいものとなった。
 目下、一般会計歳出の約3割は社会保障が、そして2割近くを地方交付税が占めている。しかし、これらについて政治の指導力は全く発揮されず、実質的にほとんど何の改革もないまま、基金取り崩しなど臨時財源に頼って予算がつけられた。こんないい加減な先送りは、もう来年以降はとてもできないという意味で、まさに、「お手上げ」状態の予算である。
 第三の決定過程に関しては、政治主導の掛け声や一般の認識とは異なり極端な官僚依存になった。この点は第二の政策内容とも絡むが、従来は夏に「骨太方針」を決定する際に政策の中身を固め、12月までの期間はこれに予算をつけるという流れが定着していた。

 ◆結局は官主導の予算編成
 だが、民主党政権の下では、そもそも「骨太方針」のようなものは存在しない。指針がないまま、なし崩し的に予算編成を行うという、自民党下の1990年代型に逆戻りした。必然的に、予算当局(財務省)が全てを取り仕切ることになる。今回、12月24日という日程的には極めて順調な形で予算案が決定されたが、これも、財務省主導で粛々と決定されたということを裏付けるものといえる。
 予算案は、ねじれ国会の中で関連法案まで含めて成立するかどうか、前途多難だ。岡田幹事長は閣議決定のその当日に早くも、「野党との議論の結果修正もありうる」と発言し、話題になった。
 こうした「お手上げ」状態を受け、年明け以降さらに問題のある動きが広がる可能性がある。このような予算編成を続けるのは無理であり、従って消費税引き上げが不可避である、という一見勇ましい議論である。現に、新たな連立や大連立を目指し、慌ただしい動きが生じている。実のところ今予算は、こうした動きを引き出すために官があえて見苦しいほどの予算を組んだ形跡すらある。
 しかし、重要なことは、デフレを脱却し、名目GDPの成長を実現しない限り(したがって順調な税収増を実現しない限り)、そして、社会保障や交付税など歳出を抑制する制度的改革がない限り、いくら消費税を増税しても焼け石に水であるという点だ。むしろ、安易な増税が日本経済と国民生活に決定的な打撃を与える危険性すらある。「お手上げ予算」を教訓に、地道な改革を進める以外に、日本経済の未来は開けない。(たけなか へいぞう)

           ※産経新聞「12月30日」から転載しました。

胡・温派が抱き込んだ習近平氏

2010-12-20 | Weblog
 この10月に、習近平氏は第5回中国共産党中央委員会総会(5中総会)で、党中央軍事委員会の副主席に選ばれ、党と軍の双方に足場を得て、2年後の指導者と決まった。
 ここで、習氏がどのような才能を持つか、どのような考えの持ち主かを語るつもりはない。彼は誰の庇護(ひご)の下にあるか、誰の支持を受けているのかを見たい。
 話は、2007年10月の第17回全国人民代表大会(全人代)開催の前にまで戻る。新聞社の北京特派員、中国専門の論説委員、さらには中国研究者の誰もが、党総書記の胡錦濤氏と首相の温家宝氏は力を強めている、そこで、彼らの後継ぎは2人の出世の基盤となったのと同じ中国共産主義青年団(共青団)の出身である副首相の李克強氏と広東省党委書記の汪洋氏がなる、と推測した。
 当然の見方だった。彼らに対抗する江沢民勢力は次の有力な指導者となるはずの陳良宇氏を失い、江氏の強力な右腕、政治局常務委員の曽慶紅氏の定年による引退が確実とみられ、江勢力の凋落(ちょうらく)は誰の目にも明らかなように思えたからである。

 ◆江沢民側近の暗躍で後継浮上
 幕が上がって、誰もが驚いた。誰も口にしなかった習近平氏が後継レースのトップに躍り出た。
 観察者が知らなかったのは、中国共産党の最高人事は9人の政治局常務委員の意思だけでは決まらず、1ダースほどの元、前政治局常務委員の意向を斟酌(しんしゃく)するという不文律があることだった。キングメーカーとなった曽慶紅氏が元老たちを精力的に説得して回り、江沢民派の願いを通したのだ。
 こうしたわけで、日本の著名な中国専門家が、習氏は「太子党(高級幹部子弟グループ)、軍など守旧勢力に支持されている指導者であり、それ自体が政治改革の阻害要因だ」と説いた。誰もが、同じように考えた。
 では、この10月、習氏がはっきり後継者と決まったのは、再び曽慶紅氏の強引、巧妙な手腕によるものだったのか。
 香港で刊行されている月刊誌に「争鳴」というのがある。創刊は今から33年前、1977年11月だ。毛沢東が没して1年後、胡耀邦が活躍するようになり、文革時代に追放された多くの党幹部の名誉を回復し、党の専制主義を排除し始めたときだった。「争鳴」はこの民主化の動きを支持した。
 続いて、胡耀邦の部下の一人と「争鳴」との間に、ある連携が生まれたようであった。創刊から1年後の78年の11月号から、羅冰という署名の記事が巻頭の社説の次のページに載り、中国共産党最上層部、中南海の動きを伝えるようになった。「争鳴」の数多くの執筆者の中で、「本刊記者」の肩書を持つただ一人の羅冰氏の報道は現在まで続いている。

 ◆腐敗糾弾で力失った江派重鎮
 さて、今年11月号の「争鳴」の羅冰氏の報道は「元老たちが大富豪の曽慶紅を偽君子と批判した。曽氏の資産100億元」と題するものだった。85歳の喬石、79歳の尉健行、93歳の宋平、75歳の羅幹といった元政治局常務委員、硬派の面々が集まった反省会で、党規、国法を犯して巨額の蓄財をしたと曽氏を厳しく非難した、党中央規律検査委員会の審査にかけよ、との声まで出たという。
 実は、「争鳴」の同じ号に羅冰氏署名の、もうひとつの報道が載り、党中央規律検査委員会書記、政治局常務委員でもある飛び切りの江沢民派、賀国強氏が5人の副書記たちから厳しく批判され、引退せよと迫られたという事件を伝えていた。それが9月27日の出来事だった。曽慶紅氏が元老たちから糾弾されたのは、10月9日である。曽氏は自分の過ちを認め、平謝りに謝るしかなかった。
 この2つのニュースはたちまちにして党幹部の間に広まり、10月15日に開幕する5中総会に全国から集まった、すべての中央委員の耳にも入ったに相違ない。
 だから、その総会で習氏が次のトップだとお披露目されたとき、「守旧勢力に支持」されてのことだと思った中央委員はいなかったに違いない。

 ◆国防削り社会保障に回せるか
 習氏を後継者に推したのは、胡錦濤氏と温家宝氏であることに間違いはなかろう。その総会で、習氏は民生改善が最も重要な問題であり、格差拡大を阻止する、と胡・温路線に沿って説いている。
 そのために党指導部がしなければならないことは、何よりも膨大な国防費の削減である。国防費を増やし、高級軍人と軍需工場の首脳を満足させるために、治安費の増大は底知れず、今年の治安費も公表されている国防費を上回るといったありさまなのだ。この恐ろしい悪循環を食い止め、国防費と治安費を削減し、都市で働いている1億人以上の農村出身者に都市戸籍を与えるための社会保障費に回さなければならない。そのためには、「守旧勢力に支持」された人物を次の指導者にしてはならない。こうして、5中総会の直前に胡・温体制は習氏を自分たちの陣営に加えたのであろう。(鳥居 民)

※産経新聞「12月20日」から転載しました。

日本は情報発信戦略を構築せよ  櫻井よしこ 

2010-12-14 | Weblog
≪木を見て森を見ずの仕分け≫

 菅直人首相は、山積する課題を放置して早々と国会を閉幕した。内政、外交、安保の全分野で何ら見るべき実績がない中で、首相が誇るのが事業仕分けである。
 蓮舫氏らが、自民党が手をつけ得なかった独立行政法人に切り込む姿勢を見せたことなど、たしかに評価すべき点はある。だが、木を見て森を見ずに国益を損なう仕分けも多かった。一例が外務省関連で発生した共同、時事両通信社の大幅仕分けだ。根幹には国家の情報戦略に関する、蓮舫氏以下民主党の不勉強と無理解がある。
 情報力は国力を反映し、さらに押し上げる。だからこそ中国は米国のCNNや英国のBBCに強い警戒心と敵愾(てきがい)心を抱き、独自の情報発信網を世界に広げてきた。

 ≪CNC立ち上げた中国の狙い≫

 CNNやBBCの伝える米国や英国の視点や価値観が世界に浸透し、米英の影響力が維持、強化されてきたことを見抜いた中国は、対抗策として国営メディア新華社が運営するCNCを今年7月に立ち上げた。ニューヨーク市のタイムズ・スクエアを本拠に中国の主張や広めたい情報を、英語で24時間、テレビで放送し始めたのである。彼らは世界117支局に通信員400人を配置済みだが、今後10年で支局数を180に増やす。対外情報発信網の構築に注ぎ込んだ予算は実に800億ドル(6兆4000億円)と報じられた。
 情報戦の重要性を知悉(ちしつ)する中国は全力で彼らの伝えたい情報を世界に行き渡らせ、中国に好意的な国際世論を形成し、自国の外交戦略を遂行しようとする。情報発信が大国の基礎を支える必須要件であり、情報小国は力を喪っていくことを心得ているのだ。
 国家基本問題研究所副理事長の田久保忠衛氏は、かつて日本に「情報植民地」と言われた時代があったことを指摘する。弱小通信社が乱立していた戦前、日本は世界のニュースをロイター、APの両通信社に頼った。日本発の情報さえロイター経由でなければ海外に伝えられなかった。国家の浮沈がかかる情報の受信も発信も、他国に握られていたのだ。

 その脆弱(ぜいじゃく)性を克服すべく、日本は昭和11年に日本電報通信社と新聞聯合社を合体して同盟通信社をつくった。情報の一方的な受け手から、自ら発信し伝達する立場に初めて立ったのであり、わが国と欧米間に情報、通信におけるパリティ(対等性)が生まれた瞬間だったと、田久保氏は指摘する。
 情報発信の最有力手段が通信社だった時代、通信社の盛衰は国家の盛衰と表裏一体だった。そしていまインターネットの出現で情報の世界は産業革命前夜の状況だ。情報発信手段は多様化したが、主要国は自国情報の発信主体として通信社を持つ。米英仏露のAP、ロイター、AFP、イタルタスに、中国のCNCだ。では日本の情報発信はどこが担うのか。

 日本の新聞もテレビも対外情報発信能力は極めて低い。曲がりなりにも海外への情報発信を担うのが共同、時事だが、両社の展望は暗い。部数や広告費の大幅減少で新聞、テレビ各社が契約料値下げを要求、或(ある)いは配信を断る中、2社は互いを潰し合う競争で、体力を失いつつある。そこに事業仕分けでさらなる収入減が襲った。
 両社は在外公館宛(あて)に24時間体制で情報を提供し、各々(おのおの)年契約料2億3700万円と2億5100万円を得ている。これは高すぎると見做され「廃止を含めた見直し」と、現契約終了時点での入札方式採用が決定されたわけだ。
 
≪急がれる二大通信社の統合≫

 良質の情報や的確な分析を恒常的に安く入手するのは難しい。料金の大幅減額は情報と分析の質の低下を招き、在外公館の情報力不足に拍車がかかる可能性がある。両社の経営も一層悪化する。
 国際社会への情報発信で新聞やテレビに多くを望めないいま、実は通信社の機能強化こそ急務で、今回の仕分けは逆方向だと言わざるを得ない。通信2社の情報が高すぎるという蓮舫氏らの根拠はよくわからないが、百歩譲って、仕分けを認めるとしても、この案件もまた、国家全体の姿を考え、日本の命運にとって灼けつくように必要な情報力をどう強化するかという視点抜きには、無意味であり、国益に反する。
 諸国は過去も現在も一国一通信社体制で情報戦に対応してきた。敗戦後、同盟通信社は占領軍によって共同、時事、電通に分割され、以来、国際基準で考えれば弱小にならざるを得ない2社体制で日本はやってきた。2社共に顕著に力を落としつつあるいま、国際情報戦に勝ち残るためにも、早急に統合を進めるべきなのだ。
 政治の役割はその方向で情報力構築の戦略を練ることだ。現時点で2社に要求すべきことがあるとすれば、情報料の引き下げよりも情報の質の向上と分析の一層の深さであろう。全体像を見ずに枝葉末節に拘(こだわ)る仕分けであってはならない。2億や3億の予算を削って2兆数千億円の子ども手当をバラまき、さらに増額をはかる民主党は著しく国益を損ねている。

  ※産経新聞「22年12月14日」から転載しました。