書こうかどうか悩んだ。
でも書かへんのは何か違うなと。
けど書くとなると、きっと感情的な文章になるやろうなと分かってた。
ほんで実際そうなった。
長文の上、乱文。
非常に読み難い。
何言うてるかよう分からんとこもあるでしょうね。
まあええか。
こんな時くらい。
みたいな感じで、思ったままに書きました。
初めて事務所のネタ見せで鼻エンジンさんのネタを見た時、それはそれは衝撃でした。
”何やねん・・・このネタ・・・”
めっちゃ笑いました。
ネタ見せなんかそない笑わないですよ。
でも笑った。
めっちゃ面白かった。
衝撃やった。
他の芸人も同様にみんなめっちゃ笑ってた。
俺は正直”フォークダンスDE成子坂”はボキャブラくらいでしか観たことがなかったから、渚さんのこともよう知りませんでした。
ネタ見せで初めてあの人のツッコミを見た時、何やねんこの人と思った。
何やあの”間”の取り方は!?
この人、目茶苦茶おもろいやん。
渚さんのこともっと知りたくて、仲良くなりたくて、積極的に話し掛けた。
ネットで成子坂やピン時代の事を調べていくと、だんだんとあの人の凄さが分かってきた。
電話番号を交換した時はめちゃめちゃ嬉しくて、初めて俺から掛ける時はドキドキして、向こうの呼び出し音が鳴る前にビビって切るというのを何度も繰り返した。
何で渚さんはあんなにおもろいやろうって、風呂に入りながら考えたりもした。
あの人に面白いと認められたかった。
俺はあの人に夢中やった。
有り難いことにその内一緒に呑みに行かせてもらえるようになり、その時はずっとお笑いの話をしとった。
ホンマにずっと。
すごく勉強になった。
一度二人で呑みに行った時、渚さんが「小峠、言葉を一切発さずに一指し指と中指の二本だけでボケてみろ。俺ツッコむから」と言われ、とりあえず感覚だけで何となくこういう感じかなと指を動かしてみたら「うん、お前はよう分かってるな」と、その時初めて褒めてくれた。
居酒屋のテーブルで一人が黙って指を動かし、一人がつっこむ。
周りから見れば異様な光景。
その時の渚さんは俺につっこむんじゃなく、指につっこんどった。
俺の手から伸びている身体の一部分としての”指”ではなく、そこに単体として存在する”指”としてつっこんどった。
俺がボケたんやなく、指がボケた感じ。
それはいつものつっこみはなく、今まで見たことのない変なつっこみ。
指に合わせた指へのつっこみ。
何やねんこの人?と思った。
何考えてんねん。
俺は今まで何人かの芸人から「俺はお笑い好きやけど、お前ほど好きじゃない」と言われたことがある。
自分でも相当好きやなと自負している。
でもこの時、俺は渚さんに「渚さんすみません、一つ言わせてもらっても良いですか。渚さん、狂ってますよね」と、真顔で言った。
悔しいけど、俺より笑いの事好きなんやなあと思った。
俺は笑いが好きやけど、この人は笑いに狂ってる
と思った。
いつか二人で客集めれるようになったらトークライブやりましょうと、俺はいつも言うとった。
渚さんも「おう、ええで」と、結構乗り気やった。
俺はタイトルも既に決めてた。
「渚さん、いつかやるトークライブのタイトル決めたんですけど”小峠と渚を見に行こう”っていうのどうですか。海を見に行こうみたいな感じで。でもこれ僕の名前が前に来てるからダメなんですよねー。でも良いでしょこれ」って言ったら「どうでもいい」と笑われた。
「あともう一つ候補がありまして”渋谷109”って書いて”渋谷トーク”って読むんですけど、これ良くないですか。勿論渋谷でやります。多分シアターDになるでしょうね。けどこれも少し問題ありまして、109から何かクレーム言われるんとちゃうかなあって思うんですよ。でも良いでしょこれ。どう思います」と言うと、呆れてた。
俺は密かにトークライブやる時はこの”渋谷109”から渋谷を取った”109”をタイトルにしようと勝手に決めてた。
ライブの最後にコント一本やりたいなあと。
二人でコント作って、それってめっちゃ勉強なるやろうなあって。
笑いのレベル上がるやろうと。
今まで見えへんかったモノが見えてきそうやわ。
俺の考えたボケに渚さんどうつっこむんやろうって、想像しながら楽しみにしてた。ワクワクしとった。
109、やりたかった。
11月12日は新宿でライブでした。
出番前、携帯にマネージャーさんからの不在着信に気付いた。
電話を掛けてライブ中やと言うと、終わる頃にまた電話するとのこと。
いくら用件を聞いても、ライブが終わったら言うとの事で一切教えてくれない。
俺何かやらかしたんかなあと思った。
ネタが終わって電話を見ると、今度は後輩からの不在着信。
もう、何やねん。絶対なんかあるわと思った。
後輩に電話を掛けると「小峠さん、落ち着いて聞いてください。実は・・・・・」
一瞬何を言うてるのか意味が解らんかった。
頭がおかしくなりそうやった。
後輩の声に対応出来ず、声を出すことが出来へん。
一通り話を聞いて、状況を把握し理解した。
そこからはもうダメやった。
ホンマにもうアカンと思った。
誰もおらん階段で泣いた。
信じられへんくらい涙が出た。
マネージャーさんがすぐに俺に告げなかったのは、ライブ中の俺への配慮やった。
とりあえず静かな場所に行きたいと思った。
新宿という騒がしい街、しかもライブ会場。
早く家に帰りたかった。
会場から漏れてくる客の笑い声が鬱陶しいかった。
ネタはやり終えていたから、帰ろうと思えば帰れた。
あとはエンディングだけやし。
でももしここに渚さんがおったら
”アホ、泣いてる暇あんねやったら、最後もう一発お客さん笑かしてこい”
って言うと思った。
格好つけてるとか、そんなんじゃなく。
絶対に間違いなく、そう言う。
そやから最後まで残って、エンディング頑張った。
一発ギャグをやったんやけど、えらいもんで、散々やってるヤツやのに間違えてもうた。
そんな間違え方ありえへんねんけど。
誰一人笑うてなかったけど、そんなんどうでも良かった。
ライブが終わって、とりあえず周りの芸人には普通に振舞おうと思った。
何かもうヤケになってた。
打ち上げを断って、外に出た。
早く電車に乗って家に帰りたかった。
駅までの道のりが嫌で嫌で仕方なかった。
”何でこんなに人おんねん”と、今さらながら思った。
新宿歩きながらボロボロ泣いた。
駅に着いたら、いつも乗る車両じゃなく一番端の車両を選んだ。
空いてる席には座らず、隅っこに立った。
泣いてるところを見られたくなかったから。
電車の中でも全く涙が止まらんかった。
誰もがそう思ったように”何で渚さんやねん”と思った。
何よりもお笑いが好きで、お笑いの事しか考えてない。
成子坂の解散・ピン時代・事務所移籍など大変な時期を経て、やっとまた松丘さんという相方と鼻エンジンを結成して、これからやっていう時。
やっと大好きな笑いが出来るようになったばっかりやん。
まだまだこれからやった。
何で?
その後何人かの芸人から電話をもらった。
不思議なもんで、だんだんと落ち着いていった。
温かい言葉が有り難かった。
次の日はバイト。
全くダメ。
みんなの前では普通にやってたけど、車で一人になるとまた涙が出てきた。
運転しながら、ひょっとしてこれドッキリちゃうんかと思ってきた。
タチの悪いドッキリやけど、全て許す。
ええリアクションするから。
頼むから、ドッキリであって欲しい。
電話が掛かってきて、渚さんのおる場所に行くようになった。
バイトは途中で抜けさせてもらう。
待ち合わせをした後輩が「僕、最初ドッキリやと思いました」と言った。
もう一人も「俺も」と。
それ聞いた瞬間、これはドッキリではないんやなと思った。
みんな同じ事考えんねんな。
次の日は三重の実家でお通夜。
数人と車で向かった。
詳しくは書けない。
ただ渚さんが、やっぱりとてもたくさんの人に愛されてたんやなあって思った。
あの人の大きさを改めて思い知った。
やっぱりスゴイわ、あの人。
通夜の時はもう泣かんとこうって決めてて、何とか我慢した。
もう大丈夫や、落ち着いた。
そう思ってたんやけど、その二日後くらいに普通に外歩いてて、渚さんのこと考えてたらまた涙が出てきた。
もう、何やねん。
いつまで泣いとんねん。
どんだけ泣かなアカンねん。
鼻エンジンさんがパーソナリティーを務めていたラジオの最終回に出させて頂いた。
リスナーの人達も多数観にいらしてて、メールも凄い数が来てた。
鼻エンジンさん、やっぱり凄いなと思った。
毎日、渚さんのことを考える。
もう逢われへんと思うと、どうしようもなく寂しくなる。
最初の頃は”よし、もう切り替えていこう”とか思ってたんやけど、そんなの中々無理やわ。
そやから最近は、もうええわって思ってる。
ゆっくりでええわ。
とか思ってる。
えらい塞ぎ込んでるように思われるかもしれんけど、普段はめっちゃ元気なんです。
次の日くらいから、もう普通に。
ただふとした時に色々考える。
当たり前や。
まだたった二週間。
渚さんから教えてもらった事、たくさんある。
村田渚という芸人に出会えて、本当に良かった。
幸せやわ。
これからはあの人に教えてもらったことを心に。
そして少しでもあの人に近づけるよう、もっともっとやらんと。
好きくらいじゃアカンわ。
狂わんと。
財布から渚さんとよく行っていた居酒屋のサービス券が出てきた。
最後二人で呑みに行った時貰ったヤツ。
良かった。
嬉しかった。
普段こういうのは捨てんねんけどね。
ホンマ良かった。
ずっと財布に入れとこう。
太く短く、全てを笑いに捧げて生きてきた渚さん。
本当におつかれさまでした。
どうかゆっくりと、休んでください。
毎年11月12日は、渚さんの大好きな桃を食べようと思う。
勿論、台所で。