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私の空

蝶のように毎日旅立てれば…

ベトナムについて。

2012-02-19 23:40:06 | 
 今読んでいる歴史小説では日清戦争がいよいよ開戦しようとしている。そんなさなか、著者は以下のような記述を挿入している。

 「ゆらい、半島国家というものは維持がむずかしい。この点、ヨーロッパにおけるバルカン半島やアジアにおけるベトナム(安南)などがそれを証明しており、たまたまこの日清戦争の直前、ベトナムにおいてよく似た問題が起こっている。清国がベトナムの宗主権を主張し、これを植民地にしようとしたフランスと紛争し、その結果、清仏戦争がおこり、フランス海軍は清国福建艦隊を全滅させ、さらに陸戦においても清国は連戦連敗した。明治十七年(1884年)のことである。」 ―司馬遼太郎『坂の上の雲』より

 フランス占領後、1945年にはベトナム民主共和国として独立したものの、第二次世界大戦後の冷戦に巻き込まれ、ベトナムの南北分断時代が始まる。1960年には15年間にも及ぶベトナム戦争が開戦。1975年、サイゴン(現ホーチミン)が陥落し、翌年には南北ベトナム統一とベトナム社会主義共和国樹立が宣言される。歴史は淡々とそう語っている。(調べました笑)

 とは言うものの、歴史は機械が生産した無感情な代物ではない。

 先日社員旅行で行かせて頂いたベトナムは色々な意味で驚嘆させられることが多かったが、その中でも二日目に訪れたホーチミン市の戦争証跡博物館には度胆を抜かれた。世界史の教科書でしか私の中に存在しなかった出来事がそこには実在していた。翌日訪れたクチトンネルも然りである。歴史は四択から正解不正解を当てる問題集の元ネタでも、学会で新説を見せびらかすための遊具でもなく、人間の生や苦しみや悲しみや希望や過ちや決断そのものなのかもしれない、と改めて感じた。ベトナム戦争は本当に起きていた。知ってはいたが、実感は初めてであった。

 パリの街並みを恐ろしいほど彷彿とさせるホーチミン市。占領され、爆撃され、心身共に歪められても尚存続する、哀しいほどの強さが、のんびりとした空気の中で見え隠れするのを、見たような気がする。

11月22日の日記から

2011-12-02 22:11:00 | 
 お金もかかるし、時間もかかる。それでも私が休日に帰京したくない最大の理由は帰ると戻ってきたくなくなるからだ。新宿の眩しさに触れた瞬間、山麓での生活が嘘のように遠いものとして感じられて、私は都市の渦中に埋もれていき、一体何が真で、何が幻想なのかわからなくなってしまう。地下鉄を乗り継ぎ乗り継ぎ、貪るように次々と美術館やら喫茶店やら陶器屋やらに入り、時間を行動で埋め尽くそうとし、結局は最終特急列車に乗る頃には疲労のせいか、混乱のせいか、なんとも空虚な気分になってしまう。戻りたくないとひとしきり心の中で喚いて、時には情けないことに涙さえ流すのはもはや新宿駅での一連の儀式になりつつある。
 故郷のない私は東京をどこよりも愛し抜こうといつしか決めていた。それでも深呼吸して列車の開く扉から一歩ホームに降り立つと、都市のざわめきが昨晩の夢のようにおぼろげとしか感じられず、時にはほっとするような気持ちさえ感知してしまうのは一体どういうことなんだろうか。

喫茶店を思う。

2011-09-29 00:00:20 | 
 就職するにあたって、不安要素は星の数ほどあったが、不安が解除されたものもあれば、実際の脅威にめでたくも昇格したものもある。前者に関しては浅はかであった自分を思い出しては少し笑ってあげ、後者に関しては何らかの解決策を練るなり、あるいは仕方なく黙認するに至っている。
 生意気にも、なぜだか不安要素の一つに院2頃から始めた喫茶店巡りができなくなってしまうのではないか、というものがあった。そう言えばこんな記事も書いたことがあったっけ→「珈琲賛歌http://blog.goo.ne.jp/butterflychild/e/07fb1d559cc2419eed67e32c56c31405」
 しかし就職してから半年が経ち、実際のところ私は学生の頃より積極的に喫茶店に通っては、わからないなりに珈琲の香りや味を批評し、煙草の煙に包まれながら読書に耽り、我や他人を思う。
 休日には県内あるいは県外の、そして帰京した際には都内の喫茶店に必ずと言っていいほど入る。なぜであろう。これはオブセッションなのだろうか。オブセッションにしてはあまりにも生ぬるいような気もするが。
 そんなとるにも足らない事柄に思いを巡らせながら、神保町のミロンガ・ヌオーボで『海辺のカフカ(下)」の一節に激しく同感し、初台での演劇公演が始まるのを店内で流れるタンゴのリズムに身を任せながら、待つ。

http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=110374763203078929240.000484f48da41f91cf49a&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&z=2


六年間、という節目について

2011-02-08 01:06:42 | 
 先日ある極個人的な法則を発見した。私は24年間生きてきたが、どうやら6年ごとに環境ががらりと変わるようになっている。異国に住んだ年数は6年間、都内の中高一貫の女子校に通った年数も6年間、大学と大学院にいた年数も結果的には6年間。実際幼少期の内、自国で過ごした年数は5年間であった。しかし帰国後、日本の公立小学校に通ったのは1年間であり、まるで最初の5年間を清算したかのようである。これは偶然であることは確かだが、私の人生には明らかに規則正しく節目が存在することだけは確認できた。

 さて、あと僅かの時間で終わろうとしている4度目の6年間は、他の6年間とは少し異なっていた。大学と大学院で過ごした時間は、初めて両親の都合や両親の強い意思(それらが間違っていたと言う訳では勿論ないが)が働いていないものだったからである。「勉強なんかしたくなああああああああい」と喚いていた高校二年生に何とか大学受験に立ち向かわせたのは母だし、学費を払ってくれたのは父であったが、美術を学ぼう、またあらゆる芸術体系に手当たり次第触れようという思いはやはり自発的なものだったとしか言いようがない。両親の庇護のもとにありながら、自由に学び、自由に遊ぶことができたこの6年間は、いつ振り返っても大変ありがたく、また大切な期間であることは間違いない。

 ならばこの6年間を簡単に総括しよう。まず何よりも重要なのは、人に大変恵まれたことである。私は常に人に恵まれてきたが、今回も特にそうだった。大学では先生に、先輩に、後輩に、そして誰よりも同級生に恵まれ、長期勤めたアルバイト先では上司に恵まれ、出会いを通して自分が誰なのか、やっとぼんやりと輪郭線が見えてきたような気がする。

 時間的にも成果的にも齧るどころか、嘗める程度に止まったが、研究という行為を少しは実行することができた。そして研究は研究対象に対する並々ならぬ情熱と覚悟を要することを知った。

 今のうち、と言われるがままに旅行をした。巴里を中心とした仏蘭西には4回、倫敦を中心とした英吉利には2回、伯林や独逸の地方都市カッセルとミュンスター、ヴェネチア、紐育とボストン、モンゴル、ブリュッセル(8時間程の滞在)などにも1回ずつ訪れた。最後に羅馬、フィレンツェ、未蘭を訪れる予定である。国内も多少なりとも旅行した。京都、奈良、大阪、金沢、祖父のいる姫路には数え切れないほど、鎌倉、名古屋… 旅行の目的は大抵の場合、その場所でしか見れない作品を見て、その場所でしか吸えない空気を吸うことだが、結局のところいつも自分という最も身近で最も未知な存在の新たな一面を発見して帰ってくるのだから不思議である。また東京が故郷であることも知った。まだまだ行きたい場所はたくさんある。維納、中国、韓国、台湾、印度、西班牙、九州、白耳義、和蘭、富山、埃及、希臘、青森…楽しみはとっておくものと信じて、いつか行けることを願おう。

 好奇心が赴くままに様々な芸術体系に触れようと努めた。私は高校1年生の頃から見たり聴いたりした展覧会や公演や講演のチラシは全てファイリングしているが、バインダーは今年で10冊になった。これが多いか少ないかは別として、興味の幅はこの6年間で広がったことは間違いない。高校生の頃はヨーロッパの作品しか見に行かなかったが、東京国立博物館や古美術研究旅行のおかげで日本やアジアの作品の奥深さを知った。ドクメンタ、ミュンスター彫刻プロジェクト、ヴェネチア・ビエンナーレを通じてコンテンポラリー・アートに対する関心も大いに高まった。学生券や幕見席やZ席のおかげでオペラも様々なジャンルの音楽も歌舞伎も能も様々なジャンルの舞踊も狂言も文楽も見に行くようになった。特に美術がもはや趣味と呼べなくなった際、バレエに救われ、救われ続けていることも忘れることはできない。日本文学に対する敬意も深まった。それと同時に、自らの安っぽい筆を折る決心もいつしかついていた。喫茶店という趣味もできた。珈琲を飲んで、本を読んで、ノートにその場限りの思想を書き留めて、夢想する、という長年憧れていた無為をやっと実行できるようになった。

 もうすぐこの6年間が終わろうとしている。私は大学を去り、且つ勤め始め、且つ初めての一人暮らしをやってのけるらしい。不安と期待が交錯するこの感覚は久しぶり、実に6年ぶりだ。しかし常にそうであったように、前の6年間が次の一定期間を必ず後押ししてくれることを私は知っている。我が大学生活に悔いなし。ならば何を恐れることがあろうか?

記録魔のサガ

2010-09-23 00:10:25 | 
父親譲りなのか、父親以上なのかわからないが、私は何かと記録をするのが好きだ。部屋に眠る幾冊もの日記がそれを物語っているように思う。最古の記録は1995年6月26日、15年前のものである。絶望のあまり、こんな人生記録するに及ばず!、と記録を絶っている時期もあるが、なんだかんだ言って記録は断続的に続いている。読み返すと、記憶が生臭いほど痛切に蘇るのだから不思議である。

そんな記録癖が嵩じてか、文明の利器を用いて多種類の記録を付ける羽目になっている。

・ブックログ
読んだ本、読みたい本、観た映画、観たい映画などを記録できるサイト。この頃はレビューをほとんど書かないが、興味をもった作品をメモできるだけでもありがたい。「読みたい本」の数が増える一方であるが、ここは気長に減らしていく方針で。
http://booklog.jp/users/noixdecoco

・世界建築散歩(趣味!)@googlemap
巴里に3週間もいると、流石にお金も行きたいところも減ってくる。そんな時に思いついた零円趣味が建築巡りだった。アパート近所のエクトール・ギマール作品などを見て過ごしたが、これが案外面白かった。東京に戻ってもやはり金欠だったため、同趣味を続けてみたところ、一年後にこれは勿体無いと生来の癖でやはり記録することに。最初はブログ形式でやっていたが、正確な場所も記録しておきたいということでgooglemapに転向。いつかブログも併設して、写真などもアップしたいところである。まだまだ未登録の建築もあることだし、これもまた気長にやろうと考えている。尚マップのタイトルでも表示したように、これは完全なる趣味なので完全なる素人感覚で記録を付けている。誤った情報や認識満載の可能性高し。
【日本編】
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=110374763203078929240.00048ed9efcb4a7de9a50&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&z=6
【仏蘭西編】
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=110374763203078929240.00048ef78d67c853c7506&brcurrent=3,0x0:0x0,0&z=6
【英吉利編】
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=110374763203078929240.00048f0942529960e132e&brcurrent=3,0x0:0x0,0&z=9

・行った行ってみたいカフェ/喫茶!
お酒は好きだが少量でも記憶が飛ぶ危険性があるため、長年の夢であったバー通いは諦めて、喫茶店で珈琲を飲むことに。弟の失笑の的ではあるものの、ほとんどの場合一人で行く。それでも文庫本一冊、あるいはペンとノートを持ち込んで珈琲を促進剤に言葉と遊ぶのも悪くない。この頃は地下の喫茶店にそそられる。真っ昼間から薄暗い中で珈琲をすすりながら読書をするのは何ともデカダンスそのもののようで、正直たまらない。私自身は吸わないが、服が仄かに煙草の香りがするようになるのもまたなぜだか良い。今後は未開拓の神保町や中央線沿いの喫茶店や、ウェスタン北山珈琲店のような一人では怖くて行けなさそうなところにも足を伸ばしてみたい。
http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&msa=0&msid=110374763203078929240.000484f48da41f91cf49a&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&z=2

・「用の美」
倫敦の骨董市でカップ・アンド・ソーサーに一目惚れをしてから、食器・茶器・酒器を集めることに。ある意味記録とは出来事や思いつきの蒐集なのだから、私が突然何かを集め始めたことにはさほど驚いてはいない。そして集めたものをまた卑しくも記録しているのだから、これは二重の蒐集とも言える。
http://blog.goo.ne.jp/phonoodlesoup/

 多少記録過多であることは重々承知だが、修論の息抜きにもなってしまっているので仕方がない。今日の記録を15年後の私はどう思うか。こんなことを想像してしまうのも、記録魔のサガか。