今読んでいる歴史小説では日清戦争がいよいよ開戦しようとしている。そんなさなか、著者は以下のような記述を挿入している。
「ゆらい、半島国家というものは維持がむずかしい。この点、ヨーロッパにおけるバルカン半島やアジアにおけるベトナム(安南)などがそれを証明しており、たまたまこの日清戦争の直前、ベトナムにおいてよく似た問題が起こっている。清国がベトナムの宗主権を主張し、これを植民地にしようとしたフランスと紛争し、その結果、清仏戦争がおこり、フランス海軍は清国福建艦隊を全滅させ、さらに陸戦においても清国は連戦連敗した。明治十七年(1884年)のことである。」 ―司馬遼太郎『坂の上の雲』より
フランス占領後、1945年にはベトナム民主共和国として独立したものの、第二次世界大戦後の冷戦に巻き込まれ、ベトナムの南北分断時代が始まる。1960年には15年間にも及ぶベトナム戦争が開戦。1975年、サイゴン(現ホーチミン)が陥落し、翌年には南北ベトナム統一とベトナム社会主義共和国樹立が宣言される。歴史は淡々とそう語っている。(調べました笑)
とは言うものの、歴史は機械が生産した無感情な代物ではない。
先日社員旅行で行かせて頂いたベトナムは色々な意味で驚嘆させられることが多かったが、その中でも二日目に訪れたホーチミン市の戦争証跡博物館には度胆を抜かれた。世界史の教科書でしか私の中に存在しなかった出来事がそこには実在していた。翌日訪れたクチトンネルも然りである。歴史は四択から正解不正解を当てる問題集の元ネタでも、学会で新説を見せびらかすための遊具でもなく、人間の生や苦しみや悲しみや希望や過ちや決断そのものなのかもしれない、と改めて感じた。ベトナム戦争は本当に起きていた。知ってはいたが、実感は初めてであった。
パリの街並みを恐ろしいほど彷彿とさせるホーチミン市。占領され、爆撃され、心身共に歪められても尚存続する、哀しいほどの強さが、のんびりとした空気の中で見え隠れするのを、見たような気がする。
「ゆらい、半島国家というものは維持がむずかしい。この点、ヨーロッパにおけるバルカン半島やアジアにおけるベトナム(安南)などがそれを証明しており、たまたまこの日清戦争の直前、ベトナムにおいてよく似た問題が起こっている。清国がベトナムの宗主権を主張し、これを植民地にしようとしたフランスと紛争し、その結果、清仏戦争がおこり、フランス海軍は清国福建艦隊を全滅させ、さらに陸戦においても清国は連戦連敗した。明治十七年(1884年)のことである。」 ―司馬遼太郎『坂の上の雲』より
フランス占領後、1945年にはベトナム民主共和国として独立したものの、第二次世界大戦後の冷戦に巻き込まれ、ベトナムの南北分断時代が始まる。1960年には15年間にも及ぶベトナム戦争が開戦。1975年、サイゴン(現ホーチミン)が陥落し、翌年には南北ベトナム統一とベトナム社会主義共和国樹立が宣言される。歴史は淡々とそう語っている。(調べました笑)
とは言うものの、歴史は機械が生産した無感情な代物ではない。
先日社員旅行で行かせて頂いたベトナムは色々な意味で驚嘆させられることが多かったが、その中でも二日目に訪れたホーチミン市の戦争証跡博物館には度胆を抜かれた。世界史の教科書でしか私の中に存在しなかった出来事がそこには実在していた。翌日訪れたクチトンネルも然りである。歴史は四択から正解不正解を当てる問題集の元ネタでも、学会で新説を見せびらかすための遊具でもなく、人間の生や苦しみや悲しみや希望や過ちや決断そのものなのかもしれない、と改めて感じた。ベトナム戦争は本当に起きていた。知ってはいたが、実感は初めてであった。
パリの街並みを恐ろしいほど彷彿とさせるホーチミン市。占領され、爆撃され、心身共に歪められても尚存続する、哀しいほどの強さが、のんびりとした空気の中で見え隠れするのを、見たような気がする。