「コーヒー」は母方の祖父に教わったように思う。「お茶しようか」という言葉は祖父の口からしか聞いたことがないし、喫茶店でコーヒーを一杯頼んでお話をするという極めて単純な行為が、買い物をしたり、カラオケに行くのと同じぐらい外出の口実になり得ると示してくれたのも祖父である。今でも祖父の住む兵庫県の田舎町龍野を訪れれば、家から車を少し走らせたところの喫茶店「壱枚の絵」に連れて行ってもらう。特別何かがあるわけではないのだが、お店がもつ独特の空気感や、お酒さえも到底持ち得ないコーヒー独自のほろ苦い魔力に浸りに行くのかもしれない。いずれにせよ、それは単なる暇つぶしでも、生物学的意味合いでの食事でもない。「お茶しようか」は穏やかで他愛無い、そして歴とした目的物なのである。
高校を卒業して、初めて「自由」という何ともつかみどころのない女性と付き合うようになったとき、私はコーヒーが一人でも飲めることを知った。文庫本を一冊持ち込んで、コーヒーカップを時たま口元に運びながら、時間という概念が次第に霞んでいくのを楽しみ、またデカダンスとはこういうものなのかと思ったりするのが好きになってしまった。書きとめてもいいかと思える考えや感情の断片がコーヒーの香りの中に漂っているのをみつければ、鞄からペンを探り当てては書いてみる。実際この文章も銀座のカフェー・パウリスタの紙ナプキンに書いているのだから、もはや癖である。とはいうものの、ヘミングウェイもパリのル・セレクトを書斎にしていたというのだから、ちょっとした作家気取りの側面もあるだろう。
中学生、高校生の頃、喫茶店で飲むコーヒーはアイスと決まっていた。若いな、と祖父は毎回笑ったが、今は専らホットを注文する。いつからか自然とそちらに移行していたのである。私も少し大人びたのだろうか。コーヒーで自分の成長を測れるのは何とも愉快である。
先月祖父と姫路で会った時、商店街の中にあるカウンター付きの喫茶店に入った。そちらのマスターに指摘されて改めて気づいたが、私は祖父とコーヒーの飲み方が一緒である。コーヒーが出されると、まずクリームもお砂糖も何も入れずに、スプーンで円を何回かコーヒーの中で描く。僅かの揺らめきを見せるコーヒーの中にクリームをそうっと流し入れれば、水面ならぬコーヒー面には白線の渦が浮かび上がる。コーヒーの専門家が聞いたら、何と理に叶わない飲み方をするのだ、とお叱りを受けるかもしれないが、私にとってはそれが「正統」であり、他でもない祖父からコーヒーを教わった証なのである。
これからも祖父に何百回、何千回と「お茶しようか」のお誘いを受けることを、私は楽しみにしている。
高校を卒業して、初めて「自由」という何ともつかみどころのない女性と付き合うようになったとき、私はコーヒーが一人でも飲めることを知った。文庫本を一冊持ち込んで、コーヒーカップを時たま口元に運びながら、時間という概念が次第に霞んでいくのを楽しみ、またデカダンスとはこういうものなのかと思ったりするのが好きになってしまった。書きとめてもいいかと思える考えや感情の断片がコーヒーの香りの中に漂っているのをみつければ、鞄からペンを探り当てては書いてみる。実際この文章も銀座のカフェー・パウリスタの紙ナプキンに書いているのだから、もはや癖である。とはいうものの、ヘミングウェイもパリのル・セレクトを書斎にしていたというのだから、ちょっとした作家気取りの側面もあるだろう。
中学生、高校生の頃、喫茶店で飲むコーヒーはアイスと決まっていた。若いな、と祖父は毎回笑ったが、今は専らホットを注文する。いつからか自然とそちらに移行していたのである。私も少し大人びたのだろうか。コーヒーで自分の成長を測れるのは何とも愉快である。
先月祖父と姫路で会った時、商店街の中にあるカウンター付きの喫茶店に入った。そちらのマスターに指摘されて改めて気づいたが、私は祖父とコーヒーの飲み方が一緒である。コーヒーが出されると、まずクリームもお砂糖も何も入れずに、スプーンで円を何回かコーヒーの中で描く。僅かの揺らめきを見せるコーヒーの中にクリームをそうっと流し入れれば、水面ならぬコーヒー面には白線の渦が浮かび上がる。コーヒーの専門家が聞いたら、何と理に叶わない飲み方をするのだ、とお叱りを受けるかもしれないが、私にとってはそれが「正統」であり、他でもない祖父からコーヒーを教わった証なのである。
これからも祖父に何百回、何千回と「お茶しようか」のお誘いを受けることを、私は楽しみにしている。