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私の空

蝶のように毎日旅立てれば…

珈琲賛歌

2010-04-04 15:43:14 | 
 「コーヒー」は母方の祖父に教わったように思う。「お茶しようか」という言葉は祖父の口からしか聞いたことがないし、喫茶店でコーヒーを一杯頼んでお話をするという極めて単純な行為が、買い物をしたり、カラオケに行くのと同じぐらい外出の口実になり得ると示してくれたのも祖父である。今でも祖父の住む兵庫県の田舎町龍野を訪れれば、家から車を少し走らせたところの喫茶店「壱枚の絵」に連れて行ってもらう。特別何かがあるわけではないのだが、お店がもつ独特の空気感や、お酒さえも到底持ち得ないコーヒー独自のほろ苦い魔力に浸りに行くのかもしれない。いずれにせよ、それは単なる暇つぶしでも、生物学的意味合いでの食事でもない。「お茶しようか」は穏やかで他愛無い、そして歴とした目的物なのである。
 高校を卒業して、初めて「自由」という何ともつかみどころのない女性と付き合うようになったとき、私はコーヒーが一人でも飲めることを知った。文庫本を一冊持ち込んで、コーヒーカップを時たま口元に運びながら、時間という概念が次第に霞んでいくのを楽しみ、またデカダンスとはこういうものなのかと思ったりするのが好きになってしまった。書きとめてもいいかと思える考えや感情の断片がコーヒーの香りの中に漂っているのをみつければ、鞄からペンを探り当てては書いてみる。実際この文章も銀座のカフェー・パウリスタの紙ナプキンに書いているのだから、もはや癖である。とはいうものの、ヘミングウェイもパリのル・セレクトを書斎にしていたというのだから、ちょっとした作家気取りの側面もあるだろう。
 中学生、高校生の頃、喫茶店で飲むコーヒーはアイスと決まっていた。若いな、と祖父は毎回笑ったが、今は専らホットを注文する。いつからか自然とそちらに移行していたのである。私も少し大人びたのだろうか。コーヒーで自分の成長を測れるのは何とも愉快である。
 先月祖父と姫路で会った時、商店街の中にあるカウンター付きの喫茶店に入った。そちらのマスターに指摘されて改めて気づいたが、私は祖父とコーヒーの飲み方が一緒である。コーヒーが出されると、まずクリームもお砂糖も何も入れずに、スプーンで円を何回かコーヒーの中で描く。僅かの揺らめきを見せるコーヒーの中にクリームをそうっと流し入れれば、水面ならぬコーヒー面には白線の渦が浮かび上がる。コーヒーの専門家が聞いたら、何と理に叶わない飲み方をするのだ、とお叱りを受けるかもしれないが、私にとってはそれが「正統」であり、他でもない祖父からコーヒーを教わった証なのである。
 これからも祖父に何百回、何千回と「お茶しようか」のお誘いを受けることを、私は楽しみにしている。

旅情について

2009-09-22 18:21:56 | 
“Home is where the heart is.”

 

 3週間のパリ滞在から早3週間程経とうとしていますが、今更ながらその旅行記を読み返し始めています。こんなことを書いていたのか、とまるで別人の日記を読むような感覚ですが、旅行記をうまく締めくくろうとしたのか、私は次のようなくだりで記述を止めています。
 
 「パリに行きたいとか、スペインに行きたいとか思うのは決して東京を永遠に離れたいからではない。ある意味旅に出ることは『いつか戻る』という要素も含んでいるのであり、帰ること、あるいは望郷することも旅の重要な一部なのかもしれない。
 ならばなぜ旅などに出るのか。それはおそらく多くの人々が問うてきたことであり、かつ問い続けることだろう。というのも旅に出るということは決して『楽をする』とは同義ではない。不慣れな環境、言語、習慣に囲まれることは時としては大変居心地が悪く、苦痛に思えることさえある。しかしそれと引き換えに得られる驚きや、平坦な言葉だが真の意味での『感動』はやはり何物にも代え難い。そういった感動は重量超過のスーツケースの中身よりも重みがあり、また意味のあることなのである。
 でも旅の本当の締めくくりは重い荷物をやっとのこで家の玄関に引きずり入れ、我が家の匂いやいつもは近すぎて恋しく思う余地のない人々の声を聞いた時の大きな大きな安堵感だろう。これなくして旅は終えることができない。
 そしてこの安堵感が日常に変色して初めて、人は次の旅について想いを巡らすことができるのである。」

 以上のくだりは確か、スーツケースの許容重量が20kgのところ、私のスーツケースは28kgを叩き出し、泣く泣くまだ中身の入ったシャンプーボトルや服等を捨て、25.8kgまで下げたことで何とか許してもらった直後、シャルル・ド・ゴール空港で搭乗を待っている間であったと思います。短いようで長く、長いようで短かった3週間の旅をこのような言葉で結論付けようとしていた私はおそらく帰りたい気持ちと残りたい気持ちの狭間にいたのだろうな、と今になって感じます。
 韓国のインチョン空港を経由し、成田空港に降り立つと、「日本へようこそ」を何ヶ国語で書いてある看板があります。しかし「Welcome to Japan」の上に一番大きく書かれているのが次の平仮名7文字、「おかえりなさい」です。この言葉が心に響いた時、ああ私の「home」はここにあるのだな、と強く強く自覚しました。
 

野球小独白

2008-09-08 08:11:21 | 
 先日ボストンレッドソックスの試合をホームに当たるフェンウェイ・パークで観戦することができました。日本のかなり組織立った応援(これもなかなか楽しいのですが)とは違い、その日盛り上がっている観客主体の無秩序な声援や、試合前や七回表の後にある慣例行事は私が小さかった頃とほとんど変わらず、ああアメリカは確かにこのようなところだったな、と懐古的にならざるを得ませんでしたが、やはり一番心打たれたのはその試合の先発投手を勉めた松坂大輔の姿でした。
 私は野球が大好きとか松坂大輔の大ファンとか、そういう訳ではありませんが、保谷に住んでいた頃、電車で一本ということもあり、たまに西武球場に足を運んではライオンズを応援しました。時には松坂が投げていることもあり、調子がいい時とかなり悪い時もありましたが、私はいずれにせよ西武ライオンズのエースをひそかに応援していました。西武時代の松坂で一番印象に残っているのは、彼がまだルーキーの頃、二勝目辺りを治めた後の彼の表情をとらえた写真です。それはある新聞記事に添えられたものでしたが、先輩選手の祝福を受ける松坂は、まだ中学生か何かの私にも「あどけない」と感じられるほどの笑顔を見せていました。試合数を重ねるうちにあの笑顔はもう少し大人なものへと変化していきましたが、松坂大輔と聞くと、真っ先に私が思い起こすのが、新聞に載っていたあの笑顔なのです。
 よって先日、彼が大リーグのマウンドに立ち、「DICE‐K!!!」と人々に迎えられた時、私は何か感慨深い気持ちにさせられました。もし甲子園の頃の彼を知っていたら、それは一層強いものだったでしょう。これを彼の「成長」と呼んだら、それはいささか偉そうな表現になってしまいますが、このどこか母性的な感情を湧き起こすものはそう呼ぶしかないかもしれません。九回でレリーフに交代するまで無失点に抑え、16勝目を挙げた松坂の場合なら尚更です。

「青」について

2008-07-11 09:52:00 | 
 今朝は素晴らしき青に迎えられて目を覚ましました。前日珍しく体調が優れず、身体の不調をこの上なく怖れる私は大事をとって十時ごろに寝ました。目を覚ますと空には素晴らしき青がビルの合間から覗いていて、私は久々にある一日の紀元前に立ち会うことができたような気になりました。
 この素晴らしき青をどう表現したら良いのでしょうか。それは日中の陽気な薄っぺらい青とも、夕暮れ間近の濃密な青とも違います。それはさらさらしているけど無味ではなく、深みがあるけど苦くはなく、夜の紫の香りを残しつつも清らかな、そんな素晴らしき青なのです。横になってこの青を眺めていると、美術館の中にいる時よりも贅沢な気分に満たされます。
 この素晴らしき青以外にも私が気に入っている青はたくさんあります。例えば今年の春、東京国立近代美術館で開催された「生誕100年 東山魁夷」展にも展示されていた唐招提寺の御影堂障壁画《濤声》に見られる青がそうです。青という色が海と化し、風を呼び、波を起こす様が何とも忘れがたいのです。また私が最近買ったワンピースも青い色をしていて、黒いエナメルの靴や赤いネックレスと合わせるとどうなるだろうと考えるのは愉快です。しかし東山魁夷作《濤声》と私のワンピースが空の素晴らしき青と異なる点は、それらが未来永劫その色を保っているということ、あるいは保つことが望ましいということです。しかし空の素晴らしき青はそうではありません。勿論できることならずっと眺めていたいことは確かですが、それでは一日が始まりません。光が足りなすぎるのです。しまいには作物も育たなくなり、私たちも滅んでしまうでしょう。よって空の素晴らしき青は目覚まし時計よりもちょっと早く朝に着いてしまい、本を読むにはまだ頭が働いていないし、しかし眠ることにも飽きた時、目覚まし時計を待ちながら眺めるのに最適な青なのです。一日のいつでも会えるわけでもないし、また気付けばやはり再び眠りについていて目覚まし時計に起こされた頃にはいなくなっている青だからこそ、素晴らしいのかもしれません。

パリについて

2008-02-06 19:57:51 | 
"If you are lucky enough to have lived in Paris as a young man, then wherever you go for the rest of your life, it stays with you, for Paris is a moveable feast."
-Ernest Hemingway

Et le ciel de Paris a son secret pour lui;
Depuis vingt siècles il est èpris
De notre île Saint-Louis.
Quand elle lui sourit
Il met son habit bleu, hum hum...
Quand il pleut sur Paris
C'est qu'il est malheureux.
Quand il est trop jaloux
De ses millions d'amants, hum hum...
Il fait gronder sur eux
Son tonnerre éclatant.
Mais le ciel de Paris
N'est pas longtemps cruel, hum hum...
Pour se fair' pardonner
Il offre un arc-en-ciel... hum hum...
-Jean Dréjac作詞 Hubert Giraud作曲 Edith Piaf唄
《Sous le ciel de Paris》より

 友人とパリを訪れたのはちょうど一年ほど前になります。二人でモンマルトルにあるアパルトマンの一室を借り、朝から美術館や教会巡りをした後、夕方はアパルトマンで自炊をしました。一週間ちょっとの間でしたが、パリジェンヌになった気分を満喫できました。
 前回は二回目のパリ滞在となりましたが、初めて訪れた時からこの街にぴったりな言葉は何か、と考えてきました。それは「混沌」ではないか、と私は今思っています。秋葉原の原色狂いやヴェネチアの迷宮とも違う、パリ独特の「混沌」です。古今東西の多くの優れた作品が住む街、薄暗いメトロの街、無数のキャフェの街、今も昔も人を惹きつけてならない街… 私が頭の中で思い描くパリの像はいつもラウル・デュフィのような筆致で現れてきます。そしてそのタッチにもう一度でいいから苛まれたくて、再びパリへの旅行を計画し始めるのです。
 モディリアーニが歩いた街並みを、私もまた辿ってみたい限りです。