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私の空

蝶のように毎日旅立てれば…

2014-11-24 21:07:10 | 


 先日、百合の蕾を見つけた。都会のど真ん中なのにも関わらず、本物の大地ではなく、人間が自らの保養のために作った小さな花壇の中であったにも関わらず、蕾たちはぴんっとくすんだ空に向かって、堂々とその生命を謳歌していた。蕾を一つ握ってみる。命がぎゅっと詰まっていた。迷いなど、微塵も感じられなかった。
 不意のビル風に、ゆらゆらと茎が揺れる。迷いばかりの私を、そっと励ましてくれた。

長崎の空

2014-10-19 22:38:40 | 
長崎を訪れる。その歴史を空と共に。


大浦天主堂
秋空に鐘の音が鳴り渡る


日本26聖人殉教地・西坂の丘
宗教という理屈を超えた正当性と、相互の無理解に我々は今でも格闘している


原爆投下中心地の空
 
平和記念公園
長崎が負うもう一つの歴史と使命

The Book of Teaを読んで。

2014-06-08 09:40:15 | 
“In such instances we see the full significance of the Flower Sacrifice. Perhaps the flowers appreciate the full significance of it. They are not cowards, like men. Some flowers glory in death--certainly the Japanese cherry blossoms do, as they freely surrender themselves to the winds. Anyone who has stood before the fragrant avalanche at Yoshino or Arashiyama must have realised this. For a moment they hover like bejewelled clouds and dance above the crystal streams: then, as they sail away on the laughing waters, they seem to say: ‘Farewell, O Spring! We are on to Eternity!’”
--from “The Book of Tea” by OKAKURA Tenshin 1906


約10年ぶりに天心の『茶の本』を再読した。10代の頃よりも不思議と心に浸み込んで、文章の美しさに正直驚いた。大画面の壮大な日本画を読んでいるような感覚を覚えた。

日本を「理解」するための本として西欧人はしばし谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』を取り上げることが多いが、この原文はあくまでも日本語である。谷崎が日本語以外の言語で書く意志があったのか私は知らないが、少なくとも読んでいる限り同書は「日本の(本来の)姿」を徐々に変化をしつつある当時の日本人に向けて描写した本のように思われる。

しかし『茶の本』は違う。意図的に英語で書かれている。出版社もアメリカにある。これは西欧人に日本を「理解」「させる」ための本なのだ。露骨で時には自嘲を仄めかす『陰翳礼讃』よりも、造形された美しさと、西欧人が思い描く「日本像」を紡いでいるのはそのためであろう。

しかし1世紀以上経ってこの本を読む日本人は天心の読者に該当するまで変化し切っているのかもしれない。あるいは表面的にはそうかもしれないが、深層では違うかもしれない。国民性とは変動するものなのだろうか、また定義が可能なものなのだろうか。

そう言えば最近茶道を再開した。覚える所作が多いが、それでも不思議と清々しい。隔週のお稽古だが、今週も楽しみだ。


“Before a great work of art there was no distinction between daimyo, samurai, and commoner. Nowadays industrialism is making true refinement more and more difficult all the world over. Do we not need the tea-room more than ever?”







催眠薬のごとく

2014-05-18 20:58:50 | 
「僕はこの夏新潟へ帰り、たくさんの愛すべき姪たちと友達になって、僕の小説を読ましてくれとせがまれた時には、本当に困った。すくなくとも、僕は人の役に多少でも立ちたいために、小説を書いている。けれども、それは、心に病ある人の催眠薬としてだけだ。心に病なき人にとっては、ただ毒薬であるにすぎない。僕は僕の姪たちが、僕の処方の催眠薬をかりなくとも満足に安眠できるような、平凡な、小さな幸福を願っているのだ。」
 -坂口安吾「青春論」より


どうしてこの件が胸を打つのだろうか。人は何のために芸術に触れるのだろうか、求めるのだろうか。教養のため、余暇の楽しみのため、権威のため、学問のため、社交のため。理由はそれぞれだろうし、より良いあるいはより悪い理由もない。触れたいように触れ、求めるように求めれば良いのだ。

ならば私自身は何のために芸術に触れる、求めるのだろうか。貪るように展覧会に足を運び、劇場に駆け込み、フォアグラを育てるが如く色彩や音色を目と耳に強制的に与え、結局何を得ているのだろうか。私が思うにそれは安吾の言う「催眠」なのかもしれない。作品に触れ、酔いしれ、一体化している時、他のあらゆる事象は存在をなくす。意味を成さなくなる。鎮痛剤のようかもしれない。心の仮住まい、避難場所なのだ。

不思議にも、高校生の時に書いた日記の一部の内容を今でも覚えている。美術に興味を持ちだした時、私は美術鑑賞を何かの代替行為として捉えていた。生意気にも空虚な気持ちで思い悩むことが多かった10代、美術は格好な薬だった。しかし、良薬口に苦しなのであれば、その薬はあまりにも甘美過ぎた。私は中毒になった。そう、おそらくそういうことなのだ。

Because your love, your love, your love, is my drug. Your love, your love, your love...
-KE$HA


上野/春/郷

2012-04-14 00:16:58 | 
               ふるさとは遠きにありて思ふもの
               そして悲しくうたふもの
               よしや
               うらぶれて異土の乞食となるとても
               帰るところにあるまじや
               ひとり都のゆふぐれに
               ふるさとおもひ涙ぐむ
               そのこころもて
               遠きみやこにかへらばや
               遠きみやこにかへらばや
                     室生犀星 [小景異情ーその二] より


 休日の予定が狂った瞬間、無性に上野が恋しくなり、弾丸日帰り帰省を決行。(しかもあまりにも衝動的だったため、電車の時間を調べる余裕もなく、そのまま車で東京を目指す。中央道は良かったが、首都高に突入してからがまあ大変。挙句の果てにはナビに新宿のど真ん中で下道に降ろされ、文字通り「必死」な上京となった。)マンションの立体型駐車場を初めて利用し、そのまま徒歩で上野へ。谷中の満開の桜が目に入ると、少し涙がこぼれた。ここ6年間ずっと目にしてきた光景。きゅっときつく絞めていた感情の結び目が、緩んだ。
 谷中の墓地と母校の変わらぬ姿に懐かしさを掻き立てられながら、上野へ向かう。満開の桜並木、ビールやカメラを手にした人、人、人。「これを見ずしていかに春を迎えらむ。」故郷の欠如を自認してきた私に、そんな言葉が浮かんでくるとは夢にも思わなかった。
 上野や日暮里を思う時、私は一体何を恋しく感じているのだろうか。「東京」が恋しいのか、それとも漠然と「都市」が恋しいのか。「土地」が恋しいのか、それともその土地に付与された「過去」が恋しいのか。これは郷愁なのか。そうなれば私にも「郷」が存在することとなる。
 離れれば恋い焦がれ、長居をすれば出ていきたくなる、故郷とは全くやっかいなものである。