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私の空

蝶のように毎日旅立てれば…

贅を尽くす

2016-01-30 18:49:29 | 
 休日の朝、晴れていれば尚のこと、曇っていようと雨が降っていようと、布団の中で蛹のようにくるまっている君がいて、目を覚ませば布団を繋げて、君の布団の方が仄かに温かく、しばらく何をするでもなく、ただただ朝陽に包まれ、曇り空の鈍い光を噛み締め、窓を叩く雨に耳を傾ける。
 10時半頃、漸く布団を脱皮し、君はデイリーにパンを買いに出かける。私は珈琲のためのお湯を沸かし、卵があれば目玉焼きを作る。
 ただいまと君が戻れば珈琲が香り、古いラジカセでボサノバでもかけてみる。
 特段何か大事なことを話すでもなく、時を湯水の如く使い、いつの間にか昼になっている。

 君といること、朝の活用性を意識的に放棄すること、贅を尽くすこと。

窯の中で

2015-07-20 23:46:18 | 


 写真は宮島将実という益子で活動する陶芸家の作品の部分である。普段あまり土の存在を大きく感じるものは買わないが、手触りがしっくりきたため、また茹でたオカヒジキが良く似合いそうだったため、購入した。底には釉が溜まって、ガラス質の小さな盛り上がりが出来ていた。自然釉、つまり灰釉だと言う。
 灰釉とは木や藁の灰を原料とした釉で、焼成時の薪の灰でも釉になり得るが、原料が灰とは思えないほどの味わいを帯びる。なるほど、素材の今の様子は仮の姿に過ぎず、環境によってはとんでもないものに変化する可能性があるようだ。人間も同じだろうか。自分の身をどこに置くかによって、灰のように吹き飛ばされるか、釉になって輝くか、どちらかが決まるのかもしれない。
 物理的にも直喩的にも、次どこへ行くべきか、どこへ行きたいか、この2年余りずっと考えてきたが、やっと1つ答えが形成されつつあるように思う。次の窯にもしっくりと入れることを願うばかりである。

争い小考

2015-07-20 21:30:16 | 
今より前に進むためには 争いは避けて通れない そんな風にして世界は 今日も回り続けてる
   -Mr. Children “Tomorrow never knows”


 世界史を学習したことがある。世界では常に争いが起きていて、私はその名称、原因、結果、影響を逐一覚えなければならず、辟易した記憶が鮮明に残っている。しかし争いが無ければ、世界史AもBも存在できない科目だったようにも思う。せいぜい文化史がちょろりとある程度だろうが、争いは交流も引き起こすため、争いのない世の文化史は、さぞかしつまらないものだったかもしれない。

 なぜ人間は争うのだろうか。おそらく人間も動物だからであろう。拡張、征服、増殖、支配、それは動物の本能であり、人間もその欲求から自由ではない。勝利の蜜は甘く、中毒性が高いのだ。

 私は争いを否定はしない。だが、戦争には甚だ疑問をもつ。だだっ広い辺鄙な場所に若者が送り込まれ、さほど憎くもない、同じような状況下で送り込まれた若者を「大義」のために殺せと命じられる。あるいは空から爆弾がにわか雨の如く降ってくる。街は破壊され、人々が逃げまとう。悲しい物語が何万と生まれ、時が経てばその内のいくつかが語られ、大半は言語化されることなく、主人公と共に葬られる。日本では幸いにもその現実がしばらくは起きていない。しかし我々はそれを突如と引き起こすだけの素養がある。忘却がその遺伝子を目覚めさせようとしている。

 争う相手も、理由も、意義も無いというのに。

美術とは(私の場合)

2015-02-15 18:22:28 | 
 この2年間、大きな決断を出来ずにいる。
 どうしてかは、わからない。
 時にはその決断が大きな間違いであることを確信している自分がいる。
 そして時にはその決断以外に正しい道などないと悟っている自分がいる。
 今でもおそらくそうである。これからもそうなのかもしれない。
 それでも私はこの決断を下すであろう。迷った分だけ踏み歩いた道があるのだから。

 この決断を下さすにあたり、私はある大きな問いに答える必要があることを知った。
 その問いとは、「私にとって美術とは何か」というものである。
 私は美術家ではないが、一応美術と関わる人間であると認識している。
 思えば高校1年生の時に訪れたジョアン・ミロの展覧会で何かに目覚めて以来、ずっと美術と何らかの繋がりを保ち続けてきた。
 作り手にはなる気はなかったため、美術史を志した。
 某芸術系大学の隙間学科である芸術学科に入学し、修士課程を修了するまで大学に残った。
 博士課程に残る勇気がなかったため、社会に出たものの、やはり美術館に勤めることにした。職場を古巣の母校に戻した今でも、美術館人として働いている。
 気づいたら美術が自分のアイデンティティとなっていた。それを手放すことに酷い恐怖感を覚えた。

 それでも私は人生を美術に預けることが出来ないのでは、と思い始めている。
 関わりは持ち続けたいが、何もかも捧げる用意は出来ていないのではないか。
 美術とは全身全霊で行うものであることを私は知っている。
 理屈ではない、抗い切れない衝動に動かされていなければならないのだ。
 私にはその衝動が実は最初からないのではないか。

 去年の5月、私はこのように綴っている。

 「ならば私自身は何のために芸術に触れる、求めるのだろうか。貪るように展覧会に足を運び、劇場に駆け込み、フォアグラを育てるが如く色彩や音色を目と耳に強制的に与え、結局何を得ているのだろうか。私が思うにそれは安吾の言う「催眠」なのかもしれない。作品に触れ、酔いしれ、一体化している時、他のあらゆる事象は存在をなくす。意味を成さなくなる。鎮痛剤のようかもしれない。心の仮住まい、避難場所なのだ。
 不思議にも、高校生の時に書いた日記の一部の内容を今でも覚えている。美術に興味を持ちだした時、私は美術鑑賞を何かの代替行為として捉えていた。生意気にも空虚な気持ちで思い悩むことが多かった10代、美術は格好な薬だった。しかし、良薬口に苦しなのであれば、その薬はあまりにも甘美過ぎた。私は中毒になった。そう、おそらくそういうことなのだ。」

 そしてつい最近、またこのように綴っている。

 「独りの休日は孤独だが、作品との対話が進めば寂しくない。独りの珈琲は不思議と苦いが、饒舌な小説があれば時を忘れる。不安も苛立ちも不満もジンジンと痛み続ける傷も自責の念も後悔も、決して消えることはない。それでも、これは私が16歳の時に見つけた最強の処方薬であり、10年以上経った今でも服用し続けている。哀しいかな、私はもう手放せなくなっている。危険なまで健全ながら、中毒性が強い。究極に上手い孤独の味を味わいたい方に、ぜひお勧めしたい。」

 同じような内容ではあるが、私は双方において「中毒」という言葉を使っている。

 そうか。私にとって美術は「中毒」だったのか。
 情熱とか、生きがいとか、原動力とか、そういう健全なものではなかったのか。
 I loveとか、I am passionate aboutではなく、I am addicted toだったのか。

 悔しいながら、否定できない自分がいる。

 この中毒は断つべきなのだろうか。
 断つとすると、私は一体どうなるのだろうか。自分と同一視している中毒を断つと、人間はどうなるのだろうか。
 どの程度まで断てば良いのだろうか。距離を保てるだろうか。
 断つことによって絶たれる人間関係もあるだろうか。
 そもそもこの決断=美術を断つことなのだろうか。

 そんな疑問を抱えながら、私は明日も出勤する。
 そして良い作品を収蔵庫で見つければ心躍らせる。
 あるいは何か上手くいかなければ美術を祟る。

 私は何とも愚かなのだろうか。