font size="7">影島大橋補修・復元
背景
影島大橋(開通当時は釜山大橋)は、影島と陸地をつなぐ橋として1932年4月に着工し、1934年11月に開通した韓国最初の連陸橋であった。
全長214.7m、幅18.3m、橋梁の面積は3,948㎡、跳開面積1,044㎡、跳開速度は1分30秒~4分、跳開動力は22馬力であった。全長
214.7mのうち、跳開部分は中区側の 31.3mの部分で、1,000t級の汽船が運航できるよう建設された。その他の部分はCANTILEVER式で建設された。また、影島大橋は一日6回ずつ跳開し、釜山の名物となったが、1966年 9月、車両の交通量増加により跳開機能は失った。
開通当時、「釜山大橋」という名称であったが、釜山開港100周年を迎え着工した「釜山大橋」が竣工した1980年2月に影島大橋と改称し、2006年11月22日、市指定文化財第56号に指定され今日に至る。
このように韓国の近代歴史と共にしてきた、影島大橋の復元工事は単なる修理、復元ではなく、韓国の近代史と共にしてきた建築物であると同時に釜山のシンボル的な意味を持っているだけに、意義あることと見られる。
従って、本文化財の復元工事は影島大橋の文化財的価値を高め、影島大橋の開設工事の際に、毀損した部分を復元、記録し、その近代文化財についての永久的な保存と伝統を継承し、後世に文化遺産を残していく上でその目的を置いている。
-国際旅客ターミナルから歩いて10分くらいの距離にロッテデパート光復店がある。このロッテが107階建てのタワーを建てようとしているその工事現場のすぐ近くにあるのが釜山大橋、そのすぐ横にある影島大橋。
古くはなったが、影島の人口の増加により、水道管が橋の下を通るまで、橋が開くという姿を見ることができたという影島大橋。
その面影を残してはいるが、その後は開くことはなくなった。
背景
影島大橋(開通当時は釜山大橋)は、影島と陸地をつなぐ橋として1932年4月に着工し、1934年11月に開通した韓国最初の連陸橋であった。
全長214.7m、幅18.3m、橋梁の面積は3,948㎡、跳開面積1,044㎡、跳開速度は1分30秒~4分、跳開動力は22馬力であった。全長
214.7mのうち、跳開部分は中区側の 31.3mの部分で、1,000t級の汽船が運航できるよう建設された。その他の部分はCANTILEVER式で建設された。また、影島大橋は一日6回ずつ跳開し、釜山の名物となったが、1966年 9月、車両の交通量増加により跳開機能は失った。
開通当時、「釜山大橋」という名称であったが、釜山開港100周年を迎え着工した「釜山大橋」が竣工した1980年2月に影島大橋と改称し、2006年11月22日、市指定文化財第56号に指定され今日に至る。
このように韓国の近代歴史と共にしてきた、影島大橋の復元工事は単なる修理、復元ではなく、韓国の近代史と共にしてきた建築物であると同時に釜山のシンボル的な意味を持っているだけに、意義あることと見られる。
従って、本文化財の復元工事は影島大橋の文化財的価値を高め、影島大橋の開設工事の際に、毀損した部分を復元、記録し、その近代文化財についての永久的な保存と伝統を継承し、後世に文化遺産を残していく上でその目的を置いている。
-国際旅客ターミナルから歩いて10分くらいの距離にロッテデパート光復店がある。このロッテが107階建てのタワーを建てようとしているその工事現場のすぐ近くにあるのが釜山大橋、そのすぐ横にある影島大橋。
古くはなったが、影島の人口の増加により、水道管が橋の下を通るまで、橋が開くという姿を見ることができたという影島大橋。
その面影を残してはいるが、その後は開くことはなくなった。
しかし、またその姿を見られるということはなんだか、わくわくする。完成は2013年7月。。。予定
まだまだ先かア~
http://blog.naver.com/flem10714?Redirect=Log&logNo=110104021992
つい最近、跳開橋部分が一般開放されました。その時の様子です。ある人の。。
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