**馬耳東風**

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現代自殺考 (自死する人々)

2016-04-09 | 世事諸々
著名人の自殺者リストというものがあります。どのような意図で作られたものか分かりませんが、自殺者の氏名、年齢、職業、死亡年月日、自殺方法、動機・理由、と細かく記載されています。ただ著名人リストと言っても地方限定の知名人も含まれていて、一般には聞き覚えのない名前も少なくありません。

このリストを一覧して意外な思いをするのは自死した人びとの職業です。平成に限ってみれば、市町村長(助役を含む)が最も多く38人で、全数の一割近くいるのです。次に多いのは事業家ですが、意外ではないでしょう。意外に思えるのは、競馬騎手、裁判官、スポーツ選手、漫画家、タレント、ヤクザなどで、それぞれ目立つ人数(10人前後)もいて、あまり自殺しそうにもない人々だけに意外だったのです。

職種別で最多は市町村長と記しましたが、それは平成のことで、なぜか昭和年代〔1988年以前〕には市町村長の自死は殆ど無く、1982年に2人いるのみとなっています。社会学者のどなたか深く詮索してみると隠れた社会現象が見つかるかも知れません。

昭和から平成に移って地方自治体に汚職が急増したのか、と疑問もありますが、雨にもまけず、風にも夏の暑さにも汚職の露見にも負けず・・生きたバイタリティこそが昭和の政治家だった所以かも知れません。

次に、自殺の手段ですが、平成2年から24年までの間、最も多いのは首吊りで、圧倒的です。平成の著名人リストでは首吊り90・飛び降り26・入水9・自刃8・銃器7.練炭6・薬4・鉄道4・。焼身3・ガス2・その他(自動車事故まがい、ビニール袋窒息など) となっています。

地方と国家の公務員は首吊が主流で、飛び降り数名、ヤクザは全員銃器〔ピストル〕右翼団体員はピストルと自刃が多く飛び降りは一名だけ。その他は多様です。自死の動機は憶測になるのでここには記しません。

自死には二種類あり、武家の時代の切腹の理由とおなじで、名誉、あるいは抗議のため行うもの、それに不本意ながら責任を負わされて強制されるものです。過去の例でみると、三島由紀夫や太宰治は前者に近く、経済的(倒産・債務)や汚職の露見などの場合は不本意ながら、となるのでしょう。

三島由紀夫の作品に、4階の窓辺で外を眺めていると上から人が落ちゆくのを見、つぶやきます「何を急ぐやら、エレベーターってものがあるのに」とシニカルなのです。自死する人はなぜか急いで見えるのです。

正しく読めますか? 毛沢東、小平、習近平、北京、台北、平壌・・

2016-04-06 | 世事諸々
一昔前、日本語の外国地名表記は概ね漢字でした。倫敦、巴里、羅馬、紐育、桑港、布哇で、大方の日本人にも外国人にも、一読して判らない表記になっていたのです。現在はカナ表記に改められて原語の発音表記なので外国人にも通じる音韻になっています。

しかし、アジアの中国・韓国・北朝鮮の国名、地名、人名は今でも漢字表記が多く、それにを日本語読みで押し通しているので、日本人にしか理解されない変なコトバになっているのです。

表題の人名地名の正しい読みは、毛沢東・マオ・ツアドン、小平・ドン・シャオピン、習近平・シ・ジーピン、主要地名の北京はベイジン、大連はダーリャン、台北はタイペイ、平壌はピョンヤン、と発音すると英語読みと符合して国際共通語になります、海外旅行の際空港などで役立ちます。上海や香港はすでに誰が読んでも外国人に通じます。北京や大連は今のままでは通じません。中国の首都を誰もがペキンと発音する誤りは一日も早く正す必要がありそうです。、

冒頭に並べた都市名の最後の漢字はハワイですが、そのほかはまだ読める人も多いでしょう、が念のために附記すると、ロンドン、パリ、ローマ、ニューヨーク、サンフランシスコで、英語発音とカナ表示に大きな違いはありません。そのままの発音で通用します。

外国の都市名に限らず、外来語のカタカナ表記は今では汎く用いられています。過剰なほどで、適当な漢字表現があるにも拘わらず、同じ意味の外来語をカタカナ表記にするのを好む傾向があるのです。服飾関係をアパレルと言い、レストラン、コーヒーショップは言うに及ばず、自動車、運動用具関連の商品・用語などすべて英語に置き換えて日常語にしているのが現在の風潮です。

アパレル関係を服飾関係と書くと別物の感があるという人もいます。服飾というのは和装を含むと言われてみればその通りかもしれません。アパレルという現業のニュアンスに若干の相違があると唱える人もいるのです。仮名表記はことほど左様に時代を包括して新しい意味を作り出しているともいえるのです。

今すぐにでも実現可能なのは、中国・韓国・北朝鮮の人名地名をカタカナ表記にすることで、漢字名は逆に〈かっこ)とじで添える程度がよく、今後の標準表記法にしてほしいものです。

便秘とは・・何日お通じがないことですか?

2016-04-04 | 世事諸々
「3日以上」と答えた人が多かったそうです。都内に住む30代、40代女性300人に訊いたアンケートで、中には「一週間以上」と応えた人も何人かいたそうです。認識のなさは驚くべきものだった、とこの調査に係わったヨーグルトメーカーの研究員は嘆いていました。

正解は「一日」というもので、毎日の規則正しい便通が正常ということです。それが如何に健康にとって大切か、ぜひ知ってほしいということでした。

ヨーグルトメーカーの提言は当然ながら、便秘の解消法は生きたビフィズス菌入りのヨーグルトを毎日食べること、というもので、便秘薬の服用で便秘そのものが治ることはないと強調していました。

ヨーグルトの有用性は欧米で早くから言われていて研究も進んでいるのですが、最近アメリカでは便秘などより、より切実な問題、肥満解消、あるいは予防のためにヨーグルトの効用の研究があります。200kg級の体重も珍しくないお国柄、数年前から国家予算でその対策に乗り出しているそうです。カリフォルニア大学医学部も委託を受けて研究をしているそうですが、肥満対策に有望なのは大腸で、1千種以上の大腸内細菌群の中に肥満の原因菌種がいくつかあり、それを抑制する菌種をヨーグルトの中で培養する方法を模索しているということでした。

また、別の大学研究所では、大腸菌中にアトピー性皮膚炎を抑制する菌種も発見されていると報じています。便秘の解消も重要ですが、アトピー性皮膚炎の原因因子が大腸内にあるという発見は、病気の原因究明の視点を変えるもで、大腸の中に多くの病気の原因因子が潜在している可能性をを示唆するものとのことです。

日本では欧米に比べるとヨーグト消費量は低く、便秘の効用と胃がん予防のピロリ菌滅菌をうたうものなどで、広範なヨーグルト効果の認識は不十分とのことでした。

市販の便秘薬や整腸剤のような腸内細菌を無差別殺菌・滅菌する薬剤は副作用が大きく、ヨーグルトメーカーは是認できないとのことです。ヨーグルトを食して腸内細菌バランスをビフィズス菌優位にするのが当面唯一の対処法と主張していました。

ニューヨーク譚(ものがたり)星条旗の由来

2016-03-29 | 世事諸々
ビックアップルとはニューヨークの愛称で、土地っ子が使うしゃれた呼び名です。この街はいつも活気に満ちていて、五番街からブロードウエイに至る街路はファションの街としても有名です。その先のブロードウエイは世界一の演劇の町で、華々しいミュージカル劇場などが軒を連ねています。古くからのニューヨークの住人や、この町で働く人々は愛情をこめてビッグアップルとこの呼び名を口にします、由来を訊くと、アップルとは大都市の隠語だという人もいます。映画のゴッドファーザーにも、ニューヨークの路地裏で車を止めてリンゴを買うシーンがありました。リンゴは街の象徴なのでしょうか。

本当の由来は別にあるそうです。少し前の ニューヨーク市観光局の冊子にも紹介されていた話だそうです。アメリカが移民で膨張していた1800年代、フランスからの移民の中にイブリンと言う名の美しい娘がいました。その美貌は当地の成功者の子弟達の間でも評判になり、その中の一人にハミルトンという男がいて、ひときわ熱心にイブリンに言い寄り交際を始めました。しかし、結婚には至らずもてあそばれて破綻に終わります。

イブリンは無言で耐えて、やがて事業をはじめます。裏稼業です。成功者の子弟だけを相手にする高級売春宿で、それは大繁盛したということです。イブリンはイブと呼ばれ、客は総てアダム、売春婦はアップルと呼ばれました。聖書の中でアダムとイブが神に食べてはいけないと諭された禁断の背徳のリンゴです。神の掟を破り・・・イブがその後どうなったか紹介されていません。どのような経緯があったにせよ、ビッグアップルという呼び名が残ったということです。

このビッグアップルのニューヨークは1674年までオランダ領でニューアムステルダムと呼ばれていました。オランダ人はマンハッタン島を ニューネザーランドと呼び、1626年、新任のオランダ総督がこの島を先住民のレナベ族から総額24ドルで買取っていたということです。有名な話だそうです。ドルの他にもガラス玉の装飾品など贈ったところレナベ族長は喜び、その後、内陸部から毛皮など運んできて交易を始めていたのですが、

あるとき新移民の集団が、交易品を携えてやってくるレナベ族を襲撃し、毛皮などを強奪、一族を皆殺しにしたのです。その上、証拠隠滅のため女子供まで一族全員を切り刻んで海に捨てたといいます、しかし、一族の少年が一人だけ逃げ帰って報告したので族長の知る所となりました。レナベ族の復讐が始まりマンハッタン島のいたるところで、孤立して暮らしている農家や牧畜業者が襲われ、皆殺しにあいました。

女子供の頭髪を剥ぎ取って見せしめにする(インディアンの残虐行為)はこのとき始まったといいます。その後、襲撃は中心部にまで及び、オランダ軍は対応策として防御壁(ウオール)を張り巡らせます。その名残が現在のニューヨーク金融街の呼び名になっているウォール街です。

そのご、北米植民地戦争などもあり、オランダ人にはその地が益々住み難い土地となり、南米各地での敗戦を機にマンハッタン島をそっくりイギリスに引き渡してしまいます。イギリス人は早速、呼び名をニューヨークと変えました。母国のヨーク州から新ヨーク州、ニューヨークとしたのです。

100年後、アメリカ合衆国はイギリスから独立して新しい国家を樹立することになります。合衆国というのは自治制の州が寄り集まった国(連邦)で、このときニューヨーク州を含めて13州でした。現在は50州になっています。

現在のアメリカ合衆国の国旗は、英語で スターズ アンド ストライプス つまり星条旗です。左上の星の集団は50個で現在の州の数、横線(ストライプス)は13本で建国当時の13州を表しています。意味深いのです。アメリカは建国以来の移民の国なので、国民として忠誠を誓う対象は国旗であり、のちに国歌も追加されます。すべての新移民は入国を認められると聖書に手を置いて国旗と国歌に忠誠を誓い、国民になるのです。

それは大統領就任式でも同じで、新大統領は聖書に右手を置いて国家への忠誠を誓います、そのためかどうか、ユダヤ人はアメリカ大統領にはなれない、と言われているのです。ユダヤ教の聖典タルムートが使われることはないからです。

異彩ルネッサンス、天才がぞろぞろ、文明の飛躍

2016-03-26 | 世事諸々
ネサンス待望 (Renaissance)

現代物理学の始祖、ガリレオ・ガリレイがイタリアのピサで生まれたのは1564年、同じ年の4月26日、ウイリアム・シエークスピアがイギリスのストラッドフォードで産声を上げています。文学・演劇史上二人といない俊才で現代劇の礎となる劇作を数多く残しています。

しかし、ガリレオもシエークスピアも、同年生まれで同時代育ちではあっても、生まれも育ちも活躍分野も違ったので、中世の世の中、生存中に面識があったとは思えません。それどころか、おそらく互いにその存在すら知らなかったと思えるのです。二人がどこかで交叉したという記録も形跡もないからです。

シエークスピアが死亡したのは1616年4月23日で、奇遇なことに同年同日、古典文学の名著ドンキホーテの作者、セルバンテスもスペインの片田舎で歿しています。そして同年6月1日、日本で何があったかというと、徳川家康が夕食にてんぷらを食し、食中毒で大往生を遂げています。

何が言いたいかというと、人類の歴史のうねりのどこかで、優れた人材が世界各地に同時多発的に出現し、芸術科学文化全般で、百年に一度、千年に一度の飛躍をもたらす時代があるようだということです。天才達は特に意識することも誇ることもなく十数有余年の生涯を終え、引き潮のように一斉に足跡だけを残して去っていくのです。

そのあとは、凡夫の時代で、同じ種子を繰返し撒く農地のような、文明も文化も連作障害を起し停滞した時代となるようです。

Renaissanceはフランス語で Re=再 naissance=誕生 なので再生と理解されています。ルネッサンスは周知の通り、16―17世紀のヨーロッパで起こった文芸復興と呼ばれているものです。この時期に上に挙げた人達が同時期に生まれ同時代に歿しているのです。ミケランジェロ、レオナルド・ダビンチ、レンブラント、フランシス・ベーコン、ルーベンス、フアン・ダイク、エル・グレコ・・・書き並べることも出来ない程の異才、天才が生まれ、歿しているのです。

再生とは何からの再生か、諸説ありますが、最も考えられるのは紀元前5-3世紀の、人類史上初の、あるいは現代文明で最初の、飛躍の時代ではなかったかと考えられるのです。

釈迦=BC463-383, 孔子=BC551-479、ピタゴラス=BC582-496、ソクラテス=BC469-399、プラトン=427-347年、アリストテレス=BC384-322・・・ と誰でも知っている名前が重なるように同時代を生きています。人類黎明期の文明を築いた始祖達の名前が続くのです。

誰が名付けたかルネッサンスとは時代の要望でもあったのでしょうか。16―17世紀の際立った進歩・発展の時代で説明の必要もないほど誰でも知っていることです。

我々の時代は歴史のうねりのどの位置にいるのか、自明のことだと言う人もいますが、20世紀は、振り返れば第二のルネッサンスだったと述べている人もいるのです。

1903年にライト兄弟がアメリカ・ノースカロライナ州の片田舎で初めて動力飛行機で数百メートルを飛び、そのわずか66年後の1969年にはアポロ11号が月に着陸、ニール・アームストロングとエドウイン・オルドリンが月に降り立ち、人類最初の足跡を月面に残しています。光陰矢のスピードの科学技術の進歩だったのです。

この世紀はまたロケット工学のみならず、文明・科学・芸術・文化の飛躍があり、やはり Renaissance であったかともおもわれるのです。