JOINT-ONE

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LIFE IS Beautiful
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次節会場

2005-08-02 | FOOTBALL
[画像提供:いずみ。さん]
これは関東1部、JEFアマ-東チタでの試合。

ここで決めたい。
いや、決めよう。

ピッチは人工芝。
近隣に住宅街が見えるし当日どうなるかは推して知るべしだ。

飯能回顧録vol.3

2005-08-02 | FOOTBALL
まずは柳瀬川、31日は暑い中マジでありがとう。
今年はあなたの力に頼る事大で申し訳ない。
21日は最優先で駆けつけるので。

今の快進撃を思うと3年前のあの歯痒さは何だったのだろう、
と思うことがある。

02年は開幕を落とし、5月の采の国でも与野に星を落とし、
天皇杯の道も全社の道も断たれた。
リーグ戦も前期終了時で勝ち星と負けが同じだったと思う。
ただ、前期最終節の与野戦で一條が爆発して大勝、
後期に望みを繋いだ一戦だった。

そして後期は文字通り一敗も出来ない戦いが続く中
勝ち点を重ねていった中で中々記憶から消えないのが
パイオニアグランドでの与野戦だった。
与野蹴魂会。
毎年上位にいてDF陣が堅く突破力がある中盤揃いのチームってイメージがある

重たい天気同様、試合自体も重苦しかった。
この年は佐川埼玉が一歩抜きん出てたが
対する与野も2位に着けていて眼下の飯能に対しては
負けられない大事な一戦だった
前半に与野が先制。そのまま前半終了。

書いていて思い出した。
何故この試合が忘れられないのか…
前半終了時に飯能コールをしばらく続けてたからだ。
負けられない。絶対負けられない試合で俺たちが出来ること。
それはピッチに声を届けるしかない。
ピッチには立てない。
でも、ピッチの外からしか出来ない事をとにかくやろう。
この頃はそれが明確な言葉でそれが表現出来なかったが
そんな事なのかもしれない。
ただ、それも解らずにyogoreと二人、声を出してたのだと思う。

試合は後半終了間際に同点に持ち込んだがそのまま試合終了。
終了後、中々立ち上がらずピッチを見続けたこの男の姿も忘れられない。
この時の背番号は5だったが翌年に7に変える哲平。

この姿を見て、『まだいける』
そう思って坂戸を後にしたオレとyogoreだった。