東日本大震災より4年が経ちました。
しかしながら沿岸部被災地では・・・まだまだ復旧が終わっていない地域、そしてあの日から
時間が止まったままの地域がたくさんあります。
矢バ連として震災後すぐの3月から始まった被災地支援活動。
矢吹町の野菜の風評被害を払拭するための活動が最初でした。知り合いのほうれん草農家さんが草刈り機で大切に
育てていた野菜をすべて刈っている姿は忘れることができません。
その後、仲間のたくさんのアーティストさんのご協力で手作りのオムニバスCDの発売。400枚手売りしました。そのお金を
南相馬の石神第一小学校へ届けたこと。
福島出身の遠藤ミチロウ氏やLAUGHIN’NOSEより矢バ連活動に対し応援メッセージをいただいたこと。
石巻、志津川の避難所へ救援物資を届けたこと。
表参道交差点で1200人分の矢吹町の野菜を無料配布したこと。
震災の年はずっとツラい現実も見てきました。明らかにイヤな顔で『そんな汚染されたのいらないよ!』と何度も言われました。。。
『こっちに来ないで!移るから!』とも言われました。でもそんな方々ばかりではないのも強く感じました。『頑張ってね!負けないでね!』
たくさんの方々が笑顔でそう言ってくださったこと。その気持ちだけで頑張ってこれたと思います。
とある被災地支援イベントで避難している方々を招待した時でした。オムニバスCD売上げを寄付した時の写真を飾りながら矢吹町の野菜を販売していたら、その学校の近くに住んでいたおばあちゃんがやってきていろんなお話しをさせていただきました。
『アンタも被災者なのに・・・ありがとう!ありがとう!』と号泣する姿。『おばあちゃん。いいんだよ♪助け合える。だからそこに絆ってもんができるんだから』
イベントでお話しするたびにたくさんの方が涙を流し感謝してくださいました。
震災より2年目となる少し前、矢バ連はとあるボランティア団体の福島支部へ『音楽でもなんでも手伝えることあれば連絡ください』とメールしたんですが
返事がきたのはなんと!東京?府中?なぜ?www
これが今の復興支援隊☆チーム府中さんとの出会いでした^^
いきなり1ケ月切ってる被災地支援イベントに来れないか?とw強引すぎるやろ!
でもなんか感じたんですよね^^2012年3月10日には、みっちぃと。11日にはバンド仲間の哀愁坊主くんと府中に行きました。初めて会ったのにみなさんすごく優しくて、そして熱い心をもった方々。
この年の夏と秋にも府中に行きCHIEF DOLLとして出演。
秋のコンサートで衝撃的な出会いが!
そう・・・産地直送気仙沼少女隊(SCK GIRLS)さんでした。この時まで、ご当地アイドルなんてものは別世界なんだと思っていた。
でもPである、ししょうと話しをしていく中での地元への想い、アベケンさんのこと、メンバーの想いを聞いて・・・
気仙沼の被害はこんなにも大きいのに・・・こんなに地元を愛する人がいたのか。SCKさんのメンバー、運営の想いを強く感じ
『矢吹にもこんなアイドルをつくろう!』と決意し、そこから3ケ月後オーディション開催。
ShuN-R@n GIRLS☆が結成されました。
矢バ連がSRGを結成したのは矢バ連として震災後被災地支援をしていく中でたくさんの人に出会い、そして励ましの言葉をいただいたからこそ。
そしてあのおばあちゃんが流した涙を大切にしていきたい。被災した皆様が笑顔で過ごせますように。
そこにSRGがいれば嬉しいなと^^
今日で震災から5年目、被災された皆様へお見舞い申し上げますとともに
『風化しないように』と言われますが被災地は決して忘れることができません。
それでも前に進まなければならないこと。苦しみだけで進むのではなく
どうか・・・どうか・・・笑顔で前に進んでいけますように。
矢バ連、SRGはそんな皆様を応援しています。
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