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NOBUの独り言日記

暇にまかせて、つまらないことを呟いています。

神は必要ない

2023-12-22 15:53:00 | 日記

最新の宇宙論によれば、宇宙は一つではなく、無数の異なる宇宙がある「マルチバース」が有力な説となっているようだ。

 

「マルチバース」というと、いくつもの宇宙が並行して存在する「パラレルワールド」のようなスピリチュアルな話のようにも思えるが、超弦理論や永久インフレーションなどの物理学の方程式によって具体的に示唆されるもので、間違いなくあるとされている「ダークエネルギー」の値を自然に説明することができるほぼ唯一の理論なのだとか。(カリフォルニア大学バークレー校の野村泰紀教授の「なぜ宇宙は存在するのか」による)

 

それによれば、人類のような高等生命体が生じた我々の宇宙はよくできすぎており、一つの宇宙しかないとすれば理論的に無理があり、無数の宇宙があるからこそ、その中の一つが我々の住む宇宙の条件を満たし、その構造が許されているということになるようだ。

 

こうした考え方は、単なる理論物理学としての話だけではなく、宗教をも含む広い範囲での考え方に影響を及ぼす。なぜならば、宇宙が一つだけだとすれば、確かにこの宇宙はできすぎており、何かの力が働いている「いわゆる神の力」を想定しないといけない。しかし、この説のように、我々の宇宙が無数にある宇宙の一つであれば、我々が存在できるのは神の力ではなく、無数の中の確率の一つであるに過ぎない。神は必要ないのだ。

 

もちろん、この「マルチバース」理論が完全に証明されているわけではなく、今後の様々な宇宙の観測や検証が必要になってくるのであろうが、もしこの理論が本当であるならば、我々の宇宙は無数にある宇宙の一つにすぎず、私はその「一つにすぎない宇宙」の中に生きている何億の中の一人にすぎない。それをどう考えるのか。あまりに膨大な広がりの中の、あまりにちっぽけな我々はどのような存在なのか。あまりにちっぽけで意味がないのか、あるいは無数にある宇宙の中で、ほんのわずかな確率で我々の宇宙が存在し、その中に人間が誕生するということは、あり得ないほど貴重なことなのか。いずれにしても、一度神の呪縛を離れて、新しい世界観を考えてみる必要がありそうだ。

 

 




 


友よ 何処に

2023-12-04 14:53:15 | 日記

私が大学に入学した当時は、学生運動がまだ続いていた時期であった。構内で内ゲバがあり、角材や鉄パイプで殴り合う姿もあった。校舎のロックアウトも度々で、試験が中止になり、レポート提出で終わることも多かった。

 

もっとも私はほとんど授業に出ておらず、きちんとした試験よりはレポート提出の方がありがたかった。

 

私は当時、学内のある演劇集団に所属していた。学内には劇研や自由舞台といった演劇集団があったが、私の所属していた劇団はそれらの劇団に比べ、活動状況は芳しくなく低迷していた。私が入ってから公演を行ったのは1度だけ、その後は、部員が集まると「疲れるんだよな」の一言が決まり文句であった。

 

8号館地下の部室に集まっても、演劇の話にはならず、人数がそろえば雀荘に行くのが日課であった。部員は、ほとんどが年上で、まともに授業に出ている者はいなかった。「演劇関係に行くにしても物書きになるにしても、4年で卒業するようなやつはものにならん。留年は当たり前で、中退が一番だ」というのが当時の雰囲気だった。

 

私も留年する覚悟であったが、どういうわけか4年で卒業し、公務員なんぞになってしまった。卒業してから1度劇団の仲間が集まったことがあったが、それから既に50年近く会ったことはない。当時の仲間は、今どうしているのか。それぞれが地方出身であり、山形や新潟、九州といった故郷に帰ったのであろうか。今ではもう連絡の取りようもなく、彼らがどこにいるのか、生死さえ分からない。この歳になって、もう一度会いたいものだと思いインターネットで探してみたが、知っている名前は出てこなかった。見つけてくれるかもと思って作った自分のフェイスブックも無駄であった。

 

今更会ってどうなるわけでもないが、生きて会えるならば、当時の暗く自堕落でありながら、得体の知れない希望を持っていた若き日々がなんであったのか、そして、その後の人生がどんなものであったのかを話し合ってみたいと思うのだ。

 

友よ 何処に


過去の短歌

2023-11-04 19:09:19 | 日記

 

平成24年3月

 

癌となり 手術待つ身の 春の日に 野辺の草々 青く輝く

 

春の日の 薄日こぼれる 待合室 我が身これから 如何になるらん

 

死ぬときは 野に果てるとも 悔いはなし 一輪の花 見て逝けるなら

 

 

平成24年5月

 

点滴を 引きて眺める 窓の外 芽吹く樹木に 我生きんと思う

 


秋の6句

2023-10-20 19:22:26 | 日記

 

秋は物悲しい季節です。

 

 

 

月光や 橋上で吹く サキソフォン

 

人の世に 永遠はなし 星月夜

 

満月や カラスの遺骸 黒々と

 

老猫の 静かに死すや 秋の雨

 

秋寒に 灯油を惜しむ 暮らしかな

 

二度咲きの 金木犀に 老いの夢

 

 

 

 

 

 

 


税金取り

2023-10-02 17:28:46 | 日記

昔、料理飲食等消費税(料飲税)というものがあった。宿泊や飲食で一定額(免税点)を超えると課税された。事業者は課税行為があった場合、客から料飲税を徴収し、申告納付しなければならない。しかし、全ての事業者が適正に申告納付していたわけではない。

 

私が料飲税を担当していた当時は、飲食の免税点が2000円であった。1人2000円を超える飲食をした場合10パーセントが課税される。開店したばかりのお店は、料飲税に対する理解も浅いことから、申告状況を見て指導するのが慣例であった。

 

ある時、開店して数か月のスナックの経営者(女性)を呼び出し、指導した。スナックであるにも関わらず、開店以来料飲税の申告がないため、業態からして課税がないとは考えられないこと、料飲税はきちんと徴収して申告納付することを話した。

 

後日、その女性の夫が、事務所にやって来た。真っ白いスーツを着て、襟には代紋のバッジ、若い衆をひとり連れてきていた。私に対し「うちの女房をいじめたのはお前か」といってきた。話がこじれそうだと思った私は、二人を隣の部屋に案内し、話をすることにした。現在であれば複数人で対応するのが常識だが、当時はそういった場合のマニュアルもなく、私ひとりで対応した。

 

相手は、自分の女房がいじめられたことに腹を立てており、「こっちは切った張ったが仕事だ。ムショに入ってしまえば税金なんぞ関係ねえ」と息巻いた。私は、けっして奥さんをいじめていないこと、料飲税はどこの店でも申告納付してもらっており、そうしたことを開店したばかりのお店に対しては呼び出して指導しており、今回の一件もそうしたなかの一つであることを説明した。それから、いろいろと話しをして、最後には相手が「よし、話は分かった。俺も男だ。了解した以上はきちんとやる。今度おれの店に飲みに来い。」と言って帰っていった。もちろん、その店に飲みに行ったりはしなかった。

 

当時は、ハワイやロンドンといったピンクサロンが華やかなりし頃であった。ピンクサロンは接待があるため免税点がなく、売り上げに10パーセントが課税された。そのため、そうしたお店は売り上げをごまかして申告することがあった。そこで、明らかに怪しいと思われるお店の売り上げを調べるため、1日の売り上げを何処の銀行の夜間金庫に持って行くか調べることにした。銀行が分かれば、職権で調査依頼し、預入額を調べることができる。

 

そこで、同僚と車に隠れて閉店を待ち、売り上げを持ったと思われる車の後を追った。夜中、刑事ドラマばりに車のあとをつけ、銀行を特定した。その後、その店はしっかり追徴課税された。

 

私の若かりし頃の思い出である。