NOBUの独り言

暇にまかせて、つまらないことを呟いています。

山椒の木

2024-06-01 18:30:03 | 日記

庭に生えている山椒の木に、黒くて鳥のフンのような形をしたアゲハチョウの幼虫を見つけたのは、1か月ほど前のことであろうか。やがて緑のイモムシになるのだろうと思っていたが、その後幼虫は姿を見せず、鳥にでも食べられてしまったかと案じていた。

 

その山椒の木は、私が植えたものではなく、鳥によって運ばれでもしたのか、数年前知らないうちに芽を出していた。最初のころは、ひょろりとした木で、2~3匹のイモムシが付くと、僅かばかりの葉は食べ尽くされ、丸坊主になっていた。

 

今年は、山椒の木もだいぶ育ってきて、葉も生い茂り、イモムシが付いても食べ尽くされることはないだろうと思っていたが、肝心のアゲハの幼虫は姿を消したままだった。

 

今日、何気なく庭に出て、山椒の木を見ていると、黄色い蜂が木のまわりを飛んでおり、やがて木の枝に止まって動かなくなった。何をしているのか不思議に思って見てみると、蜂は何かに噛みついているようであった。用心しながら、注意深く見てみると、蜂が噛みついているのは、緑色のアゲハの幼虫であった。蜂はがっちりと幼虫を捕らえ、やがて息絶えた幼虫から黒い体液が滴り落ちた。私はそれ以上見ることができず、家の中に入ってしまった。

 

しばらく経ってから、先ほど幼虫のいた枝の部分や地面をくまなく探したが、何の痕跡も見当たらなかった。すべては何事もなかったかのように元のままであり、静寂だけが漂っていた。

 





本を聴く

2024-01-27 13:55:15 | 日記

最近、本を読んでいると、途中で眠くなってしまい、いつの間にか手から本が滑り落ちているということが多くなってきた。そこで、アマゾンのオーディオブックを試してみることとした。1か月の無料体験、どの様なものか試してみても悪くないだろうと思い、申し込んでみた。

 

アプリをインストールし、どの本にしようかと思案したが、とりあえず沢木耕太郎の「深夜特急1」を聴いてみることとした。ナレーターは斎藤工で、長さは7時間44分。ちょっと長いかとも思われたが、内容が旅の話とすれば、そんなに疲れはしないだろうと判断し、聴き始めた。ぼーとしながら聴き始めたが、次第に引き込まれて面白くなり、途中何度か中断しながら、3日で聴き終えた。

 

聴き終わった感想からすれば、「本を聴く」のも悪くはないというのが正直な感想だ。実際に読んでいる時のように、眠くなることは無かったし、斎藤工の朗読もまずまずだ。声だけでは、実際に文章を追っていくのに比べ、感じるものに若干の軽さは否めないものの、気軽に聴き始められる利点は大きい。次は、何を聴こうかと楽しみになってくる。

 

「深夜特急」は沢木の体験に基づくノンフィクションで、「深夜特急1」はその旅のはじめである香港・マカオ編である。若者の無計画で好奇心旺盛な旅の様子は楽しいし、全てが本当かどうかは分からないが、かつてバックパッカーのバイブルと言われたのはよくわかる。

 

聴き終わったあと、自分の「旅」を思い返してみた。自分には沢木のような冒険の旅はないが、大学1年の夏休みに、アルバイトで金を作り、寝袋持参で京都・金沢を旅したことがあった。なんのあてもなく京都に向かったが、最初に訪れた東本願寺で一人旅の女の子と出会い、一緒に京都の名所を巡った。彼女も宿の予約は無かったが、女性一人で泊まれる宿をやっと探し、宿まで送り届け、自分は野宿した。翌日、たまたま入った喫茶店で、大学の演劇部の先輩女性に偶然出会い、彼女から金沢の話を聞き、急遽金沢に向かった。金沢では卯辰山にある学生の下宿を兼ねた民宿に泊まった。夕食時に、そこに下宿している学生の一人と知り合い、彼の部屋で夜遅くまでいろいろな話をした。翌日一緒に喫茶店に行った際、関西方面では「アイスコーヒー」を「レイコ」というのを初めて知った。米軍試射場のあった内灘海岸までは一人で行ったが、内灘駅から海岸までの道は誰もおらず、夏の日に照らされた細い道が、白く長く続いていたことを鮮明に覚えている。

 

社会人になってからの旅は、ほとんど仕事がらみ、いわゆる出張がほとんどで、そのせいか記憶に強く残っている旅がほとんどない。特にひどいのが、人を引率しての旅で、訪ねた場所を全く覚えていないところがある。例えば、ブラジルからの研修生を連れた「研修旅行」では、奈良の唐招提寺や薬師寺を訪ねたにもかかわらず全く覚えていない。行程表には、広島、伊勢神宮、京都、奈良とあり、唐招提寺や薬師寺が明記されているので訪ねたことは間違いないのだが、全く記憶にない。

 

国内ばかりでなく、海外でも引率した旅行ではそうしたことがある。20数名を連れたアメリカ西海岸の旅で、添乗員は1名いたが、事務局は私ひとり。ロサンゼルスのディズニーランドやナッツベリーファームを訪ね2泊した後、サンフランシスコに向かう旅であったが、サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジを訪ねた記憶が全く抜け落ちている。有名な観光名所であるにもかかわらず、訪ねた記憶がないのだ。先日、当時の写真を見返して見たら、私の撮った写真にはゴールデンゲートブリッジが堂々と映っている。ゴールデンゲートブリッジを背景に団員たちが映っている写真は、私が写したものに間違いないのだが、なんとも不思議である。モントレーやカーメルもほとんど覚えていない。

 

引率という責任感から余裕がなかったのかも知れないが、自分で計画を立てたわけでもなく、自分のお金を出したわけでもない旅行とは、所詮そのようなものなのかも知れない。

 

 





神は必要ない

2023-12-22 15:53:00 | 日記

最新の宇宙論によれば、宇宙は一つではなく、無数の異なる宇宙がある「マルチバース」が有力な説となっているようだ。

 

「マルチバース」というと、いくつもの宇宙が並行して存在する「パラレルワールド」のようなスピリチュアルな話のようにも思えるが、超弦理論や永久インフレーションなどの物理学の方程式によって具体的に示唆されるもので、間違いなくあるとされている「ダークエネルギー」の値を自然に説明することができるほぼ唯一の理論なのだとか。(カリフォルニア大学バークレー校の野村泰紀教授の「なぜ宇宙は存在するのか」による)

 

それによれば、人類のような高等生命体が生じた我々の宇宙はよくできすぎており、一つの宇宙しかないとすれば理論的に無理があり、無数の宇宙があるからこそ、その中の一つが我々の住む宇宙の条件を満たし、その構造が許されているということになるようだ。

 

こうした考え方は、単なる理論物理学としての話だけではなく、宗教をも含む広い範囲での考え方に影響を及ぼす。なぜならば、宇宙が一つだけだとすれば、確かにこの宇宙はできすぎており、何かの力が働いている「いわゆる神の力」を想定しないといけない。しかし、この説のように、我々の宇宙が無数にある宇宙の一つであれば、我々が存在できるのは神の力ではなく、無数の中の確率の一つであるに過ぎない。神は必要ないのだ。

 

もちろん、この「マルチバース」理論が完全に証明されているわけではなく、今後の様々な宇宙の観測や検証が必要になってくるのであろうが、もしこの理論が本当であるならば、我々の宇宙は無数にある宇宙の一つにすぎず、私はその「一つにすぎない宇宙」の中に生きている何億の中の一人にすぎない。それをどう考えるのか。あまりに膨大な広がりの中の、あまりにちっぽけな我々はどのような存在なのか。あまりにちっぽけで意味がないのか、あるいは無数にある宇宙の中で、ほんのわずかな確率で我々の宇宙が存在し、その中に人間が誕生するということは、あり得ないほど貴重なことなのか。いずれにしても、一度神の呪縛を離れて、新しい世界観を考えてみる必要がありそうだ。

 

 




 


友よ 何処に

2023-12-04 14:53:15 | 日記

私が大学に入学した当時は、学生運動がまだ続いていた時期であった。構内で内ゲバがあり、角材や鉄パイプで殴り合う姿もあった。校舎のロックアウトも度々で、試験が中止になり、レポート提出で終わることも多かった。

 

もっとも私はほとんど授業に出ておらず、きちんとした試験よりはレポート提出の方がありがたかった。

 

私は当時、学内のある演劇集団に所属していた。学内には劇研や自由舞台といった演劇集団があったが、私の所属していた劇団はそれらの劇団に比べ、活動状況は芳しくなく低迷していた。私が入ってから公演を行ったのは1度だけ、その後は、部員が集まると「疲れるんだよな」の一言が決まり文句であった。

 

8号館地下の部室に集まっても、演劇の話にはならず、人数がそろえば雀荘に行くのが日課であった。部員は、ほとんどが年上で、まともに授業に出ている者はいなかった。「演劇関係に行くにしても物書きになるにしても、4年で卒業するようなやつはものにならん。留年は当たり前で、中退が一番だ」というのが当時の雰囲気だった。

 

私も留年する覚悟であったが、どういうわけか4年で卒業し、公務員なんぞになってしまった。卒業してから1度劇団の仲間が集まったことがあったが、それから既に50年近く会ったことはない。当時の仲間は、今どうしているのか。それぞれが地方出身であり、山形や新潟、九州といった故郷に帰ったのであろうか。今ではもう連絡の取りようもなく、彼らがどこにいるのか、生死さえ分からない。この歳になって、もう一度会いたいものだと思いインターネットで探してみたが、知っている名前は出てこなかった。見つけてくれるかもと思って作った自分のフェイスブックも無駄であった。

 

今更会ってどうなるわけでもないが、生きて会えるならば、当時の暗く自堕落でありながら、得体の知れない希望を持っていた若き日々がなんであったのか、そして、その後の人生がどんなものであったのかを話し合ってみたいと思うのだ。

 

友よ 何処に


過去の短歌

2023-11-04 19:09:19 | 日記

 

平成24年3月

 

癌となり 手術待つ身の 春の日に 野辺の草々 青く輝く

 

春の日の 薄日こぼれる 待合室 我が身これから 如何になるらん

 

死ぬときは 野に果てるとも 悔いはなし 一輪の花 見て逝けるなら

 

 

平成24年5月

 

点滴を 引きて眺める 窓の外 芽吹く樹木に 我生きんと思う