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興味津々

日々思ったことを綴ります

気持ちはどんより

2025年07月15日 | つれづれに
演奏会が終了して
再び自由になった!ハズだった

しかし気持ちはどんより…

合唱団事務方の言動に不信感アリ!かと言ってその不信をぶちまける術がない

モヤモヤが溜まったまま
色々な他の憂鬱に苛まれ
気持ちが滅入る

ひとりでこの様々な苦しみを抱えきれない

あーもぉ〜〜
次から次へと 困難が降りかかってくる

みんなそうなんだ、
と思いたい

けどスイスイ生きているように見える人達が羨ましい
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家賃手渡し支払い

2025年06月25日 | つれづれに
しょうもないことに
いつまでも くよくよ悩んでいる。
私はこういう時、すぐに身近な人にぶちまけてしまう。
が、母ならどうしただろう。
黙っていつも乗り越えて来たんだ。
そうやって乗り越えてきっと人間は成長するんだよね。私は成長が止まってしまったんだなぁ…

くよくよしているのは
母の後、続いて部屋を貸している件。
娘の私はどう思われているんだろ
とすぐに思ってしまう。

今までも多少な気がかりはあった。
お互いに引っかかっている件があることは
何となく想像出来る。
でも正確な相手の考えていることが分からない。

家賃は手渡しになっていたから踏襲した。
振込の方が楽だとは思うが、振込料を持って欲しい、と言われることを避けたい。
だから、こちらからは提案しない。

借り主からすれば、私がいついるのか分からないから困る ということなのかも知れない。

それは何となく分かる
今回いつもの月よりかなり遅くなって来たが
ください、というには早いので何も言わなかった。

すると電話あり。
今日、いらっしゃいますよね?
と聞いて
階下の玄関に置いていますから。
って言って来られた。

瞬間的に ムッとなってしまった。
置いているから、取れってことか…と。

では伺います。
玄関に、という意味で苦々しく言っているのに。

再度 分からないと思ったのか
よほど会いたくないか部屋に来てほしくない事情があるのか
玄関に置いてますから、と繰り返された。

ハイ 伺います と何とか答えた。

電話を切ってからもすぐに行く気にならない。

来月から何とか方法を変えてもらえるように考えよう。
と長い間悩み続けている。

別に置いておいてもらったって
良いのかも知れないけど…。

何かずっと嫌な気持ちを引きずっている。

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お知らせ

2025年05月09日 | つれづれに
gooブログが11月に終了とのことで
たいへん残念ですが


上記↑アドレスに引越しいたしました。

まだ使い方が分かっていないところがありますが、こちらで更新しています。

是非遊びにいらしてください。

よろしくお願いいたします🍀
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月桂樹の花

2025年04月19日 | 身近な草花
カレー用にと葉を摘み取って乾燥させて
私にもたくさんくれていたのに。
ベーリーフとして香辛料で利用される。
母は晩年はもうほとんど関心を示さなかった月桂樹。

ここ数年は葉の色が黒ずんで
くたびれてきた。
落ち葉も増えている。

月桂樹を植えている家は当初は珍しく、
垣根の外からこっそりと
刈っている人までいた。

今は植えている家も割合あると言われた。

その弱りかけの月桂樹が花を咲かせていることに気付いた。

来年も元気に花を咲かせてくれて
葉っぱも元気に何とか立ちもどって欲しいのだが。
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そして今がある

2025年04月19日 | つれづれに
母が自分の実家から持って来たものだろう
アルバムは戦前の大蓮日赤病院のものだった
母方の祖父はここで医者として勤めていた
その時に母は次女として生まれた
若かりし祖母と彼の地で早くに亡くなった子供時代の母の姉の写真もあった
第一子だった母の姉のことや、亡くなった時の祖母の悲しみようを幾度となく私は母から聞いていた

その祖母の文章が昔の地方紙に残っていた
祖母はその時代の女性として懸命にしっかりと歩んでいた その証が文章に滲み出ていた

母もまた卒業高校の文集に文章を寄せていた
実際母からも聞いた話でもある
学校での農業体験、サツマイモを校庭に植えて便所の汲み取りを肥料として利用した、という話 

楽しげに生きる
昨日観たドキュメンタリー映画の石川哲代さんは104歳現役なのであるが、逞しくユーモアと深い情ある女性でこちらも生きる勇気をいただいた
どこか母と似ている、と感じてしまった

私がもっと母に優しく出来れば、もっと母は長生き出来たはずだとも思えてくる

私は自分の夢を持てなかった
しっかりと自分を見つめられなかった
何となく母と同じ薬学を選んで
勉強は好きじゃなくて
勉強の出来ない、努力の出来ない自分が認められず 逃げてばかりいたのだ

挫折と諦めの繰り返しで 
結局何者にもなれなかった
とんでもない人生になってしまったなぁ
とも思う

足るを知る
父も お前は贅沢な奴だ、と言った
私はその一方的に決めつける言葉にだけ反応にして父の言葉は受け付けられなかった

自分自身に不満だらけの間は
周りが見えない
ましてや感謝など出来ない

自分が駄目なのは周囲のせいだ、
と思いたくなる

足るを知るって 大切なことなのだ
と少しずつ思えて来ている

この年齢で 今さら なのだが
自分がどれだけ恵まれているか
感謝しながら生きたい と思う

それが 母や祖母や、
それから弟や 父や祖父
それぞれが生きて亡くなった
今に繋がる私に出来る
せめてものことかも知れない

自分の思いどおりになんかならない
みんな仕方ないことばかりだ
慌てても悔しがっても
どうしようもない

だからこそ 笑い飛ばして
負けないで
いっぱい楽しんで
長生きしてやろうって

思いました

じゃんじゃん
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