母が自分の実家から持って来たものだろう
アルバムは戦前の大蓮日赤病院のものだった
母方の祖父はここで医者として勤めていた
その時に母は次女として生まれた
若かりし祖母と彼の地で早くに亡くなった子供時代の母の姉の写真もあった
第一子だった母の姉のことや、亡くなった時の祖母の悲しみようを幾度となく私は母から聞いていた
その祖母の文章が昔の地方紙に残っていた
祖母はその時代の女性として懸命にしっかりと歩んでいた その証が文章に滲み出ていた
母もまた卒業高校の文集に文章を寄せていた
実際母からも聞いた話でもある
学校での農業体験、サツマイモを校庭に植えて便所の汲み取りを肥料として利用した、という話
楽しげに生きる
昨日観たドキュメンタリー映画の石川哲代さんは104歳現役なのであるが、逞しくユーモアと深い情ある女性でこちらも生きる勇気をいただいた
どこか母と似ている、と感じてしまった
私がもっと母に優しく出来れば、もっと母は長生き出来たはずだとも思えてくる
私は自分の夢を持てなかった
しっかりと自分を見つめられなかった
何となく母と同じ薬学を選んで
勉強は好きじゃなくて
勉強の出来ない、努力の出来ない自分が認められず 逃げてばかりいたのだ
挫折と諦めの繰り返しで
結局何者にもなれなかった
とんでもない人生になってしまったなぁ
とも思う
足るを知る
父も お前は贅沢な奴だ、と言った
私はその一方的に決めつける言葉にだけ反応にして父の言葉は受け付けられなかった
自分自身に不満だらけの間は
周りが見えない
ましてや感謝など出来ない
自分が駄目なのは周囲のせいだ、
と思いたくなる
足るを知るって 大切なことなのだ
と少しずつ思えて来ている
この年齢で 今さら なのだが
自分がどれだけ恵まれているか
感謝しながら生きたい と思う
それが 母や祖母や、
それから弟や 父や祖父
それぞれが生きて亡くなった
今に繋がる私に出来る
せめてものことかも知れない
自分の思いどおりになんかならない
みんな仕方ないことばかりだ
慌てても悔しがっても
どうしようもない
だからこそ 笑い飛ばして
負けないで
いっぱい楽しんで
長生きしてやろうって
思いました
じゃんじゃん