➀「遠き雪稜(上)(下) ②「彼方の山へ」いずれも谷甲州著
前者は昭和11年以降の立教大学山岳部のナンダ・コート遠征を元にしているもののフイクションで、当時のヒマラヤ遠征の苦労が手に取るように描かれている。
後者は著者・谷甲州は歩くことが大好きで、地図を眺めているうちに、そこに記された風景の中をあるいてみたくなる好奇心旺盛の若者だった。里歩きから始めた学生時代に、素人同然の技量で冬山に挑戦。厳冬期南アルプス全山単独縦走を果たす。やがて青年技術協力隊員としてネパールに渡ったのをきっかけに、ヒマラヤ・クン峰に登頂・・・。彼の山との関りが面白く描かれています。
③三つの嶺(新田次郎)は、イタリアのドロミテの大岩峰の遭難から、遺児の少女マリアの日本での生活と、登山と愛の関係に雄大な構想で迫る傑作でした。タイトルの「三つの嶺」はラスト一ページの中に凝縮されていました。
④「栄光の岸壁」上下(新田次郎)
図書館に借りに行くのみ面倒くさく自分の本棚から選ぶことにした。前回も三つの嶺の新田次郎だったので、芳野満彦氏と新田次郎氏の組み合わせて、マッターホルンを舞台にした栄光の岸壁を選んだ。
しかし読み始めると、山靴の音とダブル内容も多くあったが、八ヶ岳遭難以降の両足の半分以上の切断以降の、彼の山に対する執念が赤裸々に見られた。ここまで山への執念は何処から生まれたのだろうか、その一面に家族から仲間から愛いされる彼の性格が垣間見られた。この中にお母さんのことが載っているが、小生も彼の実家でお母さんと一度対面しお世話になって、その時のお礼に手紙を差し上げたら親切の暖かい返事を頂いたことを思い出した。
その後の結婚に至る話も面白く、結婚後の家庭と山への狭間に苦悩する彼が、アイガー、マッターホルン登頂の内容は手に汗を握る物語を新田次郎氏が克明に描れていて一気に読み終えた。初めに読んだときは山のことしか印象に残ってなく、新たに読んでる自分がいました。
⑤単独行(加藤 文太郎)
1905年生まれ、1925年頃より数々の単独行を行い、この時代の装備や交通機関を考えると想像を絶する山行を重ねていたのです。1936年1月槍ケ岳・北鎌尾根で不帰の客となるが、この時は岩登りが得意な友人と二人で、単独行ではなかった。
彼は山頂でベルグハイル(山万歳)と叫んだり、名刺を置いていくのが彼の山スタイルの特徴だったようです。そして、この時代の山小屋や登山者の傾向から、単独行故に、他の登山者から非難を浴びることがあったようです。
⑥風雪のビバーク(松濤 明)
1922年生まれ、つねに先鋭なクライマーとして活躍して、1949年1月、槍ヶ岳・北鎌尾根において風雪の為に遭難死。この時の彼のメモの一部を記します。
「全身硬ッテ力ナシ 何トカ湯俣迄ト思ウモ有元ヲ捨テルニシノミズ、死ヲ決ス。オカアサン アナタノヤサシサニ タダカンシャ、一アシ先ニオトウサンノ所へ行キマス。・・・有元ト死ヲ決シシタノガ 六時 今、十四時 中々シネナイ・・・我々ガ死ンデ 死ガイハ水ニトケ、ヤガテ海に入リ、魚を肥やし、又人ノ身体ヲ作ル、個人は狩ノ姿 グルグルマワル・・・」
そしてこの本の巻末に「S48.12.12 一か月近く雨もない乾ききったいたが、今日は昼過ぎから雲が低く灰色と化してきて雨になりそう。北の山々は大雪の便り。スキーなんかより、雪深い山で静かに独りになるのが今の俺の取って似つかわしい。そして寂しさに耐えかねて、狂い、白い雪に眠ったほうがいい」とメモがあった。精神的に不安定な時期だったのだろう。
⑦黒いヒマラヤ(陳 舜臣)
世界第三の高峰・カンチェンジュンガ(8586m)の麓にある街を舞台にした推理小説で一気に読んでしまった。タイトルの黒いヒマラヤはカンチェンジュンガの白い山に対して町で起こる人間模様のどろどろしたストーリーが白に対比して黒と表現したのではないかと感じた。