新房総の山親爺

山歩きは人生だ!!
日本の山:2064座
房総の山:388座
高宕山:695回

花の北岳

2024年07月28日 | 県外登山

花の北岳、2014年7月25日~26日

北岳は高山植物の宝庫と言われているようだが、今回撮った花は

  1. ミヤマコゴメクサ
  2. タカネナデシコ
  3. マルバブキタケ
  4. ハクサンフウロ
  5. グンナイフウロ
  6. ウサギキク
  7. ヨツバシオガマ
  8. テガタウバユリチドリ
  9. ヤマハハコ
  10. ツマトリソウ
  11. キンロバイ
  12. イブキジャコウソウ
  13. タカネビランジ
  14. イワギキョウ

  名前順と違うPhotoはどれでしょうか?

見た花

ミヤマダイコンソウ・タカネヤハズハハコ、アキノキリンソウ、カニコウモリ、イワブクロ、クガイソウ、ハクサンフウボウ、イワオトギリ、イワベンケイ、ミヤマカラマツ、イワツメクサ、オカトラノオウ、ウバユリ等

 

 

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盟友建三君と北岳に

2024年07月28日 | 県外登山

盟友建三君と北岳に

 昨夏建三君のリクエストテで富士登山を行い、秋に九州に帰省した折に二人で飲んでいると彼が来年の夏は北岳にと突然に言ってきたので、自分なりにトレーニングを積んで実行に移したが。結果は惨憺たるものだった。

25日の登りは予定通り200m/1Hrと遅いながらも北岳肩の小屋に到着した。26日の北岳~八本歯のコル~大樺沢二股~白根御池小屋~第二ベンチまでは遅いながら順調に進んでいたが、第二ベンチを過ぎたあたりから足元が少し怪しくなってきて、第一ベンチからは尻餅を付くようになってきて、昨夏8月の笹山の下りの悪夢が蘇ってきた。それでも白根御池分岐に15:40通過、広河原まで20分のコースタイムで最終バス16:40には十分に余裕あると思ったが、ますます足元がおぼつかなくなり大転倒で右手甲に打ち痣も。建三君が見かねてザックを担いでくれて、如何にか最終バスに間に合った。建三君曰く「ザックがないとスイスイ歩くね」と、たかだか8kg弱の重さなのにと自分でも思った。原因はやはりシャリバテで、ザックには行動食が入っているのですが。下山後の民宿では食欲も蘇ってアルコールも大いに進みました。「建三君 ありがとうございました」

日程:2024年7月24日~27日

24;君津IC8:50=甲府昭和IC12:20=甲府駅13:00~13:40=芦安P14:20/15:00=(バス)=広河原山荘(泊)

甲府駅で建三君をピックアップして芦安に、ここからはバスで広河原に。以前は吊橋を渡って山荘がありましたが、インフォーメーション先に新しく山荘が出来ていて山小屋のイメージは全くなく、風呂有・夕食にはナイフ・フォーク付きでした。

25広河原山荘(1500m)5:10…白根御池分岐…第一ベンチ(1880m)6:55…第二ベンチ(2059m)7;40…白根御池小屋(2236m)9:05/9:35…小太郎尾根分岐(2860m)12:35…北岳肩の小屋(3000m)14:00

*行動時間:8時間50分、歩行距離:6㎞、累積標高差:登り1611m、降り135m

朝食を弁当にしてもらって出発前の山荘食堂で摂って出発。山荘の泊り客だけで山屋は少ないなー、日本一の富士にはやはり負けるな~と思っていたら、続々と抜かれていきます。何処から湧いてきたのかと聞くと、広河原でテント泊・奈良田から一番バス・芦安から乗り合いタクシーだそうです。とにかく「お先にどうぞ」と声をかけるのみです。白根御池小屋はまだ時間的にも余裕あり、大休止をとって再出発です。草滑りに入ると高山植物が迎えてくれ、鳳凰三山も仰ぎ見るようになります。一夫婦とフリッピン8人Grと抜きつ抜かれつ、お互いに声を掛けながら助け合います。下山登山者は「小太郎尾根分岐から上は霧で視界なく強風で歩くのも大変でした」と語りますが、我々が小太郎尾根分岐到着した時には霧は仙丈岳に甲斐駒ヶ岳の頭を隠していましたが風もそんなに強くなく回復傾向にあるようです。足の速いGrは農鳥小屋や北岳山荘まで、京都からのおばさんは小太郎山をピストンと言っていて逞しいです。「山頂を踏んできました」と第二ベンチで追い抜いて行った若い女の子に「北岳のカモシカだね」と言うと可愛い顔でにっこりしてピースサインをして写真に納まりました。午後からの天気が崩れる前に肩の小屋に無事到着して早速乾杯をあげました。久しぶりの肩の小屋はウイルス対策で隣とは仕切りがあって、布団はシュラフでインーアシュラフ持参とありましたが寒くもなくシュラフの中には入りませんでした。下駄箱の靴から100人位の宿泊者のようです。

オーナーはマウンテンワークスにも所属していると聞いていたので、2013年1月の君津・高宕山で道迷い遭難者が出たときにも捜索隊として出動したとのことで、その時の話を少し聞くことが出来ました。

 

     肩の小屋より

鳳凰三山          富士山           鋸岳・甲斐駒ヶ岳      甲斐駒ヶ岳

 26肩の小屋5:40…北岳7:00/7:20…北岳山荘トラバース分岐8:00…八本歯コル8:40…昼食10:00/10:40…大樺沢二股11:40…白根御池小屋12:40/13:00…第二ベンチ13:55…第一ベンチ14:40…白根御池分岐15:40…広河原16:35/16:40=(バス)=芦安17:30/17:40=(マイカー)=芦安民宿「なとり」18:00

*行動時間:10時間55分、歩行距離:9㎞、累積標高差:登り640m、降り2,200m

 夜半、トイレに起きるたびに星が出て仙丈岳に甲斐駒ヶ岳が望めたり。風が強く霧が立ち込めたり、小雨が舞ったりとか、とにかく気をもませてくれます。5:00からの朝食前には目覚めた山々も眺められ今日の天候を約束しているようです。

 山頂に立って建三君と握手です。彼の夢のお手伝いが出来たことに自分自身も褒めてやります。

山頂からの眺望を紹介します。富士山・農鳥岳・間の岳・山座同定が出来ないのが残念ですが南アの山・恵那山・加賀の白山・中央アルプス・御岳山・乗鞍岳に仙丈岳・甲斐駒ヶ岳~鋸岳の稜線・八ヶ岳・奥秩父連山・鳳凰三山も眺められます。

あ!あ!あ!ブロッケン現象も見られ皆驚嘆の声をあげています。私も久しぶりの拝見です。秋の三人展出品作に石槌山のブロッケンを描いているので、おおいに参考になります。

 まだまだ佇んでいたい山頂ですが御いとまします。北岳山荘トラバース地点から南アの山々にさようならします。特に笹山はどの山だろうかと。八本歯のコルを下山ルートに摂る人は少ないようです。途中、建三君の両足靴底が剥げてしまいガムテープ

や靴ひもで応急をします。コルからの梯子は何回通過してもウンザリします。雪渓の上を渡ってくる涼しい風のなかで昼食休憩、すると若い子が一人で下ってきて話すと、山を初めて3年目だとのことで山仲間がいないと語っていました。

大樺沢が荒れて通行止めとのことで、二股から白根御池小屋経由ですが、往復ともに30分とあったので平坦なトラバースと思っていたがアップダウンあり大間違いでした。ここまで来たらもう終わりと思っていたが、大間違いと気が付いたが遅かった。ここで行動食をしっかり取っておくべきだと大反省した次第です。

第一ベンチ以降で先に歩いていた建三君にアサギマダラが耳や手に留まって、そのうち同じ個体は小生の手や唇にも留まってくる。ヒヨドリバナやオカトラノオウの花もあるので生息しているのだろう。小鳥で判るのはメボソムシクイ位です。

 

北岳山頂はもうすぐ    北岳山頂      富士山        ブロッケン      八本歯のコルへ     大樺沢大雪渓

北岳へ何回登ったかと思いだしますと・・・

➀初の北岳は真夏に鉈目会3人で肩の小屋・農鳥小屋・大門沢小屋のテント泊。この時T君がバテバテで大門沢小屋から奈良田の下りでは彼の荷物を二人で分担して下ったなー。彼も下山後温泉後は元気に回復、ビールを浴びていたなー。ようやく彼の気持ちが理解できるようだ。

②ソロで塩見岳から

③O君と塩見岳から、いずれも間ノ岳山頂でガスが晴れて最高だった。

④ソロで仙丈から両肩小屋を経由して

⑤年末に鉈目会3人で池山吊尾根経由で、最高だった。

⑥北岳に行きたいと九州の山仲間の奥さんの要望で、今回と同じルートを女性4人と男性1人で4泊で

⑦小太郎山に登りたくてソロで

今回で八回目、縁起の良い末広がりで打ち止めだ。いや、もう歩けない。

 

 

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猛暑の中の関東ふれあいの道

2024年07月22日 | 房総の山

猛暑の中の関東ふれあいの道

今日は恒例の草刈り日、草刈り機2台に熊手に鎌で関東ふれあいの道のNO23&24が対象です。君津市には朝から熱中症警戒アラートが発令され、おまけに猿の駆除対策で猟師が山に入るとのアナウスもあり、シルバーのお年寄りメンバーには酷な状況ですが流石というか、感度が鈍くなっているのか元気溌剌で作業をこなしていきます。草刈り以外に、ふれあいの道に掲示されている標識がここ数十年の垢で薄汚れているのを水が擦りますが取れなく洗剤等での対応が必要なようで、後日処置することになりました。奥畑登山口から高宕山ピストンの登山者が一人と、石射太郎から高宕山頂ピストンの親子ずれの三人と、一風変わったおじさんがクーラーボックスを下げてハヤ釣りにと高宕林道に向かいました。今日はみんないい汗を流して帰宅後の一杯を期待しているようでした。

標識の垢落し作業中 今日のメンバー

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苦行の監視所コース

2024年07月19日 | 房総の山

苦行の監視所コース

関東・甲信越は今日が梅雨明けのことであるが、高宕山は湿度200%でソヨとも風のない歩きを強いられました。月1回の監視所歩きを目標にしているので、今日は今年7回目ですが、以前、監視所コースを月4回歩くと北アルプスも問題なく歩けますと言われていて高齢のご婦人は最近トントお顔を拝見しなくなりました。

2024年7月18日(木)晴

石射太郎登山口10:10…怒田沢山の神11:30…金吊12:30/13:25…八郎塚13:55…八郎塚分岐14:10/14:25…高宕山15:30/15:45…観音様16:10…石射太郎鞍部17:10…登山口17:25

行動時間:7時間15分、歩行距離:15.1㎞、累積高度差:登り1545m、降り1537m、メンバー:ソロ

スタート前に陽光台の吉田さん?が到着、彼は高宕山のカモシカで歩くスピードは超速く、何処で抜かれるかなーと思っているが彼は来なく、恐らく反時計廻りなのでしょう。歩き始めると直ぐに首に巻いたタオルにパンツ・ズボンも汗でビッショリ濡れます。208mピーク手前の階段上りの目標10分はクリアーして怒田沢山の神に。いつもなら直ぐの発つのですが水分補給に塩飴を舐めます。全く風がないなーと汗だくだくで金吊のベンチに座り込むが、座っているのもきつく横の岩の上に座って水を流し込みますが頭がボーとして熱中症みたいで、頭から冷水をかけて横になります。食欲も湧かなく、無理して‘ふあっと大福’と洋館等を口のします。風も少し出てきたようで、なんと1時間弱も休んでいたようです。足元に咲く花はアキノタムラソウ位です。八郎塚手前のシダは伸びて踏み後も薄くなっていて、恐れていたヤマビルは{スキンベープミスト}を湿地帯に入る前に塗布した性か被害に合わないで済みました。八郎塚分岐のベンチでも一休みです。高宕山の裏側の斜面を登っていると右足太ももが悲鳴をあげて攣って、だましだまし如何にか山頂に。座り込むと今度は左足が、まだ残っていた塩を舐めてしまいます。下っていくと大木が登山度を塞いでいて、坂上さん後藤さんお二人がチェーンソウで作業中で、今日の体調ではお手伝いも出来なく10分程立ち話をして降りました。歩行時間は今までの最長時間で、反省は山の神以降の水分補給&行動食摂取が不足だった。苦行の監視所コースでした。

高宕山を愛する会の掲示物三点(金吊の謂れ、八郎塚分岐の倒木の謂れ、餌付小屋の・・・愛そう)

       倒木切断中のお二人

 

 

 

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二五穴の現役との再会

2024年07月11日 | 房総の山

二五穴の現役との再会

蔵さんから二五穴情報が入ってきて、二五穴と川回しの定義がチョッピリ怪しいかなーと思って、二五穴として今も現役で機能している高宕林道奥に行くことにした。小生がこの二五穴を知ったのはもう数十年前ごろ高宕山系を徘徊している時代にこの水路を知っていた。2021年、久留里城址資料館のイベント「君津の秘密展」の御手伝いをしたときにこの水路が「二五穴」と知った。

2024年7月10日(水)

石射太郎登山口9:15…大滝10:30…二五穴10:40…大滝11:05…高宕山12:35/13:15…観音堂13:30…見晴台14:20/14:35…餌付け小屋14:45…登山口15:00 行動時間:5時間45分、歩行距離:13.0㎞、メンバー:山田、蔵

補修中           二五穴の正面     二五穴の水路       ヒナノシャクジョウ      汗して登る蔵さん4

二五穴には勢いよく冷たい水流が流れ込んでいて、健在ぶりを発揮していて、管理する人がおられるのでしょう。途中、高宕林道の足場の悪い二か所を補修したが、もうオオルリ・サンコウチョウの声を聴くことはなかった。監視所コース入口には真新しい規制テープが仰々しく張られていて、これは最近監視所コースで滑落事故があったそうで通行止めになったのでしょう。今日、10日は富士山静岡県側の山開きとにこと、山梨側では火口で三人の死亡事故と登山道で現役クライマーの体調不良による死亡が報じられていて、今日は剣が峰で写真を撮ろうとした登山者が滑落して死亡と、今年になってもう5人も命を落としているが富士山は登山禁止にはならないが、高宕山で滑落事故で登山禁止となるのは何が違うのだろうか。

大滝から登っていると、足元に白い粒?が。これはヒナノシャクジョウで形が錫杖に似ており、また姿が小さい事が名前の由来である、光合成をしない腐生植物です。茎の高さは3cmから大きくても10cm程です。全体的に白い姿をしており、茎の先端に多数の花が頭状に集まっていますが、今日はまだ5㎜にもならないのが数点見られました。

汗して山頂に、特に蔵さんの汗の流しようは小生から見たら異常と思われますが、これが彼の通常の姿で心配いりません。今日出会った登山者は東京からのご夫婦二人とソロの二人のみでした。帰宅後、蔵さんから風呂で汗を流してビールを飲んでますのラインが入りました。

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夏山トレーニングに内山緑地二往復

2024年07月09日 | 房総の山

夏山トレーニングに内山緑地二往復

2024年7月9日(火)馬登自治会館9:35…内山緑地10:15…四等三角点(220m)10:30…馬登自治会館11:05…内山緑地11:50…馬登自治会館12:20

行動時間:2時間45分、歩行距離:11.8㎞、累積標高差:登り482m、降り484m、メンバー:ソロ

早朝から「熱中症アラート」が発生されているとのアナウスが流れていますが、夏山トレーニングにしては軟弱ですが内山緑地を目指します。現状維持より昨日までの自分を越えるには十分過ぎると思います。富士山が思いのほかくっきりと見せてくれて嬉しいものです。事務所で入園許可を頂いて四等三角点を踏んで、一旦馬登自治会館に戻り給水後再度内山緑地を目指します。二回目は三角点に寄らづ靴ひもを締め直して、恐る恐る超軽いジョグで降りましたが、膝にもアキレス腱にも違和感を感じなかったのが嬉しかった。

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最近読んだ本第二弾

2024年07月06日 | 番外

最近読んだ本第二弾

山靴の音(昭和49年3月15日4版)新編山靴の音(昭和58年4月の三版)と新・山靴の音(平成4年4月発行)の限定200部の第118番の三冊でいずれも著者:芳野満彦です。いずれも複数回読破していました。

  

二番目の新編山靴の空白ページに「芳野満彦、彼とはヒマラヤトレッキングの帰りにカトマンズ~東京までの機中で彼と語る幸せを持つことが出来た。特に印象深くあったのは【白いノート】をバンコクの空港で見せてくれたことであった。彼の山への思慕があふれるこのノート、以降私も白いノートにつたない絵と文を少なからずも書き続けている」と記されていました。1984.6.8記

1974年カラパタールトテッキングに参加、その時のツアーリーダーが芳野満彦氏でアルパインツアーツの会社がヒマラヤトッレキングを始めたのは1971年で3年後、ツアーそのものも未熟だし人材もいなく、会社創立者の一人である彼がツアーリーダーとはびっくりした次第です。

カトマンズ空港に着くと三浦雄一郎氏が出迎えてくれていて、芳野さんは雄ちゃんと気安く呼んでいて、一緒に写真を撮りました。三浦氏がエベレスト大滑降をしたのは1970年5月6日で、カトマンズの街を歩いていると「日本人か、三浦は素晴らしい」とよく話しかけられ鼻高々でした。

ツアー出発の朝、「山田さん、俺久し振りに雄ちゃんと会ったからカトマンズで麻雀などして過ごすから5人で行って」と今だったら考えられないことだが、自分も気安く「ハイ!良いですよ」と応えた。

ピラタスポーターという5人乗り位の軽飛行機で、シャンボチェという飛行場と言うより牧場の斜面に着陸。エベレストビューホテルはまだ建設中で、その前の空き地にテント泊まりです。ツアーは個別参加の村上、中村、保久、笹島、山田の5名と現地のサーダーとシエルパ・コック・ポーターが数人で行動です、行動中にはいろいろハプニングもあったが楽しかった。

シャンボチェシからカトマンズに戻る飛行機は天候やお祭り(パイロットが二日酔い)とかで三日遅れてカトマンズに。これが帰路のトラブルの基になります。

バンコクのホテルを出ようとするとスタッフがスーツケースを掴んで離さない。予定が遅れたので現地のエージェントからの連絡が不徹底で支払いがされてない。この時、芳野さん「山田さん、金持ってない。俺、財布をカトマンズに忘れてきたようだ」とのことで立て替えてその場をしのんだ。もちろん帰国後会社から払い込みがあった。

復路のメンバーは芳野さんと山田と笹島の二人で、残りの3名は金が残っているからカトマンズで一ケ月位遊んで、インド経由で帰るからとのことだった。

次は空港で帰路の便が予約されてなく、芳野さんが日本語と英語で猛抗議していて時間がかかりそう。この時、芳野さんが「この本でも読んでいて」と渡されたのが【白いノート】だった。結局、最終便の出入り口のスッチャーが座る折りたたみ椅子に収まって帰れることになった。

羽田に着いたが笹島と山田は自宅に帰る足が無く、芳野さんが俺の家に泊まろうとタクシーで鶯谷の実家に。「おふくろ帰ってきたよ、友達二人連れてきたから」と言って、久しぶりの日本だから新橋まで行ってくるからと待たせてあったタクシーに乗っていったきりだった。おふくろさんは満彦はいつもこんな調子だからと、白飯に味噌汁を作ってくれて久しぶりの日本食は美味しくありがたかった。

その後、キリマンジャロの誘いの連絡がきたが公私共に落ち込んでいた時期でそんな心の余裕はなかった。麻布十番街の東京映像ギャラリーで個展をするとの案内が来て3回は顔を出した。彼が在住の時に一枚の年賀状を出して語ってくれたのは、カトマンズ近郊のナガルコットの丘超美人のシエルパニと出会った、その超美人が八千草薫だったとのことでその後友達になったと嬉々として話してくれた。

小生もとあるツアーの帰路、ナガルコットに寄ったが二匹目の泥鰌はいなかった。

水戸での個展の案内が来て出かけたときに見せてくれたのは、ではなく【黒いノート】で内容も岩に登れなくなっている彼の心境を現したのか寂しく感じた。

2021年2月80歳でこの世を去った。この時、1974年のカラパタールトレッキングで一緒だった兵庫の保久君から電話があって「山田さん、水戸は近いから芳野さんの葬儀に代表して参列してください」と、彼も芳野さんの印象が強かったのでしょう。

中学の時、冬の八ヶ岳で遭難、友は無くなったが彼は凍傷で両足先を切断、<5文半の男>になったが山への情熱は衰えることなく、一流のクラーマーとして日本山岳会に名をとどろかせた。本の内容であるが、1冊目は処女出版で20代前半までの彼の青春を賭けた山々の記録。2冊目は青春の日の記録、徳澤の生活が主体で3冊目はその後に岳人に掲載された、まさに白い日記帳から抜粋された内容のようで一気に読むことが出来ました。 

芳野さんを囲んで、カトマンズ空港にて トレッキングのアルバムに山親爺の誌を

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パキスタンのスパンティーク遭難事故

2024年07月05日 | 県外登山

パキスタンのスパンティーク(7027m)遭難事故

遭難事故は7月5日の産経新聞の朝刊で知った。

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良い汗流した高宕山

2024年07月05日 | 房総の山

良い汗流した高宕山

2024年7月5日(金)

石射太郎登山口9:15…旧餌付小屋9:35…高宕観音10:30…高宕山10:50…高宕観音11:15…餌付小屋12:10…登山口12:30  行動時間:3時間15分、歩行距離:8.3㎞、累積標高差:登り688m、降り692m、メンバ-:ソロ

今日は猛暑日で熱中症対策で外出は控えめにして、室内では空調をかけてと朝から口やかましくクーラーの効いたTV局内から放送していてチャンチャラ可笑しい。後期高齢者はこの暑さの中に外出して汗を流して新陳代謝向上に努めておかないと秋になると身体が動かなくなり施設のお世話になりかねない。最近特に感じるのは目玉を緑の中に浸すのが良いのではないかと感じる。

登りで一人、下りで5人の登山者とすれ違ったが汗しているものの元気で、こちらも元気を頂きます。

コクランが紫の花をつけ始めて、梯子段の下に昨白い花はオオバジャノヒゲ?か。

  富士山は山頂から雪渓がぼんやりと確かめられた。

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恒例の鹿野山周回コース

2024年07月04日 | 房総の山

恒例の鹿野山周回コース

スタート時の気温は28℃で木陰を選んで歩くので直射日光は幾分遮られてるものの、直ぐに汗が滲んできます。夏山のトレーニングだから我慢我慢です。ムラサキシキブ・ヒウギスイセン・アキノタムラソウ・オカトラノオウ等の新たな路傍の草花も目立ってきます。今日は内山緑地から反時計回りで鬼泪山でUターンして春日峰に。春日峰ではキセキレイの群れの中にひな鳥もいて近寄っても逃げなく、親鳥が心配して威嚇してきます。神野寺で又Uターンして内山緑地経由で戻りました。大塚屋旅館前で木更津から自転車で来たという同年配のバイク野郎は、新兵器の装備を備えた新しいバイクでした。今日は富士山ビューポイントでは夏雲に覆われていて見ることが出来なく残念でした。風呂上がりの体重計の体脂肪率は13.7%と通常より3ポイントほど下がっていますが、翌朝は元に戻っています。

2024年7月3日(水)

馬登自治会館9:45…内山緑地10:30…休み場10:45…鬼泪山11:35…マザー牧場バス停11:45/12:10…春日峰12:55…神野寺13:15…内山緑地14:15…馬登自治会館14:50 行動時間:5時間5分、歩行距離:22.8㎞、累積標高差:登り1169m、降り1171m、メンバー:ソロ

    珍なるキノコ

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