里山の石神端書98 甲斐市安寺・八雲神社の仙元大菩薩
亀沢川沿いの集落では、どこも道路拡幅工事のため各所にあった石造物を一か所に集めています。案寺集落も石仏を集落入口に集めていて、十一面と馬頭観音、石棒と丸石、文字庚申塔に秋葉山燈籠などが並んでいます。
「仙元大菩薩/安政三年(1856)」の石塔は集落上の八雲神社にあります。
仙元大菩薩は富士山の神ですが、浅間でなくどうして仙元なのかは竹谷靭負氏の『富士山の祭神論』(平成18年、岩田書院)から紹介します。
竹谷氏は、富士信仰研究の第一人者である岩科小一郎氏が、浅間大菩薩を仙元大菩薩に改めたのは角行と、指摘しています。角行は戦国時代末期から江戸時代初期に、富士信仰を庶民のための信仰へ導いた行者。しかし竹谷氏はこれを疑問視して、富士信仰と伯家神道の密接なかかわりを文献から紹介して、中世の文書・佚書『神祇伯富士山古記』から、「伯家神道は、富士山が霊山神仙の源境であるから、仙元と称するとあり、浅間大神を仙元大神と称している。つまり、祭神三座・瓊々杵尊・大山祇命・木花開耶姫命を、仙元大神と尊称する」を引いて、仙元は伯家神道が中世から使用していたと結論づけています。
境内には「那賀都神社/大山津見命/弥三郎大権現」の石塔も立っています。那賀都(ながと)神社は山梨の奥秩父国師嶽南東の天狗尾根の大嶽山(だいたけさん)を奥の院とする天狗の山で、安産の神として山梨に講組織があった神社です。大山津見命は山の神。弥三郎権現は山梨の昇仙峡にある羅漢山(弥三郎岳)に祀られた神で、酒造りの神ともされていて、この亀沢川の東側の尾根にある山です。
奥まった場所に祀られた石祠群の中央が八雲神社です。
(地図は国土地理院ホームページより)