偏平足

山の石仏を訪ね、出会った石神・石仏を案内中。

石仏579吾嬬山(群馬)石祠、摩多利神

2015年04月24日 | 登山

吾嬬山(かづまやま) 石祠(せきし)、摩多利神(またりしん)

【データ】吾嬬山 1181メートル▼最寄駅 JR吾妻線・中之条駅▼登山口 群馬県中之条町山田の吾嬬集落▼石仏 吾嬬山の北側山中、地図の赤丸印。青丸は登山口▼地図は国土地理院ホームページより



【案内】吾嬬山山頂から北に少し下った山中に石祠が祀られている。流造り屋根の大きな石祠で、背面に「癸未八月吉日 山田村惣氏子」とある。山田村は吾嬬山の北東山麓に明治の中ごろまであった村。〝癸未〟は宝暦13年(1763)文政6年(1823)明治16年(1883)などが考えられる。この石祠は中之条町山田に鎮座する吾嬬神社=写真下=の奥ノ院である。

 山田の吾嬬神社里宮にある案内によると、奥ノ院には高さ32・5センチの衣冠束帯の木彫男神坐像が祀られていたが、いまは里宮に降ろされているという。その神名はわからない。里宮には他にも江戸時代初期と推定されている男女二神の坐像、元和六年(1620)の墨書きがある薬師如来なども残されているというから、神仏混淆の管理がなされていたのであろう。昔は上妻神社と称したが、寛政十二年(1880)に吾嬬神社に改めたと、これも神社の案内にあった。吾嬬になった理由は書かれていない。
 北山麓の中腹にある吾嬬集落は戦後開拓されたところだ。奥宮へ登るにはこの吾嬬集落から吾嬬山と薬師岳の峠に通じる林道を登り、ゲート手前から右の道に入ると登山口がある。奥宮までは踏み跡がしっかりついている。奥宮から吾嬬山の西の尾根に出ると山頂は近く、南山麓の東吾妻町岩下からの道を合わせて山頂に着く。

【独り言】摩多利神 吾嬬神社里宮の境内に「摩多利神」を祀る社=写真下=がありました。この神は仏教にかかわるらしいのですが、天台宗の仏堂後戸(うしろど)の守護をする摩多羅神(またらしん)かな……くらいの知識しかありません。よくわからない神なので、『続日本石仏図典』(注1)の「摩恒利神」から要約します。


 「摩恒利は梵語で母を意味し、大黒天の眷属あるいは同体とする経典、比叡山常行堂の守護神である摩多羅神と同一視、などの説があって近世には山王神とともに、日光東照宮の配祀神(はいししん)となった」とありました。また、近代に入って利根川流域の野田市あたりにこの神名塔が造立され、埼玉県妻沼町の摩多利神社がこの信仰のセンターだったらしいとして、信仰の目的は当時流行したコレラの防除を期待したものと説明されています。その野田市の状況は、石田年子氏が『日本の石仏』101号「(注2)で報告されました。石造物としての摩多利神はそれほど古い塔ではないようですが、信仰は古くからあり起源は難解のようです。
 吾嬬神社里宮の摩多利神社は「子安神社」と合祀された大きな社殿。里人はこの二神に子育てとその後の健康を願ってきたのでしょう。
【注】1 日本石仏協会編『続日本石仏図典』平成7年、国書刊行会
   2 『日本の石仏』101号、
    石田年子著「赤痢流行と摩恒利神塔」平成14年、青娥書房

 


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