羅漢寺山(らかんじやま) 弥三郎大神(やさぶろうおおかみ)
【データ】 羅漢寺山1058メートル▼最寄駅 JR中央本線・甲府駅▼登山口 山梨県甲府市上帯那町の長潭橋▼石仏 羅漢寺本堂の裏山、地図の赤丸印。青丸は羅漢寺旧跡▼地図は国土地理院ホームページより
【案内】 御嶽昇仙峡の中央にそびえる羅漢寺山、その南の谷間に羅漢寺が建つ。ここから、かつてあったという谷奥の羅漢寺旧跡(旧寺院跡)を目指した。始めに現在の羅漢寺にある羅漢寺縁起からこの寺の概要を案内する。
羅漢峰と呼ばれる峰々は頂上に天狗与(弥カ)三郎権現を祀り、一の岳に阿弥陀、二の岳に釈迦、三の岳に薬師を祀る山全体が真言宗の修行の場だった。旧寺院は現在の地より北西1キロほどの急峻な谷間にあったが、慶安4年(1651)の火災で焼失し現在の地に移ったといわれている。「甲斐国社記・寺記」によれば、創建は不明だが開祖は天台座主有金僧都、大永年中(1520頃)に俊屋和尚により中興開山されて曹洞宗に改めた。となっている。
現在の羅漢寺には木造阿弥陀と五百羅漢を納める保存庫と本堂があり、本堂裏に「弥三郎大神」銘がある高さ95センチの自然石が立っている。「大正九年八月吉日 千田組中」の造立。千田は羅漢寺山山麓、敷島町(現甲斐市)に明治の初めまであった村名。
さて弥三郎大神だが、実は羅漢寺山は山頂の岩場に弥三郎権現を祀るところから弥三郎岳と呼ばれていた。始めに寺の縁起から案内した「頂上に天狗与三郎権現を祀り」の件にあるとおり、この山に古くから祀られていた権現である。弥三郎権現は酒の神とも伝えられている。弥三郎は羅漢寺の寺男で酒作りの名人だったという伝承もある。寺に酒という釣り合わない話で真意のほどは不明だが、弥三郎権現は確かな存在で、千田の人たちにとっては重要な神だったに違いない。羅漢寺本堂裏の石塔は、明治になって〝権現〟が使えなくなったので〝大神〟としたのであろう。
【独り言】 夏の暑い日、昇仙峡の奇岩を見ながら羅漢寺に向かいました。川沿いの道なので下界よりは涼しいのでしょうが、汗だくでした。
羅漢寺で迎えてくれたのが、保存庫の木造の阿弥陀如来と五百羅漢です。阿弥陀は応永30年(1423)、「150体の五百羅漢は同31年の墨書がある」と案内にありました。ガラス戸越しに拝観し、写真を撮りましたので紹介しておきます。手元にある「五百羅漢像安置六百年大祭」資料には、「日本最古の木像五百羅漢が裏の嶽三カ所の岩窟に安置されて六百年、残念なことには、慶安の山火事で寺もろとも、二カ所の岩窟も木造をも焼失して終いましたが、現在は文化財の指定をうけて、残った1カ所の百五十余を奉安」とあります。
そして本流の右岸沿いに羅漢寺旧跡に向かいました。途中ひどい崖崩れを通過し、旧跡に続く枝沢の右岸沿いに踏み跡程度の道が続きます。左岸に渡ると旧跡は近く、両側はどこも修行地かと思わせる巨岩が重なり、その先にしっかりした石垣が残る羅漢寺旧跡に着きます。旧跡からさらに一の岳、二の岳、三の岳と続きますが、あまりの暑さに今回はここまで。引き返しました。
上の写真は途中の沢沿いの日陰に咲いていた花です。草もはえない石ころだらけの薄暗い沢沿いの道に咲く彼岸花のような花です。あの世へ続く三途の川か賽の河原は、このような光景なのでしょうか。