偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏662古怒田・浅間山(神奈川)出羽三山供養塔

2016年05月23日 | 登山

古怒田・浅間山(せんげんやま) 出羽三山供養塔(でわさんざんくようとう)

【データ】 古怒田・浅間山 317メートル▼最寄駅 JR御殿場線・下曽我駅▼登山口 神奈川県小田原市曽我原の下曽我駅▼石仏 浅間山山頂、地図の赤丸印。青丸は古怒田の道祖神▼地図は国土地理ホームページより


【案内】 曽我丘陵は梅やミカン畑が広がり、車が入る道が交錯している。下曽我駅から不動山へ登り浅間山と歩いたが、尾根通しの道は少なくほとんどが車道歩きだった。浅間山は車道から少し登った電波中継所のあるピーク。入り口に「古怒田仙元」の案内がある。古怒田はこの山の東山麓にある集落。仙元はピークに立つ大きな富士信仰の組織が建てた「仙元大菩薩」石塔をいう。その側面には「不動大明王 小御嶽石尊」銘もある。「元治元年(1864)」の造立で、台座も含めると高さは2メートルを超える。台座に願主古怒田邑の石井仁兵衛と吉野米蔵、発願者として大勢の村人銘がある。



 仙元石塔の脇に立つのが智拳印を結ぶ金剛界大日如来の出羽三山供養塔。台座を含めても1メートルに満たない高さで、仙元塔に比べるとだいぶ見劣りする。大日如来は出羽三山の奥ノ院・湯殿山の本地仏。台座正面に、中央湯殿山、左右に月山・羽黒山銘がある。その下中央に奉造立、右に百番順左に礼供養とあり、出羽三山と西国・坂東・秩父の百番観音を並刻したことがわかる。大日を主尊としているので湯殿山信仰に百番観音を追加した形だ。側面には「□政六寅歳(1792)」の銘。神奈川の出羽三山塔はそれほど多くないものの各地に見られる。ただ仙元山のような他の信仰と並刻した石塔が多い印象がある。

【独り言】 双体道祖神 古怒田集落は菅原神社と聖観音堂を中心にした浅間山のすぐ下の集落です。集落内にある戸別地図によると、家屋は約35軒。早野、石井姓が多く吉野・小嶋・細野・高橋などがあります。この姓の構成比率は浅間山の仙元塔の台座にあった銘とほとんど同じで、150年前からはさほど変わっていない様子です。



 菅原神社石段脇の庚申や地蔵の石仏も昔から立っていたようです。その中心に立つのが双体道祖神で男女のように見えます。上部に「道祖神」、右に「元禄八(1695)」銘がありました。この曽我から渋沢丘陵と丹沢山麓の道祖神は、群馬の倉渕村(現高崎市)とならぶ江戸時代初期の双体道祖神が多い土地です。その特徴は男女区別がない僧形双体像です。双体道祖神といえば握手型・祝言型・性愛型など、像容の多様さについてさまざまな報告がされてきました。それが高じて道祖神といえば、真っ先にこれらの双体像が浮かぶ状況です。しかし神奈川・群馬・山梨・静岡など初期の像はどこでも僧形で、男女の区別が出てくるのは元禄以降のことです。そして僧形道祖神のある土地に共通するのが江戸時代初期に建てられた石祠型墓石です。石祠内には道祖神を小さくしたような双体像が納められていたことも同じです。そんなことを『東国・里山の石仏系譜』の「祠内仏は道祖神の原型か」で案内しました。


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