偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏798稲沢の山(埼玉) 級長戸邊命、五神地神塔

2018年06月18日 | 登山

稲沢の山(いなさわのやま) 級長戸邊命(しなとべのみこと)、五神地神塔(ごしんじじんとう)
【データ】 稲沢の山 395メートル(国土地理院地図の山名は無い。稲沢集落の北に連なる山を稲沢の山とした)▼最寄駅 JR八高線・児玉駅▼登山口 埼玉県本庄市児玉町稲沢の下稲沢集落、地図の黒丸印▼石仏 稲沢の山の西のピーク、地図の赤丸印。青丸は住吉神社奥社▼地図は国土地理院ホームページより



【案内】 秩父の山脈が東の関東平野に尽きるところに、神々が鎮座する山がある。山の名はないので、山の南山麓にある集落名をとって稲沢の山として、神々を案内する。
 山の中心にあるのは住吉神社の奥社で、里宮は中稲沢にある。奥社の鳥居の左に蚕の神「蚕影山大神」、右に木曽御嶽行者を祀る霊神碑の「一心霊神」が立つ。社殿裏には水の神「八大龍王 昭和四年雨乞記念」の石塔。奥社の東隣のピークには「謹請住吉大明神 明治二年」と「摩利支天大神 大正五年」が並ぶ。摩利支天は木曽御嶽を勧請した山に見ることもあるが、奥武蔵や秩父の山には武道の神として造立する傾向がある。奥社の西のピークには「大正十三年」造立の「榛名神社」と「十二尊天」が並ぶ。榛名神社は雨乞いで知られた群馬県榛名山の神、十二尊天は仏教の十二天か。
 稲沢の山の西の山頂には風の神「級長戸渡邉命」が立つ。「明治三十二季二月吉日再建 當所氏子」の建立である。再建とあるから、稲沢にとっては古くから祀られてきた神なのであろう。級長戸渡邉命は伊弉諾尊が朝霧を吹き払った息が神になったものである。
 この国の風の神は、奈良・竜田の風の神、広瀬の水の神に代表されるように、古くから対で祀られてきた。これとは別に風の神だけ祀ることも行われてきた。伊勢神宮の風神社、諏訪大社の風の祝(はふり)、そして風宮祭や風鎮祭などもあった。これが仏教伝来とともに風神・雷神となって千手観音を奉るお堂の守護として座所があたえられ、これがお堂を出て対で山門に立つようになり、石像もみることになる。風の神だけ祀る山も多い。しかしこの神の石造物が立てられた山は少ない。そのなかで、新潟県頸城地方の里山にはいろいろな風の神の石像が祀られていたので、このブログの頸城丘陵・風の三郎で案内した。


【独り言】 五神地神塔 稲沢には下稲沢、中稲沢、上稲沢の三つの集落かあり、地神の一つ「五神地神塔」が下稲沢と中稲沢にありました。
 五神地神塔の五神は天照大神・大己貴命・少彦名命・埴安姫命・倉穂魂命など記紀に登場する農業の神・五柱で、これを5角柱の各面に銘記した石塔が五神地神塔です。この石塔は地域厳限定の神として、関東では埼玉の秩父や千葉の佐倉周辺、西日本では岡山や徳島に集中して建てられていることが知られています。この名称について『日本石仏事典』(注1)では「地神」のなかで取り上げています。大護八郎氏は『石神信仰』で「五神地神塔」(注2)としています。地神の全国分布にについて明らかにした石川博司氏は、地神を五神名圏(埼玉、中国四国の一部)、地神圏(神奈川・東京)、社日圏(九州の一部)としてまとめています(注3)。『日本石仏図典』(注4)では「五神神名塔」として「便宜的な今日的命名であり、歴史的な呼称ではない」としています。新しいところでは、正富博氏の『岡山の地神様』(注5)に「五角柱地神碑」というのがあります。つまりこの石塔は地神の一つではありますが統一された名称はないということです。ということで、ここでは一番妥当かなと思う五神地神塔としました。
 ついでですが、地神というと古くから土地や屋敷の神ともされていて、これの祭りが春秋の二回あって、土を動かしてはいけない日とされていました。地神として石造物に現れる記紀の五神、仏教の地天(堅牢地神=けんろうじじん)、陰陽道の土公神(どぐうじん)などは、農業守護を担っての造立で江戸時代中期以降のことです。
(注1)『日本石仏事典』昭和50年、庚申懇話会
(注2)『石神信仰』昭和52年、木耳社
(注3)「地神塔の全国分布」『日本の石仏』21号、昭和57年日本石仏協会
(注4)『日本石仏図典』昭和61年、国書刊行会
(注5)『岡山の地神様』平成13年、吉備人出版


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