地蔵岳(じぞうだけ) 金剛童子(こんごうどうじ)
【データ】 1483メートル▼最寄駅 東武日光線・新鹿沼駅▼登山口 栃木県鹿沼市草久の古峰神社▼石仏 山頂にある祠の中▼地図は国土地理院ホームページより▼この案内は拙著『里山の石仏巡礼』(平成18年、山と渓谷社)から転載したものです
【里山の石仏巡礼79】 日光修験の修行地を訪ねて前日光の山を歩き出した昭和50年代、一帯はすでに林道が切り開かれていた。それでも笹におおわれたこの山一帯の山中には修験道の修行地だった証がいくつも残り、登山者が少ないこともあって、ほかの山では味わえない山岳修行者の境地が体験できた。
下野の真岡に生まれた勝道(しょうどう)上人が日光に寺を建て男体山を開いたのは奈良時代の末期、その折たどった道が、後に日光修験の修行の道となった。そのひとつ坂東札所十七番・出流山万願寺から横根山・薬師岳・鳴虫山をへて神橋に連なる道は、勝道が日光に入った道で、今でもいくつかの修行地が宿(しゅく)という名で残っている。代表的な修行地の一つが古峰神社の奥にある深山巳ノ宿だ。そこは古峰原湿原の水を集めて流れ出す林のなかで、金剛堂と呼ぶ石祠があって聖地の雰囲気が漂っていた。宿は修行地を指す。日光修験はこの地に籠もって修行をし、これをサポートしたのが古峰神社だった。
深山巳ノ宿で修行を終えた行者は次ぎの宿である薬師岳へ北上する。その途中にある地蔵岳も行場の一つで、ここにも金剛堂の石祠が残っていた。日光修験の宿には必ず金剛堂があり、聖地を守る金剛童子が納められている。金剛童子は密教の法具である金剛杵を神格化したもので、憤怒の童子に造られる。しかし地蔵岳の金剛童子は金剛杵をもつ僧形であった。金剛堂はこれから先の薬師岳・三宿峠・滝ケ原峠・鳴虫山など尾根道に次々に現れる。しかし金剛童子が祀られている石祠は少ない。
家を建てたとき親父に教わって古峰神社にお参りした。私の郷里の福島では古峰神社を火防の神として信仰し、親父が古峰講の代参で何度かお参りにいったことが、子供の頃の強い印象となって残っている。古峰神社が日光修験から独立して、火防の神として布教を始めたのは江戸時代の末期、明治維新の神仏分離以後、日光修験との関係が絶たれてから爆発的に信仰が広まったという。
近隣の山になってきたので毎回楽しく拝見させていただいています。
こちらの地蔵岳は栃木百名山とは別の山なのですね。
夕日岳とセットで訪れてみたいものです。
ところで、標高が前回の鶏鳴岳と同じ数値になっています。
訂正いたしました。
大子山岳会HPリンクもありがとうございます。