偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏361高峯(栃木)

2012年01月30日 | 登山

高峯(たかみね) 二十六夜塔(にじゅうろくやとう)

361【データ】高峯 520メートル▼国土地理院25000地図 羽黒▼最寄駅 JR水戸線・笠間駅▼登山口 栃木県茂木町小貫の小貫観音▼石仏 小貫の集落から奈良駄峠道に入った神社跡の木祠の中

                                                                                       

36113612【案内】茂木町の小貫集落から高峯には二つの道がある。一つは?小貫観音の下の道で、高峯に直接登るもの。一つは観音の手前から奈良駄峠に登って高峯に至る道。今回は奈良駄峠から高峯に登って観音に降りた。案内する二十六夜塔は小貫集落から奈良駄峠の道に入る道端の木祠内に「二十三夜塔」とともに祀られている。かつて加波山神社があった場所で、境内跡に石燈籠や手水鉢が残った一角である。自然石に「二十六夜塔」の銘があるこのような石塔は路傍に立つのが普通であるが、木祠内に祀られることも珍しいことではない。さて二十六夜塔だが、一般に愛染明王を本尊として二十六夜の月の出を待つ行事をする集まり(講)などが建てた石塔をいう。ほとんどが文字塔であるが愛染明王を刻像するものも多い。祈願の主なものは各地の伝承などから、愛染明王が持つ愛欲にすがる恋愛成就、愛染が坐す宝瓶を藍染めの瓶にみたてた染物業者の守護、二十六夜の月の出に見えるとされた阿弥陀の信仰、豊作祈願などがあげられる。高峯山麓からこの二十六夜塔建立の趣旨は聞き出せなかったが、二十三夜塔と一緒に祀られているところから推測するに、男衆による豊作祈願だったに違いない。ちなみに二十三夜塔は女衆による月待ち信仰。その二基にはいずれにも「明治十九年六月吉日」の銘がある。茂木町の東隣の茨城県大宮町(現常陸大宮市)小野には、二十三夜の本尊「勢至菩薩」と二十六夜の本尊「愛染明王」を併刻した石塔がある。また大宮町の東隣の瓜連町(現那珂市)には二十六夜尊の祭で知られる常福寺があり、茂木町一帯は二十六夜塔と信仰の痕跡が色濃く残る土地柄である。

3613 奈良駄峠への道はしばらく林道がつづき、「馬頭尊」の石塔から先は次第に山道らしくなり、道脇に古い車を見れば峠は近い。峠から左は仏国山、高峯は右に登る。

【参照】愛染明王

3614【独り言1】雪と車 奈良駄峠手前の登山道脇にころがる雪をかぶったスポーツカーにはビックリしました。いくら馬力があっても、狭い峠道は登れないでしょう。地元の人の話では、30年以上も前からあるというんです。40年ほど前に小貫から奈良駄峠まで林道ができた後、車が捨てられたらしいのです。その林道、いまはすっかり山道に戻っていました。それにしても関東に雪が積もったこの24日は、雪に翻弄されたいろいろな車を見てきました。ほとんど進まない国道16号の車の列。我孫子方面に逃げた脇道でみたスリップする車、車、車。車の前を横切って転倒する自転車。ガード下や橋の手前の坂道で停車して3616 いる大型車などなど。おかげで朝6時に八千代市の自宅を出発して高峯の小貫観音堂に着いたのは正午近く。普段の倍以上の時間がかかりました。それも途中、脇道にそれて立ちションするおまけつきでした。下写真は国道6号我孫子市柴崎付近の渋滞。

3615【独り言2】陶芸家・永島君江氏 高峯の帰り、久しぶりに笠間市の陶芸の丘で永島君江氏の作品を見ました。素朴な表情の小顔とデホルメされたスタイル、それに淡く抑えた色彩の妙がなんともいえない清楚さを創りだしている永島作品は、見ているだけで心が安らぎます。今回は展示品のなかから一番安い少女の作品=写真=を手に入れました。お店の人の話では永島作品の収集家が何人もいるとか。その仲間入りをする気はありませんが、もう少し手に入れたいのは確か。

コメント
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