佐久良私語 さくらのささめごと

佐久良私語は櫻斎宗匠の折々の思いを綴ったものです。

今日の軸 2014年12月31日

2015-01-15 11:36:43 | 折々の記( 2014 年)
大晦日
掃除に新年のお飾りも終わり、料理方が恒例のお節を届けてくれ、これも恒例の美々卯さんのうどんすきをいただきました。
そして除夜釜です。軸は大徳寺前管長福富雪底老師の「天馬駒」、今年の干支の馬の茶碗を用いました。馬は12年間御蔵入りで使い仕舞です。他に息子が初めて作った茶碗「いろは」も使いました。お菓子は昼間家元でいただいた、家元直門招福楼さんの「埋火」。家族一同で一年の無事を祝うお茶を飲みました。あとは炉に埋火をしてやすみます。
とりあえず今年も大禍無く年越しできそうです。これもひとえに多くのみなさんのおかげです。ありがとうございました。厚く御礼申し上げます!
よろしくご越年の上、麗しい新年をお迎えください‼︎


今日の軸 2014年12月27日

2015-01-15 11:35:21 | 折々の記( 2014 年)
無事

不徹斎宮島杓子「無事」です。
厳島神社で献茶奉仕された時の記念に揮毫してもらった杓文字です。
宮島の杓子は、江戸中期の神泉寺の誓真という人が、ある夜、弁財天の夢を見てその琵琶の形の美しい線から杓子を思いつき、御神木を使って作ることを島の人々に教え、この杓子で御飯をいただけば、ご神徳を蒙り福運をまねくということで宮島土産として今日に至っています。お土産屋が並ぶ表参道商店街の途中に、大杓子が展示されています。長さが7.7メートル、最大幅が2.7メートル、重さが2.5トンあり、世界一大きい杓子です。
この杓子で「無事」にすくってもらいます!


今日の軸 2014年12月26日

2015-01-15 11:31:18 | 折々の記( 2014 年)
天照皇太神宮 慶應丁卯冬一鳳森寫(印)

江戸後期の円山派の絵師森一鳳の伊勢神宮の御神札「剣祓」の画賛です。
森一鳳は森徹山に師事し、のち養子となり森派を継ぎ、大坂画壇で活躍しました。徹山の画風を守り、写生を基本とした情趣ある作品が多く、山水や人物・花鳥を得意とし、特に「藻刈船図」は、「藻刈り図を書く一鳳」から「儲かる一方」に通じることから、当時の大坂の商家で縁起物として重用されたことは有名です。肥後熊本藩細川家に仕え、兄弟子の森寛斎は京都で、一鳳は大坂を拠点に活躍し、共に森派の画名を関西に広めました。
2日続きでクリスマスでしたが、今日は日本の神様の話しです。慶応3年(1867年)8月から12月にかけて、近畿、四国、東海地方などで、伊勢神宮の御札をはじめ、さまざまな神社の御札や神像、さらにはお金などが空から降ってきて、これは慶事の前触れだという話が広まりました。多くの民衆が仮装するなどして囃子言葉の「ヨイジャナイカ、エイジャナイカ、エイジャーナカト」等を連呼しながら集団で町々を巡って熱狂的に踊りました。御札は富商・豪農など経済的に豊かな家に降ることが多く、降札のあった家々では御札を祭るとともに降札の噂で熱狂的になって踊り込む大勢の人々に酒食を提供し、騒ぎはさらに輪を広げていきました。これを「ええじゃないか」といいます。福地源一郎の『懐往事談』に、「此御札降りは京都方の人々が人心を騒擾せしむる為に施したる計略なりと。其の果して然るや 」と記していて、討幕派公卿の謀略だったのではないかと疑っています。
この絵は、慶應3年(1867)11月(旧暦)に大坂住友本家に降札した時、当主の吉左衛門が森一鳳にその御札を五幅写させ、表千家の住山楊甫が千家十職の奥村吉兵衛に自身の好みの表具をさせたものです。


今日の軸 2014年12月24日

2015-01-15 11:29:30 | 折々の記( 2014 年)
merry
christmas
Sumiko Sen

有隣斎室澄子夫人の色紙「merry christmas」です。
澄子夫人の最晩年に、この色紙に好きなことばを書いてあげると言って下さった時、真っ赤な紙と金の切箔から、わたしはこのことばがもっともふさわしいと思い書いてもらいました。夫人もまことにおもしろいということで快諾して下さいました。早速、毛筆をとり、「merry christmas Sumiko Sen」と揮毫してくれました。夫人はアルファベットを毛筆で書くのははじめてとのことでした。多分、この世に一枚だけの作品だと思います。わがやの家宝のひとつです!
懐かしい思いでです!
そして生涯忘れることのできない素晴らしい思い出のひとつです‼︎


2014年12月23日

2015-01-15 11:28:13 | 折々の記( 2014 年)
好きにすれば!
韓国の茶道家の知人が何人もいます。友人もいます。韓国は何度も訪れ、たくさん勉強したし、多くのいい人に出会い、とても親切にしてもらい、素晴らしい体験を数々しました。でもこの件について一言いわせてもらいます。
韓国の茶道も中国の茶道も日本の茶道も互いに影響を与えあっても、それぞれ別のものです。
喫茶の風習は中国が源であり、それぞれの国民性や文化が反映して発展し今日に至っています。そこには宗教の影響があり、喫茶という物理的行為に精神性を加味した文化が茶道です。それを一括りにして茶道が韓国発祥というのは噴飯物です!発祥地という考え自体ナンセンスです!
韓国茶道がこういう行為を良しとしているなら、あまりにレベルが低いというほかありません...。