2016年3月16日
菜の花
天正19年2月23日に利休さんは豊臣秀吉の勘気を蒙り堺に蟄居させられます。
その時、連座を恐れる多くの門人のなかで、古田織部と細川忠興だけが淀の渡しに見送りました。利休さんはそのことに感激した旨の手紙を残しています。
流儀では28日に聚光院で利休忌を営みます。茶席閑隠席の床には、利休さんの画像と花入に菜の花と彼岸桜が必ず入れられます。
利休さんも淀川に咲く菜の花を眺めつつ堺に落ちていったのでしょう。
菜の花
天正19年2月23日に利休さんは豊臣秀吉の勘気を蒙り堺に蟄居させられます。
その時、連座を恐れる多くの門人のなかで、古田織部と細川忠興だけが淀の渡しに見送りました。利休さんはそのことに感激した旨の手紙を残しています。
流儀では28日に聚光院で利休忌を営みます。茶席閑隠席の床には、利休さんの画像と花入に菜の花と彼岸桜が必ず入れられます。
利休さんも淀川に咲く菜の花を眺めつつ堺に落ちていったのでしょう。