
遠い記憶から『超少年』と『千年王子』は似ている印象を持っていた。
構造として、過去に端を発した近未来のストーリーとしては、記憶は正しい。
しかし細部は勿論大きく異なり、『テレヴィジョン・シティ』と『新世界』を並べるようなものであり、ある意味世紀末的空気を漂わせた近未来の物語としては同じカテゴリーに属している。
表紙には帯に見せかけてコピーのある部分に「行こうぜ、極楽へ…」と何の言い訳の出来ないベタなものが書かれているが、エリュシオンという人物が出てくるものの、それを指しているようには考え難い。
またそのコピーの下にはPetit Prince Blueとあるり『超少年』と何らかリンクさせる意図があるのかもしれないが、単にカムパネルラのように著者の愛する記号のひとつかもしれない。
身体機能を制御する機械が45%以下を人間と定義する世界で、主人公達はやはり地球上では暮らしておらず、流動食やサプリメントを中心に摂取し、家族制が崩壊しているのは勿論、性行為、出産、身体的性別機能も意味も変質している。
微かに仄めかす程度から、あからさまな描写まで、長野まゆみ流言語で書かれた作品は沢山あるが、直接造語でなくそういった単語が頻出している作品は今までなかったように思う。
また最後までストーリーの展開が感じられない、ただそういう設定の世界について説明しただけ、ピックアップして書いただけに思える感覚は、『水迷宮』を読んだ時に似ている気がした。
単行本:2001年6月
「…ある肉体というものが何かの歪みに入って千年生きながらえたとして、その中に千年前の記憶を入れ込んだとすると、それが果たして同じなのか、それが同じである必要があるのか、という問題について書きたかったんです。今出会った人とは千年前にも出会っていたかもしれないし、その記憶も思い出してみると千年前といっしょなんだけれど、そこで一致すつことに意味があるのかということなんですね。せんねんという時間の流れよりも、今の一瞬の方が重要じゃないのか。そうすると、記憶を持ち続ける意味というのもないんじゃないかという話になるんです(笑)。だから、記憶記憶というけれど、そんなものなくてもいいんだという終わり方になっています(笑)。「記憶」といういわれない他のものが何かあるはずなんですよ。そのかわりのことばが。」
「そのテーマは実はいつも出ていて、それは「自分は何ものだ」という感じに近いので、いつも少年たちは自分が何ものかで分かっていないことが多かったわけです。自分が誰だかわからない、思い出せない。そして、思い出せないまま終わる(笑)というのが、ひとつのパターンなんです。それはたぶん思い出すことに意味がないかなんですよ。」
(文藝別冊より 著者談)
構造として、過去に端を発した近未来のストーリーとしては、記憶は正しい。
しかし細部は勿論大きく異なり、『テレヴィジョン・シティ』と『新世界』を並べるようなものであり、ある意味世紀末的空気を漂わせた近未来の物語としては同じカテゴリーに属している。
表紙には帯に見せかけてコピーのある部分に「行こうぜ、極楽へ…」と何の言い訳の出来ないベタなものが書かれているが、エリュシオンという人物が出てくるものの、それを指しているようには考え難い。
またそのコピーの下にはPetit Prince Blueとあるり『超少年』と何らかリンクさせる意図があるのかもしれないが、単にカムパネルラのように著者の愛する記号のひとつかもしれない。
身体機能を制御する機械が45%以下を人間と定義する世界で、主人公達はやはり地球上では暮らしておらず、流動食やサプリメントを中心に摂取し、家族制が崩壊しているのは勿論、性行為、出産、身体的性別機能も意味も変質している。
微かに仄めかす程度から、あからさまな描写まで、長野まゆみ流言語で書かれた作品は沢山あるが、直接造語でなくそういった単語が頻出している作品は今までなかったように思う。
また最後までストーリーの展開が感じられない、ただそういう設定の世界について説明しただけ、ピックアップして書いただけに思える感覚は、『水迷宮』を読んだ時に似ている気がした。
単行本:2001年6月
「…ある肉体というものが何かの歪みに入って千年生きながらえたとして、その中に千年前の記憶を入れ込んだとすると、それが果たして同じなのか、それが同じである必要があるのか、という問題について書きたかったんです。今出会った人とは千年前にも出会っていたかもしれないし、その記憶も思い出してみると千年前といっしょなんだけれど、そこで一致すつことに意味があるのかということなんですね。せんねんという時間の流れよりも、今の一瞬の方が重要じゃないのか。そうすると、記憶を持ち続ける意味というのもないんじゃないかという話になるんです(笑)。だから、記憶記憶というけれど、そんなものなくてもいいんだという終わり方になっています(笑)。「記憶」といういわれない他のものが何かあるはずなんですよ。そのかわりのことばが。」
「そのテーマは実はいつも出ていて、それは「自分は何ものだ」という感じに近いので、いつも少年たちは自分が何ものかで分かっていないことが多かったわけです。自分が誰だかわからない、思い出せない。そして、思い出せないまま終わる(笑)というのが、ひとつのパターンなんです。それはたぶん思い出すことに意味がないかなんですよ。」
(文藝別冊より 著者談)
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