
山田洋次監督×藤沢周平原作の時代劇三部作。
ようやく先日、最後の「武士の一分」を観ましたので、三部作のレビューでございます。
ネタバレありです。ご注意を。
まず全体を通して。
所謂一般的な「時代劇」というと、イメージ的には「豪華絢爛」「威風堂々」みたいな
いかにも太秦映画村で撮りましたというのが多くて、そういうのはあまり好きではなかった。
頭は見るからにカツラです!チャンバラは切ってる手応え(見応え?)もなければ血も出ません!みたいな(笑)。
もうそういう類のものとは次元が違う作品です。
まず何が良かったかって、江戸や京都と舞台にしていない所。幕末の庄内地方が舞台なのですが、
どうしても江戸なんかの設定だと、作り物感満載なんで。
全てにおけるリアリティーという点で、この三部作(特に「たそがれ」)は秀逸です。
田舎の土着的な雰囲気、川や田圃、山などの自然。土や水の匂いまでこちらに感じられるようでした。
そして庶民の暮らし。本当に素朴で慎ましい生活。
そういうのを描かせたらやっぱり山田洋次監督は絶品です。
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「たそがれ清兵衛」
一作目ですね。三部作の中では一番好きな作品。
何と言っても、真田広之と宮沢りえが良かった。
真田広之は、清貧で実直で無骨で、でも芯があって凛としていて、という清兵衛を、それこそ台詞ではなく
雰囲気だけで見事に演じてます。雰囲気(というかオーラ)だけでここまで持ってこれる人って
なかなかいないと思う。そういう意味ではすごいと思う。
それと宮沢りえ。
宮沢りえっていい役者になりましたよねぇ(お前は何様? 笑)。一時の騒動が夢のよう。
主役の二人に関しても、三部作の中でこの二人が一番かなぁ、僕的には。
作品の構図としては、現代社会にもどこか通じるものがあります。
安月給のサラリーマンの悲哀、痴呆の母親の面倒を見たり、上から理不尽な命令をされて
苦悩しながらも、やはり逆らえない葛藤など…。
しかし、現代社会には決してないものがそこにある。それが武士の一分なわけです。
三部作の中で共通して描いている武士の一分。
実はタイトルになった三作目の「武士の一分」よりも、この作品と次作の方が、よりその部分を
描けてるというのは皮肉なもんで(笑)。。。
現代社会では、やはりどうしても世の男子には清兵衛のような生き方は難しい。
物が溢れ、情報が溢れ、経済はいい意味でも悪い意味でもどんどん欧米のような合理的資本主義化が進み、
家族の繋がりでさえどこか希薄になりがちな、何か殺伐としている今。
そんな今だからこそ、この作品の良さが滲み出てくるのだと思う。
生活様式とかは時代的に真似できるものではないが、せめて心だけはこうありたい、と。
何ていうか、日本人としての琴線に触れるというか。
普段の生活のシーンがくすんだ色で描かれれば描かれるほど、心の清廉さが際立つんですな。
果たし合いのシーンも圧巻です。
藩命により、自ら望まない果たし合いをする事になるわけですが、相手役の田中泯がこれを好演。
清兵衛が持ってきた刀が小太刀だった事を知り、清兵衛を眼光鋭く睨みつけるシーンなんかは
ゾクゾクするほど鳥肌もんです。
三部作通して果たし合いのシーンが出てきますが、「たそがれ清兵衛」が一番素晴らしい。
変にうるさく盛り上げるようなBGMを使っていない所も好感が持てます。
静かな中に、二人のジリジリとする駆け引きや、緊迫感が非常によく描かれています。
どこか虚しい果たし合いが終わり、家に戻ると、そこに朋江が待っていてくれるのも嬉しいです。
果たし合いで武士としての昇華、朋江が待っていた事による男性としての昇華。
そして、最後に岸恵子のエピローグ的シーンにより、父親としての昇華がなされてます。
この辺のバランスがまた素晴らしい。
男子は誰もがヒーローになれるわけではありません。
しかしながら、ヒーローになる事が大切な事なのか。
自分にとって、日本人にとって、本当に大切な事、本当に幸せな事、失ってはいけないものとは何か。
それを静かに教えてくれるような珠玉の一本です。
言うまでもなく「★★★★★」でございます。
ようやく先日、最後の「武士の一分」を観ましたので、三部作のレビューでございます。
ネタバレありです。ご注意を。
まず全体を通して。
所謂一般的な「時代劇」というと、イメージ的には「豪華絢爛」「威風堂々」みたいな
いかにも太秦映画村で撮りましたというのが多くて、そういうのはあまり好きではなかった。
頭は見るからにカツラです!チャンバラは切ってる手応え(見応え?)もなければ血も出ません!みたいな(笑)。
もうそういう類のものとは次元が違う作品です。
まず何が良かったかって、江戸や京都と舞台にしていない所。幕末の庄内地方が舞台なのですが、
どうしても江戸なんかの設定だと、作り物感満載なんで。
全てにおけるリアリティーという点で、この三部作(特に「たそがれ」)は秀逸です。
田舎の土着的な雰囲気、川や田圃、山などの自然。土や水の匂いまでこちらに感じられるようでした。
そして庶民の暮らし。本当に素朴で慎ましい生活。
そういうのを描かせたらやっぱり山田洋次監督は絶品です。
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「たそがれ清兵衛」
一作目ですね。三部作の中では一番好きな作品。
何と言っても、真田広之と宮沢りえが良かった。
真田広之は、清貧で実直で無骨で、でも芯があって凛としていて、という清兵衛を、それこそ台詞ではなく
雰囲気だけで見事に演じてます。雰囲気(というかオーラ)だけでここまで持ってこれる人って
なかなかいないと思う。そういう意味ではすごいと思う。
それと宮沢りえ。
宮沢りえっていい役者になりましたよねぇ(お前は何様? 笑)。一時の騒動が夢のよう。
主役の二人に関しても、三部作の中でこの二人が一番かなぁ、僕的には。
作品の構図としては、現代社会にもどこか通じるものがあります。
安月給のサラリーマンの悲哀、痴呆の母親の面倒を見たり、上から理不尽な命令をされて
苦悩しながらも、やはり逆らえない葛藤など…。
しかし、現代社会には決してないものがそこにある。それが武士の一分なわけです。
三部作の中で共通して描いている武士の一分。
実はタイトルになった三作目の「武士の一分」よりも、この作品と次作の方が、よりその部分を
描けてるというのは皮肉なもんで(笑)。。。
現代社会では、やはりどうしても世の男子には清兵衛のような生き方は難しい。
物が溢れ、情報が溢れ、経済はいい意味でも悪い意味でもどんどん欧米のような合理的資本主義化が進み、
家族の繋がりでさえどこか希薄になりがちな、何か殺伐としている今。
そんな今だからこそ、この作品の良さが滲み出てくるのだと思う。
生活様式とかは時代的に真似できるものではないが、せめて心だけはこうありたい、と。
何ていうか、日本人としての琴線に触れるというか。
普段の生活のシーンがくすんだ色で描かれれば描かれるほど、心の清廉さが際立つんですな。
果たし合いのシーンも圧巻です。
藩命により、自ら望まない果たし合いをする事になるわけですが、相手役の田中泯がこれを好演。
清兵衛が持ってきた刀が小太刀だった事を知り、清兵衛を眼光鋭く睨みつけるシーンなんかは
ゾクゾクするほど鳥肌もんです。
三部作通して果たし合いのシーンが出てきますが、「たそがれ清兵衛」が一番素晴らしい。
変にうるさく盛り上げるようなBGMを使っていない所も好感が持てます。
静かな中に、二人のジリジリとする駆け引きや、緊迫感が非常によく描かれています。
どこか虚しい果たし合いが終わり、家に戻ると、そこに朋江が待っていてくれるのも嬉しいです。
果たし合いで武士としての昇華、朋江が待っていた事による男性としての昇華。
そして、最後に岸恵子のエピローグ的シーンにより、父親としての昇華がなされてます。
この辺のバランスがまた素晴らしい。
男子は誰もがヒーローになれるわけではありません。
しかしながら、ヒーローになる事が大切な事なのか。
自分にとって、日本人にとって、本当に大切な事、本当に幸せな事、失ってはいけないものとは何か。
それを静かに教えてくれるような珠玉の一本です。
言うまでもなく「★★★★★」でございます。