

8月1日土曜
朝ゆっくりとバイカル湖畔を散歩、静かなひととき。世界一透明度のあるバイカル湖と聞いている。
バイカル湖のさかなのお土産や。以前は湖畔の露店だったが山側に移って
屋根付きになっている。前回白身の半干し刺身がうまかったので今回もそれを目当てに買いに来た。
ホテルに戻ってビールのつまみにした。うまい。





8月2日日曜
朝6時宿をウランウデに向かって走りだす。湖畔途中から深い霧になってきた・・ロータリーに出た
・・どっちなのか。聞きたいが車が来ない。そのまま走り出す。
しばらく走り止まっていた車に「ウランウデ」は・・・イルクーツクに入る手前から左へ・・どうに
か本線に出ることができた。
道端には前回と同じように野イチゴ、ジャガイモなどづらりと露店が並んでお客が止まるのを待って
いる。
ウランウデはモンゴルに行く基地になる。行ったり来たりしたのでだいたいの道筋はわかっている。
今回ウランウデは12年ぶりのこと、わかっていたつもりだったがわからなくなった。ガススタンドで
詳しく聞きウランウデ市内の入り口に入った・・オートバイが走っている。
オートバイの前に出て止まってもらうように・・停止した。
ちょっと話して再び走り、中心街に来たときタクシーが横に来た「レーニン・レーニン」と叫ぶと次
から右へと指さす・・ありがとう。
中心にはでっかいレーニン像が建てられている。そこの隣にホテルはある。レーニン像が出てきた・・
ホテルは高層なのですぐにわかった。グルーっと回り込んでホテルの広い駐車場に到着した。
一番安い部屋はなかった、あした移ることで次に安い部屋に決めた。このホテルにはATM器械があ
るのでカードが使えて便利である。
前回の時はなかった近くのマーケットを聞いてビールと食料の買い出しに行く。顔が丸くてなんとな
く親しみのあるモンゴル系の人たちが多い。








8月3日月曜
ロシア・シベリア横断のペトロール(ガソリン)スタンドはガス欠になるなどモスクワからウランウデ
まで5600キロの区間心配はなかった。
ロシア国境に入る

ロシア国境手続きを終えてモンゴルに・・ここは緩衝地帯

ロシア国境こえてこれからウランバートルに向かう」


ロシア国境手続きを終えて・・モンゴル側に入る・・ここは緩衝地帯

8月4日火曜
ウランウデからモンゴル・ウランバートルに向かう、約600キロ。朝6時過ぎにモンゴルに向かう。
途中止まってモンゴル行きの道を車に聞いて確かめるつもりだったが10キロぐらい走ったころ
に標識が出てきた。
これだ、ここから右に入っていく。
まっすぐ走ればチタ、ハバロフスク方面だ。雨模様になってきた。国境の手前、10キロぐらいは
新しい広い道に変わっている。
ロシア、キャフタとモンゴル国境についたここまで240キロぐらい。雨の中・・手続きの事務所
を回る。
地元の人たちが最初はこっち、今度はこっちだと教えてくれるので大助かり。何とかロシア出国手
続き終了。
今度はモンゴル入国手続き、前回12年前の時はちょうど昼休みで2時まで緩衝地帯で待たされた。
そのときは暑かったことも覚えている。掘っ建て小屋、板を渡しただけのトイレもあった。国境係
官は女性の人が多いモンゴル・・入国手続きを終わり、モンゴル首都ウランバートルまで350キロ。
強い雨じゃないが雨が降り続いている。雨と道が広くはないのでスピードは出せない。まぁ用心しな
がらゆっくりゆっくりと自分に言い聞かせる。
草原の続く中、ゲルが出てきた。道路の近くに前回の時はこんなにはゲルは多く見かけなかったけど
な・・。前回は6月終わりから7月初めだった。時期によってゲルの移動があるのだろうか。
それとも商売になるから道路の近くにゲルは出てきたのだろうか。雨もあがってきたので止まってじ
っくり、動画、写真におさめる。
モンゴルの首都、ウランバートルについた。
大通りに止めてネットで調べたゲストハウスを確かめる。ガススタンドで聞き、走り出す。渋滞して
ゆっくりだ・・すぐ横に日本人が車で走りながら話しかける。安全と思われる場所に止めた。
ゲストハウスのアドレスを見せると途中まで案内してくれると言う。ありがたい。ここから左に行っ
たところがゲストハウス・・と。
ありがとうございました。奥まったところに止めて歩いて宿を見つける。なかなか、宿の場所がわ
からなかったがどうにか突き止めた。
日本の5階建アパートの部屋が宿になっていた。アー、たどり着けてホッとする。





8月5日水曜 はれ
宿の近くを散策・・スーパー、銀行などもある。陽ざしが強い。久しぶりにくつろぐことができた。
8月6日木曜 はれ 陽ざしが強い
日本からモンゴルにきて商売をしている大島さんと会うことになった。わたしも知っている日本の
嶋津さんの紹介である。
宿の近くまで来ていただいて「ゲストハウス・オアシス」に向かった。「オアシス」は中心から15分
ぐらいのところ・・世界の旅人、オートバイやキャンピングカーなど敷地いっぱいに止めている。
モンゴル特有のゲルも6棟建てられている。
隣りには日本人の味戸(あじと)さん経営する自動車修理工場になっている。味戸さんはパリダカ
レース(たしか三菱チーム)スタッフで相当な技術の腕前であることはゆうまでもない。
モンゴルの奥さん、二人の子供さんも・・元気だ。オアシスの裏側からも出入りできる。ゲルの部屋
など部屋を見せてもらい、わたしもあしたここに移ってきて泊まることにした。
大島さんに連れられて寿司をごちそうになった。この寿司屋さんは日本の人で今この店のほかに3店
舗営業していると日本人オーナは話す。
出てきた寿司・・寿司ネタもわたしが日本で食っているものよりはるかにうまかった。もっとも、回
転すし、チエーン店ぐらいしか喰ってないけど・・それにしても、いやーうまかった。
これじゃお客さんも増えお店も増えるはずだ。
そう言えばあっちこっちの国で寿司屋さんが増えていることも見てきた。ヨーロッパはもちろん、印象
に残っているのはレバノン・ベイルートの寿司専門店で食べた赤身が、うまかった。
わたしは赤身だけ注文することが多い。うまい赤身はこっちに流れているのかと思ったことがあった。
値段も安かった。南アフリカ・ケープタウンでは、週一回食べ放題の日があった。5,6人で行って次
から次喰ってしまっていやな顔をされたこともあった。
宿まで大島さんにタクシーで送ってらった。うまかったです・・・ごちそうさまでした。





8月7日金曜
ロシアビザダメだった。朝一番にロシアビザ代行社に行って申請書を作ってもらった。その書類をもっ
てロシア大使館に出向く。
午後1時にオープンする。陽ざしが強いが早めに行って並んだ。今日で二回目になる。一回目は書類
不十分だった。
今回は代書屋に頼んだ。3人目にビザ提出部屋へ。サハリンまで10日間では無理なので「30日ビザ」
がほしい・・。
「ここでは10日間」だけしか発給しないとロシア大使館は受け付けない。やっぱりだめか。
10日間でサハリンまでいけないことはないが、あせって走って事故っては、もともこうもない。
最後はワニノからフェリーでサハリンに渡らなければならない、その運航もわかってない。フェリーが
週一回だったらビザが切れてしまう不安がある。
しょうがない、ここまで来てあせる必要はない。日本に一度戻って一か月ロシアビザを取り直そう。
オートバイで来ていたのでそのままきのう予約した「ゲストハウス、オアシス」に向かう。大島さん
からタクシーに乗っているとき道順をきっちりと聞いていたのですんなりと「オアシス」につくことが
できた。
ゲルに泊まることにした。




8月8日土曜
ゲルに泊まるのは前回2003年6月モンゴルに来たとき、別のホテルの従業員のキャンプに連れても
らったときにゲルに泊まったので二回目になる。
ゆっくりできる名前のごとく「オアシス」だ。
本屋には食堂、ドミトリなどがある。もちろんネットも食堂でできる。夜の食事は食堂に注文した。
8月9日日曜
ビールなどは・・自分のカードに書き込んで冷蔵から持っていく。
世界の旅人が集まる男女ゆかいな仲間たちばかりだ。オートバイで来ている5,6人、キャンピング
カー5,6台それぞれ工夫した車が並んでいる。
車の屋根の上にテントを張れる車・・などすぐれものも止まっている。敷地内は深い砂利を敷いてい
るのでわたしは入り口のコンクリートに置いた・・
8月10日月曜
ロシアビザをとるために日本に帰らなければならない。安い飛行機を探した。
モンゴル~日本往復7万円の飛行機をとった。あした11日朝8時半頃の出発(時刻・・アイパッド
に残していたが、動画をとりすぎて、アイパッドがパンクして記録がなくなってしまったので正確の
時刻はわからない)
オートバイは隣りの味戸さんの修理工場に預ける。
預けるついでにライトストップなど気になるところを箇条書きにして味戸さんに修理を頼んだ。


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