5月22日~5月29日
ミャンマー、ヤンゴンからバガンの仏塔遺跡のまちへ
5月22日 月曜 はれむし暑い
ネットも部屋まで届かないし、水も出ない…悪いけどあしたの泊まりはキャンセル
して他のホテルに移りますと。
きのうスタッフに話していたのでお金はすんなり返してもらった。
歩いて5分ぐらいのところにある「来来ライライホテルに移動した。24$=2700円。
部屋に荷物を運んでもらって、きのう泊まったホテルにくらべると明るく、
水も出る、広いし、清潔感がある。もちろん冷房、シャワー、トイレ付きである。
なによりも、ネット人間になってしまったわたしには、ネットが使えることが
嬉しい。
これでヤンゴンでの基地が出来た。
ホテル前にはポリス、マーケット、両替屋、ATMと並んでいる。
3時ごろから、観光の目玉と思われるでっかい仏塔にタクシーで向かう…
ジェデゴン パゴダ shwedagon pagodaって言うらしい。
金色に輝く入り口からエスカレーター三つ乗り継ぎ本殿に出る。
半ズボンではダメみたいでスカートを1000円で買わされる。太陽に照ら
された金色の大仏塔は光り輝いている。
アチチ アチチ太陽で焼けたタイルが熱い、熱い…地元の人たちは各仏塔
の前で祈りを捧げていた。
地元の人たちのほか、外国人も多く訪れている。2時間ほど見てまわり
ホテルに戻る。
5月23日 火曜 はれ ヤンゴン 33℃
午後からパソコンのブログの更新を始める。アイパットから日記を送るのだが、
なかなか送信できない。
ネット環境が良くない。しかたない、手入力で写し替えを始める。よし出来上
がった。5日分3時間以上かかった。あとは画像を取り込むだけだ…
と思った瞬間画面が消えて、元の木阿弥…ああぁ、ちくしょう、どうやっても
復帰できなかった。がっくり。もうやる気なし。今日はおしまい。
5月24日水曜 朝から雨 夕方にはやんだ
部屋にこもってきのうの続きブログの更新…ネットをつないでアイパッドから
パソコンにどうにか送信できた。ようやくブログの更新ができた。一日中部屋で過ごす。
5月25日木曜 はれ
地図で見るとヤンゴンの近くはインド洋…海に近い…海に流れ込む大きな川を
タクシーで見に行った。
30分もかからないで港についた。大型運搬船が停泊している。コンテナが積み
上げられている、地元の人たちの小型渡し船が頻繁に行き交う。
ここからもミャンマー各地へと物資は運ばれていくのだろうか。
ヤンゴンは今日で終わり、あした夜行バスでバカンまで移動する。
5月26日金曜 はれ
10時チェックアウトを12時まで延ばしてもらう。
きょうバカンとゆう街まで夜行バスで移動する。
21時バススタートなのでホテルは6時に出る。
ホテルのスタッフ、バスチケット予約してくれた
約600キロ・10時間日本だと東京~大阪の距離……バス代1600円(190000ks)と
安くて驚く。
バスステーションまでタクシー代800円2時間かかるらしい、こっちはバスに
比べると高い。
ホテルのスタッフレセプションには昼間、女性4人いつもいる。5時以降は男の
スタッフに代わり男2人に。
その中の中年の男性日本語ひらがながビッシリノートに書きうつしてある。
いま、覚えているようだ。
その男性、終戦後ルバング島から確か30数年ぶりに帰国された(1974年)
小野田寛郎さんの写真をスマホで見せてくれた。
どうして持っているのかは聴かなかったが彼にとっても印象深い写真だったの
でしょう。
終戦後もジャングル生活続けていた小野田寛郎さん…
当時のバックパッカー鈴木紀夫さんがジャングルにテントを張って過ごして
いるうちに「おいーっ」と言って出て来た小野田さんを見つけ出した。
帰国後はブラジルと日本を行ったり来たり…その後の小野田寛郎については、
みなさんもご存知でしょう。
その後の鈴木紀夫さんはヒマラヤに雪男を探しに行って雪崩れで亡くなられた
こともご存知でしょう。鈴木さんには子供さん一人おられたと思う。
何日も平気でジャングルにテントを張って…わたしには恐ろしくて当時考えも
つかないことにいまも驚く。
働きもせずに「この人は何してるんだろう」「おかしな青年だなぁ」「異常な
人じゃないか」かとさえ当時は思っていた。
自分には到底できない、想像さえできない、出来事ことだった。
いま、考えてみるとバックパッカーの始まりだったのだろうとか思う。
ついでに、小野田寛郎さんラジオ・ニッポン放送のスタジオでお会いした。
写真も一緒に撮らせてもらったことがある。
何回かラジオ出演させてもらった縁でニッポン放送のカモさんから「きょう、
小野田さんが出演しますよ」電話をいただいたのでスタジオまで行ってきた。
90歳近い小野田さんはかくしゃくとして若々しかった。
小野田寛郎さんは2014年1月、91歳で亡くならられたことをニュースで知る。
同じ1960年代の頃。加曽利隆さんは、オートバイでなんと、砂漠のアフリカ
を走っている。
これまたわたしなど考えも及ばない、たまげたことだった。恐ろしいことを
やってのける人だと今でも思う。
オートバイ乗りナンバーワンで、今も加曽利さんはバリバリの現役である。
いま、69歳ぐらいかなー。
ミャンマー、ヤンゴンのホテルスタッフの話から…どこでどうなったのか…
とんでもない話になってしまった・・。独り言でした。
5月27日土曜
夕べ、バスターミナル定刻9時にバカン行き夜行バス出発。ガラガラだろう
と思って乗り込んだら、大型バスきょうは満席です…と。
わたしの隣にはホーランド(オランダ)の男性…ほとんどが外国人みたいだ、
わたしも外国人、笑い。
途中から雨になったりする。エアコンが強すぎて寒い。頭の上についている
調整さえしなかったが。何とか冷房を止めた。
リクライニング、足乗せなど初めてのバスに乗ったにで操作がわからなかった。
トイレも付いている。
雨はところによって、降ったりやんだりのようだ。
朝6時に600キロ。バカン、バスターミナルに9時間かかって到着した。
ここからホテルまで10キロぐらいと、馬車の運転手さん?違う、飼い主、
持ち主さん…
タクシーよりこっちの馬車の方がよっぽどいい…パッカパカ、パッカパカ、
上下にゆられて…つかまってないと危ない・・。
家も昔のまんま。緑の中を進む、馬車代800円
イメージとはかけ離れたバガン…ホテルに着いた。まとまって建物がある街だと
思ってきたがまったく違う。
ホテル前の道は泥んこ道、ポツンポツンと家があるだけ…昔のまんま。街・町・
より村と言った方がいい。
ホテルそのものは近代的なビルだ。朝7時ごろ着いたがホテル部屋に入ることができた。
しっかりした部屋で、エアコン、トイレ、シャワー付き。もちろんWIFIもバッチリ。
1680円、とりあえず二泊予約した、あと何泊か延長する。
夜行バスで眠れなかったので、シャワー浴びてホテル前に一軒だけあるレストラン
…違う、食堂のほうがぴったり似合う。(失礼)
鍋が5・6個並んでいる中をのぞいて、これ、とこれ…少しづつ、もちろんビールも注文。
メニュウ見てもまったくわからないから、鍋の中を見た方がわかりやすい。
ビール2本、で560円ぐらい。
あなたには「みせない」「あげない」と左手の方にさーっと隠すしぐさをみせると
店の人たちが大笑いした。
この「しぐさ」の動作はどこの国でも同じようにするのかなぁ…笑ってくれる。
夕方も同じのを注文した。
隠す動作を昼間見ていたおばさんたちが、わたしの顔見て、同じ動作したら
またまた大笑い。
言葉は通じないけど…「笑われる、笑わせる」ことは、人間同士だもん…
うちとけるには、もっとも大切なことでありましょう。
松尾のバカモンがバガンに来た…笑い。
5月28日日曜 くもり
夕方ホテルでもらった地図を頼りに近くの大きなお寺さんまで歩いてみた。
のっそりのっそり歩いてる。
20分ぐらいと聞いたが着かない。5時で終わったのだろう仕事帰り娘さんたち
5・6人に地図を見せたがどうもはっきりしない。
おおー仏塔が見えてきた…見えてる方向に歩いて村の人に当然こっちと思って
歩いてきたので確認してみると…
違う…あっちの方から回れとゆう。いったいどっちなんだろうと戸惑ってしまう。
「1000タウゼン」と言いながら馬車がやってきた。80円だから乗る事にした。
夕暮れ時のお寺さんについた。何人かは散策してる帰り際に「ワン ドウラー」
と話しかけてくる、おみやげ屋のおばさん。
100円ぐいだったらいいなーと、寄ってみた。荷物にならないポケットに入る
小さい仏陀像と象全部で三つ800円。さすが、商売がうまいおばさんだった。
長い竹竿でマンゴを落としている食堂の女性2人…一個もらって、この食堂は
予約が入ってダメとか…
隣の食堂でマンゴをむいてもらってつまみにする。前にも書いたが塩つけて
食べると酒のつまみにもってこい・・。晩飯くってホテルに戻る。
レンタルバイクを借りた
5月29日月曜 くもり 午後 雨
夕べ雨が降ったようだ、ホテル前は泥んこ状態になっている。
雨はやんでいるのでレンタルバイクを借りる。バガン遺跡に向かって走る。
電気スクータ…は初めて乗る。スイッチをいれてアクセル絞るだけで
スーッと動く音はしない、ちょっと怖い。
ネットで地図を見ると大きな道は二本だけ…怖いから30キロ以下で走った。
遺跡が出てきた…大きなものから小さいものまで次から次へと仏塔が現れる。
わたしは高いところから一面に広がる仏塔を見て見たいと思ってきた。
地元のスクータのお兄さんが声かけてきた… いいとこがあると言う。
そこは高い所か…そうだ。ノーマネーか、ノーマネーとも言う・・日本語だ。
ついて走った。その仏塔についた。懐中電灯をもって、上がっていく。
狭くて暗い階段、彼は電灯で照らしてくれているので助かる。
屋上?に出た。さらに外レンガに足をかけて上がる。
もう、これ以上は怖くてだめだー。
見渡すかぎりの仏塔林立。案内書には3000体が拡がっていると書いてあった。
バガンの仏塔・仏塔のバガン・・おどろいたなー。
森の中から竹の子がニョキニョキと生えているようにも見えるなぁー。
どこまでも、どこまでも拡がっているのがわかる。
オーストラリアで見た100キロぐらい続いたアリ塚のイメージと同じようにも、
わたしには感じられる。
もっともオーストラリアのアリ塚は1メートルちょっとぐらいだけどね…大きい
のは3メートルぐらいもあったけど・・。一大アリ塚団地だなーと思って走っていた。
バガンはなにもない所だと最初思ってきた。これだけの規模の遺跡群…には
驚いたなぁ。
アドバルーンの写真が載っている理由が、初めて納得できた
。
上空から見るのが一番だとゆう事なんだぁなー。
案内してくれたお兄ちゃん…ちょっと見てくれと…自分の描いたの見せる。
いいところを親切に案内してもらった。15ドルなどと言ってたが相手にせず、
案内料として5ドルでバガン仏塔の絵画、自分が気に入ったのを買った。
これまで小雨降ったりやんだりしていた、また雨が降ってきた
もう今日は帰ろう。
12時前にホテルに戻った。レンタルバイク代半日320円。
ミャンマー、ヤンゴンからバガンの仏塔遺跡のまちへ
5月22日 月曜 はれむし暑い
ネットも部屋まで届かないし、水も出ない…悪いけどあしたの泊まりはキャンセル
して他のホテルに移りますと。
きのうスタッフに話していたのでお金はすんなり返してもらった。
歩いて5分ぐらいのところにある「来来ライライホテルに移動した。24$=2700円。
部屋に荷物を運んでもらって、きのう泊まったホテルにくらべると明るく、
水も出る、広いし、清潔感がある。もちろん冷房、シャワー、トイレ付きである。
なによりも、ネット人間になってしまったわたしには、ネットが使えることが
嬉しい。
これでヤンゴンでの基地が出来た。
ホテル前にはポリス、マーケット、両替屋、ATMと並んでいる。
3時ごろから、観光の目玉と思われるでっかい仏塔にタクシーで向かう…
ジェデゴン パゴダ shwedagon pagodaって言うらしい。
金色に輝く入り口からエスカレーター三つ乗り継ぎ本殿に出る。
半ズボンではダメみたいでスカートを1000円で買わされる。太陽に照ら
された金色の大仏塔は光り輝いている。
アチチ アチチ太陽で焼けたタイルが熱い、熱い…地元の人たちは各仏塔
の前で祈りを捧げていた。
地元の人たちのほか、外国人も多く訪れている。2時間ほど見てまわり
ホテルに戻る。
5月23日 火曜 はれ ヤンゴン 33℃
午後からパソコンのブログの更新を始める。アイパットから日記を送るのだが、
なかなか送信できない。
ネット環境が良くない。しかたない、手入力で写し替えを始める。よし出来上
がった。5日分3時間以上かかった。あとは画像を取り込むだけだ…
と思った瞬間画面が消えて、元の木阿弥…ああぁ、ちくしょう、どうやっても
復帰できなかった。がっくり。もうやる気なし。今日はおしまい。
5月24日水曜 朝から雨 夕方にはやんだ
部屋にこもってきのうの続きブログの更新…ネットをつないでアイパッドから
パソコンにどうにか送信できた。ようやくブログの更新ができた。一日中部屋で過ごす。
5月25日木曜 はれ
地図で見るとヤンゴンの近くはインド洋…海に近い…海に流れ込む大きな川を
タクシーで見に行った。
30分もかからないで港についた。大型運搬船が停泊している。コンテナが積み
上げられている、地元の人たちの小型渡し船が頻繁に行き交う。
ここからもミャンマー各地へと物資は運ばれていくのだろうか。
ヤンゴンは今日で終わり、あした夜行バスでバカンまで移動する。
5月26日金曜 はれ
10時チェックアウトを12時まで延ばしてもらう。
きょうバカンとゆう街まで夜行バスで移動する。
21時バススタートなのでホテルは6時に出る。
ホテルのスタッフ、バスチケット予約してくれた
約600キロ・10時間日本だと東京~大阪の距離……バス代1600円(190000ks)と
安くて驚く。
バスステーションまでタクシー代800円2時間かかるらしい、こっちはバスに
比べると高い。
ホテルのスタッフレセプションには昼間、女性4人いつもいる。5時以降は男の
スタッフに代わり男2人に。
その中の中年の男性日本語ひらがながビッシリノートに書きうつしてある。
いま、覚えているようだ。
その男性、終戦後ルバング島から確か30数年ぶりに帰国された(1974年)
小野田寛郎さんの写真をスマホで見せてくれた。
どうして持っているのかは聴かなかったが彼にとっても印象深い写真だったの
でしょう。
終戦後もジャングル生活続けていた小野田寛郎さん…
当時のバックパッカー鈴木紀夫さんがジャングルにテントを張って過ごして
いるうちに「おいーっ」と言って出て来た小野田さんを見つけ出した。
帰国後はブラジルと日本を行ったり来たり…その後の小野田寛郎については、
みなさんもご存知でしょう。
その後の鈴木紀夫さんはヒマラヤに雪男を探しに行って雪崩れで亡くなられた
こともご存知でしょう。鈴木さんには子供さん一人おられたと思う。
何日も平気でジャングルにテントを張って…わたしには恐ろしくて当時考えも
つかないことにいまも驚く。
働きもせずに「この人は何してるんだろう」「おかしな青年だなぁ」「異常な
人じゃないか」かとさえ当時は思っていた。
自分には到底できない、想像さえできない、出来事ことだった。
いま、考えてみるとバックパッカーの始まりだったのだろうとか思う。
ついでに、小野田寛郎さんラジオ・ニッポン放送のスタジオでお会いした。
写真も一緒に撮らせてもらったことがある。
何回かラジオ出演させてもらった縁でニッポン放送のカモさんから「きょう、
小野田さんが出演しますよ」電話をいただいたのでスタジオまで行ってきた。
90歳近い小野田さんはかくしゃくとして若々しかった。
小野田寛郎さんは2014年1月、91歳で亡くならられたことをニュースで知る。
同じ1960年代の頃。加曽利隆さんは、オートバイでなんと、砂漠のアフリカ
を走っている。
これまたわたしなど考えも及ばない、たまげたことだった。恐ろしいことを
やってのける人だと今でも思う。
オートバイ乗りナンバーワンで、今も加曽利さんはバリバリの現役である。
いま、69歳ぐらいかなー。
ミャンマー、ヤンゴンのホテルスタッフの話から…どこでどうなったのか…
とんでもない話になってしまった・・。独り言でした。
5月27日土曜
夕べ、バスターミナル定刻9時にバカン行き夜行バス出発。ガラガラだろう
と思って乗り込んだら、大型バスきょうは満席です…と。
わたしの隣にはホーランド(オランダ)の男性…ほとんどが外国人みたいだ、
わたしも外国人、笑い。
途中から雨になったりする。エアコンが強すぎて寒い。頭の上についている
調整さえしなかったが。何とか冷房を止めた。
リクライニング、足乗せなど初めてのバスに乗ったにで操作がわからなかった。
トイレも付いている。
雨はところによって、降ったりやんだりのようだ。
朝6時に600キロ。バカン、バスターミナルに9時間かかって到着した。
ここからホテルまで10キロぐらいと、馬車の運転手さん?違う、飼い主、
持ち主さん…
タクシーよりこっちの馬車の方がよっぽどいい…パッカパカ、パッカパカ、
上下にゆられて…つかまってないと危ない・・。
家も昔のまんま。緑の中を進む、馬車代800円
イメージとはかけ離れたバガン…ホテルに着いた。まとまって建物がある街だと
思ってきたがまったく違う。
ホテル前の道は泥んこ道、ポツンポツンと家があるだけ…昔のまんま。街・町・
より村と言った方がいい。
ホテルそのものは近代的なビルだ。朝7時ごろ着いたがホテル部屋に入ることができた。
しっかりした部屋で、エアコン、トイレ、シャワー付き。もちろんWIFIもバッチリ。
1680円、とりあえず二泊予約した、あと何泊か延長する。
夜行バスで眠れなかったので、シャワー浴びてホテル前に一軒だけあるレストラン
…違う、食堂のほうがぴったり似合う。(失礼)
鍋が5・6個並んでいる中をのぞいて、これ、とこれ…少しづつ、もちろんビールも注文。
メニュウ見てもまったくわからないから、鍋の中を見た方がわかりやすい。
ビール2本、で560円ぐらい。
あなたには「みせない」「あげない」と左手の方にさーっと隠すしぐさをみせると
店の人たちが大笑いした。
この「しぐさ」の動作はどこの国でも同じようにするのかなぁ…笑ってくれる。
夕方も同じのを注文した。
隠す動作を昼間見ていたおばさんたちが、わたしの顔見て、同じ動作したら
またまた大笑い。
言葉は通じないけど…「笑われる、笑わせる」ことは、人間同士だもん…
うちとけるには、もっとも大切なことでありましょう。
松尾のバカモンがバガンに来た…笑い。
5月28日日曜 くもり
夕方ホテルでもらった地図を頼りに近くの大きなお寺さんまで歩いてみた。
のっそりのっそり歩いてる。
20分ぐらいと聞いたが着かない。5時で終わったのだろう仕事帰り娘さんたち
5・6人に地図を見せたがどうもはっきりしない。
おおー仏塔が見えてきた…見えてる方向に歩いて村の人に当然こっちと思って
歩いてきたので確認してみると…
違う…あっちの方から回れとゆう。いったいどっちなんだろうと戸惑ってしまう。
「1000タウゼン」と言いながら馬車がやってきた。80円だから乗る事にした。
夕暮れ時のお寺さんについた。何人かは散策してる帰り際に「ワン ドウラー」
と話しかけてくる、おみやげ屋のおばさん。
100円ぐいだったらいいなーと、寄ってみた。荷物にならないポケットに入る
小さい仏陀像と象全部で三つ800円。さすが、商売がうまいおばさんだった。
長い竹竿でマンゴを落としている食堂の女性2人…一個もらって、この食堂は
予約が入ってダメとか…
隣の食堂でマンゴをむいてもらってつまみにする。前にも書いたが塩つけて
食べると酒のつまみにもってこい・・。晩飯くってホテルに戻る。
レンタルバイクを借りた
5月29日月曜 くもり 午後 雨
夕べ雨が降ったようだ、ホテル前は泥んこ状態になっている。
雨はやんでいるのでレンタルバイクを借りる。バガン遺跡に向かって走る。
電気スクータ…は初めて乗る。スイッチをいれてアクセル絞るだけで
スーッと動く音はしない、ちょっと怖い。
ネットで地図を見ると大きな道は二本だけ…怖いから30キロ以下で走った。
遺跡が出てきた…大きなものから小さいものまで次から次へと仏塔が現れる。
わたしは高いところから一面に広がる仏塔を見て見たいと思ってきた。
地元のスクータのお兄さんが声かけてきた… いいとこがあると言う。
そこは高い所か…そうだ。ノーマネーか、ノーマネーとも言う・・日本語だ。
ついて走った。その仏塔についた。懐中電灯をもって、上がっていく。
狭くて暗い階段、彼は電灯で照らしてくれているので助かる。
屋上?に出た。さらに外レンガに足をかけて上がる。
もう、これ以上は怖くてだめだー。
見渡すかぎりの仏塔林立。案内書には3000体が拡がっていると書いてあった。
バガンの仏塔・仏塔のバガン・・おどろいたなー。
森の中から竹の子がニョキニョキと生えているようにも見えるなぁー。
どこまでも、どこまでも拡がっているのがわかる。
オーストラリアで見た100キロぐらい続いたアリ塚のイメージと同じようにも、
わたしには感じられる。
もっともオーストラリアのアリ塚は1メートルちょっとぐらいだけどね…大きい
のは3メートルぐらいもあったけど・・。一大アリ塚団地だなーと思って走っていた。
バガンはなにもない所だと最初思ってきた。これだけの規模の遺跡群…には
驚いたなぁ。
アドバルーンの写真が載っている理由が、初めて納得できた
。
上空から見るのが一番だとゆう事なんだぁなー。
案内してくれたお兄ちゃん…ちょっと見てくれと…自分の描いたの見せる。
いいところを親切に案内してもらった。15ドルなどと言ってたが相手にせず、
案内料として5ドルでバガン仏塔の絵画、自分が気に入ったのを買った。
これまで小雨降ったりやんだりしていた、また雨が降ってきた
もう今日は帰ろう。
12時前にホテルに戻った。レンタルバイク代半日320円。