オートバイ地球ひとり旅・19年・140ヵ国・39万㎞・バイクの松尾

2000年10月~2019年9月・56才~75才まで19年。越えた国境238カ所・赤道直下4ヶ所走破

オートバイひとり旅・地球走行中・東南アジア・ミャンマーヤンゴン~仏塔遺跡バガン

2017年05月30日 | オートバイひとり旅121ヵ国37万キロ
5月22日~5月29日

ミャンマー、ヤンゴンからバガンの仏塔遺跡のまちへ









5月22日 月曜 はれむし暑い

ネットも部屋まで届かないし、水も出ない…悪いけどあしたの泊まりはキャンセル
して他のホテルに移りますと。

きのうスタッフに話していたのでお金はすんなり返してもらった。

歩いて5分ぐらいのところにある「来来ライライホテルに移動した。24$=2700円。

部屋に荷物を運んでもらって、きのう泊まったホテルにくらべると明るく、

水も出る、広いし、清潔感がある。もちろん冷房、シャワー、トイレ付きである。

なによりも、ネット人間になってしまったわたしには、ネットが使えることが
嬉しい。


これでヤンゴンでの基地が出来た。


ホテル前にはポリス、マーケット、両替屋、ATMと並んでいる。

3時ごろから、観光の目玉と思われるでっかい仏塔にタクシーで向かう…


ジェデゴン パゴダ shwedagon pagodaって言うらしい。


金色に輝く入り口からエスカレーター三つ乗り継ぎ本殿に出る。


半ズボンではダメみたいでスカートを1000円で買わされる。太陽に照ら

された金色の大仏塔は光り輝いている。



アチチ アチチ太陽で焼けたタイルが熱い、熱い…地元の人たちは各仏塔

の前で祈りを捧げていた。

地元の人たちのほか、外国人も多く訪れている。2時間ほど見てまわり

ホテルに戻る。











5月23日 火曜 はれ ヤンゴン 33℃

午後からパソコンのブログの更新を始める。アイパットから日記を送るのだが、

なかなか送信できない。

ネット環境が良くない。しかたない、手入力で写し替えを始める。よし出来上

がった。5日分3時間以上かかった。あとは画像を取り込むだけだ…

と思った瞬間画面が消えて、元の木阿弥…ああぁ、ちくしょう、どうやっても

復帰できなかった。がっくり。もうやる気なし。今日はおしまい。




5月24日水曜 朝から雨 夕方にはやんだ


部屋にこもってきのうの続きブログの更新…ネットをつないでアイパッドから

パソコンにどうにか送信できた。ようやくブログの更新ができた。一日中部屋で過ごす。




5月25日木曜 はれ


地図で見るとヤンゴンの近くはインド洋…海に近い…海に流れ込む大きな川を

タクシーで見に行った。

30分もかからないで港についた。大型運搬船が停泊している。コンテナが積み

上げられている、地元の人たちの小型渡し船が頻繁に行き交う。

ここからもミャンマー各地へと物資は運ばれていくのだろうか。

ヤンゴンは今日で終わり、あした夜行バスでバカンまで移動する。



5月26日金曜 はれ

10時チェックアウトを12時まで延ばしてもらう。

きょうバカンとゆう街まで夜行バスで移動する。

21時バススタートなのでホテルは6時に出る。



ホテルのスタッフ、バスチケット予約してくれた

約600キロ・10時間日本だと東京~大阪の距離……バス代1600円(190000ks)と

安くて驚く。


バスステーションまでタクシー代800円2時間かかるらしい、こっちはバスに

比べると高い。

ホテルのスタッフレセプションには昼間、女性4人いつもいる。5時以降は男の

スタッフに代わり男2人に。

その中の中年の男性日本語ひらがながビッシリノートに書きうつしてある。

いま、覚えているようだ。

その男性、終戦後ルバング島から確か30数年ぶりに帰国された(1974年)

小野田寛郎さんの写真をスマホで見せてくれた。

どうして持っているのかは聴かなかったが彼にとっても印象深い写真だったの

でしょう。

終戦後もジャングル生活続けていた小野田寛郎さん…

当時のバックパッカー鈴木紀夫さんがジャングルにテントを張って過ごして

いるうちに「おいーっ」と言って出て来た小野田さんを見つけ出した。



帰国後はブラジルと日本を行ったり来たり…その後の小野田寛郎については、

みなさんもご存知でしょう。



その後の鈴木紀夫さんはヒマラヤに雪男を探しに行って雪崩れで亡くなられた

こともご存知でしょう。鈴木さんには子供さん一人おられたと思う。

何日も平気でジャングルにテントを張って…わたしには恐ろしくて当時考えも

つかないことにいまも驚く。



働きもせずに「この人は何してるんだろう」「おかしな青年だなぁ」「異常な

人じゃないか」かとさえ当時は思っていた。

自分には到底できない、想像さえできない、出来事ことだった。

いま、考えてみるとバックパッカーの始まりだったのだろうとか思う。



ついでに、小野田寛郎さんラジオ・ニッポン放送のスタジオでお会いした。

写真も一緒に撮らせてもらったことがある。

何回かラジオ出演させてもらった縁でニッポン放送のカモさんから「きょう、

小野田さんが出演しますよ」電話をいただいたのでスタジオまで行ってきた。

90歳近い小野田さんはかくしゃくとして若々しかった。

小野田寛郎さんは2014年1月、91歳で亡くならられたことをニュースで知る。



同じ1960年代の頃。加曽利隆さんは、オートバイでなんと、砂漠のアフリカ
を走っている。

これまたわたしなど考えも及ばない、たまげたことだった。恐ろしいことを

やってのける人だと今でも思う。

オートバイ乗りナンバーワンで、今も加曽利さんはバリバリの現役である。

いま、69歳ぐらいかなー。

ミャンマー、ヤンゴンのホテルスタッフの話から…どこでどうなったのか…

とんでもない話になってしまった・・。独り言でした。




5月27日土曜

夕べ、バスターミナル定刻9時にバカン行き夜行バス出発。ガラガラだろう

と思って乗り込んだら、大型バスきょうは満席です…と。

わたしの隣にはホーランド(オランダ)の男性…ほとんどが外国人みたいだ、

わたしも外国人、笑い。



途中から雨になったりする。エアコンが強すぎて寒い。頭の上についている

調整さえしなかったが。何とか冷房を止めた。


リクライニング、足乗せなど初めてのバスに乗ったにで操作がわからなかった。

トイレも付いている。



雨はところによって、降ったりやんだりのようだ。



朝6時に600キロ。バカン、バスターミナルに9時間かかって到着した。

ここからホテルまで10キロぐらいと、馬車の運転手さん?違う、飼い主、

持ち主さん…

タクシーよりこっちの馬車の方がよっぽどいい…パッカパカ、パッカパカ、

上下にゆられて…つかまってないと危ない・・。



家も昔のまんま。緑の中を進む、馬車代800円

イメージとはかけ離れたバガン…ホテルに着いた。まとまって建物がある街だと

思ってきたがまったく違う。


ホテル前の道は泥んこ道、ポツンポツンと家があるだけ…昔のまんま。街・町・

より村と言った方がいい。


ホテルそのものは近代的なビルだ。朝7時ごろ着いたがホテル部屋に入ることができた。

しっかりした部屋で、エアコン、トイレ、シャワー付き。もちろんWIFIもバッチリ。


1680円、とりあえず二泊予約した、あと何泊か延長する。

夜行バスで眠れなかったので、シャワー浴びてホテル前に一軒だけあるレストラン

…違う、食堂のほうがぴったり似合う。(失礼)


鍋が5・6個並んでいる中をのぞいて、これ、とこれ…少しづつ、もちろんビールも注文。


メニュウ見てもまったくわからないから、鍋の中を見た方がわかりやすい。

ビール2本、で560円ぐらい。

あなたには「みせない」「あげない」と左手の方にさーっと隠すしぐさをみせると

店の人たちが大笑いした。


この「しぐさ」の動作はどこの国でも同じようにするのかなぁ…笑ってくれる。

夕方も同じのを注文した。


隠す動作を昼間見ていたおばさんたちが、わたしの顔見て、同じ動作したら

またまた大笑い。

言葉は通じないけど…「笑われる、笑わせる」ことは、人間同士だもん…

うちとけるには、もっとも大切なことでありましょう。

松尾のバカモンがバガンに来た…笑い。




5月28日日曜 くもり

夕方ホテルでもらった地図を頼りに近くの大きなお寺さんまで歩いてみた。

のっそりのっそり歩いてる。

20分ぐらいと聞いたが着かない。5時で終わったのだろう仕事帰り娘さんたち

5・6人に地図を見せたがどうもはっきりしない。



おおー仏塔が見えてきた…見えてる方向に歩いて村の人に当然こっちと思って

歩いてきたので確認してみると…

違う…あっちの方から回れとゆう。いったいどっちなんだろうと戸惑ってしまう。

「1000タウゼン」と言いながら馬車がやってきた。80円だから乗る事にした。



夕暮れ時のお寺さんについた。何人かは散策してる帰り際に「ワン ドウラー」

と話しかけてくる、おみやげ屋のおばさん。

100円ぐいだったらいいなーと、寄ってみた。荷物にならないポケットに入る

小さい仏陀像と象全部で三つ800円。さすが、商売がうまいおばさんだった。


長い竹竿でマンゴを落としている食堂の女性2人…一個もらって、この食堂は

予約が入ってダメとか…

隣の食堂でマンゴをむいてもらってつまみにする。前にも書いたが塩つけて

食べると酒のつまみにもってこい・・。晩飯くってホテルに戻る。



レンタルバイクを借りた

5月29日月曜 くもり 午後 雨

夕べ雨が降ったようだ、ホテル前は泥んこ状態になっている。

雨はやんでいるのでレンタルバイクを借りる。バガン遺跡に向かって走る。

電気スクータ…は初めて乗る。スイッチをいれてアクセル絞るだけで

スーッと動く音はしない、ちょっと怖い。




ネットで地図を見ると大きな道は二本だけ…怖いから30キロ以下で走った。

遺跡が出てきた…大きなものから小さいものまで次から次へと仏塔が現れる。


わたしは高いところから一面に広がる仏塔を見て見たいと思ってきた。

地元のスクータのお兄さんが声かけてきた… いいとこがあると言う。

そこは高い所か…そうだ。ノーマネーか、ノーマネーとも言う・・日本語だ。



ついて走った。その仏塔についた。懐中電灯をもって、上がっていく。

狭くて暗い階段、彼は電灯で照らしてくれているので助かる。

屋上?に出た。さらに外レンガに足をかけて上がる。


もう、これ以上は怖くてだめだー。











見渡すかぎりの仏塔林立。案内書には3000体が拡がっていると書いてあった。


バガンの仏塔・仏塔のバガン・・おどろいたなー。


森の中から竹の子がニョキニョキと生えているようにも見えるなぁー。

どこまでも、どこまでも拡がっているのがわかる。



オーストラリアで見た100キロぐらい続いたアリ塚のイメージと同じようにも、

わたしには感じられる。

もっともオーストラリアのアリ塚は1メートルちょっとぐらいだけどね…大きい

のは3メートルぐらいもあったけど・・。一大アリ塚団地だなーと思って走っていた。



バガンはなにもない所だと最初思ってきた。これだけの規模の遺跡群…には

驚いたなぁ。


アドバルーンの写真が載っている理由が、初めて納得できた

上空から見るのが一番だとゆう事なんだぁなー。


案内してくれたお兄ちゃん…ちょっと見てくれと…自分の描いたの見せる。

いいところを親切に案内してもらった。15ドルなどと言ってたが相手にせず、

案内料として5ドルでバガン仏塔の絵画、自分が気に入ったのを買った。

これまで小雨降ったりやんだりしていた、また雨が降ってきた

もう今日は帰ろう。

12時前にホテルに戻った。レンタルバイク代半日320円。












オートバイひとり旅・地球走行中・東南アジア・ミャンマー ヤンゴン

2017年05月24日 | オートバイひとり旅121ヵ国37万キロ
アイパッドからパソコンにコピー届かず3時間かけ16日から20日まで書き写したのに画像を

入れるところで画面が消えてしまった。ちきしょう・・もう・・がっくり。

一日遅れでアイパッドからパソコンにコピーが到着した・・更新します。



5月16日火曜 朝から雨だ 午後一時晴
チェンマイの道路はほとんどと言ってもいいぐらい一方通行がばかりだ。

間違ってもすぐにUターン出来ない。元に戻るのには一回りになる。

一回りしているうちにまったく、わからなくなって、どこをどう走っているかさえ、わからない。

きのう、ホテルから2・300m、すぐ近くの市場で、トマト、マンゴを買った。戻ろうと走り出した、まったくどこへゆくのだ。

大体のところで、左に、右にまがってみた、まったく見当がつかない。ホテルの名刺持って来てない。

言葉は通じないので周りに聞きようがない。自分の帰りたいホテルの場所がわからないのだ。俺の帰るところは、おーいどこだー。

最悪のときは前回泊まったホテルのそばに、高層ビルがあった。いったんそこを目指すことにしようなどと考えて

走っていたら、いつの間にかおお~ここは旧市街に入って来たようだ。よかったーよかった。

一周歩いたこともある旧市街。何回か下見運転もしているにで外堀を走り続ければホテルにつく。不安は消えた…よしよし。


5月17日水曜 朝から雨

きのうきょう、雨模様が続いてる。ミャンマーへの出発はやっぱり暑くても晴れた日にしよう。カッパ着ての出発はいやだ。














ミャンマー国境二回目の挑戦・・ダメ入国できず・・残念無念

5月18日木曜 くもり
夕べまで降っていた雨はやんでいるようだ。今5時半…ちょっと様子を見よう、洗面を終わらせてからネットをちょこっと見た。

天気は、よし大丈夫のようだ。出発することに決めた。

ホテルのスタッフ、赤ちゃんの子守をしているご両親にもあいさつして、バイバーイ。

まず、107号線に乗ることができた。あとはこの一本道を北上するだけ…うまくいくかどうか。

曲がりくねった道が続きだんだん寂しくなってきた107号…ほうとうに大丈夫かいな。

食堂のあるところで、いったん停車。まず、ガススタンドを聞く
次にミャンマー国境を聴く。

雰囲気として、ちょっと違うような、口ぶりだなぁ。二度も三度も聞き直す、聞かれるほうは迷惑千万だろう・・
何せ自分ためだもん。

最後は、ガソリン入れたら、同じ107号にもどって途中から左に入れ…よし、よし。

わたしのイメージルートに近づいてきた。少なめのどんぶり飯、を注文昼飯兼用。

分かれ道に来た、スクータを停めてた。トラックの運転手さんに聞いて見よう。地図を見せてくれた、そうここです国境…

よし…大丈夫のようだ

車の数が減って来たなー。大丈夫かいなこの道、一段と寂しくなって来た。

国境の町についたようだ。路上でのスイカ売りのおやじさん、山椒の実、売りのおばさん、プラム売りのおばさん、まわりは商店街…

「国境、パスポート スタンプ」はどっち…

おやじさんも、おばさんも「スタンプ」「ノーノー」とけげんな顔。

最後は2キロで「ミャンマー、国境だ」まっすぐいけ…ありがとう

クルマも人もいない、今までの国境とは違う、ちょっと荒れた道になってきた。しばらく走ると…出てきた。

「とうせん棒」が横たわっている。ハハーン、ここが国境なのか「pas no」と書いた小さな看板。

国境には彼とわたしの二人だけ…お互いに何を話してもわからない…係官は笑って、わたしも笑うだけ…

彼は「no no」だけ…。

この国境は地元の人たち専用なのだろうか…中央アジアでキルギスからウズベキスタンに入るときにも

このような国境があったが入国できなかったこともある。

残念だが仕方ない、写真を撮ってと「お願いした」…ありがとうございました。彼の写真はダメだと、断わられた。

いま12時を少し過ぎている。今回もミャンマー越えならず。

本線まで戻って、最後の国境「タチレク」の方へ進むしかないなぁ…

町まで戻ってスイカ売りのオヤジさん、山椒の実売りのおばさんに「ダメだったろう」…「そうだろうの顔」

1168号から107号本線まで戻った…いま2時半。行けるところまで走って泊まろう。

本線にはガススタンド、ひんぱんに、あるだろうと走り出したが、なかなか出てこない。

くねくねした山道ばかり、気が気でない、ワンリッターのペットポトル持ち歩いているにで、いくらか気休めの気持ちはある。

ガソリンタンクのメーター表示は赤印まで来ている。ようやくガススタンドが出て来た。よかったぁ。

3時半になっている、スタンドで「ホテルを聞くと」2キロ先にあると教えてくれた。

タイ語で「ホテル」の文字がわからない。どうしよう…象の置物のあるところに来た。

露店の果物のおばさんのところまで、歩いて「ここにあるのがホテルですかね」「そうだ、そうだ」

王様の写真を飾ってある、見るからに高級ホテル…高いだろうなと覚悟した。

レセプション…700バーツ2200円らしい。思っていたより安くてよかった。ちょうど4時になった。

7時頃まで明るい今の時期だけれど、わたしにとっては丁度いい時間帯。いつも明るい内には泊まるようにしている…

下着靴下を洗濯して、シャワーを浴びているとすぐに時間はたってしまう。


ここはロッジ風のしっかりした建物に分かれている、10棟程、大勢で使えるロッジ風もあるようだ。

入り口両サイドに象の置物がある、ところは、ホテルだと思えばいいかも…ちと高いけど…「エレファン パーク」

晩めしはホテルの入り口にあった屋台食堂…持ち帰りにしてもらったビール二本、おかず、ごはん全部で500円ぐらい。

あしたミャンマーの国境まで150キロ、どうなるのかねー。






三回目にしてようやくミャンマーに・・国境・・

緩衝地帯を歩いてミャンマー側へ


ようやくミャンマーに入りました。しかしオートバイは国境預かりに。

5月19日金曜 はれ
夜中に雨の音がしていた…「ココココ…プッチプッチ」はっきりと甲高い声で夜から朝にかけて鳴く。眼が覚める。

鳥なのか、どうかはわからない。チェンマイに来てから、四度ホテルを替えたのだけれどづーっと聴こえている。

200キロ以上離れている、夕べもホテルでも聞こえた。地元に親しまれているものだろうか。

きょうはミャンマー国境メーサイ「タチレク」まで約150キロ走るのだ。ゆうべは冷房切っても朝方ひんやりした。

エレファントホテルを7時に出発…まぁ、午前中に着けばいい。



気持ちは落ちついているが、走り出すとこの道は本当に目的に向かっている道なのか、どうか、不安で気になって仕方がない。

信号で止まるたびにスクータの人やお店の人に「ミャンマー、ミャンマー」「OKか」と聞きながら走る。

学校と思われるところでは、送り迎えの、車、トクトクタクシーで渋滞してる。

山に入った道に…突然「仏塔」四体は太陽に照らされている。もちろん写真におさめる。

普通の旅では見ることはできない、オートバイの旅のよさが、こんな所にあるのかもしれない。自分をなぐさめる。

くねくねした山道をすぎ町に入って、ミャンマー国境への道がわからない。あっち、こっちと地元の人達も、イマイチ。

首都バンコクからの直通のハイウェイと合流したようだ。



国境で手続きに手間どりそうなので残り30キロ切ったところで、昼めし休憩。

国境についたようだ…車、人、人ごった返している。そのままスクータで乗り込んで行った。

「裏に回れ」…係官がついて来てくれた、スクータでの入国が出来ない。

スクータはタイ側の駐車場に預けて本人のみの入国になった。駐車場での料金スクータ一日50バーツ160円

アユタヤ、ヤマハで作ってもらったにゅうこくOKの書類を提出したが、今はダメだと係官。

ミャンマー陸路移動はバスもない…ここからミャンマー移動は飛行機だけと。



それにしてもトラックの行列がないなぁ・・どこの国境も2キロ3キロつながって留まっているのに・・

別の場所から入るようになっているのだろうかぁなぁ。


ミャンマーに入国した時は1時になっていた。まぁ、致し方ないトクトクタクシーでホテル探し。

三軒目のホテルネット通信が部屋でできる400バーツ1300円に泊まることにした。タイのホテルと変わらない料金のようだ。

ここに泊まってしばらく様子を見て見よう。

ようやくたどり着いたミャンマーは123カ国目。








スクータ同様小回りの効くプロペラ機でヤンゴンへ
5月20日土曜 はれ
ここタチレクにいてもしかたがないなぁー、朝思いたった。言葉が通じないので飛行機の絵を描いてフロントにいった。

「飛行機でヤンゴンまで行きたい」感のいい若いスタッフは電話を航空券について航空会社入れてくれた、すごい。

途中電話を変わって「ジャパン、マツオ」だけ……荷物をまとめてフロントに降りて来た。

さっきの電話は航空会社じゃなかった、旅行会社の人がフロントに手続きに来ていた。

タチレク~ヤンゴンまで4450バーツ…約1万5000円ぐらい。14時出発なのでホテルをタクシーで11時に出る。

タクシーでタチレク飛行場に11時半につく。地方の飛行場だからうす暗いのは仕方ないことだろう駅の待合室の感じ。

重量計は日本でも使っていた時計の針が動くような計量計次々と乗客が集まってくる。

改札じゃない…搭乗手続きがおわり、待合室へ。ヤンゴン行きはと聞いても…どうも違う行く先ばかりだ。

たまたまパイロットが歩いて来た「ヤンゴン行き」…聞いて初めてわかった。

直接ヤンゴン行きの飛行機はない。途中二ヶ所降りてヤンゴンに向かうことがわかった。

そうだったのか、①Rashio. ②マンダレに寄ったあとヤンゴンへ

ちょっと遅れて14時30分プロペラ機に乗り込んだ。66人乗りとスチューワデスさん。

このプロペラ機スクータと同じぐらいい小回りがきく…

途中降り立った飛行場、滑走路の近くに止めて、入れ替える。降りる人、乗る人はバスで運ぶのだ。

一本の滑走路をUターンして飛び上がる…スタートする時、「さー飛びますよ…」と一時止まることなどしない。

Uターンした勢いでそのまま一気に飛び立ち次に向かう…2回とも到着して出発まで約20分ぐらいで済ませてた。

気持ちがいい…乗り継ぎはこのぐらいの機敏さはいいなぁ。

ヤンゴン上空でぐるぐる回って20分ぐらい到着待ち…30分遅れで19時ごろ到着した。

ヤンゴン空港は近代的になっている。インフォメーションで、セドナの街セントラルまで距離、タクシー料金を聞く。

ミャンマーのお金をATMで下ろして、インフォメーションが呼んでくれたタクシーでセドナに向かう。

着いた日本人の宿?「スーパーホテル」なんと12000円…うわー、高すぎる、泊まれない…負けて、負けて

これまで一泊1300円中心、高くても2100円だったので目ん玉が飛び出す…震えるほどたけー。

日本語の出来る現地のスタッフばかりだ。最後8000円で今晩だけ泊まることにする。それにしてもわたしには高すぎる。

日本の料理も併用している。14階には温泉浴場もついている。

日本料理レストランには日本人ばかり7,8人飲みながらくつろいでいた。

さっそくネット、「ブッキングドットコム」で あした21日2000円のホテルを予約した。





オートバイひとり旅・地球走行中・東南アジア・ミャンマー

2017年05月23日 | オートバイひとり旅121ヵ国37万キロ
更新しようとしたけど・・
コピーできなくて3時間かけ16日から20日まで書き写したのに画像を入れるとこで
ダウンしてしまった。ちきしょう・・もう・・がっくり。







5月21日日曜 はれ
身体が震えるぐらい高い12000円(8000円に負けてもらったが)
朝飯くってホテルをタクシーで退散。

ネットで予約したホテルに移動…雑然とした街の中にあった。

中に入ると暗い地下室の感じのホテル、2000円のホテルだ
から仕方がないのかなぁ…

部屋にトランクは入れられない…廊下の隅に置く。トイレの水
どうした…出ない…流せない。

フロントに行って見てもらい…電話して、しばらくしたら
水は出るようになった。

ネットWIFIは部屋で使えると聞いていたが、電波が弱くて
部屋まで届いてないようだ。

仕方ない廊下に出てネットを始める。

ヤンゴン空港で下ろしたミャンマー10万ks夕べのホテルで
聞いたら心細くなったので又近くのATMで下ろした。

そばにはマーケットもあった。ビールと生姜漬けを買って
飲み始める、今3時。

そのうちにわかるようになるだろうが…ミャンマーのお金
全然日本円でいくらぐらいなのか計算が出来ないでいる。

帰りぎわにホテルがあった。部屋をみせてもらった…今の
部屋とでは二倍広くて清潔感がある。

28ドルだがネットで予約すると24ドル-2700円になると
フロントの話。ネットも部屋で使えると話す。

ちょっと高くなるが共同でなくトイレシャワーも部屋にある
よし、ここに移ろう。

今泊まっているホテル、水も出ないしネットも出来ないので
あしたの泊まりをキャンセル、「来来(ライライ)ホテル」を
ネットで予約した。

今泊まっている地区はホテルもいっぱい地図に出てくる
ところなのでヤンゴンの中心地でもあるようだ。

5月22日 月曜 はれむし暑い
ネットも部屋まで届かないし、水も出ない…悪いけど
あしたの泊まりはキャンセルして他のホテルに移りますと。

きのうスタッフに話していたのでお金はすんなり返して
くれた。

歩いて5分ぐらいのところにある「来来ライライホテルに
移動した。24$=2700円。

部屋に荷物を運んでもらって、きのう泊まったホテルに
くらべると明るく、水も出る、広いし、清潔感がある。

もちろん冷房、シャワー、トイレ付きである。

なによりも、ネット人間になってしまったわたしには、
ネットが使えることが嬉しくなる。これでヤンゴンで
の基地が出来た。

ホテル前にはポリス、マーケット、両替屋、ATMと
並んでいる。

3時ごろから、観光の目玉と思われるでっかい仏塔に
タクシーで向かう…

ジェデゴン パゴダ shwedagon pagodaって言うらしい。
金色に輝く入り口からエスカレーター三つ乗り継ぎ本殿に
出る。

半ズボンではダメみたいでスカートを1000円で買わされる。
太陽に照らされた金色の大仏塔は光り輝いている。

アチチ アチチ太陽で焼けたタイルが熱い、熱い…
地元の人たちは各仏塔の前で祈りを捧げていた。

地元の人たちのほか、外国人も多く訪れている。
2時間ほど見てまわりホテルに戻る。



第8次オートバイひとり旅・東南アジア・チェンマイ旧市街地

2017年05月16日 | オートバイひとり旅121ヵ国37万キロ




5月12日金曜 朝方まで雨 すぐに晴れてきた

新しいホテルに着いて落ち着いた。となりの店は工具屋さん。
シューシュー「スクータを洗車したい」…と工具屋さん聞く
と、そこを曲がったところにある。

本当にすぐそにあった。60b-約200円…ちょっと高くなー。
洗車が終わるまで近くを散歩。

このビルはバスターミナルになってるようだ。窓口がいっぱい
並んでいる。

ミャンマー行きのバスはとなりの窓口…そっけない窓口もあれ
ばていねいに応えてくれる窓口もある。

洗車を終えて、ネットで調べたホテルの下見…に向かう
地図で見ると簡単のところだが、実際走るとわからない。

橋を渡ってすぐに右…に入って行く、小さいロータリは
途中から一通に、マジーィ…Uターンした。

お巡りさんが見ていたのだ。止まって違反キップだ…
はーい、マネー400バーツ1300円とか言ってる

マネーはホテルだ。それでは、後から支払ってくだちゃーい。
キップきられてOKになったがどこでどうするのだろうか。

くそーっ

下見するホテルがわからない、トクトク三輪車に頼ん
で引っ張ってもらう。180円。

「パンダゲストハウス」にようやく着くことができた。

まずまずのホテルだ、ネットで調べて300バーツの部屋
はいいなーと思って来た部屋は冷房なしファンのみだった。
冷房付きは400バーツ-1300円。

ホテルに戻ろう、泊まってるホテルの近くに高層ビルがある。
そのビルを目指して戻ることが出来た。











5月13日土曜 朝方雨
二泊したホテルからきのう下見に来たホテル「パンダホテル」に向かう。
二度三度ネットで見てごく簡単に行けるはず…ホテルの地図確認していたのに…

またもや、走り始めると、わかなくなってしまった。ロータリの広場で、
黄色いくだものを臨時に売っている。

味見にくれたくだもの、ちょっと酸味はあるが、わたしに
あっている。ビワに似た味。一袋1キロ180円買った。

ホテルの位置を聞き出した。奥さんも交えて三人でああだ
こうだと、話は続いてる。

バイバイと走ろうとしたら「スクータで」ホテルまで連れ
て行くと話す。ありがたい、

5分程でお陰さまですんなり「パンダ」ホテル
に着くことが出来た。ありがとうございました。

暑くて仕方ないので、冷房の部屋1300円にした。三泊予約した。

レセプションスタッフ女性二人いて、その一人娘さんの
産まれて二、三ヶ月だろうか、赤ちゃんをフロアーで両親
が見ている。なんとも可愛い…

晩飯は昼間「寿司」があるとなりのホテルに、行ってみた。
マグロはない…が握りは…2100円。

高いしゃぶしゃぶを食っているお客さんも3組ほどいる。

シャケ丼が1000円、よしこれにしよう。久しぶりだった
のでうまかった。

ホテルに着いたらカミナリが鳴って雨の土砂降りになった。


5月14日日曜 くもり、はれ
タイに来てから土曜日曜はほとんどのお店はお休みになって
いるようだ。

旧市街地、周り四方…掘りに囲まれている。歩いて見る
ことにした。朝7時にホテルを出る、掘りまでは2、3分。

グルーっと回ってホテルには9時過ぎていた。2時間
かかっていた。

もっともお寺の写真を撮ったり、野菜、魚、肉、雑貨屋
なんでも、そろっている、バザールに寄ったり…

最高と思われる重層なホテルのトイレをお借りしたり…
料金を聞いたら一泊4000バーツ1万3000円とレセプションの話だった。

わたしのホテルの10日日分だ

堀のいっぺんの長さ1キロぐらいあるかもしれないなー。

あしたは違反キップの支払いにポリスオフィスにいかな
かければならないとホテルのレセプション。






5月15日 月曜 はれ
いま7時30分…ポリスオフィスは8時からだとレセプションの女性。
交通違反の罰金を払いに行く。

ミャンマーへ向かう道も確かめておきたいので、早めにスクータで出かけた。
旧市街地の中にあるポリスオフィスに意外とすんなり8時前に着いた。

最初は違反切符しらばっくれていようかとも考えた、しかし地元の人たちの
穏やかなはしり、おまわりさんも真面目な人たちなので素直に支払うことにした。

庭に今日の出勤者が集まっている。違反切符を見せると 窓口へ指さす。
担当者にキップを差し出し、400バーツの罰金を支払う。

写真を撮ってもいいですか、OK、OK…気安いお巡りさん達だ。国際免許証
受けとって、ミャンマーへの道のりを確かめに走る。

掘りに囲まれた旧市街地内側は右周り、外側は左回りになっている。途中
Uターン連絡道路が出来ていて内側、外側に走れるようになっている。

ま、確認はできたので大丈夫だろう。屋台の朝のうどんを食いたくなった
先に泊まったホテルの近くにバスターミナルまでタッパを持って走ってみた。

高い高層ビルを目当てにいけば、すぐわかる、はずだったが、わからなくな
ってしまった。渋滞になっているので戻ろう。

朝7時からやっていると聞いている、夕べ、スパゲティを持ち帰ったレストラン
に、向かってそのままタッパに入れてもらった。

ママさんが赤いくだもの二個くれた、ありがとう。しかし、どうして
食べるのかなー。

ホテルの掃除のお姉ーさんに赤い果物の切り方、食い方を教えてもらった。
何のことはない普通の梨みたいに切り分けておしまい。

中身も真っ赤、と言うよりむらさき色。そのまま一個あげたので、どんな味が

するのかまだわからない。



泊ってるホテル1300円



第8次 オートバイひとり旅・東南アジア編・チェンマイ

2017年05月12日 | オートバイひとり旅121ヵ国37万キロ




5月8日 月曜 はれ
5時過ぎに起きて早すぎるかなーと思いながら出発準備全て終わったのは6時半…
ちょうどいい時間になった。

夕べ荷物を雨で濡らさないように、考え抜いたとうり大型バックの中にはでっかい
ビニールを二重に敷き自分で作った、いらなくなったテントをバラして一番下に敷く。

バックを包む外側には、テントの床部分をバックに合わせて縫いこんでスッポリ
入る袋状にこしらえたのを持ってきている。

リュックの雨カバーをかぶせて、その上にテントで作った袋をかぶせる。
これまで外国で走っていたとき使っていたもの。内二重外も二重…

途中雨にあって慌てるよりも、どうなるかわからないので、いつ雨が降り出して
もいいように完全装備。

時間前にバイクタクシーのおじさんは来てくれている幹線道までバイクタクシーに引張ってもらうことにした。

15分ぐらいかかって、高速の入り口まで来た。「この道をまっすぐだ」と言って
くれているのだろう。

全く言葉はわからないので…おそらくそう思う。

誠実一路の顔のおじさんは別れにハグしてくれた。

毎日お世話になりました、200バーツを渡した。ありがとうございました。

さーいつものひとり旅が始まった。バイクにいったんまたがると、気持ちが
ひき締まる。

40~50キロのスピードでスタート…田園風景が続く途中、二回分かれ道で止まって、
チェンマイ、チェンマイを確かめめる。

これまで乗ってきた1500ccに比べてスクーターは小回りがきいて取り回しも
楽チンでいいなー。

右手に岩山が出て来たがどこまでも平坦の道が続く…遠く左に山も見える、
おそらく山の向こう側はミャンマーなのだろう。

道端の屋台で昼メシのあとしばらく走って木陰で休憩昼寝15分ぐらい。

午後走りがだれて来て、いつの間にかスピードがだんだん落ちてくるのだ。
この昼寝は走りの「だれ」と疲れをを防ぐことになる。

ワンリッター40キロ走ると聞いていたが…100キロ走って給油になる。
おかしいなーリッター20キロだなー。

荷物20キロのせい、なのだろうか…ガソリン5リッター入れて60バーツ…
200円ぐらい。

ここまで350キロぐらい走って来た。タキとかゆう町…信号待ちのお兄ちゃんの
横につけて「ホテル」ある…

そこにある…連れて行くとゼスチャー、本線沿いの下の道に走って2・3分の
ところにホテルはあった。ありがとう。

3時を回ったところ…ちょっと早い…しかし、ホテルがこの先あるのかどうか
わからないので、泊まることにした。

立派なホテル250バーツ…800円助かるなーもちろんクーラ付きwifi…バッチリOK

チェンマイまで残り300キロぐらいかな。

早めについたので、グーグルマップを見た。うーんこの町タクからミャンマー
の国境、100キロ足らずでいけそうだ。

チェンマイから入るより、ミャンマーの南の方になるのでルート変更してあした
ミャンマー国境に向かってみよう。

クネクネした道の表示はおそらく山道になるだろうなー

5月9日 火曜 はれ
ホテルを7時に出発、一路ミャンマー国境へ、朝から「ミャンマー、ミャンマー」
マイカー、バイクの人に聞きながら、本線に乗ることができた。

予想通りすぐに山道に入った。どんどん登っていく…涼しいよりも肌寒くなって
きた。くねくねした道は続く。

この登りでガソリン大丈夫かいな…道路工事の人や地元と思われる人にガス
スタンド「あと何キロ」

40キロだったり30キロだったりはっきりしない。雑貨屋さんのあるところで、
若い男の人に、ガソリンスタンドは……

目の前の雑貨店を指さす、あそこにあるの…「こんちは」「すみません」
「ガソリンください」

アルゼンチンでもここにガソリンがあるのと思ったら、雑貨屋さんはドラム
缶から汲んで入れてもらったこともあるので、不思議には思わなかった。

しかしここではペットポトルに入れておばさんが売っていた。1リッター
60バーツ200円ぐらい。2倍ぐらい高いが仕方がない、ガス欠になるよりましだ。

3つの方向に走っているロータリのある町に出た…1回目間違って、途中聞き戻っ
てきた。

確認しようとロータリ道の端に止めようとした途端…砂で滑ったのだ、あっと
ゆう間に転倒…いやとゆうほど叩きつけられた、アイテティ。

右ひじ、異様に痛い、ガソリンも漏れている、手は動く…トクトク三輪車の
お兄さんが手伝って起こして、荷造りもやり直してくれた。

ありがとうございました。アイテティ…

教えてもらったロータリ2番目から出て、ガソリンスタンドに入る。擦りむ
けた右ひじを見せると「赤チンキ」を持ってきて塗ってくれた。
ありがとうございます。

やさしいお兄さんだ。満タンに入れた、ミャンマーはこの道じゃない話す…
又ロータリまで戻って3本目の道に入った。

11時50分国境についた、トラックは並んで待っているどこの国境も同じだ。
タイの出国スタンプすぐに終わった。

500m先のミャンマー入国手続きに…オートバイの入国はだめだ、アユタヤ、
ヤマハで作ってもらった、書類を見せたがだめだった。

スクーターをここに置いて本人だけ入国はOK…戻ってくる日それまで保管
すると話す。

仕方ない、タクまで戻ってふたたびチェンマイを目指そうあーぁ。

戻るタイ国境で、スクーターは持ち込めなかったと、係官に話すと「OK」
そのまま戻ることができた。

しかしだ…タイ国出国スタンプはあるが、「入国スタンプは無い」

いったいどうなるのだろうか…まぁ、その時に考えるしかない…。もう終わっ
たこと…終わったこと・・仕方がない。

同じ道を引き返し夕べ泊まったホテルに再び到着14時についた。


5月10日水曜 くもり 雨 はれ
あさ6時30分ホテルを出発してチェンナイに向かう。夜中に雨が降ったせいか
冷んやりしている。

雨を予想して完全武装した。雨が降ってきた…まぁゆっくり走ろう。約300
キロの走行だ。

車は思っている以上に少ない感じ…平均70キロで走行寒く感じるので給油スタ
ンドで、ズボンと上着を着こむ。

チェンナイはランパーンから左に入る標識…よし、これからあと100キロぐ
らいだ。

雨が上がって太陽が出てきた、暑くなりそうだが、カッパきたまま…残り35
キロのところで大きな黄金の仏像。

チェンナイ市内に着いたのは、13時前、走っている市内でホテルを見つけたの
で。380バーツ1300円に決めた。

この宿は古い骨董の趣味の宿屋に見える。人のゆうこと聴かないで…わたしは
何もわからないのにペチャクチャ、

自分ことばかりしゃべる女将40代そこそこ女将。歩く姿外股歩きだ。

わたしと同じ横柄な態度…ネットWIFIの設定で…思わず「うるさい」っと日本語
で怒鳴った。

それからは静かになった。とりあえずの一泊だからあしたは違うホテルに移る。


5月11日木曜 はれ
宿を9時過ぎに出る。予約した宿まで、最初はトクトク三輪車に頼もうと考えて
いたが、ネットマップを見て、自分で行けそうだ。

途中一回地元の人に聞いただけでホテルに着くことができた。400バーツ-1300円。
フロントはちょっと普通のホテルとは違う、家族でやっているようだ。

階段も部屋も綺麗なタイルで気持ちがいい。失礼だがオーナーは250ccに乗ってる
親父さん…と言った方がぴったり。

その親父さんに荷造りのチュウーブを引っ掛けるワッカの相談をした。S字型の
金具を倉庫から二つ持ってきて取り付けてくれた。

これで楽に引っかけて荷造りできる。ありがとうございました。

ホテル前は旧い街並みが…続いている商店街。セブンイレブンもある。

セブンイレブン、ビールは午前11時ならないと販売しないらしいです。これも
珍しい。となりの商店では買うことができた。

土曜はアルコール販売禁止、家族の日とかの国もあった。

夕方直ぐ近くの洗車屋に持って行き雨で汚れていた
スクーターを洗ってもらった、210円。これは高いなー。

晩飯は屋台で売っているサカナ、ぶた、ニワトリの揚げもの
トマト、キューリで済ませている。

チェンマイの街ってもっとにぎやかなイメージ、持って
きたにだけれど、こんなものなのかなぁー。


第8次 オートバイひとり旅・東南アジア編 アユタヤ  

2017年05月07日 | オートバイひとり旅121ヵ国37万キロ






ハハハ・・バイク買うことできました。

5月6日金曜 朝方雨 くもり はれ
朝がた、雨が降っていた。

10時にオートバイ、ヤマハ店、に向かう。きのう
と同じおじさんのバイクタクシー。

きのう見ていた新車、スクーターを買うことに決めた。

手続きしてお金払ってすぐ終わりかと自分は思っていた。

英語もまったく通じない…お店の女性はタイ語とわたしは日本語…

お店の女性は左手、右手に、ケイタイ駆使して翻訳して、わたしに見せる、

「yesかnoかok」で応えるだけ。

「あなたはどこから来た」「登録が必要」「一ヶ月かかる」

「一ヶ月ノーノー」「わたしはあさってチェンマイに行く」

…こりゃーだめだ、買うことできないな。

佐賀、嬉野弁で話して見ても同じこと

「あんたは、なんばいいおおっとね」「いっちょんわからんばい」

(あなたは何を話してるんですか、少しもわかりません)

お互いにちんぷんかんぷん…のやりとりがつづく

どこでどうなったのか、うまくいきそうになって来た。

2時間経ったころ、どうにかまとまった…ヤマハで今日手続きを
終えてあした12時に引き渡す。

430000バーツ➕手続き代1500バーツ445000バーツ
日本円約13万円支払う。ヘルメット1000円

大丈夫かいな……。

大型荷物バック調達にあっちこっちの備品やさんを回って

なんとかなりそうな両サイドにぶら下げるバックを見つけた。

じゃぁあした12時に来るからと、バイクタクシーのおじさんと

ホテルに戻る。バイクタクシー代600円。


5月7日土曜 はれ 34℃

あははは、バイク買うことが出来ました。

「あなたどこからきたの」「手続き一カ月かかる」

タイ語と日本語、佐賀嬉野弁

お互いに言葉が通じなくて、こりゃーダメだ…と

買うことはできないなと思って、あきらめた。のは

きのうのこと

きょうはバイクの受け取りができるかどうか…早めにヤマハに行く。

同じバイクおじさんうしろに大型バックを抱えて乗りこんだ。

実際の大型バックをバラして、両サイドのバックに詰め込むため、どうなるのかと持ち込んだ。

ヤマハのスタッフ二人とも落ちついている、おー、引き渡すことができてるようだ、よしよし。

気になっていた大型バッグ…持ってきた自転車チューブで縛り付け大型バックを積み込んでみると、

以外と大丈夫のようだ。

これじゃ、両サイドに分けたバッグ1万円買わなくてもいいようだ。

おーよしよし、フタッフもバイクおじさんもグーと

親指出した。心配していたことが消えて行く、、よかったー。

ナンバー取り付けて終わり、これまたどこでどうなったのか

ミャンマー入国に必要な書類も作ってくれたようだ。

大事になくさないように・・とのことだろう、封筒に入れてくれた。


「マネーマネー、アユタヤ、ヤマハ」と冗談飛ばして

笑わせて、すべて終了。

ありがとうございました。スタッフにバイバイ。

タンク満タン5リッター
ワンリッター40キロ走る…180キロで給油…

夕方バイクおじさん誘導で遺跡めぐりのテスト運転
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第8次オートバイひとり旅・東南アジア編 バンコク

2017年05月03日 | オートバイひとり旅121ヵ国37万キロ




2017年5月1日   はれ  34℃

昼間は暑い、35℃ぐらい。外出するたびに下着の洗濯。

カオサン通りの角にポリスオフィスがある。道路を挟んで

広大な敷地のお寺がある。そのまわりにあるホテルに泊まっている

カオサン通りにもホテルはいっぱいあるがこっちのほうが静か・・

緑の木はお寺2、300m四方…まわりにホテルがある、いま泊まって

いるホテル「obangkoku]は冷房付き1650円。

暑くない季節だったら普通の部屋シングル600円から

これでも充分、今は暑いので扇風機だけじゃ耐えられない.

5月2日月曜    はれ
日曜休みだったの・・ポケットを作るため靴屋さんで

買った皮を持って縫い付けてもらいに行く・

路上のミシン屋さんは厚いので縫いきれないと断られた。

靴屋さんに描いて頼む・・2時間かかって出来上がり。

600円。

出先の国で靴屋、洋服、オートバイのシートなど縫って

もらい、それを見て過ごすのもわたしは面白い。

あした4日移動することにした。カオサンから80キロ北

アユタヤの町まで行ってオートバイレンタルについて

検討したい。

タクシー4500円・バス1000円ぐらい・・当然バス。

朝も夜もビール大ビン二本240円×2・・

一日ホテル代入れて4000円ぐらいかな。