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オートバイ地球ひとり旅・19年・140ヵ国・39万㎞・バイクの松尾

2000年10月~2019年9月・56才~75才まで19年。越えた国境238カ所・赤道直下4ヶ所走破

「オートバイ地球ひとり旅・19年」

2020年11月25日 | オートバイひとり旅121ヵ国37万キロ


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オートバイ地球ひとり旅・19年・140ヵ国・39万㎞・バイクの松尾
オートバイを海外に運んでの旅は終わりにしました。1500㏄、450キロのオートバイでのツーリングはもうきついです。わたしのとっては限界だなぁーと感じています。こ......



オートバイ海外ひとり旅・17年・130カ国・39万キロ・・・古橋聖司さん歓迎会

2018年09月05日 | オートバイひとり旅121ヵ国37万キロ
古橋聖司さんは去年2017年5月の日本を出発・・・

ロシア・ウラジオストック~モロッコ~モスクワ~ヨーロッパ・・

スペインからオートバイを南米に空輸・・アルゼンチンから北上

中米~アラスカまで走破した。途中キューバにも寄った。

14カ月走って今年2018年7月29日帰国された。

8月19日歓迎会、よくご無事で帰国されたこと

みなさんといっしょに「カンパーイ」・・

大阪から、京都からもわざわざ駆けつけて
くれました。



右が無事帰国された古橋さん・・左は相模のコンさん









オートバイひとり旅・世界走行中・東南アジアの旅終わりました

2017年10月16日 | オートバイひとり旅121ヵ国37万キロ
2017年10月4日から10月15日まで

東南アジアの旅・最後ブータンの国でとりあえずお終いにしました。















10月4日 水曜

ブータンの旅についてネパールの旅行会社をまわって見た。

一軒目18万円…二軒目15万円…三軒目13万円が出てきた。


おおよし、これならなんとか行けそうだな。三泊四日…

飛行機往復運賃、ブータンビザ代、ホテル代、食事代三食

送り迎えと観光地の車での移動代、すべて込み込み…


いまを逃したら行けないかもしれない…思い切ってブータンに

行くことにした。


前回お世話になったネパールの人たちが14年ぶりなのだが

覚えてくれていたのだろうパーッと集まってくれて

うれしかった。



夜は通訳のカジさん宅でごちそうになった。

カジさん宅は14年前工事中だったが今5階建てだけのビルになっていた。




















10月5日 木曜

オートバイ屋を開いて忙しそうな前回もお世話になった

キリンさん宅でご馳走になる。

お店には前回オートバイで来た時の写真を3mぐらいに

大きく伸ばしてお店に飾ってくれていた。


この日も前回ツーリングに行った仲間がわざわざ夫婦で

4キロも歩いて会いに来てくれた。ありがとうございます。



当時5,6歳だった子供さんは20歳を過ぎていた・・





10月6日 金曜

タメール地区中心にある旅行会社13時にブータンビザ、

飛行機のチケットが出来上がる。




10月7日 土曜 はれ

ブータン行きカトマンズ空港15:15分発エベレストらしき

白峰も遠くにでてきた。

1時間でブータンに着いた。


空港では車で出迎えに来てくれている

通訳のタワさんと運転手のジミさん


車で1時間半以上かかった街につく。

ビール「1100」がうまい。


















10月8日 日曜 くもり 一時雨 くもり

ホテルを9時に出る、テンプル、テンプルときのうから

通訳ガイドは話していた。


12時前に昼飯…テンプル・パロ市内を観光…14時過ぎに

ホテルに戻る。


ホテルでネットの設定…ドライバーのジミさん、通訳のタワさん

二人に写真の取込みを手伝ってもらった。




二人にはわたしなど足元にも及ばない…ネットには詳しいようだ。

おかげさまで写真お取込みはできた。




18時から晩飯…ブータンには4種類のビールがあるらしい。

11000…(ワンワンタウゼントとガイドは話していた)はうまかった。

レッドパンダは好きでない味だ。




あしたは岩山にあるタクツァン寺…トレッキング往復、ガイドは

9時間ぐらいかかると話してた。




10月9日 月曜

夕べは日本を出て半年間本格的に歩いていないので、岩山登りに

不安を持ちながら床についた。きつかったら途中まででもよし…。




以後の通訳ガイドのタワさんとドライバー、ジミさん、9時に車でホテルに

迎えに来た。


岩山にあるタクツァン寺まで9時間かかると言っておきながら

9時に出発では戻ってくるのに暗くなるんじゃないの…


ホテルに日本人女性が泊まっていて、「タクツァン寺まで登って

来た、わたしは途中までだったが友達は4時間ぐらいだった」

と話してくれた…




そこから想像すると9時間はかからないなぁ。




タクツァン寺のあるふもとまで30分。登りはじめたのが9時半

沢山の観光客は登りはじめている。馬に乗って登る人もいる。




坂道に入った、木の根の張った道の狭い道が続く、頂上まで行った

馬が一頭、二頭…時には5・6頭まとまっておりて来た。




その都度通り過ぎるのを止まって待つ。インド人の太った女性は

馬に乗って登り出した…途中で馬が動かない。




おそらく重く感じて止まってしまったのだろう。やむなくおばさん

馬からおりて歩き出した。




ふもとは標高2300m頂上は3100mとガイドは話す。

「スロースロー」「ユックリ ユックリ」「ヤスベェージョゲン

ヤスベェジョゲン」英語、日本語、ブータン語でガイドと合唱し

ながら登って行く。




1時間で休憩地点に着いた。岩山にへばり着くようにお寺が

建てられている。観光客でごった返している。




トイレに駆け込んだあと紅茶で一服。さー頂上までなんとか

登れそうだ…11時になっている。




最後の最後一旦足がすくむ急峻な階段を降りて、滝の水がしぶき

を上げている。今度はお寺まで登り返す…タクツァン寺に着いた。




腹の調子が悪いのか、トイレに駆け込んだ。イヤー、これから

ひきかえして…歩けるのか。横になりたいほどぐったり。

きつかったー。13時になっている。




フーフの体で靴を脱いでお寺の中に入る。よくぞこんな岩山に

建てたものだ。1695年建てたとガイドの話。そんなには古く

ないなぁ。




お寺から出る時に女性たちはミルクティーをヤカンで振る舞って

くれている。あーっこれはいい、元気が出そうだ。お代わりして

頂いた。




疲れていた体がさっきよりなんとなく元気になった。よしこれで

戻れそうだ。列をなして登る人も帰る人は階段に連なっている。




中間の休憩所で紅茶でひと休み、「昼飯はいい」とことわった。

登るときはアルゼンチン、ウルグアイの南米の人たちと写真を撮る。

下るとき、ポルトガル、香港の女性、ブータンガイドさんで写真

撮った。




ふもとに降りたのが3時になっていた。久しぶりの登山に不安

もあったが、思った以上に歩くことができてよかった。




ドライバーが待っていてくれた、ガイドのタワさん、ドライバー

三人で記念写真。




夕食は6時からだとホテルのスタッフ。お湯を張れるお風呂に

ゆっくりつかった。気持ちがいい。思ったより足の疲れも今の所

出てない。





10月10日 火曜

ホテル6時出発…8:30発ネパールに戻る日だ。

4日間お世話してもらった通訳ガイド、タワさん、ドライバー

ジミさんにお礼にお金を渡した。




雨のブータンから上空に上ってみると晴れて来た…

来る時は午後だったが、今朝はハッキリとヒマラヤ山脈が見

て取れる。




7000mから8000m級の山が連なっている。確認することは


できないがエベレストもこの中にあるはずだ。



あーこんな雄大なヒマラヤ山脈をみれて、最高の気分だ。

ネパールホテル「Great wall」に10時に着いた。




ネパール旅行会社からお金を預かってブータン旅行会社に

渡したことを証明のサインしたもらった封筒をネパール

旅行社に届ける。




ホテルにそばにある刺繍屋さんにTシャツ 「JAPAN MATSUO」

「バイクの松尾」と刺繍してもらった。




以前毎日通っていた食堂に行ってみた。当時のおばさん達はいなかった。


お店は他の人にゆずったと離す、ネパールで事業している常連と

思われる日本人の人の話しだった。




粟(あわ)の実のお酒…ビア樽の小さい木の器に粟を入れて…お湯を

つぎ込んで、しばらく置いてからストローで呑む。




久しぶりになつかしい粟のお酒を味わった。




10月11日 水曜

きょうは日本へ帰る日、ネパール空港発夜11時30分と遅い。

ホテルにお金を足して…夕方まで部屋にいてもよいとの

承諾をオーナーにしてもらってた。




クアラルンプールで乗り換え、朝6時過ぎに着いて、ここ

でも夜中11時30分発なのだ。




この17時間余りの時間をどう、つぶして過ごすのか…

空港のロビーで横になって休める場所があればいいがなぁ。




お世話になったカジさんの弟アソコさんの鉄骨屋に「今日

帰るから」とあいさつに行った。




兄さんのカジさんはインドに通訳で出かけているのは、前から

聞いていた。



カジさん、オートバイ屋のキリンさん達にもよろしく伝えてほしい

と頼む。




アソコさんは「車で空港」まで送ってくれると話す。ありがたい

5時にホテルを出発。




小さいカトマンズ空港、ネパールから海外に出稼ぎに行く人たちで

ごったがえしている。




早めに空港にきたのはいちばん後ろの座席を取るためなのだ。

運がよければ三人分の座席で横になって朝方まで眠れる。




受付が始まった…「飛行機」を絵描いて「いちばん後ろ」に印をつけ

窓側のシートの予約を頼んだ。どこの空港でも同じ手法でシート

を予約している。



係官はわざわざ「こっちに来い」コンピュータの座席画面を見せ

ながら、ここで「いいか」親切にコンピュータの画面を見せながら、

シートを指定してくれた。ありがとう。




搭乗待ち合わせ室から直接歩いて飛行機に乗る。あいにく座席は

満杯で横になれるもくろみは外れた。




10月12日 木曜

ネパールを日付を越えて出発した。横になれる空席はない。

夜中1時を越えて機内食がでてきた。6時にクアラルンプール

空港到着。




空港内に横になれる椅子は結構あった…今夜も11時30分発

の深夜便。17時間の長い時間、安いホテルがあればそこで休もう。


ホテルは空港内にあった…なんと2万円の高級ホテル。




ホテルのスタッフが送り迎えしてくれる近くのホテルを紹介

してくれた。5500円わたしにすれば高いホテルだ。でもゆっくり

できるし、ネットもできる・・思い切って休むことにした。




夕方19時にホテルを出てクアラルンプール空港内で食事することに

した。23:30分いよいよ日本に帰る飛行機に乗る。いつものように

いちばん最後に飛行機に乗り込む。




一番後ろの座席のため、早く行っても機内でまたされるのだ。自分の

座席は二人が座っている今夜もダメだ。


一列四座席空いてる座席をみつけた。よし、きょうはついている。

朝方まで横になって日本に8時過ぎに到着。

自宅に無事についた、11時だった。


今回東南アジアの旅おかげさまで終了した。





10月14日 土曜

久しぶりに我が家に着いた雨の朝だった。

旅の荷物を少しづつ片づける。





10月15日 日曜

きょうは74歳の誕生日だった。メールではたくさんの

方からお祝いの言葉をいただいた。ありがたいことです。


20年前・・54才の時は、世界を走る決心はまだできてなかった。

走れるのはヨーロッパと北アメリカぐらいだろうなぁ‥・

ぐらいの気持ちだった。56才で退職。


10年前の64歳のときはアフリカ、ルワンダだった。

この時10年先74歳まで海外を走っているとは、まったく

予想もしていなかった。




今74歳になってしまった今日。世界大陸、最後のエリア

東南アジアの旅は終わった。




さて、74歳から次の10年後84歳はどうしてるのか…

64歳の時と同じようにまったく予想はつかない。




これまでのように目の前のできる事少しづつ乗り越えて

進むしかないだろうとと思う。




2000年10月から2017年10月まで17年間世界を走って来た。

(ホンダワルキューレ1500cc)


海外に出ると一年間ぐらい走って帰国している。だいたいこの


パターン。次の海外までの走る期間があるので、実際走った期間


は12年間ぐらいになるのかなぁ。




世界を訪問したのは130カ国。


オートバイで走った国は117カ国。


(レンタルバイクで走った国を含む)


陸路国境越え200ヶ所以上になった。


赤道直下4ヶ所。




北の最果てノルカップ(ノルウェイ)

アラスカ・ブルトベイ(アメリカ)




南の最果てアルゼンチン・ウシュアイア、

南アフリカ、喜望峰、アクラス岬




「あきらめない、投げださない」で走って来た。

いつの間にか世界をほぼ走り尽くすことができた。




「なんでも 少しづつ 少しづつ」わたしにとっては

これが一番の早道になった。




振りかえると自分でもよく走ってきたなぁと思う。


一方きょうは11時から嬉野「関東地区するさと吉田会」
に出席してきた。ふるさとから「女面浮立」のひとたちが
上京して披露してくれた。

いつもながら迫力ある踊りだった。
夫婦で上京していただいたので感謝申し上げたい。
ありがとうございました。

内輪に披露するだけではなくて本当は東京の人たちに
見てほしかったのではないかと思う。





















オートバイひとり旅・地球走行中・東南アジア・スリランカ~インドネシア・バリ島

2017年10月03日 | オートバイひとり旅121ヵ国37万キロ
2017年9月14日から10月3日まで

ネット環境があまりよくなくて写真を取り込みできなかったです。

10月2日オートバイを売却できたの待って海外のツーリングは区切りをつけるためにも

ひとまず終わることにしました。







9月14日 木曜 はれ スリランカ夕立

かろうじてセーフ…二つ。

3時すぎ目が覚めてうつらうつら、6時に起きてスリランカへの

出発準備。きょうはスリランカに行く日。

7時ちょっと前に出てきたスタッフからでデボジット10を受け取り

シンガポール空港へタクシー。



素晴らしいシンガポール空港の造りになっている、スリランカ

カウンターで手続き…「スリランカ」からの帰りの「チケット」

あるかと来た。


「ない」スリランカからどこの国に行くのか決めてないから…

「帰りのチケット」がないと受付できないと話す。

仕方ない、その場でチケット予約をネットで予約する。

ところがうまくいかない。



予約確定できないまま予約したように見せかけてアイパッド

で「航空行程、出発、到着時刻」の写真を撮り」

スタッフに見せてカウンター締め切り8:30ギリギリセーフ。



きのうネット上に出て来た「預かり荷物」20キロ3万円

だったが追加料金なし。ネットで事前に申し込まないで

よかった。

「現地での料金より安くなると」メッセージがネット上に

なぜ出てくるか、サギじゃないかと思いたくなるなー。



帰りのチケットもどこに行くのかわたしの自由なものなのに。

片道航空券で問われたのはニューヨーク行きで日本で一回ある

だけ。そのほかは問われたことはない。


入国するスリランカのスタッフに問われるはいいとしても…

出国するシンガポールに問われる必要はないんじゃないか。



これまで「入国したカスタム」で「帰りのチケット(出国する)

チケット見せろ」言われたことは一回もない。

片道だけだと不法滞在になるおそれがあるから、事前に

防ぐためだろうけど、それは入国する国の問題ではなかろうか。



規則はどうなてるのか、わからないが、現在の旅のスタイルには

実情があってないのではとわたしは思う。

さぁー出発シンガポール空港…ここはまず、パスポート拝見、

そのあと荷物と身体検査…定刻時間前に動き出した。


スリランカ空港定刻に到着した。こじんまりした空港。

さて、入国できるか。

きのう手伝ってもらい「スリランカビザ」をネットで取った

つもりさてうまく行くか並んでいたカスタム自分の番がきた。


係官慎重にタイプを打ってる、ひとことも声はかからない

よし、どうにかうまくいきそうだ。何かをパスポートに

貼り付けたものは2・3センチの小さいものビザの証明だろうか…

初めて見る。


ヒヤヒヤしていたが無事に入国できてよかった。

空港内で残っていたシンガポール通貨をスリランカ通貨に両替

1000は約7$ぐらいと教えてくれた。

予約したホテルに向かう。タクシー代4000…2800円先に支払う。

ホテルはどこらへんにあるのか見当もつかない。やしの生い茂る

緑いっぱいの中の立派な道路だ。



こんな道だったら車も少ないし、オートバイで走って見たい

気持ちになると同時にビルの建ち並ぶ、クアラルンプール、

シンガポールからやってきよかったなぁーつくづく思う。

遠くにタワーが見える、この道路も、タワーも中国の協力で

出来たと運転手さん。中国の人好きですか、と聞いたら笑い

ながら、ペチャクチャ話すからね、「うーん」……。



とたんに渋滞なった。コロンボの看板も出てきた。

あぁ、コロンボ市内に入ったんだ、とゆう事はホテルも

ここコロンボにあるとゆう事なんだ。

スイスイ走ってきたが、進まない、進めない大渋滞だ。

エブリディ、エブリディ毎日このような車の渋滞は続い

ていると話す…1時間過ぎている。


トクトクタクシーもどっとふえてきた。ふっと見るとはだし

で運転している。トクトクをはだしで運転してるのは半分以上

はだしのようだ。

タクシーの運転手さん…冬も夏もない、毎日30度から32度

と暑いからはだしなんでしょうと笑っていた。


旧い建物の中がかなり残っていて、コロンボはこれから街造り

になるのでしょうかね。

ところが宿が見つからない…細い路地に入って探すが

見つからない、また細い路地に入ってトクトクタクシーに

聞いている。


あった、ホテル「EVergrenn 」エバーグリーン。空港出てから

2時間以上かかっている。これじゃタクシー2800円やむを得えないか。


電気がついてなくてホテルはちょっと暗い感じだが、部屋は

明るい、開放感はある。

腹へったのでさっそく近くの食堂に行って、持ち帰り弁当でホテル

のフロアでビールを流し込む。





9月15日 金曜 はれ

スリランカ最初の朝、クーラの部屋から外に出るとムーと

する陽気、30度から32度…タクシーの運転手さんが話したよう

に一年中こんな感じなのだろうなぁー。


マレーシアまでの航空券をネットで調べて予約しようとすると

いつものように①重複している 。②別の格安航空券会社に予約

を入れると「パスワードを入れてください」作ったこともないに、

メッセージが出て来る。


ホテルのスタッフに手伝ってもらっても同じ…仕方がない

「エアーアジアAir Asia」のある会社まで直接タクシーで向かう。

途中居眠り出来るほど遠い海岸べりのニュータウンだろうか…

1時間ほどかかる結構遠いところに会社はあった。



9月20日10時:30発の搭乗券を予約した。ネットでみた金額と

同じ15000円ぐらいだった。

なーんだ、今まで格安航空券は安いと思っていたけど、同じよう

な金額じゃないのか、これから気にして、比較してから予約して

みよう。


格安航空券会社の手数料など入れると同じような航空料金に

なるのかなぁ。

なにはともあれ帰りのチケットを確保すればひと安心だ。市内

の写真を撮りながらホテルに戻る。タクシー代1400円だった。


ホテルにあした16日から観光名所巡りを頼んでみた。

夜7時にツーリストの人がやって来た。メインはシギリアだ。

一枚岩の上に居住したいた有名なところは写真で見ていた。

あした朝4時に出発になった。




9月16日 土曜 はれ

朝3時に目が覚めたあと、うつらうつらすぐに出発準備。

4時半位運転手さんがスズキ軽自動車で迎えに来た。

真っ暗な朝シギリヤに向かう。でっかい窟(いわ)に昔

住んでいた岩山のことを現地の人はシギリヤとゆうらしい。


180キロぐらい4時間ぐらいで着くと話す…6時前には明るくなった。

夕べあった時しっかりしているこの人だったら大丈夫だろうと

安心していた。ところが走り出したあと音楽をかけて自分の

好きな曲がかかったら首をフリフリ指をハンドルをたたく、仕草。


反対車線から平気で車の前に割り込んでくるスリランカの交通事情

お互いに慣れたものなのだろう…ヒヤッとする。

ところが、ドーンと追突した。前の車はハイエース…追突された

バンからゾロゾロ降りて来て、傷を確認している。こっちの運転手

も自分の車を見ている。


このへたくそ運転手め、この「○カ」が……わたしは成り行きを

見守るだけだ。相手の車はたいした傷ではなかったようだ。

すぐに走り出した。

こっちの車も部品が取れたぐらいで、まもなく走り出した。

不安が的中してしまった。このあとどうなるのか、不安で

仕方がない。



実は16日17日と観光地を回って18日に戻る予定だった。

運転手に「きょうだけシギリヤを見たら、すぐにホテルに戻る」

と告げた。

運転手は「どうした…みたいな顔」していたが、だまって「ツデイ

Hotel カムバック」だけ告げた。OK、OKとわかったようだ。


9時にすぎにシギリヤに着いた。平野の中に突然突き出た岩山
あぁこれがそうなのか。

入場券を買って、登り始める。観光客は階段につながって並ん

でいる。頑丈な手すりは付いているが、怖い高さだ。



真ん中辺でおしまいだろうと考えていたら、違った、また登り

始める。大丈夫かいな、足がすくむ。

結構な年寄りも、子供も並んで登っているので、勇気づけられた。

そろそろと手すりにしがみついて頂上まで登りきった。



昔の居住地跡が残されて…水の確保だろうか、今も水の張っている

プールもある。約2時間かかって降りて来た。いい運動になった。

12時すぎにシギリヤを出てコロンボのホテルに戻ったのは5時に

なっていた。



新しい泊まり客が来ている。全部で10人足らずの宿泊客だろうか。




9月17日 日曜

ホテルの中で過ごす。



9月18日 月曜 はれ

ネットで予約した海岸べりのホテルに移ろうとタクシーで

向かう。ようやく運転手さんが探した場所に着いた。

ええ~ここがホテルなのか…事務所の横に入り口一つのドアー

確かにアドレスも名前もあっている。



しばらくして家主らしき男が車で着いた。ドアーから二階に


上がって部屋を見る。ベッドがふたつあるのみ…

「クリーニング」するから「30分待ってくれ」……イヤー

うす暗くて窓もなし泊まれるホテルの雰囲気じゃない。

ノーノー、キャンセルするからとホテルを去る。このあと

三軒運転手さんは知っているホテルに案内してくれた。


三軒とも2800円から4000円と部屋の割には値段が高すぎる。

明るくて清潔だしこれまで泊まっていた700円のホテルがまだ

ましだ…仕方なく元のホテルに舞いもどった。




9月19日 火曜

カラーっとした明るい部屋で過ごしてみたい気持ち…


ネットで調べた海岸通りの部屋を見つけた。2800円と高い


ホテル…12時前に着いた。

部屋から道路をへだてて目の前は海、海岸に鉄道が走っている。


理想のホテルだ。部屋に入るのは14時からになるとオーナー。

どこの国かは聞かなかったがオーナーはヨーロッパ人だろう。


近くの動物園で時間をつぶそう…タクシー280円、結構な広さの

動物園。シギリヤ岩山もそうだった…ここも外国人は別料金になっ

ている1400円と高かった。


他の動物、鳥たちに興味なくヒグマ、カバ、キリン、象の仕草

など観察…して14時すぎにホテルに入る。

銀行の場所を聞き、レストランの場所を聞き…お金をおろした

あと食事を終わらせようとホテルから出かけた。



銀行は見つかったがあっち、こっち歩き回って4つの銀行とも

カードが使えない…その上スリッパがほころびて歩きにくい。

しょうがないタクシーに頼んでその都度チェックしながら下ろす

しかないなぁ。二軒目で下ろすことができてホッとした。



レストランはあきらめた、タクシー運転手さんについでに、

アルコールショップとスーパーまでは知ってもらうように

頼んだ。

タクシーに名前を聞かれて「マツオ」と応えるとええー

知っている「ケイコ、マツオ」さんのメールを見せて、

セーム,セーム同じ名前だ…と喜んでいた。


ビールとハムを買い込んでホテルに戻ったのは7時なっていた。

すぐに戻れると思って出かけたのがなんと2時間もかかって

しまった。


よくあることだ、今回は戻る場所、ホテルの名刺を持ってい

たので、すんなり戻れたからよかった。 名刺を持ってなかっ

たらまたまた大変なことに なったに違いない。

ああぁー、腹へったー冷えたビールを流し込む…うまい。




9月20日 水曜

何もなし、しない。




9月21日 木曜

コロンボ飛行場までタクシーはラッシュにかかるまえの6時半に

予約していた。

きょうはマレーシア・クアラルンプール行き10:30分の飛行機

に乗る。


夕べは気持ちよく 眠れた。出発準備を終わらせて6時過ぎにホテル

玄関 に出る。

タクシーはすでに待っていてくれている。明るくなってきた…

海岸通りに上り下りの列車がちょうどやってきた。



タクシー運転手さんに写真に収めてもらい…飛行場に向かう。

ラッシュには合わなくて7時過ぎに着いた。

搭乗手続き、カスタム(税関)パスポート拝見…出国スタンプ終了


レストランで一番安いサンドイッチとビールを注文する。

飛行機は10:30定刻前に動き出した…この飛行機エアーアジア


Air Asiaは機内食はなし…有料の食事は事前に予約してないと


食べられない。飲み物はすべて有料になっている。

レストランで食っていたのでよかったなぁ。 ましてビールは


機内では売ってなかった。

これからエアーアジア航空は考えものだなぁ。後ろの座席は


空席がある。三つの座席に横になって眠ることができた。

クアラルンプール空港に着いた。タクシーでセントラル市内に


予約した「チャイナタウン 2」ホテルに着いた。

ゴーストタウンみたいな先々週泊まった 場所を避けた。ここは

チャイナタウンそのもの、商店街、露天商から小さいお店が

ところ狭しとびっしり 並んでいる。


まずまずのホテルの部屋…荷を解いてチャイナタウン のにぎやか

な商店街の中にある食堂よりどりみどり。

まずビール…でてきたのは釜めしみたいな器に入って、ごはんも

底の方に入っていた。

味も満足、同じテーブルに障がい者二人が座った… ビールを

すすめると 飲むと言う。

ビールが運ばれてきた、とたんに口につけて 飲み出した…


まず乾杯してから呑み始めるものだと 自分は思っていたので

あっけにとられる。

話などしないで…呑み終わったらさっさと引き上げていった。


自分としては「ありがとう」のひと言を期待していたのにそれも

なし。

自分としては 「 見返り」の言葉を期待していたのが間違いだっ

たのだ。

おごってくれと言ったわけじゃない、自分からビールをすすめ


ただけのことだ。と相手はとらえていたのだろう。恵んでやって


自己満足する、相変わらずの自分の浅はかさを再認識させられた。

















9月22日 金曜 はれ

インドネシア・バリ島 入国 VIP国賓扱い?

インドネシア、バリ島に向かう日だ。チャイナタウンのホテルの


フロントにきのう、9時に飛行場までピックアップしてもらうように

予約していた。

9時ちょっと過ぎにホテルまでピックアップにきてくれた。


ミニバスかと思っていたら乗用車だった。いつもはホテルを


まわってお客をひろって行くが今日はひとりだけのようだ。


マレーシア航空カウンターにチケットの発行…時間がかかっ

ている。

シンガポールからスリランカに飛んだので、きのう21日


シンガポールからクアラルンプールまでの飛行機をキャンセル


していたので搭乗券の発行がにとまどっているようだ。


わたしの座席に妊婦の人、おばーちゃん 一歳ぐらいの男の子


3人が座っていた。

わたしがきたので席をあけようと妊婦の女性が立ち上がったが


ゆっくり家族で過ごしてほしかったので「いいですよ」空いてる

をさがした。


本当は窓際を予約していたのでそこが欲しかったが、通路側の


座席に座った。クアラルンプール空港20分遅れで飛びたった。

外の景色を見ることは出来ない まま、15:40にバリ島に到着。


入国手続きカスタムに並ぶ、ごちゃごちゃしてどうなってるのか

…すいてる行列を探しに一番前まで歩いた。


イヤイヤどこの行列もカスタムまで四列になって並んでいる。

割り込みなどできないので一番うしろまで100mほどさがって

並んだ。


一列は200人ぐらい100mぐらい四列に…全部で800人以上


並んでいる。これじゃ入国スタンプ押してもらうのに2時間


はかかる事だろう。

わたしの前には香港系女性二人が 横には中国系 家族、うしろには


アイルランド若いカップルとwifiを設定してもらったりしていた。


空港についているが時間がかかりそうだと、スマホにWifiをつないで


宿に連絡したかった。それにしてこの観光客の数の多さに驚いた。

今5時をまわっている 入国手続き終わるまで2時間はかかり7時過ぎに


なりそうだとスマホに入れようとした…とき。


そこへ、カスタムの係官はわたしのところに来て「別のところから」


手続きできる…ような口ぶり?

雑談していた周りの人達に悪いような気がしながら、ひとりだけ


係官について行くと誰も並んでいないカスタムまで来て、そこで


「手続きすませてよい」と…

きつねに包まれたような…あっけなく入国手続きは終わった。


VIP国賓扱いを受けてるような感じだった。



荷物を受け取り最後の最後荷物検査のところに来たところで


「マツオさん」 の声…あららー1時間前に日本から到着していた


佐藤義昭(元大勝モーターオーナー)さんだった。

佐藤さんはまだ カスタムでの手続きは終わっていなかった。


出口で待ってますからと伝えて別れる。


100人近い出迎えの人達は名前を書いたプラカードをもって出迎え


ている。

その中にわたしたちを 迎えに日本からバリ島に移住している同じ


マツオさんのご主人現地の人ガセさんが「 松尾清晴」をかかげて


待っていてくれた。

1時間半並んでた佐藤さんも手続き終えてでて来たのは5時半。


ネットで見ていた「 メリーズハウス」ゲストハウスについたは


7時をまわっていた。

腹へっている、顔だけ洗って 晩飯のテーブルににつかせてもらった。


松尾菜々さん、ご主人ガセさん、娘さんヤヤちゃん、メスルちゃん


お母さんの圭子さん、佐藤さん 松尾…7人


ビンタン(地元のビール)でカンパーイ、お世話になります。


無事にバリ島 に着きました。










9月23日 土曜 はれ

バリ島メリーズハウス最初の朝、周り静かで南国らしい…。


初めから今日は何もしない日と決めていた。

狭い道だがオートバイの行き来してる…周りでは家の新築、


地元の人たちが働いている。あいさつを交わして近くの露天


レストランで食事。














9月24日 日曜 はれ

朝6時にメリーズハウスをタクシーで出発、きょうは


菜々さんのご主人カデさんの実家を訪れる。



かでの実家はフェリーで渡った「ヌサブニダ島」にある。


タクシーは港まで1時間かかった。

桟橋はないので、砂浜から靴を脱ぎ、ズボン、スカートを


まくしあげてフェリーに乗り込むのだ。ヌサブニダには


フェリーで1時間ほどでついた。

自然がそのまま残るヌサブニダ島、フェリーにはブラジル、


ホーランド(オランダ)、香港、インドの人たち、外国人は


半分ぐらい占めているかも…

ヌサブニダ村についてからレンタルスクーターで走る。


海岸べりのレストランで朝めし兼昼めし…さわやかな風


気持ちがいい。

カデさんの実家を訪れた。お父さんお母さん姉さん、カデさん


の友達とわからぬ言葉で話して過ごした。


ビールが聞いて来て眠くなった、横にさせてもらった…


お父さんは枕を持ってきてくれた、ありがたい。

狭い山道を三台のスクーターカデさんの後ろには桂子さん


の二人乗り、佐藤さん、松尾…峠をくりかえして着いた


ところは海水浴場。

陽射しが強くなった。ヤシの水をいただいたりして休憩。


今度は海岸通りを走る。ホテルの建設は続いているようだ。


シャワーは水だけのホテルに泊まる。そう言えばカデさんの


実家は水が干し上がり水汲みが大変な苦労が続いてると話し


ていた。

しかし、来月には新しい水の工事が終わって大丈夫とも


話していた。








9月25日 月曜 はれ


ヌサブニダ島に泊まって朝7時にフェリーに乗ってバリ島に戻る。


帰りは高速艇30分ぐらいで着いた。


佐藤さんと二人で海岸べりにあるお寺「タナロット」見学に


スクーターで走った。ここも外国人の観光客が多い。



9月26日 火曜 はれ


バリ島の観光…民族舞踊の見学。カデさんの運転1時間半


かかった。

ここも海岸べりにスタジオ、2000人以上の見物客、もちろん


ほとんど外国人ばかり。18時から19時まで。



レストランで食事して宿の戻る予定だったが、スーパーで


買い物してメリーズハウスで食べることにした。


9時になっていたが家族は晩ご飯食べずに待っていてくれた。


みんなで食べるとおいしいね、うれしいね。




9月27日 水曜 はれ


きょう佐藤義昭さんが帰国する日。今日も朝からビールを


頂いた。

スクーターで毎日学校、ややちゃん、幼稚園メリアちゃんの


送り迎えも大変のようだなぁー。メリアちゃんは風邪気味で


具合がよくないようだ。

夕方6時に飛行場に佐藤さんは向かう。気をつけて帰国し


てください。松尾はあした28日バンコクに向かう。


夜遅く新しいお客さん二人は宿泊に来られるとか…





9月28日 木曜


9月22日から28日までインドネシア・バリ島


で過ごした。

東京から佐藤義昭(元大勝モーターオーナー)さん


が来てくれた。

自然が残るバリ島からさらにフェリーで行った


ヌサブニダ島ではレンタバイクで走った。


いや朝からビールを呑んで

時間を忘れるほど気楽に過ごすことが出来た。



お世話になったメリーズハウスは移住した松尾桂子さん、


菜々さん家族が経営している。


ちなみに料金は…

部屋wベッド2つ一泊3000円から4000円


わたしたちは二人でしたので2000円でした。


朝食付き。

部屋は広いしお湯を張れる浴槽付き、エアコン付き


飛行場から1時間ほど送り迎えは有料2500円だったかなぁ。


偶然にも同じ松尾性ですが、故ご主人は佐賀伊万里出身、



桂子さんは北海道出身者、話せば長くなるのでこの辺りに


しときましょう。笑い。

あしたは午後バンコクに向かう。




9月29日 金曜 はれ


きのう、28日16時25分バリ島を出発した。バンコク行きは


クアラルンプール空港で乗り換え…乗り換え時間は3時間


ほどある…23:20分発

電子掲示板見るとゲートが変更になっている。そこで待って


た。係官に「ここで大丈夫か」するとまた変更になっていた。



前回もそうだった、頻繁に変更になるようだ。英語放送が


わからないので、注意しなくてはならない。


バンコク空港に着いたのは夜中の1時…入国手続きに1時間かかり


タクシーでホテルに着いたのはちょうど3時になっていた。




9月30日 土曜 くもり はれ


きのうバリ島からクアラルンプール乗り換えでバンコク市内の


ホテル「o-bangkok」に着いたのは今朝3時。


スタッフは顔を覚えてくれていた。このホテルにオートバイを


玄関前の空いてるスペース預かってもらっている。無料である。


8月20日からだから預けてもう一ヶ月もたってしまった。



どうしたのと女性スタッフ驚いた様子。「イヤ、ホスピタルに


行ってきた」から…

あまりにもタダだと悪いのでこの女性スタッフキャップには行く前に


少しのチップを渡している。

これまでの裏側部屋から、一辺200m×4の広大な敷地のお寺


の樹木は張り出して部屋に届きそうだ、その部屋に替えて


もらった。


ベット、シャワー、トイレ、快適である…一泊1850円





10月1日 日曜 くもり


オートバイを買ったヤマハ店あした2日月曜日にアユタヤまで


約80キロ。そのルートについてホテルのスタッフに手伝って


もらった。

本線上にある一番むずかしい交差点…四葉のクローバーのような


ループ線状、どのようになっているのか…

うまくループ線に入れればいいが…何回見てもわからない。


まぁ時間があるのでまちがっても、行ったり来たりすることに


なってもかまわない気持ちで臨むことにした。

泊まっているカオサン周辺はマッサージのお店が軒並みある。


1時間1000円ぐらいと安い、今日は上半身を中心にマッサージ


してもらった。30分500円。



10月2日 月曜 くもり アユタヤはれ バンコク 夕方雨


オートバイで海外で走るのはきょうですべて終わりました。


大きな重荷だったオートバイも売るができた。


あー肩の荷がおりた、ホッとした。

2、3日前から本当に走れるだろうかバンコク市内から


オートバイを買ったアユタヤのヤマハ店まで向かう道のこと


気になって仕方がない。



夕べもうとうとしてゆっくり眠れなじゃった。


たった80キロ足らずの距離なのに、バンコク市内の


入り組んだ道路に車の多い市内を走ること出来るだろうか。


ネットで何べんも見てきた…ネットナビの距離は短いルート出


してくる。この最短距離ルートではかえって複雑して来るので



走れないことはこの間の走りでわかっている

一番の困難なところは大きな交差点で入り組んでるので本線


に入るのにどうゆう仕組みになっているのかがわからないのだ。


日本の高速道路のような構造だが日本の場合下道でループ


線状になっているところは少ない、ほとんど平面で右折、


左折になっているがここではちがう。


本線状には四つ葉のクロー状態になってループ線上から


本線に入る。

走り始めてすぐに驚いた、ええ~っ、一体どこえ向かうのか…


歩いて下見をしたが実際走ってみると、全く違った道路に


に見えて来る。

朝の出勤なのでかなりのスピードで走っている…流れにのって


走る

左に曲がる道路が二つ出て来た…問題のループ線状の場所に来た、


分かれ道の斜線に止めて確認する。ここで一旦止まって、強引に


タクシーに止待ってもらい確認する。教えてくれた、一つ先を


「左に曲がれと」ありがとうございます。



一回間違うととんでもない方向に走ることになる聞いてよかった、


よし本線9号線に乗れた…高速道路と一般道は並行して走っている。


あとは一本道最後の方で左に入ればアユタヤに着くはず。



アユタヤに9時ジャストに着いた。アユタヤに入る時乗用車に


セントラルまで引っ張ってもらい、あとはバイクタクシー


に頼んで「ヤマハ オートバイ」まで引っ張ってもらった。


ホテルを6時10分に出て9時に着くことができた。オートバイ


ヤマハのお店は開いている、スタッフは男女二人。オーナーは


午後2時になるとのこと。


わたしは12時のバスでバンコクに戻りあした3日飛行機で日本に


帰国すると朝一番話していた。


売り値は希望していた半額6万5000円には及ばず5万2000円


まず言葉が通じない、スマホの通訳でやり取り…。オーナーは


スタッフの口座に振り込んで12時40分取り引き終了。


ミニバスでバンコクにもどる。なんとアユタヤからバンコク


まで200円だった。


アユタヤに着く頃あぁこれで海外ツーリングは終わりになるなー。


頭の中では「あの国その道」がいつも付いて回っている…


自分でもよく走ってきたなと思う。楽しいこともいっぱいあった


しかし見知らぬ国を走るのはよういではなかった。

次から次不安や心配ごとばかりだったような気もする。何にも


増して嬉しかったのはどこに行っても見知らぬわたしにほんと


親切にしてもらった。なぜか涙が自然に出てくる。


走れるところは走ってきたのでこの辺で区切りをつけよう。




10月3日 火曜


重荷にになっていた。きのうオートバイを売ることができたので


身も心もすっきり、晴々とした気持ち。


4月から東南アジアの旅を続けてきた。最後の締めくくりは


ブータンに行って見たかった。調べてみると最近また上がって


なんと1日200ドルひとり2万4000円使う必要があるとの


情報だ。

4日間で10万円…飛行機代入れるといやーたいへんな金額になる。


やーめた。

これまでの旅で一つの国で5ヶ月間一番長く滞在したネパール


に行くことにした。2004年5月から・・・家に招かれたりして親しく


した友達もいる。13年もたってしまった、どうしているだろうか。


地震などもあってどうなっているのか心配なこともある。食堂


の人たちもみなさん元気だろうかなぁー。


4日の飛行機を予約した、日本には11日にたって乗り継ぎのため


13日に到着の予定。












オートバイひとり旅・地球走行中・東南アジア編・ベトナム・・

2017年07月18日 | オートバイひとり旅121ヵ国37万キロ
7月14日から17日まで


ハノイに向かって不安の中、ホーチミン市内を出発した・・1800キロ、往復の予定だった。

はじめて出てきた標識


100キロを三時間かかっている・・


緑内障予防のため水中メガネを用意・・砂塵除けには役立った。しかし雨で曇ってしまう。


5時間かかった200キロ走ったところでギブアップ・・ホーチミンに引き返そう


7月14日金曜

レンタルバイクについてホテルレセプション聞いてみた。ホテルで用意出来るらしい…1日1000円と計算してみせた。

あとで考えてみると、ちょっと高いのではないか…他のレンタルバイク屋にあたってみよう。

先日テント屋で防水のスーツケースカバーを作ってもらった親父さんのところに行って相談してみた。

このあたりでは、その値段、高くはないとの話しだった。

ホテルに戻りあした15日出発するのでレンタルバイクを用意してくれるように頼んだ。

フロントのいつもいる男女のスタッフはレンタルバイク今日の夜10時に戻ってくる…とか、あしたにならなければ、

わからないと話す…

どこでどうなてるのか、話しの内容がいったり来たり…堪忍袋が切れた

テーブルをたたいて「ふざけるな 今までいつもレンタルできると」「言ってたじゃないか」日本語でどやしつけた。

すると、どこかに電話して…すぐに用意するから…5分待ってくれ…

どうしてのらりくらり、レセプションのスタッフは応えていたのだろう・・借りるつもりはないと見たのかな。

スクーターでやって来た女性。レンタルバイク屋さんらしい。

レンタル料1日1000円✖️20日間=約2万円、保証料(デボジット)…3万円、合計5万円をATMでおろして支払った。

これまで用意してきた荷造りのゴムひも 、S字型を取り付ける。




7月15日 土曜 くもり 一時雨

7時ホテルを出発、まずガソリン を入れてハノイに向かって走る約1800キロだ。少しづつ走ると いづれは

ハノイに着くだろう…

ホテルから250mの立体交差点…陸橋に上がって 左折だと最初思っていたが、 ネットでよくみると 、陸橋

の手前から側道を走り陸橋の下をくぐるようだ。

走り出すと ネットマップは使えない。道路がわからなくなった場合、時間かかっても海岸線沿いに出て走

ろうと決めていた。

バイクの 流れに乗って走るしかない…最初陸橋の下をくぐり抜けた…ネットで側道が消えていたのは

トンネルになっていた。

走ってみなければやっぱりわからない、気になっていた最初の難関を通過できた…

バイク集団の大きな流れに乗って進むしかない。信号で止まるたびに「ハノイ」「OK」か…「OK」…

間違いないようだ。

自分でも違って道にはいったなーと気づいて、信号で地元の人に、「ハノイ」はと聞くと夫婦乗りの人が

わたしの後ろについて来てと…手招き。Uターンして…本線に入るところまで誘導してくれた。

これまでは順調に走って来た。2回目の給油…100キロを3時間かかっている。

ひっきりなしにトラック バスの砂塵が飛んでくるので水中メガネは役に立って
いる。


ただ、すぐに曇ってしまうので 空気を入れて走っている。バイク専用のレーンは続いているが、逆走して

くるバイク には気をつかう。

逆走するのは当たり前になっているようだ。ひっきりなしに逆走して来る。くもり空…とうとう雨になって来た。

カッパを着ようにも停める場所が見つからない…メガネの水滴で前方が見えにくい…農作業の耕運機、

逆走して来るバイク。

プシュープシュ空気ブレーキをかけ、でっかいクラクションを鳴らして 注意をうながす 大型トラック、ミニバス、

ツアーバスが圧力かけて通り過ぎて行く。

走っていて気が気でない。

よかった…雨は止んだようだと思ったら思ったらまた降り出した。ダメだ、このまま走り続けることは危ない。

200キロを5時間以上かかっている。

ホーチミンからハノイまで1800キロ……往復3600キロ自分では走れるだろうと思って来たが、とてもじゃないが

ハノイまでレンタルスクーターで走り続けることは、今のわたしには無理だ。

ホテルを探して泊まって引き返そう。自分としても情けないが楽の道を選んだ。

5キロ先にホテルはあると地元の人の人 。ありがとうございます。この辺かな、地元の女性スクーターで出かけ

るところだ「ホテル」は…近くらしい。すみませんホテルまで「引っ張ってもらえませんか」

ありがたい、反対側にホテルはあった。ありがとうございました。

小綺麗なホテル 25000…1250円ぐらい。

ホテルについてネットでみると本線を走って来ていると思っていたが、脇道に入った場所になっているどこで

間違ったのだろうか…

ホーチミン⇄ハノイまで大まかには海側、真ん中 、山側に分かれているようだ、自分としては真ん中を走って

いるつもりだったが海側を走って来たようだ。

まぁいいや、ここからあしたホーチミンまで戻ろう。


オートバイ仲間の三人が8月1日ハノイに到着する、四人でツーリングの予定である。

ハノイまで列車か バスがあったらそれで向おう。




7月16日 日曜 くもり

ホテルに泊まった場所をネットでみると、海岸べりまで来てしまっている。

自分じゃ本線上のホテルだとばかり思っていたのに…どこで間違って入り込んだのだろう…

まぁいいや、これから進むのじゃないし、ホーチミンまで戻るだけだだから疲れていたのだろう。

家族連れ5・6人…ふた組が泊まっている。シャワーを浴びる気持ちにもならない…

持ち帰りの弁当にしてもらい、ホテルで食事して、そのままベッドに入って寝る。

ホテル玄玄関に人がくるたびにチャイムが鳴り響く…

朝6時にホーチミンに向かって戻ろう…夕べ激しい雨だったが今は止んでいる。

雨の中を走ると覚悟していたが今の所大丈夫のようだ。大きなロータリーが出て来た…ハハーン、

脇道に入ったのはここで間違っていたのか…

すでに日曜でもオートバイ、車が走り始めてきた。今日は戻るだけ、気は楽だ。

思った以上にスムーズに走れている、とにかくホーチミン目指して走ればよいのだから…。

「ホーチミン」「ホーチミン」と聞きながらホーチミン市内に入った。きのうよりも一時間ぐらい早く

走ってきたようだ。

信号で止まる時若い人をつかまえて「ホーチミン、セントラル」まで引っ張ってくれと…頼んでみた。

笑顔で「うなずく」しばらくうしろについて走る。

ここをまっすぐに行けば「セントラル」…と言って彼はバイバイ…ありがとうございました。

ここから先ホテルのある場所までが大変なのだ。オートバイタクシーに引っ張ってもらおうと、

サトウキビジュース露天販売所止まって待ってみたが、見当たらない。

ジュースを買いに止まった女性にホテルのアドレスも見せると、まっすぐ行って左の方だと教えてくれた。

よし行ってみるか、セントラルのに入ってどこを走っているのやら、見当もつかない。

ホーチミン市内に入って一時間か過ぎている。

確か来たことのある、戦車が最初に突入した、旧大統領府を見つけた、確かにそうだ。歩道に乗り上げて

道を訪ねる。

どこでみていたのかビルの中からビジネスマンが出てきて、スマホで調べてくれて詳しく紙にかいてくれた

…ビルは涼しい…日曜なのだがこのビルは仕事していた。

ごく近いんだ、ありがとうございました。ロータリーまではすぐに着いた。

出口を間違った、あるはずのホテルがない。グルーっと回ってふたたびロータリーに。

突然大雨になる…コンビニの軒下で雨やどり…青年に書いてももらった地図を見せたら、ふたつ目、その道に

入って行けばホテルの場所と…

雨がやんで走って見ると見覚えのある通りだった、すぐに着いた。12時を過ぎている。

アレーとゆう顔のレセプション女性、雨で走れなかったので戻ってきた。

飯食ったあとレンタルバイク2日分支払って、払い戻ししてもらう。

あー雨の中・・もうー走らなくてもいい・・ほっとした気持ちになった。



7月17日 月曜

これからハノイまでの旅…検討して練り直し…。ハノイに向かう途中、中間…海岸沿いあたりダナンと

言う街の近く…

ホイアンの町でろう者だけで営業している。注目の「喫茶店がある」と日本のろう者の仲間二人から

ぜひ寄ってみて来てくれとメールがすでに届いている。

録画も送ってくれた…女性、5・6人が切り盛りして繁盛している録画だった。きょう、ホテルの中に

あるツアー会社に相談して見た。

①バスで行くか ②列車で近くまで行くか…バスだと乗ってる時間が長すぎて腰を痛めそうだ。

列車寝台車62ドルを申し込んだが、二段ベッド4人部屋は満席でダメ、

三段ベッド6人部屋52ドル空いていたが…

わたしはリクライニングシートの座席を4700円…を予約済ませた。


7月18日ホーチミン19:30発ーダナン着12:30…ダナンからバスかタクシーで、

45分ぐらいとツアー会社説明。

ダナンに宿をとってそこからふぉい案まで移動することにしよう。


ホーチミン市内まで引っ張てもらった青年‥ありがとう


市内に入るとでっかい・・人の顔・・なんだろうか。


トウキビジュースのおばさんのところでバイクタクシーを待つ・・来なかった。


市内に入って・・いつの間にか出てきてホテルの場所を探してくれた・・ビジネスマン


オートバイひとり旅・地球走行中・東南アジア・タイ、首長族・白いお寺

2017年06月10日 | オートバイひとり旅121ヵ国37万キロ


6月4日日曜

5月26日日本を出てから一ヶ月ちょっと過ぎた。原因がわかったような気がする。これまで何回か経験した

ことでもある。

自分で言うのもなんだけけれど…自分の顔が自分でもわかるような血色のいい顔になっているのに気づく。

無添加の食べもの、飲みもののせいじゃないのかと…。

特にビールの成分が体に影響を及ぼしてるのではないのかと考えている。

現地の食べ物は、特に好きなものなどはないが…それなりに食ってきた。タダ、真相はわからない、笑い。


次の国へ出発しよう…

なんだろうか、なんかもう一つ溶け込めない感じもしているミャンマー…あとでこたえは出てくるかもしれない。

もうお寺さんのビルマ、ミャンマーこれぐらいでいいだろう。

スクーターはタイとミャンマー国境に預けたままになっている。



ホテルのフロントにタイ国境「タチレク」までの飛行機を頼んだ。あした5月5日 月曜 13時マンダレ発

タチレク行きを予約してもらった93ドル-約9500円

タクシーだと1200円だが…朝9時30分…320円の乗合バスで向かう事にした。

飛行機のチケット、長距離バスのチケットなどはホテルから旅行会社に連絡して 、すぐにホテルに

チケットを届けるシステムになっているようだ。よくはわからないが・・


ミャンマーとタイの国境・・タチレク



6月5日月曜 はれ

ミャンマーよ さようなら、ふたたびタイへ

ミャンマー、マンダレー「ビーナス」ホテルを9時30分ミャンマー空港に乗合バスで出発。

途中お客さんを拾って走る。11時に着いた。首都の空港としては小さな方だろう。

首都はネピドーまたはネーピードであることをネットで分かった・・すみませんでした。

13時05分ミャンマーとタイと国境「タチレク」空港まで約1時間…

今回は途中の空港に降りないで直接向かうとスチューワデス。

マンデラー飛行場


タチレク飛行場

今回も小回りが利くプロペラ機、乗客は全員揃ったののだろう…。定刻前12時45分飛び立った。

きょうはタチレクから約70キロの街、チャンレイまでスクータで向かうので…

一刻も早くとびたち、到着してほしい。

14時に到着…手続き…を終えて、荷物の取りは…待合室で待っているとリヤカーで運んで来た。

こんどは、国境までタクシーで向かう。呼び込みのタクシーに乗ったら乗合だった。

15時に国境に着くと…残ったミャンマー紙幣をタイ紙幣に両替屋ですませる。

国境での出国手続き、タイの入国手続きもスムーズに終わった。

おーよしよし



スクーターを預けている駐車場へ。顔を覚えてくれていたようだ。

駐車料金1日160円…16日分の2400円程支払う。

駐車場兼食堂のおばさん達と記念写真を撮ってお世話になりました。バイバーイ。

さーこれから「チャンレイ」まで、70キロ走る。

グーグルマップで調べていた、一本道でわかりやすい街だ。60キロ過ぎて右に入る交差点がわからない。

いつもの手を使うしかない。

信号で止まったスクーターのお兄さんにチャンレイの街の中心「ヲッチタワー」時計台まで引っ張ってくれと

頼んだ。

たまたまチェンライまで行くと話したお兄ちゃんこころよく、OKしてくれた。

ところが、中心部に近ずいた時、そこを右に向かって「2キロ走れ」ときた。

「ありがとございました」クラクションを鳴らして別れる。

すぐにわからなくなって来た、こんどは女性二人乗りのスクーターに、「ヲッチタワー」まで引っ張ってもらった。

Uターンして別の方向に走っていった。ありがとうございました。

ホテルは時計塔のすぐ近くだ…ところが街の人、商店の人に聴いても要領をえない、おかしいな…

電話してもらっても電話に出ない…商店主によく見てもらった。

時計塔の交差点の通りを間違っていた。そこらに着いてオートバイやの奥さんに聞いたら、二軒先にホテルは

あった。



チャンレーイ市内中心と思われる時計台・・泊っているホテル時計台から100m・・1700円

なんだかお化け屋敷みたいな入り口だなぁ…へーこれで部屋満室?「today fool」の看板が出ている。

えーいっぱいで泊まれないのか、中に入ってみると薄暗い部屋中にテーブルを囲んで4人ほどのお客さん。

予約している「ジャパン、マツオ」です。中年の女性は名簿を見てる。

あったあった…これ「JAPAN matsuo」

予約一泊でよかったなぁ…こんな薄暗いんじゃ…明日別のホテルを探そう…



でっかい重いバックを3階までおばさんとあげる。薄暗い部屋とは違って、パッと明るく広い1700円

これなら連泊してもいい…直ぐに気持ちが変わる。800円の一階はドミトリーで男女出入りしている。

安いから人気があるのだろうか。

まわりはレストラン、飲み屋さんが続いている晩めしはもちかえりで注文ビールはホテルにあった。







6月6日火曜 はれ
どこにもいかず、夕方お寺に行こうとしたが5時で終わっているとホテルスタッフ。

今日は日記の下書きをして終わり


白いお寺、ホワイトテンプルとゆうらしい













6月7日水曜 くもり 昼 雷大雨 1時間半 でやんだ くもり

他の国では見たことのない、白か銀で仕上げたお寺か神社の写真を見てなんとも気になっていた。

お昼にトクトクタクシーで約30分。到着したらぽつぽつの雨からカミナリが鳴り、はげしい雨になる。

白銀色…なんとも不思議な色あい、雨の中でも際立つ、青空よりもかえって曇りの方が似合うお寺かも

しれないと、自分勝手に想像する。

おみやげ屋さんで1時間ほど観光客の人たちと雨やどり。

その間、チェンジマネー(両替屋)の女性に正式名称を聴いたら「ホワイト テンプル White temple」と

紙に書いて教えてくれた。

ネット翻訳で「白い 寺院」と出てきた。白い創りのお寺さんのなのだ。わたしには白ではなく銀色にみえるなぁ。

小雨になったので、本殿に入った。仏さんが描かれている。本殿ははだしで入る。

金色の仏像を見てきたので、一段と神秘的な白銀の世界が迫ってくるものを感じる。

雨がやんで観光客がどどーと繰り出してきた。気になっていたものを見れたので気持ちが静まった。




6月8日金曜 くもり はれ

旅行バッグがほころび始めてる。破れないうちに自分で縫ってみるか…針道具を出した。これじゃちょっと無理だ。

近くの修理屋さんに頼んだほうが無難だな。ホテルのオーナーに教えてもらった場所…

閉まっている。シャッタ前にいた地元に人にたずねると「亡くなった」と話す。目の前に広がる市場の中に

もあると言う。



食べもの、下着、洋服、鮮魚、肉屋、日用品広大な市場の中にある修理屋さん探すのは容易じゃなないないだろう…

入って二軒目の下着売り場のおばさんに「このバックを修理したいんです」目の前を指さす…中年男の人がいた。

無理して押し込んできたので大きく破けそうになっているチャックの箇所と本体がむき出しになっている。

この二箇所。

靴修理屋さんの手さばきはほころびを縫い付けて…「本体」部分には自転車のパンクに使う接着剤を塗りつけて、

乾くのを待ってから貼り付けておしまい。

きれいに仕上がった。持ち場持ち場でこなしてさすがプロだと感心した。その間15分ぐらい、750円。

あっとゆうまにに終わった。ありがとうございました。


ついでに市場の中を見て回り、モンゴ、名前知らないくだもの、汗ふき、小型タオル二枚。

最後に「硬くないよ」と肉やのおばさんさんを信用して300g以上のかたまりを買った…500円。

ホテルのキッチンを使わせてもらいさっそく焼いて食ったみた。うそじゃなかった

やわらかくてうまかった…久しぶりのステーキ中身は生…いっきに腹におさまった。


首長族の村の暮らしを訪問

















首長族村の暮らしを訪ねた・・

6月9日土曜 はれ

二、三日前わたしが泊まっている近くに「首長族」を訪問したことがあると、バリ島に移住している。

同じ松尾圭子さんからメールを受け取った。

いやー行って見たいなぁ…今度はオートバイ仲間横田サナエさんも、一緒に写っている首長族の写真

付きで送ってくれた。

この写真があると言葉はいらない、「見せるだけ」ホテルのオーナーに見せると、なんと25キロの所に

あると話す。タクシー代…往復300バーツ…1000円ぐらいだと…。

おおラッキー、タクシーを呼んでもらった。今12時だ…本線からわき道に入り狭い道路を走って30分ぐらいで

ついた。



おい茂った森の中ひとり入場料300バーツ…約1000円で首長族の村に入ってゆく…果たしてどうなっているの

だろうか緊張するなぁ…

立て札が立っている…この立て札立ち入り禁止かも…女性もいるようだ…おそるおそる「はーい、こんにちわ」

入ってもよかですか」合掌ポーズであいさつ…

この入り口を起点い右まわり、左回りも出来ると言ってるように聞こえる…

全員、首には金色の…ワッカをつけている。この人たちは首長族と言われてる人たちなんだ…

一軒一軒家に中には織物機械で手作りのマフラー見たいもの織り込んでいる。

佐賀、嬉野弁が通じたのだろう…なごんできたとろでいっしょに写真ば撮らせてくんしゃい。



入れ替わり立ち替わり写真におさまった。アイパッドの写真、簡単にこなす。

親父さんらしい人が出てきた、鼻をもぎって捨てる格好と、足でけっとばす仕草を見せたら、4人とも大笑い…

おれいに、分けてくださいと200バーツ…600円を渡した。

同じようなわらぶきに似た屋根、歩いているうちに小さな子供をけっこう見ることができた。

わたしは73才…指であらわす。あなたはいくつ…34才と指でおしえてくれた。

子どもさん4人いると話しんしゃった…

さらに歩いていくと、1才、2才のおとこ、女のこどもがいた。


この女の子たち5才になったら金の首輪をつけると話しば、してくんしゃった。

5才になったばかりの首ををつけている女の子もいた。お母さんお話では肩がこるとも話していた。

実際おばあさんが見本を見せてくれた…いやー重い、重い、大人の首輪2・3キロあるような重さを感じたなぁ。

こんなに重かったら肩がこるのもありえるなぁ。そう言えばお風呂に入る時も首輪は外せないと

話してくれた。

慣れれば問題ないのかなー。

「いくつなの」「15才」パーと片手で…15才…近くには同じ15才の女性もいた。5才からつけていると話す。

なんともかわいい娘さんたち。



村の半分を過ぎた頃…ここでは首輪はつけていない人がほとんどだった。どうなっているのだろう…

首輪のこと正式な名前は…佐賀、嬉野弁では聞くことはできなかったが

「カーデン ロング ネック KARDEN LONG NECK」と ホテルのオーナーが

教えてくれた。



また、なぜに女性だけ首輪をつけてるのだろうかも聞くことはできんやった。


どうもお邪魔しました、ありがとうございました。





ゆで卵じゃなくて、焼き卵いらんかねー・・二個買った60円



ガソリンタンク5リッター・・ちょっと走るのには心配だったので予備タンクの5リッターを買った。これで少しは
安心して走れそう。




オートバイひとり旅・地球走行中・東南アジア・ビルマの日本人墓地

2017年06月04日 | オートバイひとり旅121ヵ国37万キロ
5月30日から6月3日まで


バガンから首都マンダレーにバスで向かう途中



5月30日火曜 くもり、雨一日雨

きのうバガン遺跡に行っててよかった。

昼頃には大雨でホテル前は水びたし、歩けないほどだった。


5月31日水曜

朝9時発ミャンマー、首都マンダレにバスで向かう。

ホテルを8時に出発、バスターミナルまでホテルを回ってお客さんを拾って行く。

バスは満員…全員揃ったらしく、時間前8時40に出発。バスチケットはホテルで確認して発行してるようだ。

ヤンゴンからここ、バガンに来るときもホテルでチケットをわたされた。

途中食事休憩してミャンマー首都マンダレに13時に着いた。

スイス人女性5人と同じ「ビーナス ホテル」だったからなのかホテル前で降ろしてくれた。

タクシー代がもうかった。

近代的な街だなー。しばらく滞在してみよう。

マンゴを切って干していた





パンツのポケットを縫い付けてもらった・・お互いにわからない、地元の人たちとの話ができることは楽しい。160円。



木の橋がかkる・・名所らしい




6月1日木曜 はれ 33℃
午後までも観光名所らしい川に木の橋場所に予約していたタクシーでむかう。30分ぐらいで着いた。

大きな川にかかった手造りの木造の橋橋を歩いて渡る。向こう岸まで30分かかった。2キロはあるだろうか…。

途中にはおみやげ屋も橋の上、橋下三角州には大きな休憩所も二箇所こしらえている。

これらは主として夕日を見るために造られたもののようだ。橋の上は風が吹き抜けて気持ちがいい。

夕日を期待して6時過ぎまで橋で待っていたが、太陽は雲に隠れてしまい写真のような夕日に出会う

ことができなかった。ホテルに戻ったのは7時を過ぎていた。タクシー代3時間 2000円。



信号のない大きな交差点でもお互いに突っ込んで・・すれ違っていた・・わたしにはできない







6月2日金曜 はれ 33℃
きのうタクシーに乗って感じたこと、首都マンダレ市内大きな交差点でも信号の無いところが多くある。

交差点に突っ込んでいって、どこで止まるのか地元の人は「あうんの呼吸」すれ違って通り過ぎて行く。

日本とはちょっと違う…ちょっと真似出来ないせっかちな「あうんの呼吸」の「あ」の呼吸で、わたし

など運転できないなと思う。

午後市内の中心、バイクタクシーでマンダレ宮殿…の見学に行く。



ビルマの竪琴・・日本人墓地見晴らしのいい高台にあった










6月3日土曜 はれ

「カワシマ いっしょに かえろう 」

隊の帰還が決まり大喜びの隊員たち…隊からはなれて、亡くなった隊員のあと始末のためひとり

ビルマに残る。

(映画「ビルマ語の竪琴(たてごと)」のシーン)

きのう、2日市内の中心エンパイア宮殿にいった。帰りも、バイクタクシーに乗って、途中止まって

もらい写真を撮る。


ところが、バイクタクシーは知り合いと選手交代する。

交代したバイクタクシーは英語でマンダレ市内名所めぐりのこと、しゃべり続ける。

ところで、日本語で「サガイン」にある、ジャパニーズ「お墓」知ってるかい…

「知ってる」と応える。2度も聞いて「知ってる」と言う。


ホテルにはミャンマー語、英語の達者なスタッフがいるので、ホテルについてからいっしょに聞いて

もらった。

その前にホテルのスタッフに丘の上に立つ十字架の絵を描いて見せた。ジャパニーズ…日本人墓地を

現したつもりだったが、ホテルのスタッフに聞いても知らないと言う…

バイクタクシーは「サガインにある日本人のお墓」知ってると…言う…自信がありそうだ。


実は東京佐賀県人会、会長「葉隠フォーラム」主宰・嘉村弁護士からサガインには、日本人墓地が

あると先日メールで教えてもらったばかりだった。

おそらく日本人墓地はわからないだろうと・・なかばあきらめていた。

「日本人墓地を知ってる」オートバイドライバーと交代したことになったのは、とても不思議なことだ。


オートバイタクシーの車でどうなるのかわからないが朝9時にサガインの日本人墓地に向かった。

40分たらずで丘の上にある仏塔のある日本人墓地についた。


あぁー。ここが日本人墓地なのか。本当だった…。

立派な墓地は360度見わたせる見晴らしのいい場所に建てられている。墓地の他にも戦友の人たちや遺族の

人たちの建てた慰霊塔も数ヶ所建てられていた。

合掌。



あした6月5日月曜、スクーターを預けっぱなしにしているタイの国境「タチレク」に飛行機で戻る。
















オートバイひとり旅・地球走行中・東南アジア・ミャンマーヤンゴン~仏塔遺跡バガン

2017年05月30日 | オートバイひとり旅121ヵ国37万キロ
5月22日~5月29日

ミャンマー、ヤンゴンからバガンの仏塔遺跡のまちへ









5月22日 月曜 はれむし暑い

ネットも部屋まで届かないし、水も出ない…悪いけどあしたの泊まりはキャンセル
して他のホテルに移りますと。

きのうスタッフに話していたのでお金はすんなり返してもらった。

歩いて5分ぐらいのところにある「来来ライライホテルに移動した。24$=2700円。

部屋に荷物を運んでもらって、きのう泊まったホテルにくらべると明るく、

水も出る、広いし、清潔感がある。もちろん冷房、シャワー、トイレ付きである。

なによりも、ネット人間になってしまったわたしには、ネットが使えることが
嬉しい。


これでヤンゴンでの基地が出来た。


ホテル前にはポリス、マーケット、両替屋、ATMと並んでいる。

3時ごろから、観光の目玉と思われるでっかい仏塔にタクシーで向かう…


ジェデゴン パゴダ shwedagon pagodaって言うらしい。


金色に輝く入り口からエスカレーター三つ乗り継ぎ本殿に出る。


半ズボンではダメみたいでスカートを1000円で買わされる。太陽に照ら

された金色の大仏塔は光り輝いている。



アチチ アチチ太陽で焼けたタイルが熱い、熱い…地元の人たちは各仏塔

の前で祈りを捧げていた。

地元の人たちのほか、外国人も多く訪れている。2時間ほど見てまわり

ホテルに戻る。











5月23日 火曜 はれ ヤンゴン 33℃

午後からパソコンのブログの更新を始める。アイパットから日記を送るのだが、

なかなか送信できない。

ネット環境が良くない。しかたない、手入力で写し替えを始める。よし出来上

がった。5日分3時間以上かかった。あとは画像を取り込むだけだ…

と思った瞬間画面が消えて、元の木阿弥…ああぁ、ちくしょう、どうやっても

復帰できなかった。がっくり。もうやる気なし。今日はおしまい。




5月24日水曜 朝から雨 夕方にはやんだ


部屋にこもってきのうの続きブログの更新…ネットをつないでアイパッドから

パソコンにどうにか送信できた。ようやくブログの更新ができた。一日中部屋で過ごす。




5月25日木曜 はれ


地図で見るとヤンゴンの近くはインド洋…海に近い…海に流れ込む大きな川を

タクシーで見に行った。

30分もかからないで港についた。大型運搬船が停泊している。コンテナが積み

上げられている、地元の人たちの小型渡し船が頻繁に行き交う。

ここからもミャンマー各地へと物資は運ばれていくのだろうか。

ヤンゴンは今日で終わり、あした夜行バスでバカンまで移動する。



5月26日金曜 はれ

10時チェックアウトを12時まで延ばしてもらう。

きょうバカンとゆう街まで夜行バスで移動する。

21時バススタートなのでホテルは6時に出る。



ホテルのスタッフ、バスチケット予約してくれた

約600キロ・10時間日本だと東京~大阪の距離……バス代1600円(190000ks)と

安くて驚く。


バスステーションまでタクシー代800円2時間かかるらしい、こっちはバスに

比べると高い。

ホテルのスタッフレセプションには昼間、女性4人いつもいる。5時以降は男の

スタッフに代わり男2人に。

その中の中年の男性日本語ひらがながビッシリノートに書きうつしてある。

いま、覚えているようだ。

その男性、終戦後ルバング島から確か30数年ぶりに帰国された(1974年)

小野田寛郎さんの写真をスマホで見せてくれた。

どうして持っているのかは聴かなかったが彼にとっても印象深い写真だったの

でしょう。

終戦後もジャングル生活続けていた小野田寛郎さん…

当時のバックパッカー鈴木紀夫さんがジャングルにテントを張って過ごして

いるうちに「おいーっ」と言って出て来た小野田さんを見つけ出した。



帰国後はブラジルと日本を行ったり来たり…その後の小野田寛郎については、

みなさんもご存知でしょう。



その後の鈴木紀夫さんはヒマラヤに雪男を探しに行って雪崩れで亡くなられた

こともご存知でしょう。鈴木さんには子供さん一人おられたと思う。

何日も平気でジャングルにテントを張って…わたしには恐ろしくて当時考えも

つかないことにいまも驚く。



働きもせずに「この人は何してるんだろう」「おかしな青年だなぁ」「異常な

人じゃないか」かとさえ当時は思っていた。

自分には到底できない、想像さえできない、出来事ことだった。

いま、考えてみるとバックパッカーの始まりだったのだろうとか思う。



ついでに、小野田寛郎さんラジオ・ニッポン放送のスタジオでお会いした。

写真も一緒に撮らせてもらったことがある。

何回かラジオ出演させてもらった縁でニッポン放送のカモさんから「きょう、

小野田さんが出演しますよ」電話をいただいたのでスタジオまで行ってきた。

90歳近い小野田さんはかくしゃくとして若々しかった。

小野田寛郎さんは2014年1月、91歳で亡くならられたことをニュースで知る。



同じ1960年代の頃。加曽利隆さんは、オートバイでなんと、砂漠のアフリカ
を走っている。

これまたわたしなど考えも及ばない、たまげたことだった。恐ろしいことを

やってのける人だと今でも思う。

オートバイ乗りナンバーワンで、今も加曽利さんはバリバリの現役である。

いま、69歳ぐらいかなー。

ミャンマー、ヤンゴンのホテルスタッフの話から…どこでどうなったのか…

とんでもない話になってしまった・・。独り言でした。




5月27日土曜

夕べ、バスターミナル定刻9時にバカン行き夜行バス出発。ガラガラだろう

と思って乗り込んだら、大型バスきょうは満席です…と。

わたしの隣にはホーランド(オランダ)の男性…ほとんどが外国人みたいだ、

わたしも外国人、笑い。



途中から雨になったりする。エアコンが強すぎて寒い。頭の上についている

調整さえしなかったが。何とか冷房を止めた。


リクライニング、足乗せなど初めてのバスに乗ったにで操作がわからなかった。

トイレも付いている。



雨はところによって、降ったりやんだりのようだ。



朝6時に600キロ。バカン、バスターミナルに9時間かかって到着した。

ここからホテルまで10キロぐらいと、馬車の運転手さん?違う、飼い主、

持ち主さん…

タクシーよりこっちの馬車の方がよっぽどいい…パッカパカ、パッカパカ、

上下にゆられて…つかまってないと危ない・・。



家も昔のまんま。緑の中を進む、馬車代800円

イメージとはかけ離れたバガン…ホテルに着いた。まとまって建物がある街だと

思ってきたがまったく違う。


ホテル前の道は泥んこ道、ポツンポツンと家があるだけ…昔のまんま。街・町・

より村と言った方がいい。


ホテルそのものは近代的なビルだ。朝7時ごろ着いたがホテル部屋に入ることができた。

しっかりした部屋で、エアコン、トイレ、シャワー付き。もちろんWIFIもバッチリ。


1680円、とりあえず二泊予約した、あと何泊か延長する。

夜行バスで眠れなかったので、シャワー浴びてホテル前に一軒だけあるレストラン

…違う、食堂のほうがぴったり似合う。(失礼)


鍋が5・6個並んでいる中をのぞいて、これ、とこれ…少しづつ、もちろんビールも注文。


メニュウ見てもまったくわからないから、鍋の中を見た方がわかりやすい。

ビール2本、で560円ぐらい。

あなたには「みせない」「あげない」と左手の方にさーっと隠すしぐさをみせると

店の人たちが大笑いした。


この「しぐさ」の動作はどこの国でも同じようにするのかなぁ…笑ってくれる。

夕方も同じのを注文した。


隠す動作を昼間見ていたおばさんたちが、わたしの顔見て、同じ動作したら

またまた大笑い。

言葉は通じないけど…「笑われる、笑わせる」ことは、人間同士だもん…

うちとけるには、もっとも大切なことでありましょう。

松尾のバカモンがバガンに来た…笑い。




5月28日日曜 くもり

夕方ホテルでもらった地図を頼りに近くの大きなお寺さんまで歩いてみた。

のっそりのっそり歩いてる。

20分ぐらいと聞いたが着かない。5時で終わったのだろう仕事帰り娘さんたち

5・6人に地図を見せたがどうもはっきりしない。



おおー仏塔が見えてきた…見えてる方向に歩いて村の人に当然こっちと思って

歩いてきたので確認してみると…

違う…あっちの方から回れとゆう。いったいどっちなんだろうと戸惑ってしまう。

「1000タウゼン」と言いながら馬車がやってきた。80円だから乗る事にした。



夕暮れ時のお寺さんについた。何人かは散策してる帰り際に「ワン ドウラー」

と話しかけてくる、おみやげ屋のおばさん。

100円ぐいだったらいいなーと、寄ってみた。荷物にならないポケットに入る

小さい仏陀像と象全部で三つ800円。さすが、商売がうまいおばさんだった。


長い竹竿でマンゴを落としている食堂の女性2人…一個もらって、この食堂は

予約が入ってダメとか…

隣の食堂でマンゴをむいてもらってつまみにする。前にも書いたが塩つけて

食べると酒のつまみにもってこい・・。晩飯くってホテルに戻る。



レンタルバイクを借りた

5月29日月曜 くもり 午後 雨

夕べ雨が降ったようだ、ホテル前は泥んこ状態になっている。

雨はやんでいるのでレンタルバイクを借りる。バガン遺跡に向かって走る。

電気スクータ…は初めて乗る。スイッチをいれてアクセル絞るだけで

スーッと動く音はしない、ちょっと怖い。




ネットで地図を見ると大きな道は二本だけ…怖いから30キロ以下で走った。

遺跡が出てきた…大きなものから小さいものまで次から次へと仏塔が現れる。


わたしは高いところから一面に広がる仏塔を見て見たいと思ってきた。

地元のスクータのお兄さんが声かけてきた… いいとこがあると言う。

そこは高い所か…そうだ。ノーマネーか、ノーマネーとも言う・・日本語だ。



ついて走った。その仏塔についた。懐中電灯をもって、上がっていく。

狭くて暗い階段、彼は電灯で照らしてくれているので助かる。

屋上?に出た。さらに外レンガに足をかけて上がる。


もう、これ以上は怖くてだめだー。











見渡すかぎりの仏塔林立。案内書には3000体が拡がっていると書いてあった。


バガンの仏塔・仏塔のバガン・・おどろいたなー。


森の中から竹の子がニョキニョキと生えているようにも見えるなぁー。

どこまでも、どこまでも拡がっているのがわかる。



オーストラリアで見た100キロぐらい続いたアリ塚のイメージと同じようにも、

わたしには感じられる。

もっともオーストラリアのアリ塚は1メートルちょっとぐらいだけどね…大きい

のは3メートルぐらいもあったけど・・。一大アリ塚団地だなーと思って走っていた。



バガンはなにもない所だと最初思ってきた。これだけの規模の遺跡群…には

驚いたなぁ。


アドバルーンの写真が載っている理由が、初めて納得できた

上空から見るのが一番だとゆう事なんだぁなー。


案内してくれたお兄ちゃん…ちょっと見てくれと…自分の描いたの見せる。

いいところを親切に案内してもらった。15ドルなどと言ってたが相手にせず、

案内料として5ドルでバガン仏塔の絵画、自分が気に入ったのを買った。

これまで小雨降ったりやんだりしていた、また雨が降ってきた

もう今日は帰ろう。

12時前にホテルに戻った。レンタルバイク代半日320円。












オートバイひとり旅・地球走行中・東南アジア・ミャンマー ヤンゴン

2017年05月24日 | オートバイひとり旅121ヵ国37万キロ
アイパッドからパソコンにコピー届かず3時間かけ16日から20日まで書き写したのに画像を

入れるところで画面が消えてしまった。ちきしょう・・もう・・がっくり。

一日遅れでアイパッドからパソコンにコピーが到着した・・更新します。



5月16日火曜 朝から雨だ 午後一時晴
チェンマイの道路はほとんどと言ってもいいぐらい一方通行がばかりだ。

間違ってもすぐにUターン出来ない。元に戻るのには一回りになる。

一回りしているうちにまったく、わからなくなって、どこをどう走っているかさえ、わからない。

きのう、ホテルから2・300m、すぐ近くの市場で、トマト、マンゴを買った。戻ろうと走り出した、まったくどこへゆくのだ。

大体のところで、左に、右にまがってみた、まったく見当がつかない。ホテルの名刺持って来てない。

言葉は通じないので周りに聞きようがない。自分の帰りたいホテルの場所がわからないのだ。俺の帰るところは、おーいどこだー。

最悪のときは前回泊まったホテルのそばに、高層ビルがあった。いったんそこを目指すことにしようなどと考えて

走っていたら、いつの間にかおお~ここは旧市街に入って来たようだ。よかったーよかった。

一周歩いたこともある旧市街。何回か下見運転もしているにで外堀を走り続ければホテルにつく。不安は消えた…よしよし。


5月17日水曜 朝から雨

きのうきょう、雨模様が続いてる。ミャンマーへの出発はやっぱり暑くても晴れた日にしよう。カッパ着ての出発はいやだ。














ミャンマー国境二回目の挑戦・・ダメ入国できず・・残念無念

5月18日木曜 くもり
夕べまで降っていた雨はやんでいるようだ。今5時半…ちょっと様子を見よう、洗面を終わらせてからネットをちょこっと見た。

天気は、よし大丈夫のようだ。出発することに決めた。

ホテルのスタッフ、赤ちゃんの子守をしているご両親にもあいさつして、バイバーイ。

まず、107号線に乗ることができた。あとはこの一本道を北上するだけ…うまくいくかどうか。

曲がりくねった道が続きだんだん寂しくなってきた107号…ほうとうに大丈夫かいな。

食堂のあるところで、いったん停車。まず、ガススタンドを聞く
次にミャンマー国境を聴く。

雰囲気として、ちょっと違うような、口ぶりだなぁ。二度も三度も聞き直す、聞かれるほうは迷惑千万だろう・・
何せ自分ためだもん。

最後は、ガソリン入れたら、同じ107号にもどって途中から左に入れ…よし、よし。

わたしのイメージルートに近づいてきた。少なめのどんぶり飯、を注文昼飯兼用。

分かれ道に来た、スクータを停めてた。トラックの運転手さんに聞いて見よう。地図を見せてくれた、そうここです国境…

よし…大丈夫のようだ

車の数が減って来たなー。大丈夫かいなこの道、一段と寂しくなって来た。

国境の町についたようだ。路上でのスイカ売りのおやじさん、山椒の実、売りのおばさん、プラム売りのおばさん、まわりは商店街…

「国境、パスポート スタンプ」はどっち…

おやじさんも、おばさんも「スタンプ」「ノーノー」とけげんな顔。

最後は2キロで「ミャンマー、国境だ」まっすぐいけ…ありがとう

クルマも人もいない、今までの国境とは違う、ちょっと荒れた道になってきた。しばらく走ると…出てきた。

「とうせん棒」が横たわっている。ハハーン、ここが国境なのか「pas no」と書いた小さな看板。

国境には彼とわたしの二人だけ…お互いに何を話してもわからない…係官は笑って、わたしも笑うだけ…

彼は「no no」だけ…。

この国境は地元の人たち専用なのだろうか…中央アジアでキルギスからウズベキスタンに入るときにも

このような国境があったが入国できなかったこともある。

残念だが仕方ない、写真を撮ってと「お願いした」…ありがとうございました。彼の写真はダメだと、断わられた。

いま12時を少し過ぎている。今回もミャンマー越えならず。

本線まで戻って、最後の国境「タチレク」の方へ進むしかないなぁ…

町まで戻ってスイカ売りのオヤジさん、山椒の実売りのおばさんに「ダメだったろう」…「そうだろうの顔」

1168号から107号本線まで戻った…いま2時半。行けるところまで走って泊まろう。

本線にはガススタンド、ひんぱんに、あるだろうと走り出したが、なかなか出てこない。

くねくねした山道ばかり、気が気でない、ワンリッターのペットポトル持ち歩いているにで、いくらか気休めの気持ちはある。

ガソリンタンクのメーター表示は赤印まで来ている。ようやくガススタンドが出て来た。よかったぁ。

3時半になっている、スタンドで「ホテルを聞くと」2キロ先にあると教えてくれた。

タイ語で「ホテル」の文字がわからない。どうしよう…象の置物のあるところに来た。

露店の果物のおばさんのところまで、歩いて「ここにあるのがホテルですかね」「そうだ、そうだ」

王様の写真を飾ってある、見るからに高級ホテル…高いだろうなと覚悟した。

レセプション…700バーツ2200円らしい。思っていたより安くてよかった。ちょうど4時になった。

7時頃まで明るい今の時期だけれど、わたしにとっては丁度いい時間帯。いつも明るい内には泊まるようにしている…

下着靴下を洗濯して、シャワーを浴びているとすぐに時間はたってしまう。


ここはロッジ風のしっかりした建物に分かれている、10棟程、大勢で使えるロッジ風もあるようだ。

入り口両サイドに象の置物がある、ところは、ホテルだと思えばいいかも…ちと高いけど…「エレファン パーク」

晩めしはホテルの入り口にあった屋台食堂…持ち帰りにしてもらったビール二本、おかず、ごはん全部で500円ぐらい。

あしたミャンマーの国境まで150キロ、どうなるのかねー。






三回目にしてようやくミャンマーに・・国境・・

緩衝地帯を歩いてミャンマー側へ


ようやくミャンマーに入りました。しかしオートバイは国境預かりに。

5月19日金曜 はれ
夜中に雨の音がしていた…「ココココ…プッチプッチ」はっきりと甲高い声で夜から朝にかけて鳴く。眼が覚める。

鳥なのか、どうかはわからない。チェンマイに来てから、四度ホテルを替えたのだけれどづーっと聴こえている。

200キロ以上離れている、夕べもホテルでも聞こえた。地元に親しまれているものだろうか。

きょうはミャンマー国境メーサイ「タチレク」まで約150キロ走るのだ。ゆうべは冷房切っても朝方ひんやりした。

エレファントホテルを7時に出発…まぁ、午前中に着けばいい。



気持ちは落ちついているが、走り出すとこの道は本当に目的に向かっている道なのか、どうか、不安で気になって仕方がない。

信号で止まるたびにスクータの人やお店の人に「ミャンマー、ミャンマー」「OKか」と聞きながら走る。

学校と思われるところでは、送り迎えの、車、トクトクタクシーで渋滞してる。

山に入った道に…突然「仏塔」四体は太陽に照らされている。もちろん写真におさめる。

普通の旅では見ることはできない、オートバイの旅のよさが、こんな所にあるのかもしれない。自分をなぐさめる。

くねくねした山道をすぎ町に入って、ミャンマー国境への道がわからない。あっち、こっちと地元の人達も、イマイチ。

首都バンコクからの直通のハイウェイと合流したようだ。



国境で手続きに手間どりそうなので残り30キロ切ったところで、昼めし休憩。

国境についたようだ…車、人、人ごった返している。そのままスクータで乗り込んで行った。

「裏に回れ」…係官がついて来てくれた、スクータでの入国が出来ない。

スクータはタイ側の駐車場に預けて本人のみの入国になった。駐車場での料金スクータ一日50バーツ160円

アユタヤ、ヤマハで作ってもらったにゅうこくOKの書類を提出したが、今はダメだと係官。

ミャンマー陸路移動はバスもない…ここからミャンマー移動は飛行機だけと。



それにしてもトラックの行列がないなぁ・・どこの国境も2キロ3キロつながって留まっているのに・・

別の場所から入るようになっているのだろうかぁなぁ。


ミャンマーに入国した時は1時になっていた。まぁ、致し方ないトクトクタクシーでホテル探し。

三軒目のホテルネット通信が部屋でできる400バーツ1300円に泊まることにした。タイのホテルと変わらない料金のようだ。

ここに泊まってしばらく様子を見て見よう。

ようやくたどり着いたミャンマーは123カ国目。








スクータ同様小回りの効くプロペラ機でヤンゴンへ
5月20日土曜 はれ
ここタチレクにいてもしかたがないなぁー、朝思いたった。言葉が通じないので飛行機の絵を描いてフロントにいった。

「飛行機でヤンゴンまで行きたい」感のいい若いスタッフは電話を航空券について航空会社入れてくれた、すごい。

途中電話を変わって「ジャパン、マツオ」だけ……荷物をまとめてフロントに降りて来た。

さっきの電話は航空会社じゃなかった、旅行会社の人がフロントに手続きに来ていた。

タチレク~ヤンゴンまで4450バーツ…約1万5000円ぐらい。14時出発なのでホテルをタクシーで11時に出る。

タクシーでタチレク飛行場に11時半につく。地方の飛行場だからうす暗いのは仕方ないことだろう駅の待合室の感じ。

重量計は日本でも使っていた時計の針が動くような計量計次々と乗客が集まってくる。

改札じゃない…搭乗手続きがおわり、待合室へ。ヤンゴン行きはと聞いても…どうも違う行く先ばかりだ。

たまたまパイロットが歩いて来た「ヤンゴン行き」…聞いて初めてわかった。

直接ヤンゴン行きの飛行機はない。途中二ヶ所降りてヤンゴンに向かうことがわかった。

そうだったのか、①Rashio. ②マンダレに寄ったあとヤンゴンへ

ちょっと遅れて14時30分プロペラ機に乗り込んだ。66人乗りとスチューワデスさん。

このプロペラ機スクータと同じぐらいい小回りがきく…

途中降り立った飛行場、滑走路の近くに止めて、入れ替える。降りる人、乗る人はバスで運ぶのだ。

一本の滑走路をUターンして飛び上がる…スタートする時、「さー飛びますよ…」と一時止まることなどしない。

Uターンした勢いでそのまま一気に飛び立ち次に向かう…2回とも到着して出発まで約20分ぐらいで済ませてた。

気持ちがいい…乗り継ぎはこのぐらいの機敏さはいいなぁ。

ヤンゴン上空でぐるぐる回って20分ぐらい到着待ち…30分遅れで19時ごろ到着した。

ヤンゴン空港は近代的になっている。インフォメーションで、セドナの街セントラルまで距離、タクシー料金を聞く。

ミャンマーのお金をATMで下ろして、インフォメーションが呼んでくれたタクシーでセドナに向かう。

着いた日本人の宿?「スーパーホテル」なんと12000円…うわー、高すぎる、泊まれない…負けて、負けて

これまで一泊1300円中心、高くても2100円だったので目ん玉が飛び出す…震えるほどたけー。

日本語の出来る現地のスタッフばかりだ。最後8000円で今晩だけ泊まることにする。それにしてもわたしには高すぎる。

日本の料理も併用している。14階には温泉浴場もついている。

日本料理レストランには日本人ばかり7,8人飲みながらくつろいでいた。

さっそくネット、「ブッキングドットコム」で あした21日2000円のホテルを予約した。





オートバイひとり旅・地球走行中・東南アジア・ミャンマー

2017年05月23日 | オートバイひとり旅121ヵ国37万キロ
更新しようとしたけど・・
コピーできなくて3時間かけ16日から20日まで書き写したのに画像を入れるとこで
ダウンしてしまった。ちきしょう・・もう・・がっくり。







5月21日日曜 はれ
身体が震えるぐらい高い12000円(8000円に負けてもらったが)
朝飯くってホテルをタクシーで退散。

ネットで予約したホテルに移動…雑然とした街の中にあった。

中に入ると暗い地下室の感じのホテル、2000円のホテルだ
から仕方がないのかなぁ…

部屋にトランクは入れられない…廊下の隅に置く。トイレの水
どうした…出ない…流せない。

フロントに行って見てもらい…電話して、しばらくしたら
水は出るようになった。

ネットWIFIは部屋で使えると聞いていたが、電波が弱くて
部屋まで届いてないようだ。

仕方ない廊下に出てネットを始める。

ヤンゴン空港で下ろしたミャンマー10万ks夕べのホテルで
聞いたら心細くなったので又近くのATMで下ろした。

そばにはマーケットもあった。ビールと生姜漬けを買って
飲み始める、今3時。

そのうちにわかるようになるだろうが…ミャンマーのお金
全然日本円でいくらぐらいなのか計算が出来ないでいる。

帰りぎわにホテルがあった。部屋をみせてもらった…今の
部屋とでは二倍広くて清潔感がある。

28ドルだがネットで予約すると24ドル-2700円になると
フロントの話。ネットも部屋で使えると話す。

ちょっと高くなるが共同でなくトイレシャワーも部屋にある
よし、ここに移ろう。

今泊まっているホテル、水も出ないしネットも出来ないので
あしたの泊まりをキャンセル、「来来(ライライ)ホテル」を
ネットで予約した。

今泊まっている地区はホテルもいっぱい地図に出てくる
ところなのでヤンゴンの中心地でもあるようだ。

5月22日 月曜 はれむし暑い
ネットも部屋まで届かないし、水も出ない…悪いけど
あしたの泊まりはキャンセルして他のホテルに移りますと。

きのうスタッフに話していたのでお金はすんなり返して
くれた。

歩いて5分ぐらいのところにある「来来ライライホテルに
移動した。24$=2700円。

部屋に荷物を運んでもらって、きのう泊まったホテルに
くらべると明るく、水も出る、広いし、清潔感がある。

もちろん冷房、シャワー、トイレ付きである。

なによりも、ネット人間になってしまったわたしには、
ネットが使えることが嬉しくなる。これでヤンゴンで
の基地が出来た。

ホテル前にはポリス、マーケット、両替屋、ATMと
並んでいる。

3時ごろから、観光の目玉と思われるでっかい仏塔に
タクシーで向かう…

ジェデゴン パゴダ shwedagon pagodaって言うらしい。
金色に輝く入り口からエスカレーター三つ乗り継ぎ本殿に
出る。

半ズボンではダメみたいでスカートを1000円で買わされる。
太陽に照らされた金色の大仏塔は光り輝いている。

アチチ アチチ太陽で焼けたタイルが熱い、熱い…
地元の人たちは各仏塔の前で祈りを捧げていた。

地元の人たちのほか、外国人も多く訪れている。
2時間ほど見てまわりホテルに戻る。



第8次オートバイひとり旅・東南アジア・チェンマイ旧市街地

2017年05月16日 | オートバイひとり旅121ヵ国37万キロ




5月12日金曜 朝方まで雨 すぐに晴れてきた

新しいホテルに着いて落ち着いた。となりの店は工具屋さん。
シューシュー「スクータを洗車したい」…と工具屋さん聞く
と、そこを曲がったところにある。

本当にすぐそにあった。60b-約200円…ちょっと高くなー。
洗車が終わるまで近くを散歩。

このビルはバスターミナルになってるようだ。窓口がいっぱい
並んでいる。

ミャンマー行きのバスはとなりの窓口…そっけない窓口もあれ
ばていねいに応えてくれる窓口もある。

洗車を終えて、ネットで調べたホテルの下見…に向かう
地図で見ると簡単のところだが、実際走るとわからない。

橋を渡ってすぐに右…に入って行く、小さいロータリは
途中から一通に、マジーィ…Uターンした。

お巡りさんが見ていたのだ。止まって違反キップだ…
はーい、マネー400バーツ1300円とか言ってる

マネーはホテルだ。それでは、後から支払ってくだちゃーい。
キップきられてOKになったがどこでどうするのだろうか。

くそーっ

下見するホテルがわからない、トクトク三輪車に頼ん
で引っ張ってもらう。180円。

「パンダゲストハウス」にようやく着くことができた。

まずまずのホテルだ、ネットで調べて300バーツの部屋
はいいなーと思って来た部屋は冷房なしファンのみだった。
冷房付きは400バーツ-1300円。

ホテルに戻ろう、泊まってるホテルの近くに高層ビルがある。
そのビルを目指して戻ることが出来た。











5月13日土曜 朝方雨
二泊したホテルからきのう下見に来たホテル「パンダホテル」に向かう。
二度三度ネットで見てごく簡単に行けるはず…ホテルの地図確認していたのに…

またもや、走り始めると、わかなくなってしまった。ロータリの広場で、
黄色いくだものを臨時に売っている。

味見にくれたくだもの、ちょっと酸味はあるが、わたしに
あっている。ビワに似た味。一袋1キロ180円買った。

ホテルの位置を聞き出した。奥さんも交えて三人でああだ
こうだと、話は続いてる。

バイバイと走ろうとしたら「スクータで」ホテルまで連れ
て行くと話す。ありがたい、

5分程でお陰さまですんなり「パンダ」ホテル
に着くことが出来た。ありがとうございました。

暑くて仕方ないので、冷房の部屋1300円にした。三泊予約した。

レセプションスタッフ女性二人いて、その一人娘さんの
産まれて二、三ヶ月だろうか、赤ちゃんをフロアーで両親
が見ている。なんとも可愛い…

晩飯は昼間「寿司」があるとなりのホテルに、行ってみた。
マグロはない…が握りは…2100円。

高いしゃぶしゃぶを食っているお客さんも3組ほどいる。

シャケ丼が1000円、よしこれにしよう。久しぶりだった
のでうまかった。

ホテルに着いたらカミナリが鳴って雨の土砂降りになった。


5月14日日曜 くもり、はれ
タイに来てから土曜日曜はほとんどのお店はお休みになって
いるようだ。

旧市街地、周り四方…掘りに囲まれている。歩いて見る
ことにした。朝7時にホテルを出る、掘りまでは2、3分。

グルーっと回ってホテルには9時過ぎていた。2時間
かかっていた。

もっともお寺の写真を撮ったり、野菜、魚、肉、雑貨屋
なんでも、そろっている、バザールに寄ったり…

最高と思われる重層なホテルのトイレをお借りしたり…
料金を聞いたら一泊4000バーツ1万3000円とレセプションの話だった。

わたしのホテルの10日日分だ

堀のいっぺんの長さ1キロぐらいあるかもしれないなー。

あしたは違反キップの支払いにポリスオフィスにいかな
かければならないとホテルのレセプション。






5月15日 月曜 はれ
いま7時30分…ポリスオフィスは8時からだとレセプションの女性。
交通違反の罰金を払いに行く。

ミャンマーへ向かう道も確かめておきたいので、早めにスクータで出かけた。
旧市街地の中にあるポリスオフィスに意外とすんなり8時前に着いた。

最初は違反切符しらばっくれていようかとも考えた、しかし地元の人たちの
穏やかなはしり、おまわりさんも真面目な人たちなので素直に支払うことにした。

庭に今日の出勤者が集まっている。違反切符を見せると 窓口へ指さす。
担当者にキップを差し出し、400バーツの罰金を支払う。

写真を撮ってもいいですか、OK、OK…気安いお巡りさん達だ。国際免許証
受けとって、ミャンマーへの道のりを確かめに走る。

掘りに囲まれた旧市街地内側は右周り、外側は左回りになっている。途中
Uターン連絡道路が出来ていて内側、外側に走れるようになっている。

ま、確認はできたので大丈夫だろう。屋台の朝のうどんを食いたくなった
先に泊まったホテルの近くにバスターミナルまでタッパを持って走ってみた。

高い高層ビルを目当てにいけば、すぐわかる、はずだったが、わからなくな
ってしまった。渋滞になっているので戻ろう。

朝7時からやっていると聞いている、夕べ、スパゲティを持ち帰ったレストラン
に、向かってそのままタッパに入れてもらった。

ママさんが赤いくだもの二個くれた、ありがとう。しかし、どうして
食べるのかなー。

ホテルの掃除のお姉ーさんに赤い果物の切り方、食い方を教えてもらった。
何のことはない普通の梨みたいに切り分けておしまい。

中身も真っ赤、と言うよりむらさき色。そのまま一個あげたので、どんな味が

するのかまだわからない。



泊ってるホテル1300円



第8次 オートバイひとり旅・東南アジア編・チェンマイ

2017年05月12日 | オートバイひとり旅121ヵ国37万キロ




5月8日 月曜 はれ
5時過ぎに起きて早すぎるかなーと思いながら出発準備全て終わったのは6時半…
ちょうどいい時間になった。

夕べ荷物を雨で濡らさないように、考え抜いたとうり大型バックの中にはでっかい
ビニールを二重に敷き自分で作った、いらなくなったテントをバラして一番下に敷く。

バックを包む外側には、テントの床部分をバックに合わせて縫いこんでスッポリ
入る袋状にこしらえたのを持ってきている。

リュックの雨カバーをかぶせて、その上にテントで作った袋をかぶせる。
これまで外国で走っていたとき使っていたもの。内二重外も二重…

途中雨にあって慌てるよりも、どうなるかわからないので、いつ雨が降り出して
もいいように完全装備。

時間前にバイクタクシーのおじさんは来てくれている幹線道までバイクタクシーに引張ってもらうことにした。

15分ぐらいかかって、高速の入り口まで来た。「この道をまっすぐだ」と言って
くれているのだろう。

全く言葉はわからないので…おそらくそう思う。

誠実一路の顔のおじさんは別れにハグしてくれた。

毎日お世話になりました、200バーツを渡した。ありがとうございました。

さーいつものひとり旅が始まった。バイクにいったんまたがると、気持ちが
ひき締まる。

40~50キロのスピードでスタート…田園風景が続く途中、二回分かれ道で止まって、
チェンマイ、チェンマイを確かめめる。

これまで乗ってきた1500ccに比べてスクーターは小回りがきいて取り回しも
楽チンでいいなー。

右手に岩山が出て来たがどこまでも平坦の道が続く…遠く左に山も見える、
おそらく山の向こう側はミャンマーなのだろう。

道端の屋台で昼メシのあとしばらく走って木陰で休憩昼寝15分ぐらい。

午後走りがだれて来て、いつの間にかスピードがだんだん落ちてくるのだ。
この昼寝は走りの「だれ」と疲れをを防ぐことになる。

ワンリッター40キロ走ると聞いていたが…100キロ走って給油になる。
おかしいなーリッター20キロだなー。

荷物20キロのせい、なのだろうか…ガソリン5リッター入れて60バーツ…
200円ぐらい。

ここまで350キロぐらい走って来た。タキとかゆう町…信号待ちのお兄ちゃんの
横につけて「ホテル」ある…

そこにある…連れて行くとゼスチャー、本線沿いの下の道に走って2・3分の
ところにホテルはあった。ありがとう。

3時を回ったところ…ちょっと早い…しかし、ホテルがこの先あるのかどうか
わからないので、泊まることにした。

立派なホテル250バーツ…800円助かるなーもちろんクーラ付きwifi…バッチリOK

チェンマイまで残り300キロぐらいかな。

早めについたので、グーグルマップを見た。うーんこの町タクからミャンマー
の国境、100キロ足らずでいけそうだ。

チェンマイから入るより、ミャンマーの南の方になるのでルート変更してあした
ミャンマー国境に向かってみよう。

クネクネした道の表示はおそらく山道になるだろうなー

5月9日 火曜 はれ
ホテルを7時に出発、一路ミャンマー国境へ、朝から「ミャンマー、ミャンマー」
マイカー、バイクの人に聞きながら、本線に乗ることができた。

予想通りすぐに山道に入った。どんどん登っていく…涼しいよりも肌寒くなって
きた。くねくねした道は続く。

この登りでガソリン大丈夫かいな…道路工事の人や地元と思われる人にガス
スタンド「あと何キロ」

40キロだったり30キロだったりはっきりしない。雑貨屋さんのあるところで、
若い男の人に、ガソリンスタンドは……

目の前の雑貨店を指さす、あそこにあるの…「こんちは」「すみません」
「ガソリンください」

アルゼンチンでもここにガソリンがあるのと思ったら、雑貨屋さんはドラム
缶から汲んで入れてもらったこともあるので、不思議には思わなかった。

しかしここではペットポトルに入れておばさんが売っていた。1リッター
60バーツ200円ぐらい。2倍ぐらい高いが仕方がない、ガス欠になるよりましだ。

3つの方向に走っているロータリのある町に出た…1回目間違って、途中聞き戻っ
てきた。

確認しようとロータリ道の端に止めようとした途端…砂で滑ったのだ、あっと
ゆう間に転倒…いやとゆうほど叩きつけられた、アイテティ。

右ひじ、異様に痛い、ガソリンも漏れている、手は動く…トクトク三輪車の
お兄さんが手伝って起こして、荷造りもやり直してくれた。

ありがとうございました。アイテティ…

教えてもらったロータリ2番目から出て、ガソリンスタンドに入る。擦りむ
けた右ひじを見せると「赤チンキ」を持ってきて塗ってくれた。
ありがとうございます。

やさしいお兄さんだ。満タンに入れた、ミャンマーはこの道じゃない話す…
又ロータリまで戻って3本目の道に入った。

11時50分国境についた、トラックは並んで待っているどこの国境も同じだ。
タイの出国スタンプすぐに終わった。

500m先のミャンマー入国手続きに…オートバイの入国はだめだ、アユタヤ、
ヤマハで作ってもらった、書類を見せたがだめだった。

スクーターをここに置いて本人だけ入国はOK…戻ってくる日それまで保管
すると話す。

仕方ない、タクまで戻ってふたたびチェンマイを目指そうあーぁ。

戻るタイ国境で、スクーターは持ち込めなかったと、係官に話すと「OK」
そのまま戻ることができた。

しかしだ…タイ国出国スタンプはあるが、「入国スタンプは無い」

いったいどうなるのだろうか…まぁ、その時に考えるしかない…。もう終わっ
たこと…終わったこと・・仕方がない。

同じ道を引き返し夕べ泊まったホテルに再び到着14時についた。


5月10日水曜 くもり 雨 はれ
あさ6時30分ホテルを出発してチェンナイに向かう。夜中に雨が降ったせいか
冷んやりしている。

雨を予想して完全武装した。雨が降ってきた…まぁゆっくり走ろう。約300
キロの走行だ。

車は思っている以上に少ない感じ…平均70キロで走行寒く感じるので給油スタ
ンドで、ズボンと上着を着こむ。

チェンナイはランパーンから左に入る標識…よし、これからあと100キロぐ
らいだ。

雨が上がって太陽が出てきた、暑くなりそうだが、カッパきたまま…残り35
キロのところで大きな黄金の仏像。

チェンナイ市内に着いたのは、13時前、走っている市内でホテルを見つけたの
で。380バーツ1300円に決めた。

この宿は古い骨董の趣味の宿屋に見える。人のゆうこと聴かないで…わたしは
何もわからないのにペチャクチャ、

自分ことばかりしゃべる女将40代そこそこ女将。歩く姿外股歩きだ。

わたしと同じ横柄な態度…ネットWIFIの設定で…思わず「うるさい」っと日本語
で怒鳴った。

それからは静かになった。とりあえずの一泊だからあしたは違うホテルに移る。


5月11日木曜 はれ
宿を9時過ぎに出る。予約した宿まで、最初はトクトク三輪車に頼もうと考えて
いたが、ネットマップを見て、自分で行けそうだ。

途中一回地元の人に聞いただけでホテルに着くことができた。400バーツ-1300円。
フロントはちょっと普通のホテルとは違う、家族でやっているようだ。

階段も部屋も綺麗なタイルで気持ちがいい。失礼だがオーナーは250ccに乗ってる
親父さん…と言った方がぴったり。

その親父さんに荷造りのチュウーブを引っ掛けるワッカの相談をした。S字型の
金具を倉庫から二つ持ってきて取り付けてくれた。

これで楽に引っかけて荷造りできる。ありがとうございました。

ホテル前は旧い街並みが…続いている商店街。セブンイレブンもある。

セブンイレブン、ビールは午前11時ならないと販売しないらしいです。これも
珍しい。となりの商店では買うことができた。

土曜はアルコール販売禁止、家族の日とかの国もあった。

夕方直ぐ近くの洗車屋に持って行き雨で汚れていた
スクーターを洗ってもらった、210円。これは高いなー。

晩飯は屋台で売っているサカナ、ぶた、ニワトリの揚げもの
トマト、キューリで済ませている。

チェンマイの街ってもっとにぎやかなイメージ、持って
きたにだけれど、こんなものなのかなぁー。


第8次 オートバイひとり旅・東南アジア編 アユタヤ  

2017年05月07日 | オートバイひとり旅121ヵ国37万キロ






ハハハ・・バイク買うことできました。

5月6日金曜 朝方雨 くもり はれ
朝がた、雨が降っていた。

10時にオートバイ、ヤマハ店、に向かう。きのう
と同じおじさんのバイクタクシー。

きのう見ていた新車、スクーターを買うことに決めた。

手続きしてお金払ってすぐ終わりかと自分は思っていた。

英語もまったく通じない…お店の女性はタイ語とわたしは日本語…

お店の女性は左手、右手に、ケイタイ駆使して翻訳して、わたしに見せる、

「yesかnoかok」で応えるだけ。

「あなたはどこから来た」「登録が必要」「一ヶ月かかる」

「一ヶ月ノーノー」「わたしはあさってチェンマイに行く」

…こりゃーだめだ、買うことできないな。

佐賀、嬉野弁で話して見ても同じこと

「あんたは、なんばいいおおっとね」「いっちょんわからんばい」

(あなたは何を話してるんですか、少しもわかりません)

お互いにちんぷんかんぷん…のやりとりがつづく

どこでどうなったのか、うまくいきそうになって来た。

2時間経ったころ、どうにかまとまった…ヤマハで今日手続きを
終えてあした12時に引き渡す。

430000バーツ➕手続き代1500バーツ445000バーツ
日本円約13万円支払う。ヘルメット1000円

大丈夫かいな……。

大型荷物バック調達にあっちこっちの備品やさんを回って

なんとかなりそうな両サイドにぶら下げるバックを見つけた。

じゃぁあした12時に来るからと、バイクタクシーのおじさんと

ホテルに戻る。バイクタクシー代600円。


5月7日土曜 はれ 34℃

あははは、バイク買うことが出来ました。

「あなたどこからきたの」「手続き一カ月かかる」

タイ語と日本語、佐賀嬉野弁

お互いに言葉が通じなくて、こりゃーダメだ…と

買うことはできないなと思って、あきらめた。のは

きのうのこと

きょうはバイクの受け取りができるかどうか…早めにヤマハに行く。

同じバイクおじさんうしろに大型バックを抱えて乗りこんだ。

実際の大型バックをバラして、両サイドのバックに詰め込むため、どうなるのかと持ち込んだ。

ヤマハのスタッフ二人とも落ちついている、おー、引き渡すことができてるようだ、よしよし。

気になっていた大型バッグ…持ってきた自転車チューブで縛り付け大型バックを積み込んでみると、

以外と大丈夫のようだ。

これじゃ、両サイドに分けたバッグ1万円買わなくてもいいようだ。

おーよしよし、フタッフもバイクおじさんもグーと

親指出した。心配していたことが消えて行く、、よかったー。

ナンバー取り付けて終わり、これまたどこでどうなったのか

ミャンマー入国に必要な書類も作ってくれたようだ。

大事になくさないように・・とのことだろう、封筒に入れてくれた。


「マネーマネー、アユタヤ、ヤマハ」と冗談飛ばして

笑わせて、すべて終了。

ありがとうございました。スタッフにバイバイ。

タンク満タン5リッター
ワンリッター40キロ走る…180キロで給油…

夕方バイクおじさん誘導で遺跡めぐりのテスト運転
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第8次オートバイひとり旅・東南アジア編 バンコク

2017年05月03日 | オートバイひとり旅121ヵ国37万キロ




2017年5月1日   はれ  34℃

昼間は暑い、35℃ぐらい。外出するたびに下着の洗濯。

カオサン通りの角にポリスオフィスがある。道路を挟んで

広大な敷地のお寺がある。そのまわりにあるホテルに泊まっている

カオサン通りにもホテルはいっぱいあるがこっちのほうが静か・・

緑の木はお寺2、300m四方…まわりにホテルがある、いま泊まって

いるホテル「obangkoku]は冷房付き1650円。

暑くない季節だったら普通の部屋シングル600円から

これでも充分、今は暑いので扇風機だけじゃ耐えられない.

5月2日月曜    はれ
日曜休みだったの・・ポケットを作るため靴屋さんで

買った皮を持って縫い付けてもらいに行く・

路上のミシン屋さんは厚いので縫いきれないと断られた。

靴屋さんに描いて頼む・・2時間かかって出来上がり。

600円。

出先の国で靴屋、洋服、オートバイのシートなど縫って

もらい、それを見て過ごすのもわたしは面白い。

あした4日移動することにした。カオサンから80キロ北

アユタヤの町まで行ってオートバイレンタルについて

検討したい。

タクシー4500円・バス1000円ぐらい・・当然バス。

朝も夜もビール大ビン二本240円×2・・

一日ホテル代入れて4000円ぐらいかな。




第8次 オートバイひとり旅・東南アジア編 2017年 

2017年04月30日 | オートバイひとり旅121ヵ国37万キロ
2017年4月29日 土曜   はれ 34℃

少しづつ情報をもらいすすめています。

ホテルのあるカオサン通りを歩いて、これまで

あった場所、など確認しながら情報集め・・

チェンマイまでのバス代、夕方出て朝につく約800キロ

ホテル案内所600bー1800円
ホテル別の案内所500bー1500円
以前格安航空券買ったところ450bー1350円

歩くたびに料金が安くなりました。

まわりが少しづつ、見えてきました。

カオサン通りもほとんどは変わってはいないようです。

日本の寿司屋さんがみつからなかったなー。

焼き鳥屋台で


いつも地元の人たの人気食堂・・覚えてくれていたのだろうか、おばさんはきしめんの
親分‥の麺を作って出してくれた


サソリのから揚げ?カオサンどうりで売り歩いていた

カオサン通り