無量山 傳通院 寿経寺 〈本 堂〉 〈むりょうざん・でんづういん・じゅきょうじ〉 東京都文京区小石川
【住 所】東京都文京区小石川三丁目14番6号 Mapion地図
【宗派と本尊】 浄土宗 本尊は阿弥陀如来像
【創 建】応永22年(1415年)
【本 堂】
【傳通院の 〈本 堂〉 の写真】 平成27年3月31撮影
傳通院 の 本 堂

傳通院 の 本 堂 と 桜

傳通院 の 桜 と 本 堂



傳通院 の 本 堂 前 の山号 の 扁 額

傳通院 の 本 堂 内

傳通院 の 本 堂 内

傳通院 の 本 堂 内 の 葵の紋

傳通院 の 境内の桜
【住 所】東京都文京区小石川三丁目14番6号 Mapion地図
【宗派と本尊】 浄土宗 本尊は阿弥陀如来像
【創 建】応永22年(1415年)
【本 堂】
享保6年(1721)、享保10年(1725)、明治41年(1908)と三度の大火に見舞われる。
第二次世界大戦では本堂など建造物すべて焼失。
昭和24年本堂を再建
昭和63年に現本堂を建立
【傳通院について】 第二次世界大戦では本堂など建造物すべて焼失。
昭和24年本堂を再建
昭和63年に現本堂を建立
当山は、応永22年(1415)、浄土宗第七祖了誉が開山したお寺です。当時は小石川極楽水(現在の小石川4丁目15番)の小さな草庵で、無量山寿経寺という名で開創されました。
それから200年後の慶長7年(1602)8月29日、徳川家康公の生母於大の方が75才、伏見城で逝去。その法名を「傳通院殿蓉誉光岳智光大禅定尼」と号し、この寿経寺を菩提寺としたことから「傳通院」と呼ばれるようになりました。正保4年(1647)には、家光の次男亀松君が葬られ、以来徳川幕府の外護を賜り諸堂伽藍を整えて参りました。
しかし、このような寺歴の中にも、享保6年(1721)、同10年(1725)、明治41年(1908)と三度の大火にあい、その再建もむなしく、第二次世界大戦では建造物すべて灰燼と帰しましたが、戦後多くの障碍の中で昭和24年本堂を再建(七十三世大河内隆弘上人)、続いて昭和63年には新世紀に対応できる宗教活動を目指して新本堂を建立、平成9年、繊月会館を建立、平成11年には観音堂(休憩所)を建立(七十五世吉川哲雄上人)し、現在に至っております。伝通院のHPを引用
それから200年後の慶長7年(1602)8月29日、徳川家康公の生母於大の方が75才、伏見城で逝去。その法名を「傳通院殿蓉誉光岳智光大禅定尼」と号し、この寿経寺を菩提寺としたことから「傳通院」と呼ばれるようになりました。正保4年(1647)には、家光の次男亀松君が葬られ、以来徳川幕府の外護を賜り諸堂伽藍を整えて参りました。
しかし、このような寺歴の中にも、享保6年(1721)、同10年(1725)、明治41年(1908)と三度の大火にあい、その再建もむなしく、第二次世界大戦では建造物すべて灰燼と帰しましたが、戦後多くの障碍の中で昭和24年本堂を再建(七十三世大河内隆弘上人)、続いて昭和63年には新世紀に対応できる宗教活動を目指して新本堂を建立、平成9年、繊月会館を建立、平成11年には観音堂(休憩所)を建立(七十五世吉川哲雄上人)し、現在に至っております。伝通院のHPを引用
【傳通院の 〈本 堂〉 の写真】 平成27年3月31撮影
傳通院 の 本 堂

傳通院 の 本 堂 と 桜

傳通院 の 桜 と 本 堂



傳通院 の 本 堂 前 の山号 の 扁 額

傳通院 の 本 堂 内

傳通院 の 本 堂 内

傳通院 の 本 堂 内 の 葵の紋

傳通院 の 境内の桜

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