宝勝山 南蔵院 東京都板橋区蓮沼町
【住 所】東京都板橋区蓮沼町48-8 Mapion地図
【宗派と本尊】真言宗智山派 本尊は十一面観世音菩薩
【創 建】寛永7年頃に志村坂下に開創
【南蔵院略記】 板橋区教育委員会の掲示を写す
【南蔵院:櫻寺・板橋十景】南蔵院HPを写す
【南蔵院:地蔵堂/庚申地蔵】南蔵院HPを写す
【南蔵院:出羽三山石塔】南蔵院HPを写す
【南蔵院の写真】 平成26年3月26日撮影
南蔵院 山門

南蔵院 本堂


南蔵院 本堂の内部

南蔵院 不動堂

南蔵院の説明掲示

南蔵院 出羽三山石塔


南蔵院 地蔵堂

南蔵院 地蔵堂のお地蔵

南蔵院 本堂前のお地蔵

【住 所】東京都板橋区蓮沼町48-8 Mapion地図
【宗派と本尊】真言宗智山派 本尊は十一面観世音菩薩
【創 建】寛永7年頃に志村坂下に開創
【南蔵院略記】 板橋区教育委員会の掲示を写す
当院は宝勝山蓮光寺と号する真言宗寺院で、ご本尊は十一面観音です。
開山は、寺歴では宥厳とされていますが、「新編武蔵風土記」では、開山を宥照、開基を蓮沼村の名主新井家の先祖、新井三郎盛久としています。
当社、南蔵院は荒川低地にあた「道生沼」の畔(坂下二丁目二十四番地付近)に建っていましたが、度重なる洪水によって現在地に移転したといわれています。この移転伝承は、隣接する氷川神社や、蓮華寺(蓮根一丁目一番地)と同様のものであることから、当該地域における歴史歴環境の変化と、村の対応などを考えていく上で注目されます。
なお、移転の時期は、長らく享保期(1716~36)とされてきましたが、それ以前の正保期(1644~48)に作成された「武蔵国図」を始めとする絵図類には、すでに蓮沼村や南蔵院などが現在の位置に描かれていることから、その時期は大きく遡るものと考えられます。
また、享保七年十一月二十五日に行われた八代将軍徳川吉宗による戸田・志村原の鷹狩りに際しては、当院が御膳所となっています。
境内にある庚申塔は、承応三年(1654)に庚申待講中が造立したものです。また、安永六年(1777)と文化元年(1804)に建立された南蔵院石造出羽三山供養塔の台座には、蓮沼村・小豆沢村の講員七〇名の氏名と房号が刻まれており、当該期の出羽三山講の様子を知る貴重な資料となっています。これらは、区の有形民俗文化財に登録されています。
平成二十三年三月 板橋区教育委員会
開山は、寺歴では宥厳とされていますが、「新編武蔵風土記」では、開山を宥照、開基を蓮沼村の名主新井家の先祖、新井三郎盛久としています。
当社、南蔵院は荒川低地にあた「道生沼」の畔(坂下二丁目二十四番地付近)に建っていましたが、度重なる洪水によって現在地に移転したといわれています。この移転伝承は、隣接する氷川神社や、蓮華寺(蓮根一丁目一番地)と同様のものであることから、当該地域における歴史歴環境の変化と、村の対応などを考えていく上で注目されます。
なお、移転の時期は、長らく享保期(1716~36)とされてきましたが、それ以前の正保期(1644~48)に作成された「武蔵国図」を始めとする絵図類には、すでに蓮沼村や南蔵院などが現在の位置に描かれていることから、その時期は大きく遡るものと考えられます。
また、享保七年十一月二十五日に行われた八代将軍徳川吉宗による戸田・志村原の鷹狩りに際しては、当院が御膳所となっています。
境内にある庚申塔は、承応三年(1654)に庚申待講中が造立したものです。また、安永六年(1777)と文化元年(1804)に建立された南蔵院石造出羽三山供養塔の台座には、蓮沼村・小豆沢村の講員七〇名の氏名と房号が刻まれており、当該期の出羽三山講の様子を知る貴重な資料となっています。これらは、区の有形民俗文化財に登録されています。
平成二十三年三月 板橋区教育委員会
【南蔵院:櫻寺・板橋十景】南蔵院HPを写す
櫻寺
徳川八代将軍吉宗が、当院を狩の際の御膳所に命ぜられました。
その際、境内の枝垂桜を見て紀州に咲きほこっていた桜を思い出されたのでしょうか、当院を櫻寺と名付けられました
板橋十景
板橋区では2002年区制施行70周年記念事業の一環として区民のみなさんから板橋らしさを感じさせる心に残る風景や風物、感動、安らぎを与えるものを応募したのが「板橋十景」です。
当院のしだれ桜が「板橋十景」の1つとして選ばれました。
これも皆様の桜を愛する気持のお陰と感謝しております。
徳川八代将軍吉宗が、当院を狩の際の御膳所に命ぜられました。
その際、境内の枝垂桜を見て紀州に咲きほこっていた桜を思い出されたのでしょうか、当院を櫻寺と名付けられました
板橋十景
板橋区では2002年区制施行70周年記念事業の一環として区民のみなさんから板橋らしさを感じさせる心に残る風景や風物、感動、安らぎを与えるものを応募したのが「板橋十景」です。
当院のしだれ桜が「板橋十景」の1つとして選ばれました。
これも皆様の桜を愛する気持のお陰と感謝しております。
【南蔵院:地蔵堂/庚申地蔵】南蔵院HPを写す
地蔵堂の御本尊は地蔵菩薩でございます。地蔵菩薩は、大地にまいた種が成長し収穫できるように、地中に色々なたからものを蔵し人々の役に立ち繁栄できるように、そして死んでいった後の世までも慈悲の手をたれて下さると言う人々を慈しむ心を無限にもっておられます。
お地蔵様は、生まれた子供を護り、寿命をのばし、若死、病難等を除いて下さるという功徳がお経に説かれております。また、当院の山門内右側にある六体のお地蔵さまは、「六地蔵」と申し上げ六種に身をかえて、それぞれ六道の人々を救って下さるお地蔵様たちです。
お地蔵様は、生まれた子供を護り、寿命をのばし、若死、病難等を除いて下さるという功徳がお経に説かれております。また、当院の山門内右側にある六体のお地蔵さまは、「六地蔵」と申し上げ六種に身をかえて、それぞれ六道の人々を救って下さるお地蔵様たちです。
【南蔵院:出羽三山石塔】南蔵院HPを写す
出羽三山」とは、現在の山形県庄内地方に広がる月山、羽黒山、湯殿山の総称であり、江戸期中期ごろより修験道を中心とした山岳信仰が盛んとなりました。
そして当地方の住人も出羽三山への信仰とともに参拝することになりました。
しかしながら当時はまだまだ道も整備されておらず、徒歩による参拝のため非常に厳しい道のりとなりました。
それでも、南藏院のご本尊様にご加護を受け、無事に出羽三山へご参拝ができたことを記念いたしまして碑が建てられました。
石碑には文化元年(1804年)と記録されており、板橋区屈指の古さを誇る碑であり、また当時の信仰が垣間見ることができます。
そして当地方の住人も出羽三山への信仰とともに参拝することになりました。
しかしながら当時はまだまだ道も整備されておらず、徒歩による参拝のため非常に厳しい道のりとなりました。
それでも、南藏院のご本尊様にご加護を受け、無事に出羽三山へご参拝ができたことを記念いたしまして碑が建てられました。
石碑には文化元年(1804年)と記録されており、板橋区屈指の古さを誇る碑であり、また当時の信仰が垣間見ることができます。
【南蔵院の写真】 平成26年3月26日撮影
南蔵院 山門

南蔵院 本堂


南蔵院 本堂の内部

南蔵院 不動堂

南蔵院の説明掲示

南蔵院 出羽三山石塔


南蔵院 地蔵堂

南蔵院 地蔵堂のお地蔵

南蔵院 本堂前のお地蔵

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