ユリノキ 〈百合の木の実〉 東京都江東区 都立木場公園
百合の木の実
令和3年1月撮影 Click here !
ユリノキの実 令和6年3月14日撮影






ユリノキ(百合の木、百合の樹)のデータ
【別 名】 ハンテンボク、グンバイノキ、ヤッコダコノキ、英名: tulip tree
【分 類】 モクレン科 ユリノキ属
【学 名】 Liriodendron tulipifera Linn.
【果 実】 果実ははローソクの炎(松かさ)のような形状をした集合果で、個々の果実は細長い「へら型」の翼果。
【花 色】 黄緑色の花が上向きに咲く(オレンジ色の斑紋がある)
【備 考】
データ作成に参照したweb page:木のぬくもり・森のぬくもり、wiki 他
百合の木の実
令和3年1月撮影 Click here !
ユリノキの実 令和6年3月14日撮影







ユリノキ(百合の木、百合の樹)のデータ
【別 名】 ハンテンボク、グンバイノキ、ヤッコダコノキ、英名: tulip tree
【分 類】 モクレン科 ユリノキ属
【学 名】 Liriodendron tulipifera Linn.
【果 実】 果実ははローソクの炎(松かさ)のような形状をした集合果で、個々の果実は細長い「へら型」の翼果。
【花 色】 黄緑色の花が上向きに咲く(オレンジ色の斑紋がある)
【備 考】
データ作成に参照したweb page:木のぬくもり・森のぬくもり、wiki 他
サンシュユ〈山茱萸〉の黄色い花 東京都立木場公園
サンシュユ〈山茱萸〉
黄色い花 平成30年3月撮影↗ 平成27年3月撮影↗
赤い花 令和3年11月撮影↗ 令和4年11月撮影↗
サンシュユの黄色い花 令和6年3月14日撮影







サンシュユのデータ
【別 名】 ハルコガネ〈春黄金花〉 秋珊瑚(アキサンゴ)、ヤマグミ
【分 類】 ミズキ科 ミズキ属(サンシュユ属)
【学 名】 Cornus officinalis
【花弁色】 黄色
【花 弁】 4枚、雄しべは4本、雌しべは1本。
【花 径】 0.5~1.0cm。散形花序(枝先に小花を20~30個集合の花がつく)。
【備 考】 八味地黄丸(はちみじおうがん)に処方されていて、糖尿病、腰痛、動脈硬化、前立腺肥大などに有効とされている。
名前は、渡来した時の薬名「山茱萸(さんしゅば)」をそのまま和音読み。
データ作成に参照したweb page:かぎけん花図鑑、 等
サンシュユ〈山茱萸〉
黄色い花 平成30年3月撮影↗ 平成27年3月撮影↗
赤い花 令和3年11月撮影↗ 令和4年11月撮影↗
サンシュユの黄色い花 令和6年3月14日撮影







サンシュユのデータ
【別 名】 ハルコガネ〈春黄金花〉 秋珊瑚(アキサンゴ)、ヤマグミ
【分 類】 ミズキ科 ミズキ属(サンシュユ属)
【学 名】 Cornus officinalis
【花弁色】 黄色
【花 弁】 4枚、雄しべは4本、雌しべは1本。
【花 径】 0.5~1.0cm。散形花序(枝先に小花を20~30個集合の花がつく)。
【備 考】 八味地黄丸(はちみじおうがん)に処方されていて、糖尿病、腰痛、動脈硬化、前立腺肥大などに有効とされている。
名前は、渡来した時の薬名「山茱萸(さんしゅば)」をそのまま和音読み。
データ作成に参照したweb page:かぎけん花図鑑、 等
アンズ〈杏の花の咲き始め〉 東京都立 木場公園
アンズ〈杏〉
令和2年3月撮影 [Click here !↗] 令和4年3月撮影 [Click here !↗]
アンズ〈杏〉 令和6年3月14日撮影






アンズ〈杏〉のデータ
【別 名】 カラモモ(唐桃)、アプリコット
【分 類】 バラ科 サクラ属(アンズ属)
【学 名】 Prunus armeniaca L.
【花弁色】 淡い紅色
【花 弁】 直径2.5㎝。5花弁。花びらの形は丸い。萼は紅紫色で反り返る
【備 考】 日本には奈良時代に伝えられたと言われ、万葉集にも唐桃の名で登場する。
データ作成に参照したweb page:かぎけん花図鑑、みんなの花図鑑、等
アンズ〈杏〉
令和2年3月撮影 [Click here !↗] 令和4年3月撮影 [Click here !↗]
アンズ〈杏〉 令和6年3月14日撮影






アンズ〈杏〉のデータ
【別 名】 カラモモ(唐桃)、アプリコット
【分 類】 バラ科 サクラ属(アンズ属)
【学 名】 Prunus armeniaca L.
【花弁色】 淡い紅色
【花 弁】 直径2.5㎝。5花弁。花びらの形は丸い。萼は紅紫色で反り返る
【備 考】 日本には奈良時代に伝えられたと言われ、万葉集にも唐桃の名で登場する。
データ作成に参照したweb page:かぎけん花図鑑、みんなの花図鑑、等
河津桜と銀葉アカシア 東京都江東区 都立木場公園
銀葉アカシア〈木場公園〉令和3年3月撮影↗
フサアカシア〈葛西臨海公園〉平成30年3月撮影↗
銀葉アカシアとフサアカシアの違い 平成27年3月撮影↗
河津桜と銀葉アカシア 令和6年3月14日撮影
銀葉アカシアはピークを越えていましたが、河津桜は満開



カワヅザクラ

銀葉アカシア


銀葉アカシアのデータ
【別 名】 ミモザ、花アカシア、ミモザアカシア
【分 類】 マメ科 アカシア属。分類体系によってはネムノキ科
【学 名】 Acacia baileyana
【花弁色】 黄色。花径:0.7 cm程度
【花 弁】 枝先に総状花序(柄のある花が花茎に均等につく)を出し、花径1㎝に満たない球状の花をたくさんつける。
【備 考】 オーストラリアの国花
データ作成に参照したweb page:かぎけん花図鑑、wiki、ほか
銀葉アカシア〈木場公園〉令和3年3月撮影↗
フサアカシア〈葛西臨海公園〉平成30年3月撮影↗
銀葉アカシアとフサアカシアの違い 平成27年3月撮影↗
河津桜と銀葉アカシア 令和6年3月14日撮影
銀葉アカシアはピークを越えていましたが、河津桜は満開



カワヅザクラ

銀葉アカシア


銀葉アカシアのデータ
【別 名】 ミモザ、花アカシア、ミモザアカシア
【分 類】 マメ科 アカシア属。分類体系によってはネムノキ科
【学 名】 Acacia baileyana
【花弁色】 黄色。花径:0.7 cm程度
【花 弁】 枝先に総状花序(柄のある花が花茎に均等につく)を出し、花径1㎝に満たない球状の花をたくさんつける。
【備 考】 オーストラリアの国花
データ作成に参照したweb page:かぎけん花図鑑、wiki、ほか
ヒメリュウキンカ〈姫立金花〉 都内散歩
ヒメリュウキンカ〈姫立金花〉 令和6年3月14日撮影






ヒメリュウキンカ〈姫立金花〉のデータ
キクザキリュウキンカ属の園芸品種
【別 名】 オウシュウキンポウゲ
【分 類】 キンポウゲ科 キクザキリュウキンカ属(キンポウゲ属)
【学 名】 Ranunculus ficaria
【花弁色】 黄(光沢がある)、白。
【花 径】 花径:2~4 cm。花弁数:8~10枚。八重咲き種もある
【備 考】
データ作成に参照したweb page:かぎけん花図鑑、他
ヒメリュウキンカ〈姫立金花〉 令和6年3月14日撮影






ヒメリュウキンカ〈姫立金花〉のデータ
キクザキリュウキンカ属の園芸品種
【別 名】 オウシュウキンポウゲ
【分 類】 キンポウゲ科 キクザキリュウキンカ属(キンポウゲ属)
【学 名】 Ranunculus ficaria
【花弁色】 黄(光沢がある)、白。
【花 径】 花径:2~4 cm。花弁数:8~10枚。八重咲き種もある
【備 考】
データ作成に参照したweb page:かぎけん花図鑑、他
ハクモクレン 〈ハクモクレンの咲く潮風の散歩道〉 東京都江東区
ハクモクレン〈東京都江東区 汐浜運河・潮風の散歩道〉 令和4年3月撮影↗ 令和5年3月撮影↗
【住 所】 東京都江東区東陽1丁目39-4 地図⇒Mapion
汐浜運河沿いの「潮風の散歩道」のハクモクレンについて
ハクモクレンの並木・潮風の散歩道 令和6年3月14日撮影
潮風の散歩道のハクモクレン

ハクモクレンの並木は汐浜運河添いの1.2㎞

今年は、木々の花数は少ないように見える



花や枝の間から青い空が目立つ


個々の花はきれいに咲いている


ヒヨドリが花弁を啄む姿を随所で確認


白く大きなモクレンの花 そして青い空に映える景色を楽しめました


ハクモクレン〈東京都江東区 汐浜運河・潮風の散歩道〉 令和4年3月撮影↗ 令和5年3月撮影↗
【住 所】 東京都江東区東陽1丁目39-4 地図⇒Mapion
汐浜運河沿いの「潮風の散歩道」のハクモクレンについて
潮風の散歩道のハクモクレンは、江東区が汐浜運河の護岸の高潮対策として1988~1992年に1.2kmの遊歩道:潮風の散歩道を整備、その際に、潮風にも耐える季節花ハクモクレンを当時335本植樹したもの。
なお、現在では、南側護岸にも植えられています。参考: 汐浜運河(しおはまうんが)は、東京都江東区の越中島、古石場、木場、東雲、塩浜を流れる運河。
なお、現在では、南側護岸にも植えられています。参考: 汐浜運河(しおはまうんが)は、東京都江東区の越中島、古石場、木場、東雲、塩浜を流れる運河。
ハクモクレンの並木・潮風の散歩道 令和6年3月14日撮影
潮風の散歩道のハクモクレン


ハクモクレンの並木は汐浜運河添いの1.2㎞

今年は、木々の花数は少ないように見える



花や枝の間から青い空が目立つ


個々の花はきれいに咲いている


ヒヨドリが花弁を啄む姿を随所で確認


白く大きなモクレンの花 そして青い空に映える景色を楽しめました




上野動物園〈パンダ:リーリー ヒガシクロサイ バイソン カワウ ゾウ〉 都内散歩 上野動物園公式サイト (令和6年2月15日撮影)
上野動物園のパンダは4頭を飼育中
パンダ:リーリー
リーリーが食事時間で部屋から出てきたところ (食事が始まるということで再度訪問して歩いている姿を撮影)

12時過ぎには熟睡中


リーリーの面会記念にスタンプを頂きました

ヒガシクロサイ




バイソン

カワウ
不忍池や池の木に沢山のカワウがいました



ぞう

上野動物園のパンダは4頭を飼育中
2011年に来日したリーリー(父)シンシン(母)と、この親から2021年に生まれた双子のシャオシャオ(オス)レイレイ(メス)の4頭を飼育中
パンダ:リーリー
リーリーが食事時間で部屋から出てきたところ (食事が始まるということで再度訪問して歩いている姿を撮影)

12時過ぎには熟睡中


リーリーの面会記念にスタンプを頂きました

ヒガシクロサイ




バイソン

カワウ
不忍池や池の木に沢山のカワウがいました



ぞう

平和地蔵尊(浅草寺) 東京都台東区浅草
平和地蔵尊
住 所 東京都台東区浅草2丁目3番 地図☞☞Mapion
建立者 龍郷定雄氏
制作者 不明
建立年 昭和24年4月
平和地蔵尊(浅草寺) 令和6年2月1日撮影



上の写真の石碑の文面
平和地蔵尊由来記
第二次世界大戰はその規模においても
その被害についてもまことに甚大であった
ことに昭和二十年三月十日の大空襲には
この附近一帯は横死者の屍が累として山をなし
その血潮は川となって流れた
その惨状はこの世の姿ではない
これ等の戦争犠牲者の霊を慰めることこそ
世界平和建設の基となるものである
ここに平和地蔵尊を祭り
その悲願を祈るため
昭和二十四年四月こゝに安置された次第である
(参照:総務省HP 一般戦災死没者の追悼 > 追悼施設 >、他)
平和地蔵尊
住 所 東京都台東区浅草2丁目3番 地図☞☞Mapion
建立者 龍郷定雄氏
制作者 不明
建立年 昭和24年4月
平和地蔵尊(浅草寺) 令和6年2月1日撮影



上の写真の石碑の文面
平和地蔵尊由来記
第二次世界大戰はその規模においても
その被害についてもまことに甚大であった
ことに昭和二十年三月十日の大空襲には
この附近一帯は横死者の屍が累として山をなし
その血潮は川となって流れた
その惨状はこの世の姿ではない
これ等の戦争犠牲者の霊を慰めることこそ
世界平和建設の基となるものである
ここに平和地蔵尊を祭り
その悲願を祈るため
昭和二十四年四月こゝに安置された次第である
(参照:総務省HP 一般戦災死没者の追悼 > 追悼施設 >、他)
久米平内堂(浅草寺) 東京都台東区浅草
久米平内堂は久米平内(粂 平内(読み同)とも表記)をまつるお堂で、浅草の縁結びの神様として知られています。
久米平内(1616年2月20日 - 1683年7月29日)は、兵藤平内兵衛長守(通称は平内兵衛)といい、江戸時代前期に実在した日本の武士、剣術家。お堂には平内の石像が納めるられている。(参照:wiki、蔵前天文堂、他)
久米平内堂
住所 東京都台東区浅草2丁目3番 地図☞☞Mapion
平内堂の歴史
江戸時代(貞享年代1684〜87年頃)に建てられた。
安政三年の震災により破壊、その後再建。
昭和20年 東京大空襲で焼失
昭和54年 現在のお堂を浅草寺開創1350年記念に浅草観光連盟が建立・寄進
久米平内堂(浅草寺) 令和6年2月1日撮影


堂に納められている久米平内の石像(キャプチャー:浅草うまいもの会)


久米平内堂 説明掲示を記載
台東区浅草二丁目三番一号 浅草寺
久米平内は江戸時代前期の武士。『武江年表』によると、天和三年(一六八三)に没したとされるが、その生涯については諸説あり、実像は明らかではない。
平内堂には次のような伝承がある。平内は剣術に秀でており、多くの人をあやめてきた。後年、その供養のために、仁王坐禅の法を修行し、浅草寺内の金剛院に住んで禅に打ちこんだという。臨終にのぞみ自らの姿を石に刻ませ、多くの人々に踏んでもらうことによって、犯した罪を償うために、この像を人通りの多い仁王門付近に埋めたと伝える。
その後、石像はお堂に収められたという。「踏付け」が「文付け」に転じ、願文をお堂に納めると願い事が叶うとされ、江戸時代中期以降、とくに縁結びの神として庶民の信仰を集めた。
平内堂は、昭和二十年三月の戦災で焼失した。現在のお堂は同五十三年十月に浅草寺開創千三百五十年記念として再建されたものである。
平成十八年三月 台東区教育委員会
作品名:「粂の平内 松本幸四郎」絵師:歌川豊国 情報源:東京都立図書館

久米平内堂は久米平内(粂 平内(読み同)とも表記)をまつるお堂で、浅草の縁結びの神様として知られています。
久米平内(1616年2月20日 - 1683年7月29日)は、兵藤平内兵衛長守(通称は平内兵衛)といい、江戸時代前期に実在した日本の武士、剣術家。お堂には平内の石像が納めるられている。(参照:wiki、蔵前天文堂、他)
久米平内堂
住所 東京都台東区浅草2丁目3番 地図☞☞Mapion
平内堂の歴史
江戸時代(貞享年代1684〜87年頃)に建てられた。
安政三年の震災により破壊、その後再建。
昭和20年 東京大空襲で焼失
昭和54年 現在のお堂を浅草寺開創1350年記念に浅草観光連盟が建立・寄進
久米平内堂(浅草寺) 令和6年2月1日撮影


堂に納められている久米平内の石像(キャプチャー:浅草うまいもの会)


久米平内堂 説明掲示を記載
台東区浅草二丁目三番一号 浅草寺
久米平内は江戸時代前期の武士。『武江年表』によると、天和三年(一六八三)に没したとされるが、その生涯については諸説あり、実像は明らかではない。
平内堂には次のような伝承がある。平内は剣術に秀でており、多くの人をあやめてきた。後年、その供養のために、仁王坐禅の法を修行し、浅草寺内の金剛院に住んで禅に打ちこんだという。臨終にのぞみ自らの姿を石に刻ませ、多くの人々に踏んでもらうことによって、犯した罪を償うために、この像を人通りの多い仁王門付近に埋めたと伝える。
その後、石像はお堂に収められたという。「踏付け」が「文付け」に転じ、願文をお堂に納めると願い事が叶うとされ、江戸時代中期以降、とくに縁結びの神として庶民の信仰を集めた。
平内堂は、昭和二十年三月の戦災で焼失した。現在のお堂は同五十三年十月に浅草寺開創千三百五十年記念として再建されたものである。
平成十八年三月 台東区教育委員会
作品名:「粂の平内 松本幸四郎」絵師:歌川豊国 情報源:東京都立図書館

地蔵菩薩像 阿弥陀如来像(浅草寺) 東京都台東区浅草
地蔵菩薩像 阿弥陀如来像
住所 東京都台東区浅草2丁目3番 地図☞☞Mapion(二尊像と背中合わせ)
阿弥陀如来像(右) 寛文十一年(1671年)造立
地蔵菩薩像 (中) 享保十一年(1726年)造立
阿弥陀如来像(左) 延宝五年 (1677年)造立
地蔵菩薩像 阿弥陀如来像(浅草寺) 令和6年2月1日撮影



阿弥陀如来像

地蔵菩薩像

阿弥陀如来像

地蔵菩薩像 阿弥陀如来像の説明掲示

掲示の文面
地蔵菩薩像 阿弥陀如来像
中央にお地蔵さま、左右には阿弥陀さまが奉安されている。
中央のお地蔵さまは、我々衆生を苦しみから救っ てくださる仏さま。
左右に奉安される阿弥陀さまは、西方極楽浄土 にあって無量の智慧と慈悲の光で我々衆生を救済 してくださる仏さま。
この三体の仏さまは、江戸時代より穏やかに 我々を見守られている。
右 阿弥陀如来像 寛文十一年(一六七一)造立
中央 地蔵菩薩像 享保十一年(一七二六)造立
左 阿弥陀如来像 延宝五年(一六七七)造立
金龍山 浅草寺
地蔵菩薩像 阿弥陀如来像
住所 東京都台東区浅草2丁目3番 地図☞☞Mapion(二尊像と背中合わせ)
阿弥陀如来像(右) 寛文十一年(1671年)造立
地蔵菩薩像 (中) 享保十一年(1726年)造立
阿弥陀如来像(左) 延宝五年 (1677年)造立
地蔵菩薩像 阿弥陀如来像(浅草寺) 令和6年2月1日撮影



阿弥陀如来像

地蔵菩薩像

阿弥陀如来像

地蔵菩薩像 阿弥陀如来像の説明掲示

掲示の文面
地蔵菩薩像 阿弥陀如来像
中央にお地蔵さま、左右には阿弥陀さまが奉安されている。
中央のお地蔵さまは、我々衆生を苦しみから救っ てくださる仏さま。
左右に奉安される阿弥陀さまは、西方極楽浄土 にあって無量の智慧と慈悲の光で我々衆生を救済 してくださる仏さま。
この三体の仏さまは、江戸時代より穏やかに 我々を見守られている。
右 阿弥陀如来像 寛文十一年(一六七一)造立
中央 地蔵菩薩像 享保十一年(一七二六)造立
左 阿弥陀如来像 延宝五年(一六七七)造立
金龍山 浅草寺
二尊仏(浅草寺) 東京都台東区浅草
二尊仏
住所 東京都台東区浅草2丁目3番 地図☞☞Mapion
造立 貞享四年(1687年)
作者 太田久衛門正儀(仏師)
願主 高瀬善兵衛(上野国(現:群馬県)の出身)
改修 安永六年(1777年)
二尊仏(浅草寺) 令和6年2月1日撮影

勢至菩薩坐像 観音菩薩坐像

二尊仏の説明掲示

二尊仏(浅草寺)掲示文面
台東区浅草二丁目三番 浅草寺
「濡れ仏」の名で世に知られるこの二尊仏は、観音(右)、勢至(左)二菩薩の金銅坐像で、像の高さは共に二・三六メー ル、蓮台を含めれば四・五四メートルにおよぶ。基壇の組石は、長さ約十二メートル、幅六・一二メートル、高さ一・五メー トトルとなっている。
蓮弁台座銘によれば、願主は上野国(群馬県) 館林在大久保村の高瀬善兵衛。かつて奉公した日本橋伊勢町の米問屋成井家より受けた恩を謝し、観音像は、旧主善三郎の菩提を弔うため、勢至像はその子次郎助の繁栄を祈るため、貞享四年(一六八七)八月に造立した。
江戸時代初期の優秀な鋳造仏の一つで神田鍋町の太田久衛門正儀の作。
安永六年(一七七七)二月高瀬仙右衛門が施主、千住の高瀬奥右衛門が願主となり、修理したことが観音像銘に追刻されている。
平成十年三月 台東区教育委員会
二尊仏
住所 東京都台東区浅草2丁目3番 地図☞☞Mapion
造立 貞享四年(1687年)
作者 太田久衛門正儀(仏師)
願主 高瀬善兵衛(上野国(現:群馬県)の出身)
改修 安永六年(1777年)
二尊仏(浅草寺) 令和6年2月1日撮影

勢至菩薩坐像 観音菩薩坐像


二尊仏の説明掲示

二尊仏(浅草寺)掲示文面
台東区浅草二丁目三番 浅草寺
「濡れ仏」の名で世に知られるこの二尊仏は、観音(右)、勢至(左)二菩薩の金銅坐像で、像の高さは共に二・三六メー ル、蓮台を含めれば四・五四メートルにおよぶ。基壇の組石は、長さ約十二メートル、幅六・一二メートル、高さ一・五メー トトルとなっている。
蓮弁台座銘によれば、願主は上野国(群馬県) 館林在大久保村の高瀬善兵衛。かつて奉公した日本橋伊勢町の米問屋成井家より受けた恩を謝し、観音像は、旧主善三郎の菩提を弔うため、勢至像はその子次郎助の繁栄を祈るため、貞享四年(一六八七)八月に造立した。
江戸時代初期の優秀な鋳造仏の一つで神田鍋町の太田久衛門正儀の作。
安永六年(一七七七)二月高瀬仙右衛門が施主、千住の高瀬奥右衛門が願主となり、修理したことが観音像銘に追刻されている。
平成十年三月 台東区教育委員会
道引長太郎地蔵尊 東京都台東区浅草
【住 所】東京都台東区浅草3-6⇒ Google地図
【縁 起】
道引長太郎地蔵尊 令和6年2月1日撮影

言問通に面し 常盤堂雷おこし本舗 雷5656会館に隣接


道引長太郎地蔵尊縁起

【住 所】東京都台東区浅草3-6⇒ Google地図
【縁 起】
道引長太郎地蔵尊縁起
江戸末期文政嘉永の頃、金竜山浅草寺に資性純朴な長太郎と云う者がおり、良く寺に仕え、信者及び街の人々より信望を受け生涯を浅草寺と街の為に尽くし、長寿を全うしました。
この事を聞いた当時の浅草寺住職であった上野輪王寺門跡の宮様である慈性法親王が浅草寺別当大僧正に命じ一体の延命地蔵尊を建立させ、之を長太郎地蔵尊と命名し長太郎の忠誠を末永く記念しました。
そして、昭和以降この地蔵尊は俗に「道引長太郎地蔵尊」と呼ばれ、道引とは引導に通じ、この地蔵尊を信仰すれば将来浄土にみちびいて頂けると言う機縁に恵まれると云う意味であり又、俗説には浅草寺馬屋番の世話役男衆の弔い地蔵と言う説も有ります。
地蔵尊祭礼は当町会により毎年7月24日、浅草寺の僧侶により回向が執り行われます。
浅草3丁目象一町会(道引長太郎地蔵尊縁起を写す)
江戸末期文政嘉永の頃、金竜山浅草寺に資性純朴な長太郎と云う者がおり、良く寺に仕え、信者及び街の人々より信望を受け生涯を浅草寺と街の為に尽くし、長寿を全うしました。
この事を聞いた当時の浅草寺住職であった上野輪王寺門跡の宮様である慈性法親王が浅草寺別当大僧正に命じ一体の延命地蔵尊を建立させ、之を長太郎地蔵尊と命名し長太郎の忠誠を末永く記念しました。
そして、昭和以降この地蔵尊は俗に「道引長太郎地蔵尊」と呼ばれ、道引とは引導に通じ、この地蔵尊を信仰すれば将来浄土にみちびいて頂けると言う機縁に恵まれると云う意味であり又、俗説には浅草寺馬屋番の世話役男衆の弔い地蔵と言う説も有ります。
地蔵尊祭礼は当町会により毎年7月24日、浅草寺の僧侶により回向が執り行われます。
浅草3丁目象一町会(道引長太郎地蔵尊縁起を写す)
道引長太郎地蔵尊 令和6年2月1日撮影

言問通に面し 常盤堂雷おこし本舗 雷5656会館に隣接


道引長太郎地蔵尊縁起

浅草寺 〈弁天堂 時の鐘〉 東京都台東区浅草 金龍山浅草寺
弁天堂 境内掲示を写す
【弁天堂・時の鐘の住所】 東京都台東区浅草2丁目3番 地図☞☞Mapion
弁天堂 令和6年2月1日撮影




鐘楼:時の鐘


弁天堂 境内掲示を写す
弁天山と呼ばれる小丘の上に立つこのお堂は、昭和五十八年に再建されたもの。
ご本尊は白髪のため「老女弁財天」といわれる。関東三弁天(神奈川県江ノ島・千葉県柏市布施と合わせ)の一つとされ、小田原北条氏の信仰が篤かった。
境内の鐘楼の鐘は、元禄五年(一六九二)五代将軍徳川綱吉公改鋳の江戸時代の「時の鐘」として、芭蕉の句『花の雲 鐘は上野か浅草か』で有名。現在は、毎朝六時に 役僧が撞き鳴らし、大晦日には「除夜の鐘」が点打される。
弁財天さまのご縁日は、「巳の日」で、堂内にてお参りができる。
金龍山浅草寺
ご本尊は白髪のため「老女弁財天」といわれる。関東三弁天(神奈川県江ノ島・千葉県柏市布施と合わせ)の一つとされ、小田原北条氏の信仰が篤かった。
境内の鐘楼の鐘は、元禄五年(一六九二)五代将軍徳川綱吉公改鋳の江戸時代の「時の鐘」として、芭蕉の句『花の雲 鐘は上野か浅草か』で有名。現在は、毎朝六時に 役僧が撞き鳴らし、大晦日には「除夜の鐘」が点打される。
弁財天さまのご縁日は、「巳の日」で、堂内にてお参りができる。
金龍山浅草寺
【弁天堂・時の鐘の住所】 東京都台東区浅草2丁目3番 地図☞☞Mapion
弁天堂 令和6年2月1日撮影




鐘楼:時の鐘

