『方丈記』の有名な書き出しの部分は,これが仏教でいうところの「無常」ということで、『方丈記』(鴨長明)という作品全体の内容がどのような背景から生まれ,なにを伝えているのかということは「NHK100分で名著」でよくわかる。
表面の静けさの奥底に,ゲンユウさんの,許しが たい抑えがたい感情が伝わる。「3・11」後を生きるひとりの人間として「いま」という時間と真っ正 面から向き合って生きる玄侑さんの,真摯な姿が『方丈記』の鴨長明の胸の内と共鳴・共振している。
『方丈記』を繙きながら,の「生きる」ことを鴨長明が貴族の出身(鴨という名字が示しているように,下鴨神社の宮司の家柄)でありながら,華美の かぎりをつくすような生活を忌避して,庶民の地獄のような暮し(地震,雷,火事,冷害,食料難,飢餓,病気の蔓延,放置されたままの死体の山,など)のな かに身を埋め,ひとり山のなかに「方丈」の庵に暮らす。
これまで原発に依存し贅沢三昧の暮らしになんの疑問もいだくことなく生活した「3・11」以前の「生き方」を,もう一度,原 点に立ち返って考え直す。
鴨長明の「方丈」の庵は,何回も引っ越しを余 儀なくされ、与えられた大きな貴族の屋敷を捨て,引っ越すたびに10分の1に縮小して住み処(栖)を憂えながら,最後に,と「方丈」の庵に至る。
「方丈」とは,文字通り「一丈四方の建物」のこと。ほぼ「四畳半」 の部屋。自由自在に転居が可能なを創案して,世の喧騒から身を隠すようにして, 自給自足の生を営む道を選んだ。
「3・11」後を生きる身に共感・共鳴を寄せ,この方丈の庵で営む「生」にこそ,人間が「生きる」ということの原初形態とした。
禅宗の寺では「方丈」と呼ばれる独立した小さな部屋が,住職さんが仕事に専念するため、坊さんのことを「方丈さん」と呼ぶ。
僧侶は「方丈」との部屋で充分で伽藍は余分なものという自戒の念もこめられている。曹洞宗の開祖である道元さんは,立派な伽藍を構えると堕落するから、それを拒否したという。ささやかな修行道場を建てたのが永平 寺で、立派な伽藍になったのは,ずっとあとになってからである。また,道元さんを尊敬した良寛さんは, 修行した寺の師匠から寺の後継者として指名された翌日,放浪の旅にでて,生涯にわたって「方丈」の庵生活だったことはよく知ら れている。
『方丈記』読解をとおして,「3・11」後の人間の「生き方」の,新たな可能性を探る。=コンパクトな自治 グローバル経済原理の中に組み込まれ、経済効率化の名の下、大きな人工システムの中に小さな部品を演じさせられている。 高度成長期までは国家の目的と個人の目的は一致していたかもしれない。 今はアメリカを中心ととする日本人の生活とも心情とも歴史ともかけ離れたシステム化の中で生きてゆかなくてはならない。それは郵政民営化とTPP参加で総仕上げされる。 一個の部品のように息苦しく生きてゆかねばならない。 コンパクトな暮らしをしてゆけば良い、人間は本来コンパクトな暮らしをしたいのだ。 「経世済民」とは=経済...世を治め民を救うことで、経済は国家にも国民にもなくてはならないものだ。しかし、すべてを市場原理に一本化する必要はなく巨大な市場原理に全てを任せ、医療も教育も市場に呑み込まれ、世界を均一にシステム化するグローバリズムである。 それと決別し、正反対の暮らし=生活をする。手作りの小さなコミュニティで生活してゆけば、多少の不便はあっても、部品のような感覚を持たずに生きていける。 江戸時代は旧藩(三つの府と三百ニの藩)の中で自給自足で成り立っていた。合併より細かく分ける。コンパクトな自治を本気で考える時代になった。 原発で大量電力で日本人の自然の捉え方が欧米的になり、科学技術の進歩で自然はコントロールすべき、できるもの征服できるものになってしまった。 我々の自然との関係は時には厳しく、手に負えないが、その影響で実りもあれば、無常観を養うことは出来た。 つまり,自立(自律)すること,自分の足で大地に立つことを確認し
,食べ物は地産地消,電気は町営の発電所(水車でもできる,と提案),大よりは小を・・・・ 「3・11」後を生きるための アイディアを模索し,提案し、結論は,「無常」というこころのあり方の中に秘めらた「力」をわがものとすべし,としている。
本の帯に書いてあるキャッチ・コピーの引用
八百年の時を越えてよみがえる智恵と覚悟──。
無常を自らの力にして,
天災と戦乱の世を生き延びた鴨長明はこう綴る。
「気力を失い何も手に付かない時もある。それでも気に病むことはない。」
何が起ころうと悩まない,決めつけない・・・・
全てを受けいれ,揺らぎ続ける。
それが自由になること,強くなること,そして未来を楽しむことである。
「方丈」とは,文字通り「一丈四方の建物」のこと。ほぼ「四畳半」 の部屋。自由自在に転居が可能なを創案して,世の喧騒から身を隠すようにして, 自給自足の生を営む道を選んだ。
「3・11」後を生きる身に共感・共鳴を寄せ,この方丈の庵で営む「生」にこそ,人間が「生きる」ということの原初形態とした。
禅宗の寺では「方丈」と呼ばれる独立した小さな部屋が,住職さんが仕事に専念するため、坊さんのことを「方丈さん」と呼ぶ。
僧侶は「方丈」との部屋で充分で伽藍は余分なものという自戒の念もこめられている。曹洞宗の開祖である道元さんは,立派な伽藍を構えると堕落するから、それを拒否したという。ささやかな修行道場を建てたのが永平 寺で、立派な伽藍になったのは,ずっとあとになってからである。また,道元さんを尊敬した良寛さんは, 修行した寺の師匠から寺の後継者として指名された翌日,放浪の旅にでて,生涯にわたって「方丈」の庵生活だったことはよく知ら れている。
『方丈記』読解をとおして,「3・11」後の人間の「生き方」の,新たな可能性を探る。=コンパクトな自治 グローバル経済原理の中に組み込まれ、経済効率化の名の下、大きな人工システムの中に小さな部品を演じさせられている。 高度成長期までは国家の目的と個人の目的は一致していたかもしれない。 今はアメリカを中心ととする日本人の生活とも心情とも歴史ともかけ離れたシステム化の中で生きてゆかなくてはならない。それは郵政民営化とTPP参加で総仕上げされる。 一個の部品のように息苦しく生きてゆかねばならない。 コンパクトな暮らしをしてゆけば良い、人間は本来コンパクトな暮らしをしたいのだ。 「経世済民」とは=経済...世を治め民を救うことで、経済は国家にも国民にもなくてはならないものだ。しかし、すべてを市場原理に一本化する必要はなく巨大な市場原理に全てを任せ、医療も教育も市場に呑み込まれ、世界を均一にシステム化するグローバリズムである。 それと決別し、正反対の暮らし=生活をする。手作りの小さなコミュニティで生活してゆけば、多少の不便はあっても、部品のような感覚を持たずに生きていける。 江戸時代は旧藩(三つの府と三百ニの藩)の中で自給自足で成り立っていた。合併より細かく分ける。コンパクトな自治を本気で考える時代になった。 原発で大量電力で日本人の自然の捉え方が欧米的になり、科学技術の進歩で自然はコントロールすべき、できるもの征服できるものになってしまった。 我々の自然との関係は時には厳しく、手に負えないが、その影響で実りもあれば、無常観を養うことは出来た。 つまり,自立(自律)すること,自分の足で大地に立つことを確認し
,食べ物は地産地消,電気は町営の発電所(水車でもできる,と提案),大よりは小を・・・・ 「3・11」後を生きるための アイディアを模索し,提案し、結論は,「無常」というこころのあり方の中に秘めらた「力」をわがものとすべし,としている。
本の帯に書いてあるキャッチ・コピーの引用
八百年の時を越えてよみがえる智恵と覚悟──。
無常を自らの力にして,
天災と戦乱の世を生き延びた鴨長明はこう綴る。
「気力を失い何も手に付かない時もある。それでも気に病むことはない。」
何が起ころうと悩まない,決めつけない・・・・
全てを受けいれ,揺らぎ続ける。
それが自由になること,強くなること,そして未来を楽しむことである。
憂鬱でも心を悩ませる必要が無い。心に執着がなければ、狭いところでも、広くなる。
世界は心で変わる。一切は心が作るもの (唯心論) 信念を持ってしまうと、・・常に新しい経験をしていく。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます