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いっそ捨ててください

2010-02-07 04:04:00 | フィクションだかノンフィクションだか
捨てるなら捨ててくれたほうがいいのに

いっそ、うっとーしいからって捨ててください
お願いします


おばあちゃんだけがホントに味方だったかもしれない

母は産まれる前から私を愛しきれなかった事情がある


おばあちゃんおばあちゃんおばあちゃん~

どう生きればいいかわからないよ


強がって笑うことは覚えたけど、甘え方を教えてほしかったよ

誰か私を本気で愛した?

間違った選択をした彼の心の欠陥か、私のせいか


ねえ
せめてビリー
私がボストンに行きたいと言ったら、いる間私といてくれる?
私を愛してくれる?
たった数日でも、その時が本気なら一生生きていける

誰か
どうして?
私が病気だから?

もう子供も産めないだろう私でも受け入れてくれる人はいないのですか?

どうして
私はこのままの私では受け入れてもらえないのですか?

少しだけ
少しだけ安心させてくれたら
こんな否定型の文ばっか書かへんわ

15年以上結構頑張ってミーハーなこと言ったり書いたり
前向きに明るくお馬鹿に
そうする他に私の救いはなかったから出来たのかな

怖くて外に出れない私と

新しい出会い、素敵と思う人との出会いや再会は望む私
すぐには動けないし、段々それも怖くなりつつあるけど


日記2

2010-02-06 04:43:00 | フィクションだかノンフィクションだか
「曲げられない女」を見て、10年日記を私も書いていたら、と思った。前進、回復変化とともに何も変わらないことが浮き彫りにされただろう。

例えば
最たる例
もしくはそれが全ての元凶…のひとつにして最大(でなければ何なのか考えると…)

1月21日の日記はきっと同じようなことが書かれているだろう。

15日前のことも思い出せないのに、15年前のその日、家族を安心させるためにプロフェッショナルとも言える笑顔をたたえながら、私の心が祝福の中、冷え冷えと凍りついていったその感覚。それは、さっきのことのように甦る。

知らんぷりして過ごせばいつか忘れられる。
縛られるのが嫌いで服もゆるゆるな私が、いつまでも過去に縛られるなんてあり得ない。
人といるんだから、ここはその場のノリで。接客業のお陰で人といると私は笑える。嘘や上っ面の笑顔でなく、人といるという理由で。

そんなこんなでごまかせる年も、せまりくる21日に向かい心が凍っていく。ごまかせばごまかすほど21日以降も溶けない。
でも、でもだ。
あれやこれやでまた来年…。それまでは、またその感覚は何かリンクすることがあればふいに目覚めるが、なんとかしのいでいるうちにフェイドアウトするのだ。

10年日記をつけていたら、前後の過ごし方でどう違うのか、考察出来たかもしれない。


今年は確かにごまかせることが何もなくて、芝居のエントリーを忘れたり、また片付けが進めなくなったりしてるけど、でも、「水曜どうでしょう」の再放送で馬鹿笑いしたり、祖母の思い出に母と笑ったり、母と角界について真面目に語り合ったりもしてるんだ。

やれば出来るはずなのに、凍っていく感覚がフェイドアウトしてくれない。
またそれが情けない。

もう15年も経ったのに…。

って、10年の節目にも同じこと考えてたし…。情けない。

ていうか、曖昧ではあるけど、取扱注意期間について何か言葉にしてみてるだけ、5年前の私のほうが偉いかも。


日記

2010-02-01 06:03:00 | フィクションだかノンフィクションだか
今日から2月。

1年の12分の1が終わってしまった、と考えるには虚しい1月だったので…、旧暦で生きようかしら。
その前に年越し(節分)があるので、そこで仕切り直し、残る11か月充実させるしかないか。

気分を変えるために髪を染めた。ボトルぷしゅぷしゅで、親指の腱鞘炎が痛い。しかし自分染めと美容室では値段が違う。背に腹は変えられないということで。

堺さんと斗真が、映画の宣伝でテレビによく出てる。以前の堺さん@情熱大陸の時は堂本兄弟がズレてくれたのでありがたかったが、今回の斗真はかぶったまま。前半だけ予約録画。1segでも予約録画しておいたが、録れてない。後半が見たいよぉ。
それにしても堺さん@おしゃれイズムは面白かった。酵素檜風呂で、N氏が10分見守ってたのもおかしかったけど、起き上がるのに何気なく手を出した堺さんの手を取るN氏に少しだけ間があって、微笑ましいゲイカップルみたいに見えて更におかしかった。

この二人を同時にMAXで好きだった時代があったことを思い出した。松本に堺さんの芝居『喪服の似合うエレクトラ』を観に行き、翌日名古屋でN氏のコンサート。高見沢さんと光一さんと違い、堺さんとN氏はかなりタイプが違うのにな(笑)。

堺さんの映画を映画館でなかなか観ていないので、『ゴールデンスランバー』は観に行きたい。

高見沢さんと言えば、アル様京都コン初日が高見沢BDコンになってしまったので、チケットが心配だったが、ありがたいことに当選した!忘れず入金しなければならない。

映画館と言えば、范逸臣の『海角七号』を観に行けなかったのだけど、調べたらまだ地味にやってるのかもしれない。でも今週がラストチャンスだと思われる。

映画館と言えば(2)、堺さんが大阪で『蛮幽鬼』をやってる時に、アニメ『人間失格』ディレクターズカット版(堺さん声優)の前売り券を買うかかなり迷った。付録の人間失格ノートが欲しかったのね。1月19日からはじまる映画にはやはり行けなかったから、買わなくて(無駄にしなくて)よかったんだけど。

年末年始に関西でもアニメ青い文学シリーズを放送してくれた。捕獲したけど、まだ観ていない。セルDVDの特典、堺雅人アフレコ風景が気になる…。

『人間失格』と言えば、斗真の初主演映画なので、出来れば映画館で観てみたいけど、行けるだろうか。

人間失格と言えば、よく考えたら読んでないのに、自分が相当ダメな時は、人間失格だ…とか思う。

取扱注意期間のメインは1月17日から21日。今年はなすがままに落ち込んでみたら、結構ひどく落ち込んだ。いったい、私はいつまでこれをひきづっていくんだろう。

あまりにダメで、うっかりここに書いてしまったので、曖昧過ぎることを一度言葉にしてみようと思っていたが、難しい。
だがしかし、思考が思わしくないにしろ、まともな思考な時も言葉にした途端にわけのわからない日本語になるのだから、お返事はその時のベターで、しないといけなかったと反省。


睡眠の質がよくないみたいだ。考え過ぎるのがよくないんだけど、これでもマシになったほうだ。

考えると言えば、見るラジオ(正式名称にあらず)でさださんが、「恩はきるものできせるものじゃないんだよね」と、ハガキを読んだあとに、そうだそうだという雰囲気で言った。
12月にチケットのことでとやかくメールに書かれてすごく気持ちの悪い思いをしたのだけど、あぁそうか第三者なのに恩着せがましい内容だったんだと思った。と、同時に知らず知らずに私は恩着せがましくなってないだろうかと気になった。比較的に、恩にきてますという感謝の気持ちを現すのも悲しいかな苦手なのだが、同じように、してあげた的なことを現すのも苦手なので(勝手にしたがってするから、ご迷惑では?と思いこそすれしてあげた感自体がないかも)、大丈夫かなぁとは思うが、これから気をつけようと思った。

台北に行ってからもう3か月経つんだ…、と思い、祖母がいなくなってからまだ4か月なんだと思う。

とにかく頑張ろう。




今年のカレンダーは仔仔(笑)。今まで買ったことなかったけど、今年のは迷(ファン)からのリクエストでシチュエーションを考えて撮ったというので、買ってみた。か、可愛い(爆)

illuminate

2009-11-23 16:28:00 | フィクションだかノンフィクションだか
街は光に溢れているのに楽しくない
そんなことは今まで幾らもあった
街は浮かれている人や急いでいる人で溢れているが心に穴を空けながら平気な風で歩いている人も少なからずいるはずだ
いつだって色んな気持ちの人が交差しているのだけどこの時期は少し残酷
毎年そう思う

苦しいのか辛いのかむなしいのか体が悪いのかわからないけど目眩がすることがある
というか立っていられない気持ちになる
そんなことも今まで幾らもあった

街を歩いて時節柄のすきま風を感じてちょっと寂しく思うことは今年は全くない

ハッピークリスマスを演出する電飾に素直に暖かさを感じるくらいだ

ただ私の足元はぐらついている

行き先もわからない

今まで大勢がそうであるように決めた道を試行錯誤しながら最善を目指して歩いた
その日々はその後の私には憧れですらあるが支えでもある
またやれるはずだ

道半ばで倒れやっと切り開いた道を潰されては道なき道を必死で自分の目指そうとする光に向かって這いながら進もうとしたこともある

道を閉ざされた私は立ち止まると出来る限りの全方位を見渡せることに気づいたりもした
どっちに進めるかは別として

そして私は道なき道を進むというよりは今思えば色んな方向が見える場所でその時現れる道をただひたすら歩いたように思う

現れる道は祖母

祖母次第で進んできた

道々、覚悟を決める時間を与えられているのだから大事にしてまたありがたいと思わなくちゃいけないと考えていた

それは祖母がそんな理由で寝たきりになるとは想像しなかった頃から肝に命じていた

順番通りならこの人は私たちより先にゆく

でも覚悟なんて全然できてなかったもしくは避けてた信じたくなかった

だから立ち止まりある意味色んな方向が見える場所にいるにも関わらずどの道も目に入らず足元は揺れている

祖母がいなくなった後の暮らしを望みとしては想像したくなかったのでしなかったのは事実
でもいずれのこととして念頭にはおかなければいけなかった

自分の実力を無視すれば道は縦横無尽

でも曇って
霞みががって
世界が揺れて
見えない

いや

私がまだ目をあけたがらないのか