三輪のレッドアラート!

憂国のクリンゴンのブログですが、最早あまり知識系の話題は取り上げません。自分の頭と心を持たぬ馬鹿が群れるだけですから。

今後の動向を予測する

2006-08-12 18:49:14 | 日本を襲う地獄の未来
現在までの自民党の方針と言うのは、言ってみれば「どんな風に国民から人気を得るか」だった。
別の言葉を使えば「どうやって国民を騙し欺き味方につけるか」を考えていたと言っても良い。

その中で麻生太郎と言う男は、かなり主流派とは違う方向性を打ち出していた。
「国民がどうやれば納得するか」をまじめに考えようとしていたと言っても良い。

それがこの豹変となった訳だが、この事は一つの事実を示唆している。
つまり、「もう国民の顔色を伺っていても仕方ない」と麻生太郎氏が悟ってしまったのが今回の靖国の国営化と言う狂った方針の打ち出しではなかったのかと言う事だ。

この様な想起は、次期政権の立法により凄まじい影響力が国民に降り注ぐのではないかと言う、暗い予感を私に抱かせている。
どんな影響力かと言うと、「共謀罪」や「人権擁護法案」や「外国人参政権」と言う方向性だ。

安倍壷三は、現時点で「アメリカ同様の移民の国に日本を変化させ、日本の人口減少に歯止めをかける」と実にその著書の中で公言している。

これに伴って「外国人の住みよい日本を作る」と言う方向性が必ず打ち出される。

曰く「外国人への理由なき偏見」と言う事で、政治ブロガーたちが大騒ぎしている「中国や韓国への嫌悪」を大きくクローズアップして、その後にそう言う日本人を徹底的に取り締まる方向性を打ち出す訳だがね。

世論の逆利用とでも言うべき方向性が今後打ち出される事は間違いないと思う。
なにせ、チーム世耕の最近の暗躍場所は2chでしょ?
あそこが安倍壷三糾弾の書き込みを消して、中韓批判の書き込みを消さないのはなぜか。
考えている人は本当に居ないのだろうかね?

さあて、共生とか、融和とか、平和とか、そう言う美辞麗句が大好きで、そう言う「正しい優しい日本語」を浴びせかけられると「ついつい冷静に考えてしまう知識に溢れた日本人」にそう言う方向性を跳ね除けられるのだろうかね?

私は疑問に思うね・・・・。

いろいろな意味で次期政権では大きな変化が日本にもたらされる危険がある。
そして、それを押しとどめる役目の保守派の政治家は次々に寝返りを打っている。

もう政治家に期待する事はできないだろう。
今後は何とか「政治家VS国民」の図式を日本国民自身が作って行く必要があるのではないだろうか?

とは思うものの、政治ブログを今まで眺めて来た限りでは、「どの政治家を応援するか」ばかりが論じられていて、国民が何を望み、どう行動すべきかを述べていたブログは極少なかった様に思える。

あるいは「私自身」「貴方自身」がどうすべきかを論じて来たブログも少なかったのではないかと・・・。

この節目に考えた事はそう言う事だったりもする。

新規出直しと言う事で・・・

2006-08-12 16:19:13 | 靖国の政治問題化
以前からのコンテンツはさっぱりと諦めて、本日から新規出直しと言う事です。

正味、自分の心で感じない、自分の頭で考えない、知識ばかりのひょうろく玉の相手は今後一切致しません。

ただ、前の三輪のレッドアラートで遣り残した事も多かったのは確かです。
そこらについてはボチボチと書き連ねて行こうかと思っています。

さて、前のブログをやめる直接の原因となった麻生太郎についての考察ですが、私の思う所をここで披露させて頂きます。(富田メモとの関連も書いて置きます)

・麻生太郎は靖国を無宗教のイベントパークに作り変えるつもりである。
・その前に富田メモが全文を明らかにしないままに発表されている。

(富田メモの影響):主に印象付けと言う効果を狙っており、印象の維持の為に日経はソースを取り込んで公表しようとしていない。
・皇室が靖国に批判的だという問題提起
・皇室が戦争犯罪者に悪印象を抱いていたと言う問題提起

(麻生案が今後爆燃した時の靖国の取りうるオプション)
・飽くまでも拒否
    ↓
 富田メモを盾にした攻撃の続行
    ↓
 靖国の正統性に対して皇室のコメントが根拠として攻撃が繰り返される
    ↓
 戦死者の遺族VS皇室の図式の完成


△△ △△ △△

・受け入れて無血開城
    ↓
 靖国の形骸化(層化の入った与党では他の方向性はありえない)
    ↓
 靖国の形骸化は昭和天皇のメモであると言う世論の喚起
    ↓
 皇室の立場が全くなくなる(戦死者を見捨てたと言う印象付け)
    ↓
 日本の戦争での正義の一切の否定、戦後史観の根拠強化
    ↓
 独立日本が更に遠くなり、戦後史観に抗う西尾幹二氏の様な方々も死去していく


麻生太郎が提示した靖国に対する提言とはこう言う流れにも結びついて行く。
結局現政権でたくらまれている事の根底には何があるのか?

それは「皇室VS大東亜戦争の戦死者」と言う救われない図式の確立なのだ・・・。
この事に何故皆気がつかないのか不思議でならない。

そして、このような図式を提案して見せた麻生太郎に対して、何故皆が全く怒らないのかも理解ができない。
麻生案の恐ろしさ、そして根底に秘められた悪意の深さに私は見るなり仰天したものだ。

ん?麻生太郎はそんなつもりではないかったって?(嘲笑)

こうすればこうなると言う事を考えもせずに政治家が発言しているとでも思っているのかな?
古式ゆかしい修飾語を並べてみせたら、何となく麻生太郎が博識に見えて、日本の心を理解している様に印象を付けられて、その上でまだ希望を繋ぎたいと思ってしまう訳なのかな?

だが、彼の書いている事、発言している内容を見れば、あれが総裁選選挙を控えての言動だと誰にでも理解は可能だろうし、その発言がどこを見ての発言かは明らかであろう。

あれは日本国民を向いての発言ではありえない・・・・。
麻生太郎はアメリカの次期政権がヒラリー・クリントンを擁する米国民主党の勝利だと確信しているのだろう。
そして、米国民主党の背後には中国が居るのだ。間違いなく居るのだ・・・・。

結局、次のアメリカの政権に対して麻生太郎は発言を行ったと見て間違いないだろう。
今回は共和党と(表面上)べたべたの小泉の流れで安部が総理となると麻生太郎は予想している。
彼が見つめているのはその次だ・・・。

そう言う流れで見つめないと、今回の麻生太郎の豹変からは何も読めなくなってしまう。
これは彼なりの将来を見つめたやり方なのだろうと、私はそう思う。

けれど、その将来に対する布石とは、言ってみれば保守との決別宣言であり、日本人を向いての政治への決別宣言であった。
そうならざるを得なかったのだろう。

結論としては、彼も凡百の政治業者と同じく、国を売って栄達を得る事を選んだという事であり、そんな彼に対しては日本国民は絶対に支持を行ってはならないと言う事だ。

こういう簡単な結論への道筋に対して、いろいろな議論が成立する事に先日来からの私は非常に大きな衝撃を受けたものだ。

人が正しい道を行く為に必要なものは何なのだろう?
知識も当然必要だろうが、それが迷いを産む様では本末転倒と言えるだろう。

知っている事には多分何の意味もないのだろう。私も皆に知って貰う事については諦めた。
仕入れた知識が正反対の事を言っているからと言う事・・・で、ふらふらと方向性が変わってしまうにが今の日本人の限界なのではないだろうか?

義務感や使命感、危機感、そう言う感覚的な何かを鈍磨させてしまっている事こそが日本人の不幸なのだと思う。

つか、携帯電話やら大規模掲示板やら、テレビやらラジオやら・・・。
たくさんの情報に接しすぎて、大切な情報、自分で思索した情報から遠ざかっている事が日本人の感性を鈍磨させ、大事な感覚が生じる事を阻んでいるのでは?

そう考える事が最近多くなってきている。ちなみに私はテレビとかはほとんど見ないのだが、なぜかと言うと、あれが一方的な情報しか与えないものだからだ。

三輪のレッドアラートが、結局ブログの読者に対してテレビと同じ一方的な情報と成り果てていた、そう確信した事で前のブログの膨大なアーカイブを放棄する決意を固めたのだが、多分後々になってからそれは正しかったと確信する事だろう。

では新規ブログの第一回目のエントリーはこれで終わります。