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山里日記

平凡なサラリーマンのバイク&アウトドア生活

両界山横蔵寺のもみじ

2008年11月12日 22時18分20秒 | 西濃地区

谷汲にある横蔵寺に行ってきました。
毎年いろいろ紅葉を観に行ってますが、ここは格別です。
紅葉していないもみじも若干あります。ピークは来週後半でしょうか。
岐阜県観光ガイドのWebページでモニターさんが見ごろを報告してくれているので、参考にするといいかもしれません。

岐阜県観光ガイド:紅葉情報

 

横蔵寺奥にある、いこいの広場です。
もみじといちょうと青空の三色がとてもきれいです。

 

平日なのに、高そうなカメラを持った人が大勢いました。
カメラマンが群がっている場所で私もコンデジで撮ってみました。どうでしょうか。

 

同じく高そうなカメラを持った人が、ず~っと仁王門から奥のもみじを撮ってたので、私も並んで撮ってみました。
が、腕もカメラも良くないので意味不明な画像に。


徳山ダム

2008年10月21日 17時30分33秒 | 西濃地区

徳山ダムへ行ってきました。前回来たのは約2年前ダムの堤体は完成していましたが、まだ工事中で今では湖底に沈んだ徳山村をスーパーシェルパで走りまわっていました。

以前は立ち入り禁止だった堤頂に初めて立ってみました。なんという大きさ。感心するやら、あきれるやら。

 

ダム湖は徳山湖と名付けられ、ほぼ満水の状態でした。

 

徳山ダムをさらに奥へ行くと、湖底に沈んだ徳山村を記念した徳山会館があります。その裏手からの写真です。写真中央部の底あたり、廃村となる徳山村の象徴であった旧徳山小学校が沈んでいるはずです。下は2006年5月の同じ方向を写した画像です。

道はかなり悪くなり途中崩落個所も何か所かありますが、徳山会館から更に奥の旧開田地区まで入っていくことができました。ダム堤体のコア部の土を採取した通称コア山が目の前に見えます。
しかし、アドレスV125Gではしんどい。タイヤの径が小さいのでちょっとしたでこぼこでもすぐハンドルがとられてしまいます。やっぱりオンロードでもオフロードでもいいので大きなバイクが欲しい~。

 


垂井町・竹中陣屋

2008年05月11日 14時32分54秒 | 西濃地区


櫓門(裏側)

不破郡垂井町にある、竹中陣屋跡です。別名岩手城とも呼ばれている通り、陣屋というよりは城のようです。
天正年代、豊臣秀吉が天下人となった時代に、秀吉の軍師として有名な竹中半兵衛重治の子、重門により、当時の居城であった菩提山城を廃城として、ここに陣屋を構えたそうです。
現在は写真の櫓門を中心に堀や石垣しか残っていませんが、明治維新まで続いた竹中家の遺徳が忍べます。


竹中家の菩提寺・禅幢寺


禅幢寺・本堂


竹中半兵衛重治公のお墓

竹中陣屋から北へ行った所に、竹中家の菩提寺・禅幢寺(ぜんとうじ)があります。
門前の看板によると、明応3年(1494年)、薩州金幢寺の僧・正硯和尚が開創したとのこと。
天正7年(1579年)播州三木の陣で病没し、三木に葬られたた竹中半兵衛重治公を、天正15年(1587年)父の菩提を弔うため長男・重門公が三木から当時に移送されたとされています。
写真の本堂は重治公の孫・重常公が寛文3年(1663年)に建立されたものだそうです。

竹中半兵衛は歴史小説でも有名で誰もが知る人ですが、その史跡がひっそりと地域の人々に守られ、後世に受け継がれているのを見ると感慨深いものがあります。菩提寺はともかく、陣屋は櫓門しかありません。町が発展するにつれ櫓門も将来は取り壊され見れなくなってしまうかもしれません。
そう思うと、何もできませんが、せめてしっかりと見て記憶に留めておきたいと思うのです。

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さざれ石公園

2008年04月07日 23時28分57秒 | 西濃地区

君が代の歌詞にもなっている『さざれ石』は伊吹山の麓、岐阜県揖斐川町春日が主要産地であり、岐阜県の天然記念物になっています。
その春日にある、さざれ石公園に行ってきました。

駐車場から、登山道のような急な坂道を登っていくと、当たりの雰囲気とはおよそ似つかわしくない芝生広場が開けています。

更にその奥の砂防堰堤を登ったところに、二つの大きなさざれ石が祭られていました。

-さざれ石前の看板より-

さざれ石(岐阜県天然記念物)
 この石は、学名、石灰質角礫岩と言い、石灰石が長い年月の間に雨水で溶解し、その粘着力の強い乳状液(鍾乳石と同質)が、次第に小石を凝結、だんだん巨巌となり河川の浸食により地表に露出、苔むしたものである。
 この石にまつわる郷土の伝承として 平安時代、文徳天皇(在位850~858年)の皇子惟喬親王(木地師の祖神)に仕えた藤原朝臣石位左衛門(歌人)が、江州(滋賀県)君ヶ畑から木地椀の良材を求め春日村に移り住み、江州の君ヶ畑へ通う途中、自然に凝結、苔むして巨巌になっている珍しい石の状態を見て、ありのまま、「わが君は、千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」と詠んだのが、この石であり千代に栄えることを希った、めでたい石であるという。
 更にこの看板には、昭和37年に当地のさざれ石が皇室、明治神宮をはじめ、文部省、池田隼人元首相等に献上されたと記録されていました。

国歌歌詞になっているさざれ石が県内春日村のものであり、その歌詞の原文も春日村で詠まれたとは驚きでした。小石が凝結して巌になったうえ、地表に露出して苔がむすまでにどれだけの時間がかかるのだろうと考えると、自然の神秘に改めて敬服の思いがします。

石灰質の岩で雨水による浸食がされやすいのでしょうか、さざれ石の奥の谷は新しい砂防堤があり、手前の小屋は今年の雪によるものか、みごとにひしゃげていました。

見上げるとドライブウェーが見え、はじめてその山が伊吹山だとわかりました。

通り道から見える谷間の集落。まさに山里。こういう光景に癒されます。許されるのであれば住んでみたいとも思うのです。


桜・桜・桜

2008年04月06日 22時52分54秒 | 西濃地区

近鉄養老線沿いの桜並木です。まさに桜のトンネル!!


杭瀬川の桜並木。

霞間ヶ渓(『かまがたに』と読む)の桜。この谷は以前は釜ヶ谷と呼ばれていたが、谷間に咲き乱れる千本以上の桜が、遠くから見ると霞がかかったように見えることから霞間ヶ渓と呼ばれるようになったそうです。

霞間ヶ渓から岐阜市方面を望む。今日はかすんでいましたが、見通しが良い日は金華山から、名古屋のツインタワーまで見わたせます。
 


関ヶ原~員弁市(365号線)

2006年09月03日 23時40分33秒 | 西濃地区

夕方から時間が空いたのでふらふらとでかけ、あてもなく関ヶ原から国道365号線を南下してきました。

直線主体の気分爽快な道路です。

道路から見える山里の風景は、とてもきれいでのどかでした。

まさしく黄金色の田んぼ。Beautiful!! 本日の燃費は28Km/l。エンジン回し過ぎたのに、あきらかに燃費は向上している。

本日の走行距離:140.6km
燃費:28.0km/l


なぞの物体?(続・徳山ダム)

2006年05月26日 11時13分33秒 | 西濃地区

またまた、先日の徳山ダムツーリングのネタです。
写真の物体は、徳山ダムからかなり奥へ入った、揖斐川の河原で撮影しました。
私が並べたのではなく、河原の流木の上に最初からこのように置いてありました。(たばこは私が置きました。)

最初は、焼け焦げたたけのこ?に見えましたが、持ってみると以外と硬く、根元には動物のものらしき体毛がついていました。

「まさか!熊!!」

とたんに背筋が寒くなり、撮影だけしてあたりに用心しながらその場を離れました。

しかし、熊のどの部分だろ?
牙にしては中が空洞だったし、でかすぎるし、爪か?
爪にしてもでかすぎるか、いやいやほとんどが手の肉の中にかくれているとすればありえるかな?
それでもでかすぎるな、これが爪だったら5mぐらいの熊だな。でも熊の爪って中が空洞か?
といろいろ想像してしまいました。

結局家に帰って調べてわかったのですが、カモシカの角でした。
(だと思います。間違っていたらうれしいんですが・・。)
ツーリング中にカモシカもたびたび見かけるのですが、カモシカの角は先が丸いイメージがあったので、
これがカモシカだとは全く思い至りませんでした。

家族からは、「熊の爪と考えるより、何かの角と考えるほうが常識でしょ」と言われてしまいましたが、全くそのとおり。

自然の中にいると子供じみた発想をしてしまうもんだな。でも、熊の爪だったらな~。5mの熊だったら徳山ダムの運転も延期になるだろうに。

-P.S.-
今年は、カモシカの死骸をよくみかけます。やはり豪雪のせいでカモシカといえど足を踏みはずしてしまうのか、根尾川の奥でもがけから落ちたカモシカの死骸が路上にありました。
でも、角は丸いように見えたのですが・・。


揖斐川左岸崩落現場(続・徳山ダム)

2006年05月25日 09時04分14秒 | 西濃地区

先日徳山ダムへ向かう途中にあった、揖斐川左岸の崩落現場です。
場所は国道303号線を西進し、道の駅「星のふる里ふじはし」の少し手前になります。
こちらでは連日ニュースで扱われ、国土交通省の定点カメラによる崩落の瞬間も放送されていました。山肌一面がごっそりはげ落ちています。

 

揖斐川の本流です。崩落により一旦せき止められたようで、流路確保の為の工事があわただしく行われていました。上流の横山ダムで放流調節をしており、雨後でも流量はそれほどでもありません。

 

右端に白いガードレールが見えます。県道がとおっていましたが、完全に埋まっています。先に人が住んでいないのが幸いでした。

 

崩落現場の対岸には、民家もありました。崩落時は怖かったんだろうな~。


ツーリング(徳山ダム)

2006年05月21日 19時52分09秒 | 西濃地区

この秋から試験湛水がはじまるので、湖底に沈む前にもう一度走っておこうと徳山ダムに行ってきました。堤体は完成しており巨大さに圧倒されます。堤高は161mで、富山の黒部ダム、長野の高瀬ダムに次ぐ日本第三位の高さになり、総貯水容量は66,000万?で静岡県の浜名湖の2倍の貯水量になり日本一だそうです。展望場所から撮影しても全体像が入りきらないほどの大きさです。

 

 

(旧徳山小学校舎)

旧徳山村の中心部だった小学校校舎付近です。去年まではまだ回りに民家があり人が生活してたのですが、それも取り壊されていました。校舎は壊さずにそのまま沈めるのでしょうか、まだ残っていました。

 

旧徳山村奥の戸入、門入にも民家がまだあったのですが、きれいさっぱり壊されていました。旧徳山村の方でしょうか、たくさんの年配の方が辺りを写真に収めていました。写真は戸入に向かう道から下流を撮ったものです。国道417号付け替え用の橋がほとんどできていますが、貯水時にはあの高さまで水がいくんですね。まさしく湖底を走っているんだと実感します。

 

写真ではほとんど確認できませんが、家族連れの人が写っています。あそこへは道なき所をすすまないと行けません。さらに上へ登ったところに住んでた人の親戚の方だそうです。その人のために最後の写真を収めに来たとのことでした。自分も寂しくなりました。

 

この見慣れた徳山名物?の巨石も、今日で見納めです。